尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小泉進次郎の弱点は「若さへのジェラシー」ー自民党総裁選④

2024年09月14日 21時53分17秒 | 政治
 プロ野球ヤクルト・スワローズ青木宣親選手(42)が今シーズン限りで引退すると表明した。日米通算3128本はイチロー、張本、王、野村に次ぐ日本選手第5位である。あっ、そんなに打ってたんだ。現在最年長のプロ野球選手、同じヤクルトの石川雅規投手(44)は来季も現役を続行する意向だという。大体のプロスポーツ選手は長くやっても40代前半ぐらいで「引退」になる。(まあサッカーの三浦知良という人もいるが。)ところで青木、石川両選手の真ん中なのが、自民党総裁選に立候補している小泉進次郎氏(43)だが、政界では「若手」になる。もし総理大臣に就任したら憲政史上最も若い首相である。

 自民党総裁選が9月12日に告示され、9人が立候補した。(出馬を模索していた野田聖子、斎藤健、青山繁晴3氏は推薦人が確保出来なかった。)抽選による届け出順で、高市早苗経済安全保障担当大臣(63)、小林鷹之元経済安全保障担当大臣(49)、林芳正官房長官(63)、小泉進次郎元環境相(43)、上川陽子外務大臣(71)、加藤勝信元官房長官(68)、河野太郎デジタル大臣(61)、石破茂元幹事長(67)、茂木敏充幹事長(68)の9人である。
(日本記者クラブの討論会)
 今回の総裁選は9人という異例の大量立候補になった。その結果、一回目の投票で当選者は出ず、上位2人の決選投票となる。総裁選は議員票367票党員票367票合計734票で争う。常識で考えて、推薦人と本人は投票先が決まってるわけで、20×9+9=189票がもう決定している。これは議員票の約半分である。党員票と言ったって、ある程度はバラけるだろう。議員票の残り半分90を確保し、さらに党員票の半分を獲ったとしても180票。推薦人と合わせて300票にもならないから過半数を獲る人は出ない。小泉氏や石破氏が比較的強いと言われているが、党員票の半分は無理だろう。従って必ず決選投票になるのである。

 さて、自民党は今裏金問題をきっかけに支持率が低下している。今秋にも衆院選、来年7月には参院選があるということで「猫の手も借りたい」気持ちだろう。とにかく「選挙の顔」になる清新で人気のある新総裁を求めている。となると何と言っても小泉進次郎か。実は小泉氏が出馬会見を行ったのが川村記念美術館に行った日なので、ラジオで会見を聞いていた。なかなか威勢が良かったし、「選択的夫婦別姓」「解雇法制」「憲法改正」など「決着」を付けると意気込んでいた。
(決着を掲げる小泉進次郎氏)
 小泉氏の「決着」はその内容の評価はともかく、そういう論点を設定したことで総裁選の論戦を促した役割はあっただろう。そこでやっぱり「小泉が有力か」と言われるわけだが、小泉進次郎にウィークポイントはあるだろうか。必ず決選投票になる以上、小泉氏以外の人が皆反対候補に入れれば敗れることになる。今の予測では上位に入ってきそうな候補は、小泉、石破、高市に加えて、小林、上川あたりまでじゃないかと予想されている。残りの林、加藤、河野、茂木には上位2人に入る可能性はない。

 上位に入ってきそうな石破氏や高市氏も党内では反発が多い方の政治家である。そうなるともう片方が小泉氏だと、多くの人は小泉氏に入れそうな気もする。だけど僕が予測するに、必ずしもそうは言えないんじゃないか。今回小泉氏が新総裁となり、目論み通り衆院選、参院選で自民党が勝つとする。次回の参院選は2028年、衆院議員の任期は2028年まで。次の自民党総裁選は2027年である。よほど大きな失政があれば別だが、支持率が高いままなら小泉再選は堅い。党則上3期9年は出来るとして、そこまでは誰にも予測不能だが、一応今回小泉政権が誕生すると6年間は続くと見た方が良い。

