この数日、教育関係の若い方と雑談する機会がありました。
その席で、話の流れの中で若い方に「親鸞聖人の名前知っていますか?道元禅師の名前知っていますか?」と聞いたところ、名前を知らないのです。
本当に、悲しくなってしまいました。
でも、その教育関係の若い方を責める気持ちは全くありません。
人生の先輩が教えてこなかった。お上が、きちっと日本文化を大事にすることを放棄した。というよりも、戦後の日本国をミスリードしてきたということだろう。
確かに、経済的には豊かになり衣食住は豊かになった。一方、失ったものも多いように思う。
そろそろ、日本人はもっと「怒った」方が良いように思う。
いつも、ブログ見させてもらっています。
そうですか。
れあさんが、お経を読めたり、親鸞聖人の石像を写生していたとの話を聞いたことがなかったですね。
この頃、いろいろ考えているいのですが、日本人の土台は、佛教にあるように思うのです。
言うまでもないことですが、国民をお寺に束ねようといった気は全くありませんが・・・。
「今を生きる智慧」として、佛教を学ぶことが大事だと思うのです。
先日会った〈若者〉は新採の方ですが、この方を「不勉強だ」等と責める気持ちはありません。
私が気にしているのは、この国の教育のしくみが、本当に気になるのですよ。
親鸞聖人・道元禅師の名前を知っているかどうかではなく、先人の智慧や文化が伝えられていないのでは・・・と思うのです。
近いうちに、一杯やりながら、わいわいやりましょう。
ありがとうございます。
私の父方の祖母は浄土真宗のお寺の熱心な檀家さんでした。
毎日家でお経を朝晩唱え、寺の方にも頻繁に出向いておりました。
そんな祖母の孫たち(10人)は、小学校低学年の頃から、スラスラお経を歌のように唱え、食前の言葉や食後の歌(!?)なども何も見ずに言えることが自然にできるようになってました。
その孫の一人である私も、幼い頃から親鸞聖人の石像を写生したり、お数珠を作ったり・・・
これは少数派だったのでしょうか・・・
それとも、先生の言う<若者>とは世代が違うのでしょうか・・・