尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

低投票率はなぜ生じたか、「中間組織」の衰退の問題

2024年12月31日 22時12分24秒 | 社会(世の中の出来事)

 年末の何かとせわしない時期に何だか書くのが面倒になる時がある。2024年はあんなに暑かったのに、今度は突然冬が来て日本海側は豪雪である。関東地方はまだ晴れているから良いというものではなく、ホントにカラカラで火事も多いしノドが痛い。あまり寒いと心も冷えてくるかも。ということで次第に毎日書くのも大変になってきたのかもしれない。

 さて、前回記事で犯罪の「トクリュウ」化を通して「孤立社会化」ということを指摘した。続いて選挙の投票率に注目して、実際どのくらい減っているのか、世代ごとに見るとどうなのかを見てみたい。自治体は投票者を把握出来るので、その気になれば全年代の投票率を確定出来るはずである。しかし、さすがにそれは面倒すぎるので、幾つか抽出して調査しているらしい。2024年の衆院選に関しては、青森県の世代別投票率という画像が見つかった。左から右へ年齢が上がっていく。一番右の80代以上がグッと低くなっているが、それを別にすればおおむね年齢が高いほど投票率が高くなる。(10代は少し高いが。)

(青森県の2024年衆院選世代別投票率=日テレ)

 これを「若い人ほど政治的意識が低い」などと言うことが多いが、果たしてそういう理解で正しいのだろうか。戦後の衆議院選挙投票率の推移を示したのが下のグラフである。それを見ると、大きな傾向として「年代に関係なく段々下がっている」というのが判る。70%は行っていた投票率が70年頃から時に7割を割っている。やがて6割程度が普通になり、郵政解散(05年)、政権交代(09年)が例外的に高かったがそれでも7割には行かない。その後、直近4回ほどは5割台前半から半ば。グラフは2021年までだが、2024年は53.85%とまた低くなった。これは裏金問題に怒った自民党支持層がいたと思われると当時分析した。

(2021年までの衆院選投票率推移)

 このように全世代で下がって来ているのである。それでも高齢になるほど投票に行くのは何故だろうか。年齢が高くなるほど、「今までずっと投票してきた(党や候補者)」がいる場合が多い。選挙に関する「体験格差」が若年層との間にある。そういうこともあるだろうが、それ以上に「投票を働きかけられる社会的関係の差」が大きいのではないか。どの世代だって、特に国内政治や国際情勢に詳しい人は限られるだろう。昔の若者だって、「活動家」そのものはそんなにいなかったと思う。

 だけど、「親から地域代表の自民党候補の投票を頼まれる」とか「同級生に民青(共産党の青年組織)活動家がいて電話があった」あるいは「同級生に創価学会員がいて(公明党への)投票を頼まれた」とか、ごく普通に体験していたと思う。地域の中でも「町内会」(事実上保守系の有力者がいる)、農協医師会などの存在感が大きかった。会社で働くようになれば、労働組合に所属して推薦候補の応援をする。次第にエラくなれば自民党の党員になって会社に協力する。特にはっきりとした政治意識を持っている3分の1程度の人を除けば、4割程度の人は「立場上」とか「周囲の働きかけ」で選挙に行ってたんじゃないかと思う。

(労働組合組織率)(労働組合加盟者数)

 そういう投票を呼びかけてきた組織の弱体化が低投票率の原因だと思う。今は労働組合の組織率しかグラフが見つからないけど、上記画像のように、投票率と連動するかのように下がってきた。労働組合加盟者数を見ると、特に激減したわけではないが、それは近年パート従業員などの組織化に取り組んできたからだろう。そのため、加盟者数自体は少し持ち直しているが、組織率は下がっている。労働組合のない会社(福祉法人なども)が多い上、非正規労働者が多くなっているんだから当然だろう。それとともに労組に参加しない人も増えている。自民党が賃上げを求める時代に、労組の価値を感じないということか。

 それでも立憲民主党国民民主党の参院選当選者を見ると、労働組合代表がズラッと並んでいる。自民党も郵政、建設、医師会など業界代表者がズラッと上位を占める。公明党(創価学会)や共産党も個人票ではなく、組織の力で票獲得を行っているので「組織選挙」ということは同じである。25年参院選はどうなるか注目だが、少なくとも組織内候補は未だ有力なのである。組織が弱体化したと書いたばかりだが、弱体化したといっても国民の半数しか行かない選挙ではまだまだ「組織の力」は有効なんだろう。つまり、残り半数の「誰からも働きかけがない孤立層」が問題なのである。

 こう考えてみると、若年層ほど投票率が低い理由が見えてくる。同級生に政治活動家がいて呼びかけられるということは今では少ないだろう。せいぜいバイトなど流動的な職に就いている程度では、選挙に関する「関係の網の目」に引っ掛からない。年齢を重ねるほど、職場や地域で何らかの社会関係が出来てきて、「あの政治家にはお世話になった」とか「あの党には頑張って欲しい」などの自分なりの「投票価値観」が作られてくる。そういうことなんじゃないかと思う。

 「学校」や「職場」というのは、誰しもが一度は所属する場所だが、そういう組織と政治・行政は直結しているわけではない。その間に「業界団体」「労働組合」「協同組合」「町内会」「ボランティア団体」など「中間団体」が存在する。それらの中には近年活発に活動しているところもあるけど、少子高齢化にともなって次第に弱体化しているんじゃないだろうか。特にコロナ禍で活動を停止した後、なかなか元に戻れない地域の合唱団とか俳句結社、草野球チームなんかも多いんじゃないだろうか。メンバーはどんどん年齢が上がっていくので、次のリーダー、新人加盟者が出て来ないと、組織力が低下して行ってしまう。

 やがて地域の公民館図書館スポーツセンターなども耐用年数が来て、施設の物的限界が来る。建て直さないといけないが、行政的には福祉予算や上下水道の維持が優先するから、あと10数年すれば地域からどんどん社会教育施設もなくなっていくんじゃないか。そうなったときにますます住民の自治力が低下してしまう。日本でも市長選などは投票率が3割程度のことがあるし、地方議会の議員確保も大変になっている。何か抜本的な対策を講じない限り、日本社会の底が抜けてしまうのではないか。

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「トクリュウ」と「投資詐欺」ー2024年という時代

2024年12月29日 22時18分42秒 | 社会(世の中の出来事)

 2024年もあと少し。来年2025年という年は、「1995年から30年」という一世代分の時間が経った年になる。1995年は本当にいろいろとあって、忘れられない年になった。現代日本を考える時に起点となるだろう年である。そのことを考えようかと思ったんだけど、まあそれは2025年になって書けばよいだろう。その前に「2024年とはどういう年だったのか」。

 毎年毎年自分にはよく判らない出来事が相次ぐ。その中でも「都知事選で石丸伸二氏が2位となった」とか「兵庫県知事選」とか、投票行動そのものは有権者が自由に決めればよいことだが、その時に今までの選挙ではそれなりの力を発揮していた「組織」というものはどうなったんだろうという気がする。もっとも今まで「組織の指令通りに投票する」ということには否定的だったわけである。だけど、選挙情報が「Web情報」(主にYouTube)になるとは、自分にとって理解が難しいのである。

 選挙だけでなく、犯罪の世界でも「トクリュウ」(匿名・流動型犯罪グループ)という言葉が聞かれるようになった。12月24日には、全国の警察幹部を集めた会議が開かれ、露木康浩警察庁長官が『組織犯罪対策の軸足を、暴力団からトクリュウにシフトすべき転換期にある』として、警察の総力を挙げた対策を指示したという。犯罪という、ある意味で「組織」が一番有効で役立ちそうな世界でも、旧来の暴力団よりも「トクリュウ」が重大な存在になっているらしい。もっとも「トクリュウ」を仕切っているのも、旧来の犯罪組織なのかもしれないが、いずれにせよ見える形の犯罪組織は弱体化しているんだろう。

(暴力団とトクリュウの違い)

 他にも犯罪と言えば相変わらず「特殊詐欺」のニュースが多かった。2024年には特に「著名人の名を騙る投資詐欺」というのものが大問題になった。僕もこれは見たことがあるが、Facebookに堂々と載っていた。一見広告のように(というか「広告」として載せたグループがあるわけだが)出ているから、信じてしまった人がいるらしい。池上彰氏や森永卓郎氏、堀江貴文氏や前沢友作氏などを見たことがあるが、池上氏は国際問題には詳しいだろうが経済ジャーナリストではない。森永氏は闘病中だし、堀江氏や前沢氏が言ってることを信じる人がいるのか思うけど、現にいたらしいから恐ろしい。

(池上彰氏を騙る投資詐欺)

