尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

堀場清子、李恢成、原広司、秋山和慶、森政弘他ー2025年1月の訃報②

2025年02月09日 20時23分11秒 | 追悼

 2025年1月の訃報、日本編。シンプルに書いて行きたい。直接会ってる人はいないので、読んだことがある人から。詩人、女性史研究家の堀場清子が1月10日死去、94歳。詩の方は全然読んでなくて、ずいぶん評価が高いらしいのに驚いた。僕が知ってるのは高群逸枝研究家である。近代日本思想史の鹿野政直の妻で、共著『高群逸枝』(1977)には非常に大きな刺激を受けた。高群関係の本、史料集の他に岩波新書の『青鞜の時代』(1988)などがある。疎開先の広島で原爆被害を目撃し、被爆体験をテーマにした本もあるが、僕は読んでない。新聞の訃報で高群逸枝に触れてないのもあって、時代が違うのかと驚いた。

(堀場清子)

 作家の李恢成(り・かいせい、イ・フェソン)が1月5日死去、89歳。1972年に『砧をうつ女』で芥川賞を受賞。これは同賞史上初の外国籍受賞者だった。樺太出身で敗戦後辛くも北海道に脱出するが姉を残してしまい、後年大きなテーマとなった。朝鮮新報記者を務めたが、総連を離れて作家に専念。1970年の『伽耶子のために』は小栗康平監督によって映画化された。70年代後半に書かれた『見果てぬ夢』6部作は、韓国民主化をめぐる大河小説でとても興奮して読んだ。金大中政権成立で韓国民主化はなったとして韓国籍を取得した。『百年の旅人たち』(1994)『地上生活者』全6部(2005~20)などは読んでない。70年代に大きな関心を持って読んだが、「在日コリアン」が「政治と歴史」で語られた時代を象徴した作家だったと思う。

(李恢成)

 建築家の原広司が1月3日死去、88歳。大江健三郎と親しく、多くの論考を書いているが僕は読んでない。世界中の集落を調査し、「住居に都市を埋蔵する」として自邸を設計したという(1974年)。大阪・梅田スカイビル、京都駅ビル、札幌ドームなど都市の顔をなる巨大作品を手掛けたことで知られる。東大の原研究室から隈研吾、山本理顕などを輩出した。

(原広司)(原広司自邸)

 指揮者の秋山和慶(かずよし)が1月26日死去、84歳。1月初めに自宅で転倒して引退を発表していたが、直後の訃報となった。桐朋学園大学で斎藤秀雄に師事し、1964年に東京交響楽団でデビューした。直後に東響が解散するも自主再建に向け努めた。世界各地で指揮したが、東京交響楽団桂冠指揮者、バンクーヴァー交響楽団桂冠指揮者、広島交響楽団終身名誉指揮者になっている。サイトウ・メソッドを最も受け継いでいると言われ、1984年には小澤征爾とともに斎藤秀雄メモリアル・コンサートを企画。これがサイトウ・キネン・オーケストラ発足につながった。

(秋山和慶)

 ロボット工学者の森政弘が12日死去、97歳。東京工業大学名誉教授。日本のロボット研究の先駆者で、数多くの先駆的研究に取り組んだ。ロボット発展における「不気味の谷」という現象を提唱したことで知られる。87年に定年になった後、高専対抗ロボット・コンテストを実施し、NHKで放映されて大評判となった。これが「ロボコン」の始まりである。またロボット工学の本以上に、『「非まじめ」思考法』、『森政弘の仏教入門』など、仏教に基づく独自の「非まじめ」論などの著書がある。

(森政弘)

 経済アナリストでテレビやラジオで活躍した森永卓郎が1月28日死去、67歳。闘病を公表していて、体調悪化をラジオで最後まで報告していた。そのため非常に知られた存在となったが、本質的には「B宝館」という私設のお宝博物館を開くなど趣味的なエッセイストだったと思う。話や文章が面白いので、実務的なことを知るときには役立つ本が多い。しかし、『ザイム真理教』などの本は割り引いて読む方が良いと思っている。「最期」の日々をどう生きるかは一つのモデルを示した。