 そうなると、先の候補一覧に年齢を入れておいたが、自ら「最後の戦い」という石破氏だけでなく、上川、茂木、加藤氏などに加え、高市、林氏なども次は厳しい。年齢的に次々回総裁選も出られそうなのは、小林鷹之氏ぐらいではないか。今回これほど多数が立候補した理由には「派閥」の問題もあるが、一番大きいのは「自分が出られるのはこれが最後かも」という思いではないか。総理になれなくても、総裁選に立候補すれば「総理を目指した政治家」の証を歴史に刻むことが出来る。自分だって当選が難しいぐらいは理解してるだろうが、やはり「一度は総理を目指してみたい」のである。

 そのことを考えると、「大幅な若返りを避けたい」という公には言えない理由で、「石破でも良い」「高市でも良い」という人が出て来ないとは言えない。いや、むしろ「イケメン、弁舌爽やか、美人妻」に対するジェラシーは根深いと想定しておく方が良い。そんなバカな、いやしくも国会議員たるもの、国益、党益を最優先に判断するなどと思うわけにはいかない。みな終局的には「自分優先」であって、だから裏金問題なども起きている。もちろん、公的には「小泉氏は国政の最高責任者を担うには経験が不足している」として、「国益のために判断した」という言うだろうが、内心は自分より圧倒的に若い小泉には入れたくない。

 僕はそんなことも考えてしまう。高齢男性のジェラシーは怖いのである。それを避けるには、党員投票で圧勝する必要がある。2012年総裁選では党員投票トップの石破氏を、決選投票で安倍氏が破ったわけである。これは今度は出来ないと思う。大きな批判にさらされている自民党は、党員投票で誰かが大差で1位となった場合、2位候補には「辞退圧力」が掛かるだろう。しかし、党員投票でどれほど獲れるだろう。党員も国会議員の要請でなっている人が多いだろうし、その地方出身議員が出ていればその人に入れるだろう。何でも小泉氏が銀座で演説し5千人が集まったとか。やはり「人気」はあるので、選挙のことを考えれば小泉かと思いつつ、何とか小泉に入れなくて済む「失言」を待っているという自民議員も多いと思う。
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野党は臨時国会で実質審議を要求すべきであるー即時解散論批判

2024年09月13日 21時47分13秒 | 政治
 このブログではあまり(新聞の)「社説」みたいなことは書かないようにしている。読まれない記事の代表だし、時間が経つと書いた意味がなくなる。今までも単にニュースの感想みたいな記事はすぐ読まれなくなった。しかし、今日はそういう「社説」みたいな話。ひと月すれば意味がなくなるのは判っている。僕が書いても政治的な影響がないのももちろん判っている。

 もうすぐあると予想される「衆議院解散」の話である。9月12日に自民党総裁選が告示され、9人が立候補した。27日に新総裁が決まり、その後臨時国会が開かれる。そこで岸田内閣が総辞職して、新しい総理大臣指名選挙が行われる。衆参ともに与党が過半数を占めているので、自民党新総裁が内閣総理大臣に選出される。そこまでの流れは決められた道を進むだけである。
(公明党北側副代表の発言)
 その臨時国会召集日は、10月1日と予想されている。公明党の北側副代表が自民党からそう打診されたと記者会見で明かした。問題はそこからで、その後直ちに衆議院を解散すれば、最短で10月27日も可能になるらしい。誰が新首相になるか未定だが、世論調査では小泉進次郎、石破茂両氏への支持が多く、両氏が軸になると言われている。そして両氏とも早期に衆議院を解散して民意を問うと表明しているのである。まあ、要するに就任当初の人気・期待が消えないうちにやっちゃおうということだろう。

 しかし、そんなにすぐ解散・総選挙をしても、国民には選びようがない。思えば、前回2021年衆院選も岸田氏が新首相になってすぐに解散して行われた選挙だった。その前の2017年衆院選に至っては、9月28日に開いた臨時国会冒頭で安倍晋三首相が衆議院を解散したものだった。当時は森友・加計学園問題などで野党が安倍内閣を批判していて、憲法に基づいて野党が臨時国会を要求したが安倍内閣はずっと国会を開かず、ようやく開いたと思ったら何の審議もせずに解散してしまった。
(早期解散を明言する小泉進次郎氏)
 こういうことを繰り返して、「勝った勝った」と言って何の意味があるんだろう? ちゃんと新首相が「施政方針演説」を行い、代表質問を受ける。また「党首討論」も実施する。そんなタテマエみたいなことを言うより、選挙になればテレビやネットメディア、記者会などが党首討論会を聞くからそれで構わないじゃないか。そう思う人も多いだろうが、やはり国権の最高機関である国会は大切にしなくていけない。そういう場で語られる言葉を国民もきちんと注視するべきだ。