 これは「だから投資は恐ろしい」という話じゃないだろう。「投資」に関する最低限の知識もない人がいるという話である。ただ日本は諸外国に比べて金利が低く、株式市場の水準も高くない。「世界をよく知る人」は何か「うまいこと」をしているんじゃないか。自分も「うまい話」に乗りたいもんだ的な感情が底流にあるんだと思う。だけど、そんな「うまい話」はない。あったとしても、そんな簡単に接触できるはずがない。(株や債権は金融機関しか売買できず、証券会社や銀行に口座を開くのが最初にやることになる。単にどこかの会社の株を買うのはすぐ出来るが、「投資信託」なら目論見書が送られてくる。)

 そういう投資詐欺と「ロマンス詐欺」だけで、660億円もの被害があるというからすごい。まだ明るみに出ない被害もあるだろうから、本当はもっと多いだろう。「ロマンス詐欺」というのもヒドイ話だけど、「お金がある高齢者」と「孤独な高齢者」がいるということだ。これも今までの「町内会」などの地域組織が弱体化し、一方で「SNS」が高齢者にも身近になった。「」「」を利用しようという悪い側も今や「組織」ではない。詐欺の金を取りに来たり、ATMで引き出そうという人間も「闇バイト」で集められた人である。欺す側も欺される側も、助けてくれる人もなく「広い荒野にポツンといるような」社会にいる。

 2024年の出生数は70万を割り込むらしいが、この「少子化」ということも「孤独社会」のもたらすものだと思う。政治の世界では、今までは「自民党と共産党の間」で投票先を決めるものだった。もちろん右にも左にも、もっといろんな勢力があるのは皆知っているが、選挙には出て来ない少数勢力だった。今は自民、公明だけでなく、野党には立憲民主、日本維新の会、国民民主、れいわ新選組、共産、参政党、日本保守党、社民と10党も衆議院選挙で当選している。(参議院には「NHK党」もある。)こんなことも今まで経験したことがない。大きな「組織」が緩んでいることの結果だろう。

 問題は「大組織の時代」が終わることではない。それが「自由に各人が自ら考えて選ぶ」社会になるというよりも、「デマや陰謀論」の影響力に支配された社会になっていることだ。それは日本に限らず全世界共通のことである。そんな中で、出来うる限り「自分の目」「自分の頭」で感じ考えたことを貫いていきたいと思うけど…。それも独りよがりなのかもしれない。

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家族に「モンスター」が生まれた日ーカフカ『変身』を読む

2024年12月28日 21時55分56秒 | 〃 (外国文学)

 カフカの長編3作を読んだので、次は『変身』である。これは短いし、有名だから、読んでる人も多いだろう。僕も若い頃に読んだ。「若い頃」というのは、中学とか高校時代である。「文学」に関心を持ったら、まず読むべきいくつかの作品という感じだった。読んでみたら面白かったし、小説というのはこういうことも書けるんだと深い印象を受けた。まあ知っている人が多いだろうけど、ある朝目覚めてみるとグレーゴル・ザムザは自分がになっていることに気付いたのである。(主人公をグレゴール・ザムザと覚えている人が多いと思うが、池内紀訳ではグレーゴルと表記されている。)

 ほぼ半世紀ぶりに読んでみて、やはり傑作だと思った。最近谷崎潤一郎の『春琴抄』を読み直したが、あれも傑作だった。正直言って、どっちも古くなった気がしたが、「今読んでも傑作」という評価は間違いないと思う。この小説は生前に出版されている。1912年に書かれて、1915年に雑誌に掲載、同年に刊行された。この年は第一次大戦のさなかである。オーストリアと戦争していたイギリスやフランスで読まれるわけがない。それでもカフカは生前には全く知られなかったという訳ではなく、ちょっとは読んでた人もいたのである。ただカフカは表紙に「虫」を描くことを認めず、扉を前にした家族を描いている。

(「変身」初版)

 この「」とはどんなものだろうか。そこは詳しく書かれていないのである。だからカフカは表紙に虫の絵を描くことを認めなかった。第二次大戦後は各国で翻訳され虫の絵もあるが、大体カブトムシみたいなものだろう。体が硬い殻に覆われたらしいから、トンボや蝶ではなく甲虫類なのだろう。人間が虫になったというと、人間大の大きな虫かと思うと、箱で持ち運べると書かれているから小さいらしい。その割に人間の言葉は理解出来ているし、どう理解するべきか。まあ「奇想」を書いてるだけで、合理的な理由があって虫になったわけじゃないからやむを得ないんだろう。

 『変身』は三人称で書かれている。よってすべてはグレーゴル・ザムザの妄想、思い込みだという解釈は成立しない。「虫になったと思い込んだ主人公」じゃなくて、「虫になった主人公」と解するのが小説読解のルールだろう。実際に小説内では主人公以外の家族がヌメヌメとした動いた跡などを見ている。そうなると、部屋に入って小さな虫しかいないのを見て「グレーゴルが虫になった」と思った理由が今ひとつ判らない。まあ、そんなことを気にする必要もないだろうが。

(映画『変身』、2002年ロシア映画)

 今回この小説を再読してみて、これは家族の側から読み直す必要があると思った。今までは「虫になった主人公」という視点で読まれることが多かったが、ホントは「生計維持者が働けなくなってしまった家族」の話なのではないか。父はいろいろあって仕事を引退して家でブラブラしていた。母は病弱で、妹はまだ学生。将来は音楽学校に行きたいと思っているが、経済的に難しい。主人公の兄は何とか行かせてやりたいと思っている。主人公はセールスマンとして認められ、安定した職場にいる。そんな家族の中で生計を維持していた主人公が突然働けなくなってしまったのである。

 それも「虫」になったという理由で。これは比喩的に言えば「統合失調症」や「ハンセン病」のような、単に難病である以上に「人々に忌避された病」になったというのと似ている。そこまでではなくても、突然「引きこもり」になって家から出られないとか、あるいはさらに悪いことを想像すれば「子どもが犯罪者になってしまった」とか。小説内で家族の苦しみは単に家族が「虫」になったというに止まらず、それを誰にも言えず隠し通さなければならない「恥ずかしい出来事」だということにある。

 家族は生計を担当していたグレーゴルが働けなくなって、否応なく新しい事態に対応せざるを得ない。妹は店員として働き始め、父も警備の仕事を見つける。一家は新しい事態に適応して出発していくのである。そうして家族が新しい段階に入ると、グレーゴルのことは後景に退いていって終わりが来る。ちょうど『どうしたらよかったか?』という映画を見たばかりということもあるが、家族に起こった出来事しては、ほぼ同じだと思った。もちろん違う点はいっぱいあるが、家族に突然「何か」が起こって家から出られなくなるという点では同じだった。つまり、本当は『変身』は家族の苦しみと変容を描く小説だったのではないか。

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映画『どうすればよかったか?』、姉が統合失調症になって家族はどうしたか

2024年12月26日 22時02分20秒 | 映画 (新作日本映画)

 評判のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』を見て来た。12月7日の公開後、上映館ポレポレ東中野は連日満員で、いつも事前予約がすぐ埋まってしまう。今週からテアトル新宿などでも上映が始まり、僕はキネカ大森まで行って見て来た。まあ半分ほどという客数だったけど、年末の平日にしては相当多かったというべきだろう。

 この映画は監督の藤野知明(1966~)が20年以上にわたって自分の家族(父、母、姉)を撮影したものを編集した「家族の年代記」、もっとはっきり言えば「家族の失敗の記録」である。父も母も医学部を出て研究者をしていたという人で、姉も医学部を志し4年掛かって入学した。そして勉強に励んでいた時、精神的な失調が現れた。それは「統合失調症」、当時は「精神分裂病」と言われた症状に思えたが、当然医者である両親はすぐに病院に連れていくと思いきや、そうではなかった。しばらくして父の教え子がやっているという精神科を受診したが、問題ないと言われたとして即日連れ帰ってきたのである。

 それが80年代初めのことで、以後姉は自宅の部屋に閉じこもることが多くなった。姉は1958年生まれで姉弟の年齢差が大きく、弟の知明は親の対応がおかしいと思いながら、直接介入できないまま時間が経っていった。90年代初めに「録音」した姉の音声が冒頭で流れるが、大声で意味不明のことを怒鳴っている印象である。何も出来ない弟は家を出て関東地方で就職した。(北海道の話で、監督は北大農学部を7年掛けて卒業した。)そして1995年になって前から勉強したかった日本映画学校に入学した。そして、将来家族の対応を検証しようと思いつつ、映像の練習みたいに取り繕って撮り始めたのが映画の素材なのである。

(母と姉)

 ということで成り立った映画なので、普通の観点から言えば映像的には物足りない。一般的には劇映画であれ、記録映画であれ、ニュース的なケースを除き「映像に凝る」ものだ。でもこの映画は、家族のスナップ写真を撮るように特にピントや露出にこだわらずに撮り続けている。だけど、この家族はどうなるんだろうという関心のもと、非常に強い緊迫感がみなぎっている。身もふたもない題名が付いているけど、観客が考えるのもまさにそのことなのである。そしてどうなったかは今後見る人のために書かないことにする。しかし、医学研究者である両親のもとでまるで「私宅監置」みたいなことが21世紀にも起こっていたのは衝撃である。