(森永卓郎)

 歌手のアイ・ジョージが1月に死去(死亡日未発表)、91歳。60年代に非常に人気があった歌手で、紅白歌合戦にも60年から71年まで連続12回出場した。外国の歌が多いが、オリジナルでは61年の自作の「硝子のジョニー」がヒットした。この歌から日活映画『野獣のようにみえて 硝子のジョニー』(蔵原惟繕監督)が生まれ、本人も出演して野性的な風貌が残された。実力のある歌手だったが、ある時期から消えてしまい、テレビの懐メロ番組などにも出なかった。金銭スキャンダルなどがあったとも言われるが詳細は不明。新聞、テレビ、ネットニュースなどに出ていないが、Wikipediaに訃報が掲載されている。

(アイ・ジョージ)

・歌手の三浦洸一(こういち)が11日死去、97歳。50年代に「落葉しぐれ」「東京の人」などがヒットし、紅白歌合戦にも8回出場した。21世紀にも懐メロ番組などに出演していた。映画撮影監督の上田正治(しょうじ)が16日死去、87歳。東宝に入社して、黒澤明監督の晩年作品『影武者』『乱』などを担当した。小泉堯史監督作品も担当し『雪の花』が遺作となった。映画監督の山田火砂子(ひさこ)が13日死去、92歳。現代ぷろだくしょんを夫のプロデューサー山田典吾から受け継ぎ、日本の福祉関係者をテーマにした映画を多数作ったことで知られる。賀川豊彦、石井筆子、留岡幸助、荻野吟子、矢島楫子らである。

・火山学者の大田一也が15日死去、90歳。九州大名誉教授で、地元の九大島原火山観測所長として90年の雲仙普賢岳噴火に際して警戒区域の設定などに関わった。経営学者の野中郁次郎が25日死去、89歳。共著『失敗の研究』(中公文庫)で日本軍の「失敗」を分析したことで知られる。

・作家の童門冬二(どうもん・ふゆじ)が2024年1月に死去していた。96歳。都庁に勤務しながら美濃部都政で政策室長を務めた。その間に作家としてデビュー、79年に退職して作家に専念した。『小説上杉鷹山』など時代小説で知られた。絵本作家のいわむらかずお(岩村和朗)が24年12月19日死去、85歳。『14ひきのひっこし』など14ひきシリーズで人気を集めた。

・政治評論家の俵孝太郎が1日死去、94歳。産経新聞論説委員からフリーのニュースキャスターに転身、保守派の論客として80年代頃には非常に知名度の高い人だった。元妻の俵萌子(08年死去)は、離婚後に政治的立場が正反対となった。

・元連合赤軍メンバーの植垣康博がが23日死去、76歳。集団リンチ事件で懲役20年の刑が確定、出所後は静岡でスナックを経営していた。著書に『兵士たちの連合赤軍』など。

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デヴィッド・リンチ、ピーター・ヤーロウ、デヴィッド・ロッジ他ー2025年1月の訃報①

2025年02月08日 22時24分23秒 | 追悼

 2025年になっても、もちろん重要な訃報は続く。見続けていかないといけない。まずはアメリカの映画監督デヴィッド・リンチが1月15日死去、78歳。何本も見てるから、すぐに特報を書こうかとも思ったんだけど、結局僕はリンチを理解出来ないので止めることにした。「カルトの帝王」などと報道され、まあそうなんだけど独特すぎて何か今ひとつ満腹出来ない。そんな不思議な映画監督だった。『ツイン・ピークス』が評判になって名前だけはかなり有名だが、どうにも位置づけが難しい。

(デヴィッド・リンチ)