 そして、そんなことより何より「政治資金規正法」の再改正をさっさとやるべきだ。6月に決めたはずの「政治活動費の10年後公開」などを見直すべきだと総裁選立候補者があれこれ言っている。立憲民主党代表選立候補者が軒並み批判しているが、「今頃言うな」である。あまりにもふざけた話だと思わないか。野党は皆与党案は不十分だと言っていた。「維新」なんて、政活費を見直すことで合意したつもりで衆院では与党案に賛成したぐらいだ。しかし、参院段階でも協議が進まず(自民党にやる気が見られず)今度は参院で反対に回った。そんなドタバタ劇があったことを覚えているだろうか。

 自民党新総裁が再改正をすると言うなら、野党はもともとそう言ってるんだから、選挙をする必要がない。与野党で直ちに合意して、政治資金規制法を再改正するべきだ。3週間もあれば出来るだろう。野党はまとまって「臨時国会で政治資金規正法を再改正するべきだ。応じないなら、総理大臣指名選挙に協力しない」と通告すればよい。自民党がそれに応じないとしても、最低限、党首討論を実施させる必要がある。応じないなら、自公だけで首相指名をせよ、野党は欠席すると言うべきだ。

 衆議院を解散して総選挙を実施した場合、憲法の規定で「選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない」(特別国会)と決められている。しかし、今回は自民党の都合で首相が変わるだけである。確かに「辞めると決まっている首相」をいつまで放っておくのは、「国益に反する」かもしれない。だけど、憲法上は臨時国会はいつやってもよく(だから自民党はいつも要求に応じず延ばしてきた)、辞めるはずの岸田内閣がそのままやっていても問題ない。

 「国会できちんと論戦を交わしてから解散せよ」。これは無理な話でもなんでもなく、正論すぎて書くのが恥ずかしいぐらいだ。内閣総理大臣が施政方針演説もせずに選挙をするようなことが当たり前になってはまずい。「コスパ」「タイパ」なんて言葉ばっかり流行って、きちんと議論することが世の中全体に少なくなっている。話し合いをほとんどせずに、「さっさと決めよう」が世の中の当たり前になってはいけない。こんなことを書きたくないんだけど、やはり書いておかねばと思う。
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シス・カンパニー『夫婦パラダイス』(北村想作)、『夫婦善哉』じゃなかったけど…。

2024年09月12日 22時03分32秒 | 演劇
 新宿の紀伊國屋ホールで、シス・カンパニー制作、北村想(1952~)作の『夫婦パラダイス~街の灯はそこに~』を見て来た。「夫婦」は「めおと」である。尾上松也瀧内公美が主演カップルを演じている。『夫婦善哉』にモチーフを得た作品ということで、気になっていたところに安いチケットがあったので買うことにした。でも後ろの方の端の席で、それはそうだろうなあ。声は通っていたし、舞台もよく見えていたから良かった。休憩なしで1時間40分程度。19日まで上演。

 ホームページからコピーすると、こんな話。「川の向こうは「パラダイス」。でも、こちら側は人生の吹き溜まり…。そんな川辺のスナックに、ワケアリのカップル柳吉(尾上松也)と蝶子(瀧内公美)が流れ着く。店のママ信子(高田聖子)は蝶子の腹違いの姉で、失踪中の亭主藤吉(鈴木浩介)を待つ身の上。近所の出前持ちの静子(福地桃子)や羽振りのいい常連客馬淵 (段田安則)もその姿は、とんと見たことがないという。スナック2階の屋根裏部屋に転がり込んだ二人だったが、この店にもなにやらワケアリの雰囲気が…。」これだけじゃ全然判らないが、要するに『夫婦善哉』との共通点は柳吉蝶子の名前だけという感じ。
(主演の二人)
 時代は昭和初期ではない。というのも「IRパラダイス」なる施設が河内に出来ている。そしてついに政府はカジノを作ったとかセリフで言ってる。そもそも大阪のIR予定地は夢洲なんだから、これは「近未来」というより「パラレルワールド」。と思ううちに、店の様子がどんどん変になっていき、河童や安倍晴明、蘆屋道満の葛の葉伝説などファンタジックになっていく。それはそれで面白いのだが、僕は『夫婦善哉』期待だから、何だかハシゴを外された感もした。観客のかなりは尾上松也ファンと見受けられ、見得を切ったりするシーンが受けていたが。この尾上松也瀧内公美のコンビはなかなかはまり役で、今さら映画のリメイクは無理だろうが舞台版『夫婦善哉』を企画しても良い気がした。

