夜学で、釋尊について学んでいる。
私としては、「聖人・釋尊から学ぶ」というより、「人間・釋尊から学ぶ」といった態度で取り組んでいる。
私の受けとめは、「釋尊は臨床家」のようなたたずまいとして迫ってくる。
仏教の専門家からは、笑われ・馬鹿にされそうな受けとめであるが、私は「それで良し」というところに立っている。立ちつづけようと思う。
誰もが知っていることだが、釋尊は人間の一番根源的な課題に直面された。
それは、「生・老・病・死」の問題であり、人間の「煩悩」の問題である。
具体的には、私としては、これまで学んできたカウンセリングを通しての「何か」と、釋尊がお説きになったところを、重ねながら自分の内にあるところを明確化していこうと考えている。
「相応部」にみられる、釋尊の言葉
「子ある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。人間の憂いは、執着するよりどころによって起こる。執着するよりどころのない人は憂うることがない」
そこで悪魔は、「世尊は私のことを知っておられるのだ。幸せな方は私のことを知っておられるのだ」と気づいて、うち萎み、憂いに沈み、その場で消え失せた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます