2025年1月の訃報、日本編。シンプルに書いて行きたい。直接会ってる人はいないので、読んだことがある人から。詩人、女性史研究家の堀場清子が1月10日死去、94歳。詩の方は全然読んでなくて、ずいぶん評価が高いらしいのに驚いた。僕が知ってるのは高群逸枝研究家である。近代日本思想史の鹿野政直の妻で、共著『高群逸枝』(1977)には非常に大きな刺激を受けた。高群関係の本、史料集の他に岩波新書の『青鞜の時代』(1988)などがある。疎開先の広島で原爆被害を目撃し、被爆体験をテーマにした本もあるが、僕は読んでない。新聞の訃報で高群逸枝に触れてないのもあって、時代が違うのかと驚いた。
作家の李恢成(り・かいせい、イ・フェソン)が1月5日死去、89歳。1972年に『砧をうつ女』で芥川賞を受賞。これは同賞史上初の外国籍受賞者だった。樺太出身で敗戦後辛くも北海道に脱出するが姉を残してしまい、後年大きなテーマとなった。朝鮮新報記者を務めたが、総連を離れて作家に専念。1970年の『伽耶子のために』は小栗康平監督によって映画化された。70年代後半に書かれた『見果てぬ夢』6部作は、韓国民主化をめぐる大河小説でとても興奮して読んだ。金大中政権成立で韓国民主化はなったとして韓国籍を取得した。『百年の旅人たち』(1994)『地上生活者』全6部(2005~20)などは読んでない。70年代に大きな関心を持って読んだが、「在日コリアン」が「政治と歴史」で語られた時代を象徴した作家だったと思う。
建築家の原広司が1月3日死去、88歳。大江健三郎と親しく、多くの論考を書いているが僕は読んでない。世界中の集落を調査し、「住居に都市を埋蔵する」として自邸を設計したという(1974年)。大阪・梅田スカイビル、京都駅ビル、札幌ドームなど都市の顔をなる巨大作品を手掛けたことで知られる。東大の原研究室から隈研吾、山本理顕などを輩出した。
指揮者の秋山和慶(かずよし)が1月26日死去、84歳。1月初めに自宅で転倒して引退を発表していたが、直後の訃報となった。桐朋学園大学で斎藤秀雄に師事し、1964年に東京交響楽団でデビューした。直後に東響が解散するも自主再建に向け努めた。世界各地で指揮したが、東京交響楽団桂冠指揮者、バンクーヴァー交響楽団桂冠指揮者、広島交響楽団終身名誉指揮者になっている。サイトウ・メソッドを最も受け継いでいると言われ、1984年には小澤征爾とともに斎藤秀雄メモリアル・コンサートを企画。これがサイトウ・キネン・オーケストラ発足につながった。
ロボット工学者の森政弘が12日死去、97歳。東京工業大学名誉教授。日本のロボット研究の先駆者で、数多くの先駆的研究に取り組んだ。ロボット発展における「不気味の谷」という現象を提唱したことで知られる。87年に定年になった後、高専対抗ロボット・コンテストを実施し、NHKで放映されて大評判となった。これが「ロボコン」の始まりである。またロボット工学の本以上に、『「非まじめ」思考法』、『森政弘の仏教入門』など、仏教に基づく独自の「非まじめ」論などの著書がある。
経済アナリストでテレビやラジオで活躍した森永卓郎が1月28日死去、67歳。闘病を公表していて、体調悪化をラジオで最後まで報告していた。そのため非常に知られた存在となったが、本質的には「B宝館」という私設のお宝博物館を開くなど趣味的なエッセイストだったと思う。話や文章が面白いので、実務的なことを知るときには役立つ本が多い。しかし、『ザイム真理教』などの本は割り引いて読む方が良いと思っている。「最期」の日々をどう生きるかは一つのモデルを示した。
歌手のアイ・ジョージが1月に死去(死亡日未発表)、91歳。60年代に非常に人気があった歌手で、紅白歌合戦にも60年から71年まで連続12回出場した。外国の歌が多いが、オリジナルでは61年の自作の「硝子のジョニー」がヒットした。この歌から日活映画『野獣のようにみえて 硝子のジョニー』(蔵原惟繕監督)が生まれ、本人も出演して野性的な風貌が残された。実力のある歌手だったが、ある時期から消えてしまい、テレビの懐メロ番組などにも出なかった。金銭スキャンダルなどがあったとも言われるが詳細は不明。新聞、テレビ、ネットニュースなどに出ていないが、Wikipediaに訃報が掲載されている。
・歌手の三浦洸一(こういち)が11日死去、97歳。50年代に「落葉しぐれ」「東京の人」などがヒットし、紅白歌合戦にも8回出場した。21世紀にも懐メロ番組などに出演していた。映画撮影監督の上田正治(しょうじ)が16日死去、87歳。東宝に入社して、黒澤明監督の晩年作品『影武者』『乱』などを担当した。小泉堯史監督作品も担当し『雪の花』が遺作となった。映画監督の山田火砂子(ひさこ)が13日死去、92歳。現代ぷろだくしょんを夫のプロデューサー山田典吾から受け継ぎ、日本の福祉関係者をテーマにした映画を多数作ったことで知られる。賀川豊彦、石井筆子、留岡幸助、荻野吟子、矢島楫子らである。
・火山学者の大田一也が15日死去、90歳。九州大名誉教授で、地元の九大島原火山観測所長として90年の雲仙普賢岳噴火に際して警戒区域の設定などに関わった。経営学者の野中郁次郎が25日死去、89歳。共著『失敗の研究』(中公文庫)で日本軍の「失敗」を分析したことで知られる。
・作家の童門冬二(どうもん・ふゆじ)が2024年1月に死去していた。96歳。都庁に勤務しながら美濃部都政で政策室長を務めた。その間に作家としてデビュー、79年に退職して作家に専念した。『小説上杉鷹山』など時代小説で知られた。絵本作家のいわむらかずお(岩村和朗)が24年12月19日死去、85歳。『14ひきのひっこし』など14ひきシリーズで人気を集めた。
・政治評論家の俵孝太郎が1日死去、94歳。産経新聞論説委員からフリーのニュースキャスターに転身、保守派の論客として80年代頃には非常に知名度の高い人だった。元妻の俵萌子(08年死去)は、離婚後に政治的立場が正反対となった。
・元連合赤軍メンバーの植垣康博がが23日死去、76歳。集団リンチ事件で懲役20年の刑が確定、出所後は静岡でスナックを経営していた。著書に『兵士たちの連合赤軍』など。