 ところで、もう一人「影の役者」がいて、それはナレーション。ちょっと古いセリフがあると、演技がストップして解説がある。これがおかしかったが、最後に明かされる声の主は高橋克実だった。段田安則鈴木浩介など豪華な顔ぶれ。蝶子の姉(そんな人は原作にはいない)を演じた高田聖子(たかだ・しょうこ)は、「劇団☆新感線」で有名な人。出前持ちの福地桃子は短い出番の割りに印象的だった。知らなかったが、調べてみると哀川翔の娘だった。僕は瀧内公美がナマで見られて良かった。皆うまくて俳優を見る楽しみはあるけれど、ちょっと戯曲の「夢オチ」が納得出来なかった。
(出演者)
 チラシを見ると、「日本文学へのリスペクトを込めた『日本文学シアター』シリーズが久々に復活」とある。僕は北村想を見てないので、そう言われても良く判らないが、そう言えば『銀河鉄道の夜』に想を得た戯曲があったのは覚えている。北村想は岸田国士戯曲賞や紀伊國屋演劇賞などを受賞してきた日本を代表する劇作家の一人である。名古屋で活動を始めたということもあるが、「小劇場ブーム」の劇作家は僕はあまり見てないのである。活躍し始めた時期が自分が働き始めた時期と重なっていて、多忙だったからだ。ということで、この世代のことは語りにくい。このように「夢か現か幻か」という作風なんだろうが、『夫婦善哉』からはどんどん離れて行くのだった。ラストの「頼みにしてまっせ」も逆に蝶子のセリフ。
(北村想)
 秋は面白そうな舞台が幾つもある。映画の特集も行きたいのがいっぱい。展覧会もあるし、と言っていくと旅行や散歩が出来ない。その前に猛暑が何とかならないと元気が出ない。今日も猛暑日なんだけど、いつまで続くのか。それでも紀伊國屋ホールに行って、本の匂いに触れると元気が出る気がする。ま、ちょっと予想外の展開だったけど、役者が良かったから満足かな。
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今も面白い織田作之助、大阪を描いた作家「オダサク」を読む

2024年09月11日 22時46分55秒 | 本 (日本文学)
 最近織田作之助オダサク)を読んでいたので、そのまとめ。大阪で生まれ大阪を描いた作家織田作之助(1913~1947)は、短い生涯の中で印象的な作品を幾つも残した。1939年の『俗臭』が芥川賞候補になり、翌1940年にもっとも知られる『夫婦善哉』(めおとぜんざい)が発表された。敗戦後の1947年1月に急逝したので、「戦時下の作家」だったことに改めて気付く。今回読んだのは「夫婦善哉」をモチーフにした演劇を見るからだが、実はその前から読み直したいと思っていた。
 (岩波文庫の2冊)
 今回は岩波文庫の『夫婦善哉正続他十三篇』『六白金星・可能性の文学他十一篇』を読んだのだが、その2冊は前から持っていた。2024年4月に新潮文庫から『放浪・雪の夜 織田作之助傑作集』が出て、すぐに読んでみた。続いて新潮文庫の『夫婦善哉決定版』を買って読んだのは、字が大きくて読みやすそうだったからだ。織田作之助は昔「ちくま文学全集」で読んだ記憶があるが、もう一回ちゃんと読んでみたいと思っていた。だから岩波文庫を買っていたわけだが、なんか字が小さいので後回しにしていた。今回も新潮を読んですぐに岩波も読むつもりだったけど、つい面倒になってしまった。
 (新潮文庫の2冊)
 両方の文庫には共通の作品が幾つも収録されている。新潮で読んだものは飛ばそうかと思ったが、間に数ヶ月入ったので読むことにした。たった数ヶ月しか経ってないのに、案外忘れていて我ながら驚いた。細かい所は結構忘れていたのだが、今度の方が面白く読めたのも驚き。一度目に読んだ時は展開が気になってストーリーを追うことで精一杯。特に難しいわけではなく、むしろ今なら直木賞候補になるような物語性豊かな作品群だ。今回読んだ時は大体筋は覚えていたので、細部の描写や全体の構成、文体の工夫などに目が行く。そっちこそが面白いのである。

