5月から、毎日、「zoom念仏道場」を主宰している。
内容は、念仏・正信偈・和讃。そして井戸端である。
昨今、多くの方々が、念仏との距離が希薄になっている現状がある。
(念仏は、意味ない呪文)とか、(念仏は、抹香臭い)とか、
(念仏は、時代遅れ)…と、思っているようだ。
残念なことである。
ボクは、今こそ、念仏の時代だと自覚する。
昨日のブログに続いて、
毎田周一師のことばを読んでもらいたい。
「跪いて光明無量寿命無量なることを知る。
これが念仏の意義である。
南無阿弥陀仏である。
跪くとは心を空しうしてものを見ることである。
己れなくしてものを見るといふことである。
そのとき物事のありのままの姿が見られる」
「南無すること、跪くこと、己を空しうすることは、
やがてこの発展的世界の内面的自覚である。
これを南無阿弥陀仏といふ、念仏といふ。
それ故に念仏者は、発展的創造的に働くものでなければならない。
念仏はそれ故に消極的退嬰的ではないのである」