 1976年に自主製作作品『イレイザー・ヘッド』を作るも大手には認められず、1980年の『エレファント・マン』がまさかの大ヒット、アカデミー作品賞ノミネートの快挙となった。日本でも公開され話題となったが、僕にはどこか居心地の悪い映画だった。その成功で『デューン/砂の惑星』を任されれるも興行的にも作品的にも不評だった。去年リバイバルされたので見たが、やはり近年の2部作の方が面白い。最終カット権を持っていなかったため大幅に削除されたと言われる。そのため次作『ブルー・ベルベット』(1986)では好きなように作れる権利を得て、不可思議なリンチ世界を確立した。僕はこの作品が一番好きだ。続く『ワイルド・アット・ハート』(1990)がカンヌ映画祭パルムドールを獲得し、この時期から世界の巨匠と認知された。

(ブルー・ベルベット)

 そして1990年からテレビドラマ『ツイン・ピークス』の放送が開始され、表面的な世界の裏に潜む異常な謎が世界で話題となった。リンチ作品はほぼすべて「謎」に満ちている。ただ一作『ストレイト・ストーリー』(1999)だけが普通に感動的だが、それでもひたすら目的地にトレーラーで向かう老人という設定は普通と変わっている。2001年の『マルホランド・ドライブ』はカンヌで監督賞を取るなど高く評価され、近年もどんどん高くなっている。去年見直す機会があったが、この映画は実に面白いけど世界観が全く理解不能。実は見てない映画もあるし、決して凄く好きな監督じゃなかった。上映素材はいま日本にかなりあるので、今後特集上映の機会があるだろう。何度見ても判らないと思うけど、少なくとも幾つかの映画では何度も見る価値があると思う。

(マルホランド・ドライブ)

 アメリカの歌手で「ピーター・ポール&マリー」(PPM)のピーター・ヤーロウが1月7日死去、86歳。1961年にポール・ストゥーキー、マリー・トラヴァースと「ピーター・ポール&マリー」を結成。62年に「レモン・トゥリー」でデビュー。同年に初のアルバム『ピーター・ポール&マリー』を発表し200万枚を売り上げた。これには「500マイル」「花はどこへ行ったの?」「天使のハンマー」などが含まれ、60年代フォークソングブームを生んだ。63年には代表作「パフ」を発表し、ボブ・ディランの「風に吹かれて」をカバーした。これらの歌は公民権運動やヴェトナム反戦運動で歌われ、ピーターも運動に参加した。70年にソロ活動のため一時解散したが、78年に反原発運動のため再結成した。僕はPPMが昔から好きで、今も聞いている。

(ピーター・ヤーロウ)

 イギリス生まれの歌手、俳優マリアンヌ・フェイスフルが1月30日死去、78歳。両親が離婚したため修道院で暮らし、17歳で結婚した。夫がローリング・ストーンズのマネージャーと知り合いだったため芸能界に誘われ、アイドルとなった。そして66年に離婚後はミック・ジャガーの恋人となったことで知られる。ゴダールに見出され映画にも出るようになり、フランス映画『あの胸にもう一度』でアラン・ドロンと共演し、裸でバイクに乗るシーンが大きな影響を与えた。その後アイドルとしては終わったが、歌手活動を続けていた。2007年に映画『やわらかい手』の驚くべき演技で見る者をあ然とさせた思い出がある。

(マリアンヌ・フェイスフル)

 イギリスの作家、デイヴィッド・ロッジが1月1日死去、89歳。日本では訃報がマスコミ報道されなかったと思うけど、邦訳も多い人気作家である。大学教授を主人公とするコミカルなキャンパス・ノヴェルで知られ、『大英博物館が倒れる』(1965)、『交換教授』(1975)が日本でも評判となった。後者は英米の大学で交換教授となった二人が、すったもんだあって妻も「交換」するに至る爆笑インテリ小説。今も白水Uブックスに残っている。他に『楽園ニュース』『恋愛セラピー』『作者を出せ!』『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』『作家の運 デイヴィッド・ロッジ自伝』など面白そうな題名の本がいっぱいある。『バフチン以後 〈ポリフォニー〉としての小説』『小説の技法』などちゃんとした文学研究書も翻訳されている。

(デイヴィッド・ロッジ)

 フランスの政治家ジャン=マリー・ルペンが1月7日死去、96歳。極右政党「国民戦線」を1972年に結成して党首となった。以後、人種差別や歴史修正主義発言で批判されながらも支持を伸ばし、2002年大統領選でまさかの2位となり決選投票に残って衝撃を与えた。2011年に引退し三女のマリーヌ・ルペンが後継となったが、父の反ユダヤ発言がもとで父娘の関係が悪化。最終的に父親は除名され、2018年には党名も国民連合に変更された。戦後フランス政治の異端児、風雲児ではあった。

(ジャン=マリー・ルペン)

・フランスの映画監督ベルトラン・ブリエが20日死去、85歳。1963年に記録映画『ヒットラーなんか知らないよ』で監督デビュー。その後は劇映画で『バルスーズ』『ハンカチのご用意を』(アカデミー外国語映画賞)、『美しすぎて』(カンヌ映画祭グランプリ)などの作品を撮った。オーストリアの演出家、俳優オットー・シェンクが9日死去、94歳。世界的なオペラ演出家で、ウィーン国立歌劇場やメトロポリタン歌劇場などで名演出を残した。

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『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』、アルモドバル監督魂の傑作

2025年02月07日 20時21分34秒 |  〃  (新作外国映画)

 スペインのペドロ・アルモドバル監督の『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』が公開された。2024年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作である。スペイン語ではなく、監督初の英語長編映画である。(短編作品には英語映画がある。)シーグリッド・ヌーネスという作家の原作に基づいていて、翻訳は早川書房近刊と出ている。アルモドバル監督と言えば原色の氾濫、過激なストーリーで知られたが、この映画は「静か」で「枯れた」色調に驚く。死生観をテーマに魂に触れる感動作で、深く心に沁みる作品だった。また、ダブル主演とも言えるティルダ・スウィントンジュリアン・ムーアの演技が絶妙で、一瞬も目が離せない。

 作家のイングリッド・パーカージュリアン・ムーア)は新刊のサイン会で、旧友の戦場記者マーサ・ハントティルダ・スウィントン)が闘病中だと初めて知った。早速数年ぶりに会いに行くと、子宮頸がんで治療中だった。彼らは一番の親友というわけではなかったが、人生の重要な局面を共にしてきた。マーサには一人娘ミッシェルがいたが、関係は疎遠になっていた。そこでイングリッドは自分が毎日のように通うと約束するのだった。二人は病室で楽しく語り合い、思い出に浸る。

(ニューヨークの街を望む)

 ところがある日、マーサはすべての希望が消えたという。様々な治療は失敗し転移が明らかとなった。自分は延命は望まず、死を受け容れるという。その後、イングリッドに重要な依頼があった。自分は「安楽死」するつもりで、闇サイトで許可されていない薬物を購入したという。そして、「その時」を迎えるときにイングリッドに隣の部屋にいて欲しいというのである。数年会ってもいなかった自分が何故? イングリッドは死が怖いというタイプなのである。しかし、マーサは他に数人頼んでみたが断られたと言い、法的な問題が起きないように遺書を残すと約束する。結局、イングリッドはマーサの頼みを引き受けることにする。

(二人で語り合う)

 マーサはニューヨーク州北部ウッドストックに別荘を借りたという。イングリッドが車で連れて行くが、そこは樹木と鳥の鳴き声に囲まれた場所だった。結局「隣」ではなく、「下の階」になるが、こうして二人の一時的な同居が始まった。そしてマーサは「その時」はドアを閉めておく、ドアが開いていれば実行前だという。この間にマーサの娘の話、戦場での思い出、イングリッドの私生活などが少し語られる。だけど、基本的にはほぼ病気と死をめぐる会話と思索である。衰えゆくマーサを全身で表現するティルダ・スウィントン、その様子を見守るジュリアン・ムーアの受けの演技の見事さ。非常に見ごたえがある。

(ペドロ・アルモドバル監督)

 筋だけ聞けば何が面白いのかと思う人もいるだろう。しかし、見れば演技や演出、撮影などの完成度の高さに感動すると思う。僕も若い頃にベルイマン監督の『野いちご』という老境映画を見て、芸術的達成の素晴らしさは感じ取れた。だけど、テーマ的に「老い」を深く考えるには若すぎたと思う。この映画も高齢になって見る方がしみじみと感動するはずだ。あまり原作ものを撮っていないアルモドバル監督も、こういう原作を選ぶようになったのか。僕はマーサの気持ちが(はっきり言えば)理解出来ない。しかし、一人で逝きたくないし、病院の延命治療も拒否するというのは共感出来る。

 「死」との付き合い方というテーマの展開は、日本人的には今ひとつ納得出来ない気もする。しかし、映画的完成度が高いのは間違いない。主人公にこと寄せ、自分の行く末来し方をいろいろと考えてしまう映画だ。ハチャメチャな傑作『神経衰弱ギリギリの女たち』が1989年に初めて公開されて以来、ペドロ・アルモドバルの作品はすべて見て来た。『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』で頂点を極めた後で、21世紀は少し低迷が長かった。この数年『ペイン・アンド・グローリー』『パラレル・マザーズ』など復活の兆しが見られたが、まさかこのような英語の原作による死生観映画を撮るとは思わなかった。

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「言語道断」なトランプのガザ所有論

2025年02月06日 20時07分29秒 |  〃  (国際問題)

 ドナルド・トランプが2期目のアメリカ大統領に就任してまだ2週間ほどだが、いかに危険な人物が超大国の指導者になったのか、すでにあまりにも明らかだ。いくらひどくても「パリ協定離脱」など事前に想定されていたことにはまだ覚悟が出来ている。しかし、4日にイスラエルのネタニヤフ首相との会談で主張した「アメリカのガザ所有論」はあまりにもひどさのレベルが凄すぎで、呆然とした。「唯我独尊」「奇想天外」「荒唐無稽」など、いくつもの四字熟語が脳裏を駆けめぐる。一応「言語道断」にしておくが、何にしても実現不可能でありながら、トランプ流発想法を探る意味で検討しておかないといけない。

 トランプ発言では、「ガザ地区の住民を全員(近隣アラブ諸国に)移動させる」(その際の資金面は原油富豪国に出させる)、「ガザ地区をアメリカが所有して、破壊されたビルの撤去や不発弾処理などを行う」「その後、ガザ地区にリゾート施設を建設して中東のリヴィエラにする」というようなものだ。これはあからさまな国際法違反だが、トランプの辞書には「国際法」は載ってないだろうから、何の問題も感じていないだろう。そこに大規模な「スラム」があれば、住んでいた住民を追い出して「再開発」するのが「正義」である。トランプにとって、今まで生きて来た人生そのものという発想なんだろうと思う。

(破壊されたガザ地区)

 国内なら無理を通せても、国際的には無理である。しかし、だからこの案はなくなるかというと、それは判らない。むしろもっと悪い形で進行する可能性もある。そもそも現在ガザ地区は「イスラエルが不法占領している状態」にある。1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領したままである。その後、限定的にパレスチナ自治政府が作られたが、独立国家として承認されたわけではない。従って、(元はエジプト領だった)ガザ地区をイスラエルが領有宣言をして、アメリカがそれを承認した後で、ガザ地区をイスラエルから「租借」する。シリア領ゴラン高原は、すでにイスラエルが領有宣言をして、トランプ前政権で承認している。同じことをガザでもやれば一応アメリカ所有に近くなる。こういう「奇手」を繰り出す可能性はあるだろう。

(イスラエルとガザ地区)

 トランプによれば、ガザの住民がそこに居続けるのは他に行く場所がないからだという。だから周辺のアラブ諸国が責任を持ってガザ地区住民を受け容れろという暴論になる。もちろん戦火を避けて避難した住民もいるだろうし、自由に移動出来ればもっと多くの人が国外に避難したかもしれない。(エジプトのシーシ政権は、最大の政敵であるムスリム同胞団が組織するハマスの流入を恐れてエジプトへの避難を制限してきた。)だけど最も基本的には、ガザ地区の住民が瓦礫の中に住み続けているのは、「ガザが生まれ育った故郷」だからだろう。そしてガザ住民はガザ地区に住み続ける権利を持っている

 ガザ地区住民を全員追放するのは、もちろん許されない国際法違反である。だから、その後は政権内で少しトーンダウンした発言も見られるようだ。だがガザ地区住民は「移民」ではない。もとから住んでいた人々である。イスラエルのユダヤ人の方が、後から移住してきた人々ではないか。だから「ガザ地区住民を全員移住させる」ことが可能なのならば、論理上「イスラエル国民を欧米に全員移住させる」ことも可能になるはずだ。(現実性の問題ではなく、「全員移住」の論理の問題として。)

 もちろん周辺アラブ諸国は、このトランプ案に賛同することは出来ない。トランプはもしかして「本気」で発言していて、これで中東に平和をもたらしノーベル平和賞を取るグッドアイディアだと思っているかもしれないが。だけど、アラブ諸国といえど本気でアメリカの「暴君」と事を構えることが出来るだろうか。賛成すれば国内で大反発を受け政権基盤が危うくなる。だが、どうせ出来るかも判らないトランプ案に真っ向から反対して、高率関税でも掛けられたら大変だ。

 「王様は裸だ」と言わず誰もが口をつぐむ中で、本人だけが「俺様のアイディア凄いだろ」とはしゃぐ。当面そういうことが多くなると思う。トランプ流には「人権への配慮」「国際法への配慮」がない。ここまでやるなら、国連だって脱退すれば良いようなものだが、安保理で拒否権を持つ特権があるから、それはない。逆にロシアがやってることをアメリカもやって何が悪いと言うだろう。マッキンリー改名問題の時にちょっと書いて置いたが、この人は「古典的帝国主義者」なのではないかと思う。

 僕が書いても何が変わるわけでもないが、どうせ夢みたいなことをぶち上げてると放っておくんじゃなく、世界中の皆で批判の声を挙げないといけない。ロシアならまだしも、日本だけでなく世界中の国でアメリカとの経済関係を絶つわけにはいかない。従って「アメリカに経済制裁を科す」ということは不可能だ。だが政府には不可能でも、ひとりひとりの個人で「出来る限りアメリカの会社と縁を切る」(アメリカ株に投資しない、アメリカ製の食品・飲料などを買わないなど)必要もあるかもしれない。(だけど、アメリカ映画を見ないわけにもいかないしなあ。)

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『おばあとラッパのサンマ裁判』、アメリカの不当な関税から故郷を守った沖縄民衆

2025年02月04日 20時47分12秒 | 演劇

 トム・プロジェクトプロデュース『おばあとラッパのサンマ裁判』(紀伊國屋ホールで9日まで)を見た。病み上がりでちょっと辛いが、そこが事前に予約している演劇鑑賞の大変さ。しかし、見たらあまりにもグッドタイミングなテーマに驚いた。これは60年代沖縄の話だが、「アメリカの不当な関税から故郷を守った」沖縄民衆の戦いを描いた芝居である。何十年も前の小さな事件のはずが、まさに今世界史的意味を持っているではないか。自らの辞書にある最も美しい言葉は「関税」だと公言するトランプ米大統領、それに対して国会で問われた石破首相は自分なら「ふるさと」だと答えていた。二人にも見て欲しいな。

