里村専精師の「浄土真宗にようこそ No26」をお届けします。
浄土真宗にようこそ No26
サンガについて二年、語り続けました。
ブッダがなくなられても(前5世紀)、サンガは生き残りました。
むしろ、サンガこそ仏道の生きて実在した姿なのです。
もしブッダにサンガがなかったなら、仏教はその時点で終わっていたのです。
初めは出家の比丘たちだけでしたが、やがては出家・在家を問わないサンガになります。
そして、インドの各地にさまざまなサンガがその営みを続けていました。
学校で習うのは部派仏教という言葉なのですが、これこそサンガの種々相でした。
国家単位だったり、都市や種族で支えられたサンガもありました。
次第に展開して、その学びもさまざまに特徴的だったようです。
7世紀に玄奘三蔵がインドを訪れた頃、大小入り交じってサンガは学び続けていました。
5世紀に、それまでの中国の仏教と違うサンガの学びを受け継いだ人が生まれました。
曇鸞大師の学びは、50才を過ぎて学問仏教からサンガ仏教に転じます。
他力の仏教なのですが、自力の人間次元に閉じこもる学びは乗り越えられています。
釈尊がそうであったように、サンガはみんなで真実のダルマを共有するのです。
なぜに、あの玄奘三蔵に明確なサンガ仏教の感覚がないのかが不思議です。
玄中寺で育った善導大師には、大切なサンガ感覚があります。
善導大師の住まわれた光明寺と、玄奘三蔵が翻訳をしていた慈恩寺は近いというのに。
「善導独明仏正意」と親鸞が讚えていますが、大切な違いがあります。
善導大師以外の唐の時代の学びは、自力の学問仏教だったのです。
この違いが、今日でも仏教理解の混迷の基になっているのではないでしょうか。
◆4月19日(土) 午前10時~12時
親鸞とカウンセリングコースが開催されます。
◆4月27日(日)午前10時~12時
声明とカウンセリングコースが開催されます。
どちらの学習会も9時~10時、会場が開いています。
自主学習タイムとしてご利用ください。
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