 映画後半になって、監督は母に何故と問うと「パパの壁」と答えている。父親が病院に連れて行かないという決断をして、姉を病院に入れると「パパは死ぬ」とまで言う。一方で父に問う場面があるが、「ママが病気を恥ずかしく思った」と答えている。日本では精神病院で人権侵害的なことが起きてきた。それを心配して家に留めたというわけでもないようだ。どう考えれば良いのか、僕にはさっぱり判らない。一般論的としては、できるだけ早く精神科病院を受診するべきだったと思う。しかし、外交の「内政不干渉」のように、他の家庭の判断にも「他家庭不干渉」ということになりやすい。

(映画のラストで父に問う)

 もう一つ、両親はどんどん老いていく。姉も還暦を迎えた場面が出て来る。病気や障害を抱えた子どもを持つ家庭は、「親が死んだらどうなるか」という大問題を抱えている。この家庭の場合、弟がいたので結局親の介護も含めて北海道に戻ったようである。しかし、そういう条件がない家も多いだろう。やはりしっかりと受診して「障害者手帳」も取得し、地域の社会保障システムにつなげるしかないんじゃないか。自分がいつ死んでも大丈夫なように公的な対応を考えるべきだ。この家庭は経済的には問題なかったらしいが、本当に「どうすればよかったか」。普通の意味での映画鑑賞とは違うが、重い映画体験だった。

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『失踪者』『審判』『城』、カフカ「孤独の3部作」を読む

2024年12月25日 22時07分37秒 | 〃 (外国文学)

 年末になって突然フランツ・カフカ(1883~1924)を読み始めた。2024年が没後100年なのである。そして池内紀(いけうち・おさむ、1940~2019)訳の白水社Uブックス「カフカ・コレクション」全8冊を持っているのである。ずっと読まずにいたけれど。今年読まないと読まずに終わると思って読んでるけど、他に読みたい本もいっぱいある中で「読まなくても良かった感」がしてくる。訳文は案外読みやすい。実に達意の名訳だと思う。スラスラ読める割りに、内容的に「やっぱりわからん」ということである。もともと『変身』など短編は読んでたが、長編を読んでなかったからまずはそこにチャレンジ。

(フランツ・カフカ)

 カフカはチェコの首都プラハに住んで、ドイツ語で創作したユダヤ人作家だった。複雑な感じだが、要するにオーストリア=ハンガリー二重帝国(ハプスブルク帝国)に生きた人物だと考えれば理解出来る。第一次大戦で帝国が崩壊し、いくつもの小国が誕生した。カフカは小国チェコスロヴァキアに住むマイノリティになってしまって、結核のため40歳で死んだ。生前には全く認められず、原稿も焼いてくれと遺言したが、友人の作家マックス・ブロートが草稿を整理して公刊してしまった。第二次大戦後に内容の「不条理性」が世界に衝撃を与えて評価され、文学だけでなく現代思想にも大きな影響を与えてきた。

 カフカの長編小説は3つあるが、いずれも未完。カフカは労働者傷害保険協会で働きながら、作品を書きためていた。仕事や病気などで時間がないという事情もあったんだろうが、読んで見たらそれだけでもないと思った。基本的にカフカは短編作家なんじゃないか。まあプロ作家じゃなかったんで仕方ないかもしれないが、面白い趣向の短編が連なっているのに全体のまとまりがない印象がある。最初の長編『失踪者』は前は『アメリカ』と題されていたが、自身のノートに「失踪者」とあったことが判明し、日本では池内訳から題名が変更された。主人公の運命は不条理だけど、小説自体は普通のリアリズムで書かれている。

 『失踪者』は17歳のドイツ人少年カール・ロスマンが故郷を父親に追われてアメリカにやってきて放浪する話。何で追放されたかというと、32歳の女中に誘惑されて子どもが出来たのである。ニューヨークには成功した叔父がいるが、そこからも追放。ホテルのエレベーターボーイに雇われるが、そこも追放。おかしな知り合いに振り回されて、さあどうなるという辺りで未完になった。1912年から14年に掛けて書かれたが、カフカはアメリカに行ったことはない。全部想像の割りには面白いが、それぞれの部分はなかなか読ませるのに、全体はバラバラ。盛り上がる前に飽きてくる感じ。

 一番面白かったのは『審判』で、これは光文社古典新訳文庫では『訴訟』となっている。原題を素直に訳せば、そっちの方が正しい。「ヨーゼフ・K」は30歳の朝、身に覚えがないのに突然逮捕される。この設定は有名なので、事前に知っていたが「逮捕」というのは身柄確保のことだから、そのまま収監されてしまう話だと思っていた。しかし、この小説では身柄は自由なままで、銀行員の仕事を継続している。だけど、訴因も不明な「訴訟」が延々と続いて悲劇に至る。全く訴追の内容が不明なんだけど、ある意味10数年後にユダヤ人に起こった出来事を予見していたとも言える。そして現代でも中国では似たようなことが起こっている。ウィグル人に、香港人に、そして報道によれば日本人の大企業駐在員に。そんなことを思わせる。

 最大の長編『』は困った小説で、細部は面白いのに全体像が見えない。それがカフカの目論みなのかもしれないし、単にまとまりが付かなくなっただけかもしれない。測量士の「K」が大きな城のある村に招かれる。しかし、誰がKを呼んで仕事をさせたいのか、全く判明しない。(そもそも測量士として招かれたというのも間違いなのかもしれない。)「城」に行きたいと思っても、何故か行き着かない。(城に入れて貰えないのではなく、城が見えているのに行き着かないのである。)

 城の役人は「村」に来て村人と会うこともあるらしい。「助手」「使者」などは現れるのに、訳がわからない。だけど、Kもただウロウロしているだけでなく、酒場に勤める(城の重要人物クラムの愛人でもある)フリーダと仲良くなって婚約までしてしまう。村内には隠微な対立や差別が入り乱れ、城の役人の呼び出しを断ったアマーリアの家族が「村八分」になったことも知る。どうやら恐るべき官僚制と猜疑心が村を支配しているらしい。この小説は「スターリンの大粛清」を予見してしまったのかもしれない。だけど、内容とともに小説の構造も「不条理」で道筋がよく理解出来ない。それが目的なのかもしれない。

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日本の死刑制度をめぐる動きー「懇話会」の提言、国連人権委の特別報告

2024年12月24日 22時00分19秒 |  〃 (冤罪・死刑)

 冤罪救援に関しては「再審法改正」がいよいよ本格的に議論されぞうだが、次に日本の死刑制度をめぐる動きも見ておきたい。袴田事件で袴田巖さんの心が閉ざされたのは何故か? それは単なる「拘禁反応」ではなく「死刑執行の恐怖」に原因があったことは、袴田事件関連の本や映画に触れていればよく知っているだろう。冤罪事件と死刑制度は本来無関係だと強調する人もいる。「論理」的にはその通りだが、人の世は「論理」だけで成り立っていない。現実に社会には差別が存在し、警察は「見込み捜査」を行うことがある。間違った「見込み」で無実の人が死刑になる可能性。その恐怖を世に知らせたのが袴田事件ではないのか。

(死刑制度懇話会報告)

 日本でも死刑制度に関する大きな動きが相次いでいる。まずは「日本の死刑制度について考える懇話会」が2024年11月13日に報告書をまとめ政府への提言を行った。残念なことにネットニュースやテレビではほとんど報道されていない。新聞に出ていて知ったのだが、僕もそのような懇話会が活動していたことは知らなかった。24人の委員がいて、井田良氏(中央大大学院教授、前法制審会長)が座長、笹倉香奈氏(甲南大法学部教授)が座長代行を務めた。政界からは平沢勝栄(自民)、西村智奈美(立民)、上田勇(公明)3氏。他に肩書きだけ挙げれば、前検事総長、元日弁連会長、元警察庁長官、経済同友会代表理事、前連合会長、被害者と司法を考える会会長に加え、宗教界やマスコミからも入っている。映画監督の坂上香氏も加わっている。

 このように現代日本の相当に幅広い層を代表する人々が議論したのは重要なことだろう。そして「現制度は放置が許されない数多くの問題があり、このまま放置してはいけない」としたのである。ただこの会では存廃の結論は出さず「国会や政府のもとに、存廃を含め議論する会議体を設置するべき」としている。その会議体で検討するべき点として、「死刑廃止は国際的潮流で、執行継続が国益を損ねていないか」「誤判の可能性を排除するための制度」「被害者遺族への支援強化」「死刑に代わる最高刑のあり方」「死刑囚の処遇の問題」「情報開示と世論調査のあり方」など問題点が網羅されている。

(世界の死刑存置国)

 死刑廃止が世界の潮流であるということは、上の地図を見ればよく判る。また、2024年12月7日付朝日新聞によれば、国連人権委員会に任命された「特別報告者」は「日本の死刑制度が国際法に違反する疑いがある」という報告を日本政府に通報したという。この通報は11月下旬に国連のウェブサイトに公表されたもので、「死刑執行が当日の朝まで本人に告知されず家族も事後まで分からないこと」「再審請求中の執行が相次いでいること」「絞首刑という方法」などが「非人道的な刑罰」を禁じた国際法に触れる恐れがあると指摘したという。これらの論点は日本でも今まで指摘されてきたことで、全くおかしい事態というしかない。

 もっとも表面上は日本政府は今までの対応を変える考えはないようである。2020年11月に国連総会で死刑の執行停止(モラトリアム)を求める決議案が採決されたとき、日本政府は反対票を投じた。反対したのは39か国だそうで、アジアでは中国、日本、インドなどが反対している。アジア諸国の人権意識が疑われる状況になっていて、日本と中国は死刑廃止に反対するという「同盟」を結んでいるかのようだ。そのような対応が続いて良いのかどうか、日本政府もよくよく世界を見て欲しいと思う。死刑制度の本格的議論をする余裕がないけれど、今回は現状の報告ということで。

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福井事件再審開始と再審法改正ー検察の上訴を禁止すべき

2024年12月23日 22時01分54秒 |  〃 (冤罪・死刑)

 2024年は「袴田事件」の再審無罪判決が確定し、冤罪問題に関心を持つ人にとって忘れられない年になった。年末にはもう一つ福井事件(福井・女子中学生殺害事件)の再審開始も確定した。(事件名は出来るだけ地名で呼ぶべきで、福井事件と描きたい。)10月24日に名古屋高裁金沢支部で開始決定が出て、検察側は異議申立てを行わなかった。再審法廷では新たな証拠調べを申請ぜず、2025年前半には無罪判決が言い渡される見通し。この事件については、以前『福井事件の再審開始を考える』『大崎事件・福井事件の再審棄却』を書いた。つまり一度棄却された再審請求をやり直して、新たに認められたのである。

 この事件はもともと変遷を繰り返した知人の証言しか「証拠」らしいものがなく、しかもその「知人」とは覚醒剤事件で警察に勾留中の暴力団少年組員だった。冤罪事件にもいくつかのタイプがあるが、もっとも恐ろしいのがこのタイプだ。自分はずっと否認しているのに、血の付いた被告人を車に乗せたという「証言」が出て来て、それだけで有罪になってしまった。さすがに1審福井地裁は無罪判決だったが、名古屋高裁金沢支部で有罪にひっくり返り、最高裁も追認した。2011年に一度再審開始決定が出たが、これも検察側の異議で棄却に変わり、最高裁も追認した。警察や検察もひどいけど、こうした経過を見てみると、裁判所の責任を考えないわけにはいかない。本来なら1審で、あるいは少なくとも第1回再審開始で終わっていた事件なのである。

 このような相次ぐ再審開始を受けて、いよいよ長年懸案の「再審法改正」が現実の課題として浮上してきた。(もちろん「再審法」という法律はなく、刑事訴訟法の再審に関する部分を仮に「再審法」と呼んでいる。)法務省は25年春にも再審制度の見直しについて法制審議会に諮問すると報道されている。法制審の答申は(夫婦別姓制度のように長年放って置かれることもあるが)、基本的には国会に「内閣提出法案」として出されるはずである。再審に関しては、具体的な進行手続きが全く規定されていない。それは明らかに不備なので、改正は当然だ。しかし、なぜ法務省はいま動き出したのだろうか

(法制審議会に諮問)

 再審法改正に関しては、長年日弁連が中心になって改正運動を進めてきた。その様子はホームページ「再審法改正に向けた取組(再審法改正実現本部)」に詳細に出ている。それを見ると、2019年の大会で「①再審請求手続における全面的な証拠開示の制度化の実現、②再審開始決定に対する検察官による不服申立ての禁止を含む再審法の速やかな改正を求める決議を採択」と出ている。今までは「絵に描いた餅」のようなものだったが、秋の衆院選で与党過半数割れという状況が生まれた。野党がまとまることにより、日弁連案が衆議院を通過する可能性が出て来たのである。これこそ法務省が「心配」する事態だと考えられる。

(地方議会で意見書)

 いま地方議会では再審法改正を求める動きが拡がっている。すでに全国400超の議会が法改正などを訴える意見書を可決したという。特に袴田事件があった静岡県では年内に県議会と35町村の全議会でそろう予定だ。(東京新聞12月11日社説。)静岡県弁護士会は「法改正を求めるのは冤罪から住民を守る地方議会としての責務」として各議会に働きかけてきたという。これらの「地方の声」は改正が急務であることを法務省に訴える力になる。

 日弁連ホームページには「諸外国における再審法制の改革状況」が掲載されている。フランス、ドイツ、イギリスでは検察官の上訴が禁止されている。韓国、台湾を含め、21世紀に各国の法制が変わってきたことも明らかだ。「証拠開示の明確化」だけに止まらず、日弁連や各野党も含めて幅広く検討し「検察官上訴禁止」を実現するべき時だ。袴田事件では検察側は再審法廷でも有罪を主張したのである。それが出来る以上、何も再審開始決定に異議を申したてる必要はなく、異論があれば再審法廷で述べれば済む。法制審答申を待たず、各野党も真剣に検討を開始して欲しい。

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メキシコ映画『型破りな教室』、過酷な現実と教育の可能性

2024年12月21日 22時15分21秒 |  〃  (新作外国映画)

 事前予約出来ないラピュタ阿佐ヶ谷というところに行ったら満員だった。どうしようかなとスマホで検索して、新宿に戻ってメキシコ映画型破りな教室』というのを見ることにした。公開2日目で今日見る気はなかったんだけど、そのうち見たいと思っていた映画。この前見た日本の小学校の記録映画『小学校~それは小さな社会~』と比べてみるのも興味深い。

 そこはメキシコとアメリカの国境地帯マタモロス。正直言って、日本がいかに恵まれているか身に沁みて考えさせられる。マタモロスを調べてみると、国境線の東端にあって人口52万ほど。よく報道されるように、国境地帯には麻薬カルテルの本部があって治安が悪いと出ている。殺人や誘拐も頻発し、車列の前後をパトカーが護衛するという話。映画でも銃声が聞こえるし、路上に死体が置かれていても、子どもたちは全然気にせず通り過ぎる。校長先生の車が通るときも麻薬探知犬が検査している。日本と比べるなんてレベルじゃなく、「教育」以前に生き抜くことも大変な状況ではないか。

(セルヒオ・フアレス先生と子どもたち)

 そんな町の子どもたちはと言えば、学力全国最低レベル。そこに新任の教師がやってきた。産休の先生がいたようで、前任校で訳ありだったらしいセルヒオ・フアレスという中年教師である。希望してやって来たらしいが、この「底辺校」で子どもたちが自ら考える教育を実践したいと思っている。子どもたちが教室に入ると、机と椅子は片付けられていて、ここは教室じゃない、救命ボートだという。全員は乗れない、じゃあどうしたら良い、みんな考えてくれという。翌日になって、またあの授業をやりたいと子どもの方から言ってくる。子どもたちは自ら「浮力」とか「質量」について調べ始める。

(校長先生と)

 そんなフアレス先生を心配して校長もよく見に来る。太った校長を見て、フアレス先生は校長先生は水に浮くかと問いかける。子どもたちは体積の量り方を考え出し、外の水槽に先生が入って水の増量を記録する。次に校長先生も入ってと強要して、人間の体積を比べてみる。しかし、学力テストこそ学校の直面する問題と信じる他の先生たちは、このような授業では困ると思っている。ENLACE(公立・私立ともに3,4,5,6,9,12年生の全生徒が受験する数学・科学・国語の国家試験)というのがあると映画館のホームページに出ている。そのテストで全国最低の地区で、半数の子どもが卒業が危ぶまれるという。

(数学の天才パロマ)

 この教室には今まで全く気付かれなかったが、数学の天才児が存在した。数学史に残るガウスが7歳の時に解いた例の問題「1から100までの数字を全部足すといくつになるか」を自力で見つけて答えを出してしまう。しかし、パロマはゴミ捨て場近くのぼろ家に住んでいて、廃品回収をしている病気がちの父から「勉強は意味ない」「夢を見るな」と言われている。ゴミ捨て場の廃品から望遠鏡を作ってしまうパロマ。そんな彼女にいつの間にか「不良系」のニコの気持ちが動いていく。そこが興味深い。この映画は実話に基づく劇映画で、実際にパロマに当たる数学の特異児童が存在したということだ。

 セルヒオ・フアレス先生を演じるのは、エウヘニオ・デルベスという人。そう言われても判らなかったが、『コーダ あいのうた』で合唱部顧問をやっていたメキシコ人俳優である。単に俳優というだけじゃなく、メキシコではテレビ司会者、コメディアン、映画監督など大活躍しているらしい。監督・脚本・製作のクリストファー・ザラはアメリカ人。この映画は2023年のメキシコ映画No.1の大ヒットになり、サンダンス映画祭で観客賞を得た。まったく退屈せずに見入る映画ではある。

 子どもには自ら学んでいく大きな可能性があると言うのは、その通りだろう。でも、この映画のような授業は日本では難しいと思った。パロマのような子どもは滅多にいるもんじゃない。それにフアレス先生も独走型で、教育当局ににらまれている。日本の感覚ではあまりにも凄い環境だからこそ、フアレス先生も存在出来る。もっと「恵まれた」「組織化された」日本では、同一歩調を求められ一人だけ教育計画を離れて好きな授業をやることは許されないと思う。だけど「アクティブラーニング」とか言ってるんだから、この映画を子どもと一緒に見て討論するぐらいのことはやってもいいんじゃないか。

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映画『バグダッド・カフェ』、見る者を幸せにする永遠の傑作

2024年12月20日 21時46分52秒 |  〃  (旧作外国映画)

 近年昔の映画がデジタル化されて映画館で上映される機会が多い。それも期間がちょっとだけでほとんど宣伝もしないので、気を付けてないといつのまにか終わっている。僕はそういう機会を逃さないようにして、よく昔の映画を見ている。要するに懐かしいのである。政治的、社会的テーマの映画だと、今の時点で見直して検証する記事を書くこともあるが、まあ大体は書かずじまいが多い。自分で楽しんで見ればよくて、特に誰かに勧める気もないからだ。でも、今回見た『バグダッド・カフェ 4Kレストア版』については書いておきたいと思った。あまりに気持ち良く見られて、この映画は永遠だなあと思ったからだ。

 パーシー・アドロン監督の『バグダッド・カフェ』(1987)は1989年に日本で公開された。東京ではシネマライズ渋谷で4ヶ月のヒットとなり、「ミニシアターブームの象徴となった」とホームページに出ている。シネマライズ渋谷は1986年に渋谷スペイン坂に開館して、2016年に閉館した。当時は『ホテル・ニューハンプシャー』『ブルー・ベルベット』『ポンヌフの恋人』などここにずいぶん見に行ったものだ。多忙な時期だったけれど、作家主義的なミニシアターには行っていたのである。

 この年のキネマ旬報ベストテンを見ると、『バグダッド・カフェ』は6位になっている。7位に『ニュー・シネマ・パラダイス』、2位に『バベットの晩餐会』、3位はチャン・イーモウ監督の『紅いコーリャン』、8位『恋恋風塵』10位『童年往事』とホウ・シャオシェン監督が入選した。88年には岩波ホールの『八月の鯨』、シャンテ・シネの『ベルリン・天使の詩』が大ヒットし、まさにミニシアター文化の頂点だった。そこではヨーロッパの小粋な映画に混じって、アジアの新進作家を見るのが当たり前になった。そんな時代の映画を見て懐かしくなるのは、まさに自分も若かったなあと感じるからである。

(ヤスミン)

 『バグダッド・カフェ』はもちろんイラクの映画じゃなく、カリフォルニア州モハヴェ砂漠の小さな集落「バグダッド」の話である。西ドイツから来た夫婦がケンカして、夫は妻を砂漠の中に置き去りにする。その妻ヤスミンマリアンネ・ゼーゲブレヒト)はトランクを引きずりながら、食堂兼モーテル兼ガソリンスタンドの「バグダッド・カフェ」にたどり着く。そこでは店主のブレンダがいつも不機嫌で、こっちは逆に夫を追い出すところ。なれない英語を操るヤスミンが当初は怪しいと思われながら、いつの間にかカフェの人々と仲良くなって行く。たったそれだけの話なんだけど、何度見ても幸福感に満たされる。

(ヤスミンとブレンダ)

 監督も俳優もほぼ知らない人ばかりで、その後も特に大活躍したわけじゃなかった。唯一知っていたのは、トレーラーハウスに住んでいる謎の画家ルディを演じたジャック・パランス。『シェーン』のアラン・ラッドを襲う殺し屋役でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた人である。(その後、1991年の『シティ・スリッカーズ』でアカデミー賞助演男優賞を受けた。)強烈な悪役イメージをガラッと変えた、謎を秘めた光の絵を描く素人画家を楽しそうに演じている。ルディがヤスミンをモデルに絵を描く場面が、この映画のクライマックスだと思う。ルッキズムを越えた神聖な時間に心が震える。

(ルディ=ジャック・パランス)

 今ならデジタルで撮影して自由に色を調整出来るけど、この映画はもともとはカメラにフィルターを掛けて撮ったフィルム映像だ。実に不思議で心奪われる不思議な色調だが、砂漠に虹が架かるシーンなど偶然撮れたんだろうが素晴らしい。ブーメランを得意にする旅行者がやってくると、このブーメランの音も素晴らしい。そして、いつの間にかマジックを身に付けたヤスミンが店で活躍するようになると、カフェはもう砂漠の中の「ユートピア」に見えてくる。どこにもないはずの「ユートピア」も実は現実にロケされた土地があるわけで、その場所に実際にバグダッド・カフェと名付けられた店がオープンして観光客に人気だという。

(今も残るバグダッド・カフェ)

 パーシー・アドロン監督は2024年3月10日に88歳で亡くなっていた。毎月訃報をチェックしていたが、日本で報道されず気が付かなかった。その後はあまり世界的活躍はしなかったが、日本では『シュガー・ベイビー』(1985)や『ロザリー・ゴーズ・ショッピング』(1989)が公開されている。どっちもマリアンネ・ゼーゲブレヒトが主演した映画である。そう言えばそんな映画があった気がするが見てないと思う。1945年生まれだが、今もドイツのテレビなどで活動しているという。『バグダッド・カフェ』で知られて、その後ハリウッド映画にも何本か出ている。ブレンダ役のCCH・パウンダーはその後はテレビが多いようだ。大ヒットした主題歌「コーリング・ユー」も素晴らしい。その後も見たと思うが、108分の再編集版がデジタル化されている。

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映画『小学校~それは小さな社会~』ー東京の公立小学校から見えるもの

2024年12月19日 21時57分51秒 | 映画 (新作日本映画)

 山崎エマ監督『小学校~それは小さな社会~』という映画が評判になっている。まだ東京の一部映画館などに上映が限られているが、これから各地で上映が進んで行く予定である。この映画は東京都世田谷区の公立小学校に密着取材して、「日本の初等教育」を見つめた映画だ。700時間の撮影を行い、監督自身は4000時間も現場の学校に滞在したという。そこから99分の映画に凝縮したわけだが、その結果感動的で興味深い子どもたちの様子が見えてくる。また2021年度という「コロナ禍の学校」、先生たちが毎朝消毒し、子どもたちは「黙食」し、宿泊行事が中止になるという苦難を永遠に記憶する映画にもなった。

 山崎エマ監督は、イギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、大阪の公立小学校を卒業した。その後、中高はインターナショナル・スクールに通って、アメリカの大学へ進学した。ニューヨークに暮らしながら彼女は、自身の“強み”はすべて、公立小学校時代に学んだ“責任感”や“勤勉さ”などに由来していることに気づいたという。そこで公立小学校を長期取材しようと試み、世田谷区の学校で可能になった。小学1年生を撮影するために、事前に入学前から子どもたちや家族を取材している。その結果、「入学式から卒業式まで」、桜に始まり雪で終わる「日本の四季」を背景にした日本の教育を「物語」として見事に編集している。実に見事で、面白くて、考えさせられることが多い。「映画」「教育」という枠を越えて多くの人に見て欲しい。

 この映画の特徴は「特活」を日本の教育の特徴としてとらえていることだ。ホームページには「本作には、掃除や給食の配膳などを子どもたち自身が行う日本式教育「TOKKATSU(特活)」──いま、海外で注目が高まっている──の様子もふんだんに収められている。日本人である私たちが当たり前にやっていることも、海外から見ると驚きでいっぱいなのだ」とある。掃除や給食もあるけれど、それ以上に「行事」や「児童会活動」が取り上げられている。例えば「放送委員」の活動。まるで一組の男女児童が毎日やってるように見えるけど、実は毎日違った5組の児童が担当しているという。全員撮ったけど、結果的にある一組だけになったのは、運動会の縄跳びが不得意な子どもがどうなるかという「絵になる」シーンが撮れたからである。

 特活というのは「特別活動」の略で、小学校学習指導要領では「学級活動」「児童会活動」「クラブ活動」「学校行事」に分れている。中高ではクラブ活動がなく、残りの3つだけ。(「学級活動」は高校では「ホームルーム活動」、「児童会活動」は中高では「生徒会活動」。)ちなみに「学校行事」は「儀式的行事」「文化的行事」「健康安全・体育的行事」「遠足・集団宿泊的行事」「勤労生産・奉仕的行事」に分れている。清掃や給食当番は「学級活動」の中に明記されている。学校で掃除をするのは、何も「日本人の勤勉さ」「日本文化の特色」ではなく、法的拘束力がある指導要領に書かれているからである。

 僕も特別活動は非常に大切だと思って教師時代に仕事をしていた。僕の場合、自分の関心と経験から「旅行行事」を担当することが多く、自分でも面白かった。映画を見てれば判るが、行事の面白さは子どもたちの日常とは違った顔を見られるところにある。思った以上の頑張りや思いやり、連帯感などが発露され、教師も感動する瞬間があるのである。この映画を見て、「教師の大変さ」だけでなく「教師の魅力」も感じ取って欲しいと思う。しかし、この映画には出て来ない部分もある。

 僕は最後に夜間定時制高校や三部制高校に勤務して、「特活」以前に「学校に来て授業を受ける」ことの重大性を痛感した。やはり学校の中心は「授業」であり、「進路」なのである。公立小の生徒はかつてはほとんどが地域の中学に進学するものだった。しかし、都立中高一貫校設置以後、公私の中高一貫校を受験する小学生が多くなった。世田谷区は地域的にも私立学校が多く、かなりの児童が私立受験をするんじゃないかと思う。しかし、6年生を撮影しながら「進路活動」が全く出て来ない。日本人観客からすれば、むしろ進路をめぐって葛藤する様子こそ知りたいことなんじゃないか。

(山崎エマ監督)

 また小学校教育としては、2020年から英語が必修教科となったという大変化があった。学校として英語にどのように取り組むか、試行錯誤していたはずである。もちろん小学1年生にはまだ関係ないけれど、6年生にとっては非常に大きな問題だろう。その問題も全く出て来ない。もちろん映画は作る側が自由に課題を設定して編集するわけだが、あえて描かなかった面がたくさんあることも忘れてはいけない。そして中学や高校になると、果たしてこういう取材を受けてくれる学校が見つかるか。中高教員からすれば、小学校がうらやましい感じもするんじゃないか。それはともかく自分は私立に行ってたのに「公立学校はおかしい」などと平気で語る政治家にこそ、この映画を見て欲しいものだと思う。

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映画『ザ・バイクライダーズ』、青春のゆくえ、自由と愛と組織

2024年12月17日 22時16分07秒 |  〃  (新作外国映画)

 最近見た映画で一番面白かったのが、ジェフ・ニコルズ監督の『ザ・バイクライダーズ』だった。他にもいろいろ見ているけど、完成度と別に好みの問題もある。日本映画でも『正体』のようにすごく面白いんだけど、書くと「ネタバレ」&「司法制度の描写批判」になっちゃうから書いてない映画もある。(一言だけ書くと、この映画では「死刑囚」が脱獄するんだけど、「自殺を図ったフリ」をして外部医療施設に搬送されるという設定である。その反対に重病で死期が迫っているのに外部医療が受けられず見殺しにされたというならリアリティがあるが、拘置所にも医官がいるのにあの程度のケガじゃ移送しないでしょ。)

 『ザ・バイクライダーズ』だけど、これは簡単に言えば60年代アメリカのバイク野郎たちの物語である。そんなものが面白いかと言えば、語り口が絶妙なのと「青春の本質」に迫る物語が胸を打つのである。だからバイクに何の関心もない僕も興味深く見られたわけで、要するにバイクじゃなくても音楽とか演劇、あるいは政治やギャング映画なんかによくあるような「若い時のムチャ」が「成功の苦い報酬」になっていく様が上のチラシにあるような見事な構図で捉えられて心をとらえるのだ。

(ベニー)

 映画紹介からコピーすると「1965年アメリカシカゴ。不良とは無縁の生活を送っていたキャシーが、出会いから5週間で結婚を決めた男は、喧嘩っ早くて無口なバイク乗りベニーだった。地元の荒くれ者たちを仕切るジョニーの側近でありながら、群れを嫌い、狂気的な一面を持つベニーの存在は異彩を放っていた。バイカ―が集まるジョニーの一味は、やがて“ヴァンダルズ”という名のモーターサイクルクラブへと発展するが、クラブの噂は瞬く間に広がり、各所に支部が立ち上がるほど急激な拡大を遂げていく。その結果、クラブ内は治安悪化に陥り、敵対クラブとの抗争が勃発。ジョニーは、自分が立ち上げたクラブがコントロール不能な状態であることに苦悩していた。」ただバイクが好きでつるんでいた若者たちが「組織」になって変質していくのである。

(ベニーとキャシー)

 名前は違うが実際にあったモータークラブの写真集(ダニー・ライオン「The Bikeriders」1968)にインスパイアされて、ジェフ・ニコルズ監督が脚本を書いたという。映画はカメラマンが「当時の記憶やその後の事情」をキャシーに聞きに来て、彼女が思い出を物語るという趣向で進行する。そのため時間が前後することで、「あの頃」が客観化されるとともにノスタルジックな味わいが生じている。1965年から70年代に掛けては、ヴェトナム戦争の激化でアメリカそのものが大きく変わる時期だった。その社会的変動は否応なく彼らにも及んでいく。その痛みが全編を覆っていて、見る者の心が揺さぶられる。

(ベニーとジョニー)

 ベニーを演じるのは『エルヴィス』でアカデミー賞にノミネートされたオースティン・バトラー。「何とも魅力的なクズ男」をこれ以上ないほどの存在感で演じている。キャシーは『最後の決闘裁判』のジョディ・カマー。女友だちに頼まれて、普段は近寄らないバイカーたちのクラブにお金を届けに行った。そこでキャシーはベニーに一目惚れしてしまったのである。すぐに結婚したというのに、ベニーは妻を顧みずにバイクで暴走を繰り返し、警察に追われたり大ケガをしたり…。キャシーはそんな彼に変わって欲しいのだが、何より「自由」を求めるベニーは言うことを聞かず「出て行く」と言うのだった。

 ジョニートム・ハーディ)の統率力で、ヴァンダルズは大きな組織になっていく。他の町のバイカーも受け容れたジョニーだったが、やがて若い世代との確執が生じてくる。自分の後継にはベニーがなってくれと言うと、それを断ったベニーは妻も残して他の町に去って行った。ヴェトナム帰りの若い世代が牛耳るようになって、組織は大きく変わってゆく。こういう展開は、実録映画のヤクザ組織でもよくあった。あるいは音楽映画でも、若者たちがバンドを組み成功を夢みて活動するが、人気が出たらそれぞれの「方向性の違い」が出て来てバラバラになる。そんな物語と同じだけど、青春は一回だから心に沁みるのである。

(ジェフ・ニコルズ監督)

 ジェフ・ニコルズ監督(1978~)は名前を記憶してなかったが、デビュー作『テイク・シェルター』(2011)でカンヌ映画祭批評家週間グランプリ、『ラビング 愛という名のふたり』(2016)でアカデミー賞主演女優賞ノミネートという人だった。なかなか見事な演出で、すっかり魅せられてしまった。バイクや服装、音楽など60年代を再現していて、シカゴの60年代なんて知らないわけだけど、なんか懐かしい。ヴェトナム反戦や公民権運動なんて全然出て来ず、人種も白人ばかり。ヴェトナムに行きたかったと語る登場人物もいて、バイカーたちの社会的位置が「都市知識層」とは全く違うことが判る。

 僕はバイクそのものには全く興味がない。(それどころか一度も乗ったことがない。)同じようにスポーツカーや蒸気機関車、戦闘機、戦車…少年の好きなアイテムらしいが、全然関心がなかった。まあバイクが「カッコいい」という感覚は理解出来るが、むしろこの映画は「青春の栄光と悲惨」、「自由と愛の神話」なのである。自由を求めてさすらう「漂泊の人生」に憧れる人、芭蕉や山頭火が好きな人にこそ通じるような映画かもしれないと思う。ラストをどう解釈するべきかは見る人次第だろう。

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防災省設置に賛成するー2026年4月に「防災庁」スタートが現実的

2024年12月16日 22時19分12秒 | 政治

 石破政権がいつまで持つか判らないけど、少数与党のうえ党内基盤も弱く厳しい現実が続いている。僕も「厳しい現実」を書くことが多いと思うが、唯一「石破政権の遺産」になりそうなことがある。それが「防災庁」の設置で、内閣官房に「防災庁設置準備室」が発足し、赤澤経済再生大臣が担当になった。首相と側近だけが関わっていて、石破政権がつぶれたら雲散霧消しそうだが、それではもったいない。日本にとって絶対に必要なことだと思うので、党派を超えて実現に向け動き出して欲しい。

 発足時の石破首相訓示では、「わが国は世界有数の災害発生国で、近年では風水害の頻発化や激甚化がみられるほか、近い将来には首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの発生も懸念される。人命最優先の防災立国を早急に構築することが求められている」と述べた。まさにその通りというしかない現状認識である。「待ったなし」の政策は他にも多いだろうが、それはすでに対応する行政官庁がある。それに対して、現状では「防災担当大臣」が置かれているが、内閣府特命担当大臣に過ぎない。きちんとした部署になっているとは到底言えないのである。ちなみに防災担当大臣は2001年の省庁改編後に置かれているが存在感は薄いだろう。