 柴田理恵が事実上の主演格の魚屋の女将、太川陽介が副主人公的な弁護士役。大和田獏も助演していてフロアは花輪でむせるような香りに包まれていた。そういうのは観劇ムードを高めるが、体調不良中なので「香害」だったかも。マツコ・デラックスや立川志の輔から柴田理恵、テレビ東京旅番組スタッフ一同から太川陽介など、目を引く花輪だった。

 

 1960年代初め、それまで本土からのサンマ「輸入」に税金は掛かっていなかったが、突如琉球政府当局は課税することに改めた。そのため大損を被る糸満の魚商人玉城ウシ(柴田理恵)はおかしいと思って下里恵良弁護士(太川陽介)に相談する。そうすると米国民政府の布令ではサンマは課税対象に挙げられていないことが判った。それはおかしいとウシは今まで取られた税金の返金を求める裁判を起こしたのである。それは認められたのだが、今度は米側はサンマを対象に加える布令を出してきた。

 ウシはひるまずさらに他の業者の裁判を支援していき、その主張は裁判で認められたが、今度は裁判管轄権を取り上げられてしまった。それまでは沖縄人が裁いていたのだが、今度は米側が直接裁くというのである。今までウシに自重を訴えていた新垣裁判官(大和田獏)も大いに悩んでついに闘いに参加する。こうして、「もうけが第一」を信条とするウシが起こした裁判が、沖縄の米軍統治を問う民衆運動に発展していくのだった。

(1966年の裁判移送事件)

 このサンマ裁判は2021年に沖縄テレビ制作『サンマデモクラシー』という映画になった。翌年には書籍化もされている。当時も「埋もれた現代史」と紹介されていた。僕は沖縄現代史にそれほど詳しくはないけれど、仕事柄何冊かの本は読んできた。その中でこの裁判のことを聞いた覚えがなかった。近年になって「肝っ玉おばあ」の物語として再発見されたのである。「ラッパ」というのは、ほら吹きと言うことらしいが、当時の大手映画会社大映社長だった永田雅一のあだ名から付けられたと冒頭で自称している。ただの庶民だったウシが弟(鳥山昌克)や姪(森川由樹)とともに「成長」していく様が感動的だ。

(映画『サンマデモクラシー』)

 僕はこのドキュメンタリー映画を見逃してしまって、今度初めてこの裁判を詳しく知った。なにより「おばあ」役の柴田理恵が圧倒的な存在感。太川陽介は難しい説明をセリフで行う弁護士役という役がどうかなと思ったけど、昨日が初演なので次第になじんでいくだろう。アフタートークがあったが、驚くべきことに太川陽介はセリフを「映像記憶」出来るんだという。そのため直前にセリフが代わると大変なんだという。作者の古川健は現代史を題材に近年多くの注目作を書いているが、実は初めて見た。演出日澤雄介。舞台は簡素な美術で、休憩なし1時間40分程度。まさにトランプ関税で世界が揺れる現在、是非。

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映画『雪の花ーともに在りてー』と天然痘の話

2025年02月03日 21時46分03秒 | 映画 (新作日本映画)

 末廣亭に行った後、金曜日は新宿で『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』を見に行ったけど、土曜日に体調を壊した。咳ものどの痛みもないが、吐き気がする。お腹に来るタイプの風邪か。風邪気味のときに昔よく目が赤くなっていた。自分で「風邪目」と呼んでいたが、今回も赤かったから風邪だと思う。日曜もダウンで、ようやく少し良くなってきた。しかし、今日はまあ簡単に書けるテーマで書いておきたい。