 オダサクと言えば『夫婦善哉』、特に特に1955年の豊田四郎監督、森繁久彌淡島千景主演の東宝映画を思い出す人も多いと思う。僕はこの映画が大好きで、たまたま同じ年に林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の『浮雲』とぶつかってベストワンになれなかった(2位)のを残念に思う。『浮雲』を読むときに高峰秀子と森雅之が脳内に浮かんでしまうのと同様に、『夫婦善哉』を読むときも映画の主演二人が目に浮かぶ。その結果、大阪庶民の人情喜劇みたいなちょっと古風な物語を書いた作家というイメージがあった。
(映画『夫婦善哉』)
 ところで20世紀にオダサクを読んだ人は、『続夫婦善哉』を読んでないと思う。映画にも『続夫婦善哉』があるが、これは完全なオリジナル作品で淡路恵子が怪演している。本物の続編が見つかったのは、2007年だという。戦前の有名な出版社、改造社社長山本実彦の資料を収蔵する故郷・薩摩川内市の図書館から見つかった。雑誌『改造』掲載のために書かれて、検閲を恐れて不掲載になったと想定されている。そんなに反軍的なのかというとそんなことはないけれど、「事変」の泥沼化に連れ物資不足が深刻になっていく様がよく描かれている。と同時に舞台が大阪から別府温泉に移ることも驚き。
(織田作之助)
 今まで『夫婦善哉』は大阪庶民を見つめて書いたフィクションだと思い込んでいたが、実は作者周辺にモデルがいたのだと解説にある。一族の没落と復興を強烈に描く『俗臭』、あまりにも独善的な人物を描く『六白金星』などとりわけ強烈な作品は皆モデルがあるらしい。『夫婦善哉』はモデルの人物が実際に別府に移転しているらしく、「別府もの」と呼んでもよい作品群がある。『雪の夜』も惚れた女と別府に逃げるモテない男の話。マジメ人間が何かの拍子に「フーゾク」系にハマってしまうが、女も情にほだされて男に付いていくという話が複数ある。『夫婦善哉』と似てるけど内容的には逆である。

 岩波文庫を読んだら解説を佐藤秀明さんが書いていた。三島由紀夫の研究者として著名だが、調べたら今は近畿大学教授だった。オダサクも研究していたのか。実は大学時代に学科は違うが同じ学年だった。前田愛先生の授業に出たりしていたから、記憶にあるのである。解説ではその前田先生の『幻景の明治』に始まり、中沢新一やエドワード・サイードに触れながら「大阪」という町のトポロジーに迫っていく。これが読みごたえがあって、オダサクが少し判った気がした。『夫婦善哉』も複数の語りが内在していて、「甲斐性なしの男に惚れた芸者が尽くす」というような「人情モノ」では済まない構造を持っている。

 オダサクを本格的に論じるほど読んでないが、同じ頃に活躍してともに「無頼派」「新戯作派」と呼ばれた太宰治坂口安吾ほど読まれているだろうか。少なくとも東京では『人間失格』や『堕落論』のような「文学青年に限らず若いうちに読むべき作品」に『夫婦善哉』は入ってないだろう。大昔の風俗小説、映画化の原作程度のイメージじゃないか。しかし、オダサクほど「庶民」の内実を事細かく描いた作家も珍しい。「知識人」の自我をめぐるゴタゴタなんかほぼ出て来ない。林芙美子の放浪よりさらに追いつめられた放浪であり、戦時下民衆の実像が記録されている。東京にもこういう作家が欲しかった。
(夫婦善哉)(自由軒のカレー)
 ところで「夫婦善哉」というのは、大阪の法善寺横丁にある実在の甘味処である。昔大阪に行ったとき夫婦で寄ろうと思ったが、満員で入れずレトルトを買ってきた。作品に出て来る「自由軒」の卵をのせたカレーも有名。こっちも満員だった。20年ぐらい前でそうだから、今ではもっと入りにくいだろうと思う。作品中には大阪の庶民の食べ物がいっぱい出て来て、上流の『細雪』と違って出て来る店も大分違う。そこも面白いところだ。
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DIC川村記念美術館、休館前にコレクション展を見る