(防災省の必要性を語る石破茂氏)

 アメリカにはカーター政権時に発足した「アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁」(Federal Emergency Management Agency、略称FEMA)という組織がある。洪水、ハリケーン、原子力災害など幅広く対応するという。2003年にブッシュ政権により国土安全保障省に組み込まれて機動性が薄れてしまったというが、それでも重要な役所だと思う。アメリカは各州の連邦制だが、災害は州を越えて襲ってくる。連邦政府による調整、指揮が必要になってくるのである。

 日本は連邦制ではないけれど、各地方ごとの地形的、歴史的な差異が大きい。南北に長く四方を海に囲まれているという特徴から、災害救援がなかなか難しい。それに今も経済成長が続くアメリカと違って、少子高齢化が著しい日本ではインフラの劣化が進みながら更新も難しい状態が起きている。今後も地震や豪雨災害で鉄道、道路、空港、港などに被害が生じて救援が遅れることが想定される。また避難所態勢も先進諸国に比べて劣悪なまま放置されている。(「TKB48」を知ってますか?」参照。)

(総裁選に出た小林鷹之議員)

 石破首相が自民党総裁選で「防災省設置」を唱えたところ、これに真っ向から反対したのが小林鷹之議員だった。小林氏は「屋上屋を架す」と言ったが、自衛隊があるから災害時に指揮権が混乱するという趣旨だと思う。しかし、自衛隊は「防災行政」を主管しない。それどころか「災害出動」でさえ、本体任務には位置づけられていない。災害が発生したときには、確かに「実力組織」である自衛隊の出動が必要になるだろう。しかし、「平時」には防災に関する業務を行っていない。「屋上屋」というけど、日本の現状はまだ屋根もない、小さな部屋があるだけの段階である。きちんとした大きな部屋と屋根が必須である。

 ところで、ではいつ作るべきか。一気に「防災省」は難しい。まずは「防災庁」からで、それは東日本大震災15年を経た2026年がふさわしいと思う。復興は切りがないけれど、その後も地震災害は各地に起きてしまった。「復興庁」を防災庁に衣替えして、今後も東北復興を担いながら、他の災害対応も出来るように人員を大幅に増強するべきだろう。2026年4月1日から防災庁として発足し、やがては防災省に格上げして気象庁も国土交通省から移管してはどうかと思う。

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「103万円の壁」問題私論ー引き上げには賛成だけど…

2024年12月15日 21時42分31秒 | 政治

 臨時国会の焦点になってる「103万円の壁」という問題。これをどう考えれば良いのだろうか。103万円だけじゃなく、106万円とか130万円とかいろんな「」もあるらしい。いや、壁じゃないという人もいるようだし、税制は複雑でなかなか判らない。年金や健康保険など社会保険になると、もっと複雑かつ利害が入り乱れて、ここで論じるだけの知識もエネルギーもない。「103万」というのは、本人に所得税が発生するだけでなく、扶養控除が認められなくなる基準になっている。「扶養」は子どもだけでなく、主婦(または主夫)、障害者、高齢者などいろいろあるわけだが、今は主に「学生」を取り上げて少し考えてみたい。

(103万円の壁)

 もともと国民民主党の玉木代表が「若者」に焦点を絞っていたためである。テレビでは「もっと働きたいのに、103万円を意識してセーブしている」という若者の声が出ていた。また飲食店経営者から「年末繁忙期に学生が抜けられて困る」という声も出ていた。しかし、他の飲食店オーナーからは、12月に働いた分は来年1月に支払うので「年末繁忙期に抜ける」ことはないという声もあった。もっともアルバイトの場合は月末清算のケースも多いだろうと思うが。

 僕はこの若者の声を聞いたときから、ちょっと違和感があった。「学生の本分は学業」である。もっと働いたら勉強はいつするのか。本来は逆であって、「もっと勉強に集中できるように、アルバイトしなくても大丈夫にして欲しい」というのが学生の要求であるべきじゃないのか。つまり、貸与型奨学金の充実とか、奨学金返済の免除などである。本当に困っている学生は、親の扶養など関係なく働くしかないだろう。特に下宿生の場合、何とか学費は出して貰えても、生活費は十分じゃない場合も多いはず。そういう困窮学生は今回の「103万円の壁」には関係ない。親が扶養できる学生の場合だけの話なのである。

(引き上げをめぐる3党合意)

 この「103万円」という基準は、1995年から変わっていないという。もっとも内容には変化があって、「基礎控除」は2020年まで38万円だった。2021年から48万円である。(2400万円以下の所得の場合。)つまりほぼすべての人の場合、まず収入から48万円が控除される。そして「給与所得控除」が55万円となる。これは2020年以前は65万円だった。結局控除額の合計は変わっていないわけだ。基礎控除は本人の最低限の生活を維持するための金額は所得とは考えないということである。給与所得控除は所得を得るための「必要経費」を(確定申告せずに)ざっくりと算定した金額である。

 この控除額に関しては、「最低賃金の伸び」「物価水準」などを基準にして増額させるべきだと言われている。国民民主党は最低賃金を主張しているが、最低賃金は都道府県ごとに違うので合理性が少ない。最低賃金額の伸び率を基準にするなら、控除額も各地で異なるようにするのか。まあ、それはともかく「交渉用の数字」なんだろう。それより、90年代と現在は何が一番違うだろうか。それは「情報通信費」、まあスマホ代である。95年当時は携帯電話(通話機能だけ)がようやく出始めた頃だった。

 その後、どんどんヴァージョンアップしていって、今は学生にスマホは必需品だろう。それだけでなく、勉強をしっかりするためにはパソコンプリンターも必須である。これは自宅学生の場合は家で共用できるかもしれないが、下宿生の場合学校にあるものを利用するだけじゃ不足で下宿でも使いたいだろう。どっちにせよインターネットの通信代が高額なのである。だけど、今はそれがなくては仕事を探すのも不可能、就職にも勉強にも不可欠である。まさに生きるための「必要経費」である。

 僕が思うには、まずこのネット環境という「客観情勢の変化」が基礎控除、給与所得控除増額の理由になるべきだと思う。これは今や高齢者にも言えることで、スマホやパソコンなくして映画も見に行けない。(人気映画は事前に予約しないと入れない。)マイナ保険証なんて政府は言っているんだから、スマホ代を補助して欲しいぐらいだ。ゲームなどをしてる場合もあるだろうが、とにかくスマホなくしてバイトは不可能だろう。まさに必要経費というしかない。

(様々な壁)

 ところで、勤労学生の場合「勤労学生控除」というのもある。アルバイトの場合、年末調整されることはほとんどないと思うが、確定申告すれば「27万円」の控除がさらに認められる。(所得金額が75万円以下の場合。)この確定申告を学生はきちんとしているだろうか。学生アルバイトの場合、個人経営の飲食店とか知り合いに頼まれた家庭教師なんかも多いと思うけど、コンビニなんかの方が多いだろう。その場合、銀行口座に所得税を抜いた額が振り込まれることが多いはず。ちゃんと「還付申告」するように、大学や専門学校がきちんと呼びかける必要がある。「手取りを増やす」ためにまずやるべきことだ。

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やはり野に置け、石破茂?ー石破首相の「政治献金禁止は違憲」説批判

2024年12月14日 22時33分38秒 | 政治

 2024年10月1日に成立した第1次石破茂政権。取り急ぎ衆議院を解散して、大きく与党議員を減らしながら、辛くも11月13日に第2次石破茂政権が発足した。選挙翌日に『しばらくは石破「少数与党内閣」で、2025衆参同日選挙か?』で書いた通りだが、予想外のこともあった。それは共産党が決選投票で「野田佳彦」と書いたことだが、まあ事細かく論じる必要もないだろう。なお、その他の野党が決選投票でも1回目と同じく自党党首の名を書いたとされるのも不思議。「決選投票」とは1位か2位の名を書く約束だから、どっちも支持しないなら白票を投じるか、棄権するべきだろう。

 その後、政治のあれこれを書いてないから、ここで幾つか書いておきたい。臨時国会が11月28日に開会し、何とか補正予算が衆議院を通過した。まあ「補正予算」というのは、災害対応の臨時費も入っているので通さざるを得ない性格のものだ。ただ近年は景気刺激を強調して「過去最大」などとうたって、結果的に予算を余らせたりしている。立憲民主党が削減を主張したのは理屈にあっている。結果的に国民民主党日本維新の会を賛成に引き込めて、石破政権として思った以上の成果だろう。

(補正予算通過)

