植木等さんが旅立たれました。
お悔やみいたします。
植木さんは、浄土真宗のお寺のお生まれの由。
「スーダラ節」を歌うことが決まった時、悩んだそうだ。
「こんなくだらない歌は歌いたくない」と。
浄土真宗の僧侶であった父親に相談したところ、父親のアドバイスが良かった。
「分っているけど、やめられない」
これこそ、親鸞聖人の教えに通じるというのが父のレスポンス。
いうまでもなく、植木さんは、「スーダラ節」を一生懸命歌ったそうな。
素敵なエピソードですね。
あるコメンテーターのコメントが良かった。
植木さんといえば、「無責任」
「無責任」といえば植木さん。
でも、植木さんは、愚直に正直に生きてきた。
その植木さんが、「無責任」を歌うから共感が得られる。
ところが、最近の政治家や高級官僚は、高学歴であったも隣も悪いことをやっているから自分も・・・と無責任な行動をとる。
いま話題になっている、高級官僚の天下り先を「プール制」にするとか何とか・・・ナンセンスと。
植木さんの「無責任」と、最近の政治家・高級官僚・経済人の「無責任」とは、内容が全く違うと。
素晴らしいエンタティナーでした。
もうあんな人は出ないかも知れません。
tbはらして頂きました。
植木さんの姿をテレビで見ながら育った年代ですから、本当に寂しいです。
政府が、「国民栄誉賞」の検討に入ったとか…。
人気のない政府の、人気取りのように思えて、余計なことをしないでもらいたいと思っているところです。