 映画『雪の花ーともに在りてー』は松坂桃李芳根京子役所広司出演で、けっこう宣伝もしていたのに第1週の興収ベストテンに入らなかった。僕が見たのは一週間ほど前だが、確かにあまり流行っている感じじゃなかった。僕もまあ大傑作だから是非見逃すなと思ってるわけじゃない。小泉堯史監督は丁寧で良心的な作風で知られた人で、演出にケレンがある人じゃない。「史実」の映画化という意味でも、どうなるどうなると固唾を呑んで見守ることはなく、静かに感動を見守ることになる。

 この映画は日本に種痘(しゅとう)を広めようとした人々を描いている。特に福井藩の笠原良策が取り上げられていて、藩内に根強い種痘反対派の妨害があった中、藩主松平春嶽の支持を得て次第に広まっていく様が丁寧に描かれている。美しい景色、良心的な人々、とても良いんだけど、まあ「想定内」という映画ではある。松平春嶽(慶永、1828~1890)は幕末四賢公と言われた人で、かつて『葉室麟「天翔ける」と松平春嶽』を紹介したことがある。ちなみに小泉監督は葉室麟の『蜩ノ記』『散り椿』を映画化している。『蜩ノ記』は直木賞受賞作だが、役所広司の名演もあって感動的な作品だった。

(松平春嶽)

 もう一つ触れておきたいのは、ここで扱われている病「天然痘」の恐怖がもう忘れられているんじゃないか。奈良時代に流行した時は、藤原四兄弟が相次いで亡くなったことで知られる。それを描いたのが直木賞作家『沢田瞳子「火定」(かじょう)ー天平の天然痘大流行を描く』で、これは歴史小説ではあるがどんなホラーより怖い小説だった。その天然痘ももう大分前に根絶されている。それはWHOによる長年の根絶作戦の成果で、その作戦を率いた蟻田功氏の訃報を書いたことがある。WHOは今ポリオの根絶を進めていて、『ポリオ、アフリカで根絶ーWHOの成果』で紹介した。そのWHOをトランプ政権は脱退しようとしているが、『中公新書「人類と病」を読むーアメリカは前からWHOを敵視してきた』を読むと、アメリカ政府はずっとWHOを敵視してきた。

(笠原良策)

 映画のモデル、松坂桃李が演じた笠原良策は1809年に生まれて、1880年に亡くなった。明治13年まで生きた人だから、写真が残っている。福井藩の種痘は笠原が推進したが、それは何も日本初ではない。長崎近辺ではすでに実施されたところもあった。しかし、足で運ぶしかない時代に北陸まで「痘苗」(牛痘の苗)を運ぶのが大変で、それを大変な苦労の末に成功させたのである。そして福井だけでなく、金沢や富山にも広めた。種痘は世界初のワクチンで、日本でも1972年頃まで小学校で全員接種が行われていた。僕も受けた記憶がある。しかし、同時に「種痘脳炎」という副反応が一定程度生じることも知られている。種痘で天然痘を撲滅できてが、その影で犠牲になった子どもたちも相当程度いることを忘れてはいけない。

(東京国際映画祭で)

 小泉堯史(1944~)監督は黒澤明に長く師事したことで知られる。黒澤監督没後に、黒澤のシナリオを映画化した『雨あがる』(2000)で監督になった。その後『阿弥陀堂だより』(2002)、『博士の愛した数式』(2006)、『明日への遺言』(2008)、『蜩ノ記』(2014)、『散り椿』(2018)、『』(2022)と作ってきた。まあ『博士の愛した数式』がベストだろう。こういう「良心的作風」の人が数年置きとは言え、ずっと映画を作り続けて来られたのは奇跡だと思う。原作者の吉村昭は数多くの歴史ノンフィクション小説を書いている。あまりにも緻密な作品が多く、歴史系では『桜田門外の変』しか映画化されていない。(相米慎二監督の『魚影の群れ』も吉村昭原作である。)僕の愛読してきた作家だけに長く読み継がれて欲しい。

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