 この間、石破首相にはやはり準備不足か、それとも荷が重いのかと思わせるもたつきぶりだった。党内非主流派だった時には歯切れが良かった石破氏も、結局権力の座に座って見れば「ただの自民党首相」だったのか。「手に取るなやはり野に置け蓮華草」という句があるが、石破茂もやはり「野に置け」だったのか。総裁当選から総選挙までは「石破氏を叩いてぶれる」感が強かった。「健康不安」説もあり、いつまで持つのかという不安(心配または期待?)もあったと思う。

 石破内閣は今日(12月14日)現在75日続いていて、取りあえず羽田孜(64日)、石橋湛山(65日)、宇野宗佑(69日)の短命内閣をいつの間にか越えていた。(なお、帝国憲法時代を含めると、敗戦直後の東久邇宮稔彦王内閣の54日が最短になっている。)「政治改革」法案の行方は見通せないが、何とか来年度予算案をまとめて越年はしそうである。通常国会が1月末には始まるが、本予算は果たして通せるのだろうか。国民民主党や日本維新の会の主張を丸呑みすれば、本予算にも賛成してくれるのかもしれない。だが、今度はそんなに譲歩するなという声が自民党内に挙って、倒閣運動になりかねない。

(企業献金禁止は憲法違反と述べる石破首相)

 そこら辺はまだ見通せないが、最近の石破首相は少し「らしさ」を取り戻して、自分なりの丁寧な説明をし始めたという話である。だがそうなると、今度は「企業献金全面禁止は憲法21条違反」などと言い過ぎ的な答弁を行った。言い過ぎたと思ったか、参議院の質疑で「違反するとまでは申しません。そこは言い方が足りなかった」と修正したものの、やはり憲法論議が必要という認識らしい。これはかつて最高裁で行われた「八幡製鉄所政治献金判決」が頭のあると思われる。

 この訴訟は1960年に八幡製鉄所(現・日本製鉄)の株主だった弁護士が「政治献金は定款を逸脱した商法違反」として損害賠償を求めた株主代表訴訟である。1審は原告勝訴(政治献金は違法)だったが、高裁で原告敗訴に変更され、1970年の最高裁大法廷判決で原告敗訴が確定した。この判決からすでに半世紀以上経っていて、また誰か新たな訴訟を起こす価値があると思っているけど、取りあえずはこの判決が「企業献金は合憲」というお墨付きになっている。

 論点はいろいろあるが、憲法関係に限ってみてみると、「1 会社は自然人同様、納税者たる立場において政治的意見を表明することを禁止する理由はない。」「2 憲法第三章「国民の権利及び義務」は性質上可能な限り内国の法人にも適用すべきであり、政治的行為の自由もまた同様である。」というものらしい。これはWikipediaに出ているものだが、法人たる株式会社が「自然人」と同様に「政治的意見を表明する自由」があるという認定は、まあその通りではあるだろう。

 だけど、70年段階と現代の会社は全く様相を異にしている。大会社はすべて諸外国にも進出して「多国籍企業」になっている。日本の株式市場でも外国人株主による取引の方が多いぐらいである。外国人が政治献金を出来ないのと同様に、外国人持ち株が半数以上を占める企業は政治献金が出来ない。だが国内企業でも経営者は外国人が務める大企業は多いだろう。「自然人」としては参政権を持っていない外国人が、トップとして政治献金を行うのは果たして合憲、合法なのか?

 1970年時点とは日本の会社の実情が全く変わっている。そのことを前提にすれば、企業という法人にも「自然人」と同じように参政権があって、政治献金を認めるべきというのは時代錯誤ではないか。株主にも、従業員にも、消費者にも、日本国民以外の人がいっぱいいる。そういう時代の企業は日本の政治に献金出来なくても当然じゃないか。日本人経営者という「自然人」なら、当然日本国民としての参政権があるから、個人で政治献金すれば良いだけのことじゃないか。

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荻外(てきがい)荘と大田黒公園ー近衛文麿旧居と杉並の名園

2024年12月13日 21時32分02秒 | 東京関東散歩

 昭和戦中期の首相近衛文麿(このえ・ふみまろ、1891~1945)の旧居「荻外荘」(てきがいそう)の修復が終わり、今週から一般公開された。ここは国の史跡に指定されているが、近現代の指定は非常に珍しい。特に政治家関連の史跡は非常に貴重だ。荻窪駅(JR中央線、地下鉄丸ノ内線)から徒歩15分ほどで、途中に大田黒公園角川庭園があるので、格好の散歩道。荻外荘は隣接する荻外荘公園から眺めるのは無料だが、中を見るなら300円。水曜休。喫茶室もある。

   

 荻窪駅南口から歩き出す。方向の案内板は充実しているが、道が複雑なのでスマホのナビを使う方がいいかもしれない。駅から一番近い太田黒公園に行き着けば、そこにパンフが置いてある。荻外荘そのものはどこから入るのか迷ったけれど、まずは隣の公園に行って家を見てみる。平屋建ての和風建築で、もとは1927年に建てられた。築地本願寺で有名な建築家伊東忠太の設計である。大正天皇の侍医頭だった入澤達吉の別荘として建てられたもので、1937年に近衛が入手したという。

   

 荻外荘入口には今も「近衛」という表札が掛かっている。近くから見ると、上のような感じ。荻外荘の名前は元老西園寺公望の命名である。玄関には西園寺が書いた額が掛かっていた。近衛は目白に本邸があったが、富士山も望める荻窪が気に入って、入手後はほとんどここにいたという。1932年の東京市拡大(35区)によって荻窪はすでに東京市内だったけれど、実感としては郊外の別荘だろう。しかし甲州街道に近く、車で行動出来る近衛には案外便利な場所だったんだろうと思う。

 (玄関)(中国風応接間)

 中に入ると、玄関の方から見ることになる。中国風とされる椅子の応接間もあるが、もう一つ和風の応接間が「荻窪会談」が行われた部屋である。1940年7月19日、次期首相に決定していた近衛が自邸に陸海外の大臣候補を呼んで行った会談である。下の写真左から近衛松岡洋右吉田善吾東条英機。第2次政権発足(7月22日)直前で、吉田は現職の海軍大臣。松岡、東条は時期外相、陸相に予定されていた。ドイツ「電撃戦」を受け、会談では日独伊枢軸強化、日ソ不可侵協定などの方針を決めた。

(応接間)(荻窪会談)

 どうも「杉並に偉人が住んでいて、日本政治の重要な会談が行われた」的な紹介をしている気がするが、今書いたように「日本の歴史を誤らせた」場なのである。「負の歴史遺産」であることを忘れてはいけない。日中戦争拡大の直接的責任者であり、政治的責任は大きい。また敗戦後に戦犯指定を受けて、1945年12月16日に服毒自殺したのも荻外荘。しかし、そのことはほとんど触れられていない。戦後は一時吉田茂が住んでいたこともあるが、その後応接室などは巣鴨の天理教東京教務支庁に移転されていた。今回天理教当局と交渉して、改めて戻した上で「荻窪会談」当時の再現を目標に修復を進めたという。

   

 廊下から外の公園の方を見ると、なかなか良い感じ。南側(公園)が低くなっていて、建物は高台にあるから見晴らしが良いのである。荻外荘から「角川庭園」へ案内に沿って5分ぐらい歩く。角川書店創業者で、歌人・国文学者でもあった角川源義(かどかわ・げんよし、1917~1975)の家だった場所である。庭園的にはあまり大きくなく、時間が少なければ省いてもいいかな。角川関係の資料が展示されているわけでもないが、集会所としてよく利用されているらしい。

   

 そこからまた5分ちょっと歩くと大田黒公園。首都圏では紅葉のライトアップがテレビでよく紹介される所だが、初めて。音楽評論家大田黒元雄(1893~1979)の旧居をもとに作られた回遊式庭園である。大田黒と言われても誰それという感じだが、日本の音楽評論の草分けで文化功労者に選ばれた人。それにしてもこんな立派な庭がよく持てたなと思うと、実は死後に周囲の土地を併せて杉並区が整備した庭園だった。大田黒の父は芝浦製作所を再建した後、全国の水力発電所を経営した大田黒重五郎という戦前の経済人だった。元雄は父の財力で好きな音楽の道に進み、特にドビュッシーを日本に紹介したという。

   

 門を入ると、イチョウ並木が今まさに黄葉していて素晴らしい。グループで来た人は皆「オオッ」と声を発して、スマホを取り出す。人も多くてなかなか撮りにくいのと、もうすでにかなり落葉していて落葉がいっぱい。そっちを撮ると。

  

 紅葉も見頃で素晴らしい。池をめぐる散歩道が紅葉の中心で、ここが無料で見られるのは素晴らしい。

   

 大田黒元雄が住んでいた洋館も公開されている。中にはスタインウェイのピアノが置いてあった。

   

 その後荻窪駅に戻って、丸ノ内線で新宿で下車してSONPO美術館で『カナレットとヴェネツィアの輝き』を見た。一度は見なくて良いかなと思ったんだけど、やはり見に行くことにしたけど、それは別の話。

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