法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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里村専精師 浄土真宗にようこそ(005)

2012年12月03日 18時32分40秒 | 里村専精師の言葉

浄土真宗にようこそ(005)

真言を採り集めて、往益を助修せしむ、
何となれば、前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、
連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。
無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり。
サンガという言葉を、改めて考えたいと思っています。
僧伽という字で書かれているのですが、三宝の最後に掲げられています。
念仏・念法・念僧の最後の“僧”が実は僧伽なのです。
もともとはブッダを取り囲んで、そのブッダの威徳に催されて生きた人々です。
出家の男女だけでなく在俗の男女にも、本物の人々が大きく育っていたのです。
もちろん、ブッダの力(他力)のままに覚めていった人たちです。
ブッダがなくなられても、その教え(dharma)とサンガは生き続けました。
それだけではなくて、サンガはその教えを次第に時代とともに成長発展させました。
大乗仏教と呼ばれるものがその最たるものですが、諸部派でも学びは展開しています。
サンガは、仏教の学びを常に新しく展開する人間の宝だったのです。
その意味のサンガが、中国では違ったものになっています。
集団学習という形を見せているのですが、はじめから民衆と乖離してしまいました。
しかもそれだけでなく、あたかも君臨するかのよなものになってしまいました。
中国の習俗のままに、仏教を教訓じみたものと考えたからなのでしょうか。
曇鸞大師の回心は、そのような仏教とは本質的に違うサンガ仏教に還られたものです。
それは、菩提流支(ボーディールチ)との出遇いと無量寿経によって開かれたものです。
その曇鸞の住した玄中寺に、曇鸞没後半世紀もすぎて一人の禅僧がやってきます。
道綽という人でしたが、玄中寺に息づくサンガの実態にふれられたのです。
上に掲げた文章はその道綽禅師の言葉ですが、もう一度見直したい言葉です。
皆さんでいろいろに考えて頂きたいのですが…。
私はひそかに、玄中寺との出遇いの感動から導かれた言葉でないかと考えています。
つまり、道綽禅師は玄中寺のサンガに脈々とした真実の歴史を感じられたのだと。

◆最初の四行は、道綽禅師の『安楽集』にある言葉です。
 親鸞さまは、『教行信証』の最後にこのお言葉を引いておられます。

◆「真言を採りあつめて…」は、本当に嬉しい言葉です。
 私は、ここの箇所を、【落穂拾い】をすることと重ねてハラにおさめています。
 先師・五十嵐正美先生が、【落穂拾い】のお勧めをしてくださったことに頭がさがります。

◆《サンガ》
 いい言葉ですネ。
 私は、《サンガ》は、カウンセリングワークショップ、エンカウンターグループとおさえています。
 但し、この頃のワークショップとエンカウンターグループとは違います。
 このことは、もう少しあたためて文章にします。

◆経典は、「我聞如是 一時仏…」 「如是我聞 一時仏…」ではじまります。
 最初の箇所を、(六事成就)と言われています。
 
 ①聞成就
 ②信成就
 ③時成就
 ④主成就
 ⑤処成就
 ⑥衆成就

◆この六事成就している処が、《サンガ》であり、《ワークショップ》だと考えます。

◆学びの場には、老若男女、年齢、学びの進み方…等々、十人十色です。
 
 学びの場を大きく二つに分けると

 ①教える人がいて、教わる人がいる。そんな縦型の学びのスタイル。
 ②共に学習者(昔、信川実先生は、「自発共同学習」と言ってました)

◆私のイメージでいえば、《サンガ》は②だと考えます。

◆親鸞さまは、《会座》を大事にされました。
 《御同朋・御同行》を大事にされています。
 《請》とも言われます。

◆ご自分を(愚禿)と名乗られました。
 (愚禿)とは、(生涯学習者)とおさえたいものです。

 

帰命尽十方無碍光如来 なむあみだぶつ

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