2024年09月09日 22時12分17秒 | アート
 千葉県佐倉市にある「DIC川村記念美術館」が2025年1月をもって休館するという。そのニュースは関東圏では報道されたので知ってる人もいるだろう。この美術館は1990年に開館していて、以前千葉方面に旅行したときに寄ったことがある。月曜じゃないから開いてると思って調べずに行ったら、たまたま展示替え休館中で見られなかった。

 DICと言われても急には判らないが、前の社名は「大日本インキ化学工業」で印刷用インキなどを手掛ける世界的な化学会社である。美術館は創業者川村喜十郎はじめ三代の社長が収集した絵画・彫刻コレクションを展示している。自社の研究所の隣にあるが、駅から遠く路線バスもない。美術館は赤字続きで、投資ファンドなどから圧力もあったらしい。
 (入口近くの彫刻)(庭の様子) 
 今回は車で行ったが、道に案内はなくてカーナビなしで行くのは大変だろう。送迎バスはかなり出ているので、それを利用する方が良いかもしれない。まだまだ暑くて周囲を散歩する気にならなかったが、大規模な庭園の中にある。レストランもあって、そこだけ利用することも可能。駐車場前にチケット販売所があり、そこからしばらく行くと北海道の牧場にあるサイロみたいな特徴的な建物が見えてくる。設計した海老原一郎憲政記念館を設計した人だという。
  
 コレクションは欧米の近現代美術史を順番に見て行く感じで、モネ睡蓮」、ルノワール水浴する女」からピカソエルンストシャガールフジタなどと続くが、代表作とは言えない既視感のある絵が多いかな。と思ったら別室にレンブラントがあった。「広つば帽を被った男」という絵である。レンブラントはフェルメールほど現存作品が少ないわけじゃないだろうが、調べてみると日本ではここにしかないらしい。展覧会で見たことはあるが、国内の美術館に収まっているとは知らなかった。これがやはり一番の見どころかと思う。皆じっくり眺めている。
(レンブラント「広つば帽を被った男」)
 そこから移っていくと現代アートが多くなる。特にアメリカの現代美術がコレクションの目玉らしいが、一見して何だか判らない作品が並んでいる。マーク・ロスコ(1903~1970)作品をズラリと並べた部屋が圧巻。まあ名前も知らないのだが。帝政ロシア支配下のラトビアのユダヤ人として生まれ、1910年にアメリカに移住した画家である。主にニューヨークで活動し、「シーグラム壁画」で知られる。これはシーグラム・ビルディングのレストランから壁画を依頼された約40枚の連作(シーグラム壁画)である。結局納入されずに終わり、没後に3つの美術館に収蔵された。ロンドン、ワシントンDCと並び、川村記念美術館がその一つである。
(ロスコ・ルーム)
 また2024年5月に亡くなった現代アメリカを代表する抽象画家、フランク・ステラもたくさん展示されている。ステラ作品の収蔵先として世界的に知られているという。様々な色彩が複雑に構成された作品ばかりで、これは80年代以後の作風だという。それ以前はミニマリストとして知られていたらしい。なかなか見ていてキレイで面白い。まあよく理解出来ないんだけど。
(ステラの作品)
 日本の作品はないのかと思うと、Wikipediaによるとかつては日本の近世絵画も多く持っていたが、収蔵方針の変更で手放したという。「重要文化財の長谷川等伯筆『烏鷺図』は実業家の前澤友作に譲渡した」と出ていた。そんなことがあったのか。今後全部売られてしまうということはないと思うが、東京への縮小移転はあり得るだろう。今回は暑すぎて園内散歩が出来なかったが、非常に大きな庭園も素晴らしい。JR佐倉駅、京成線京成佐倉駅から無料送迎バス。紅葉の時期にまた訪れてみたいと思った。佐倉には佐倉城址公園があり、日本100名城に選定されている。そこに国立歴史民俗博物館もある。ちょっと城址公園に寄ったのだが、佐倉市の南北で案外遠いので行きにくかった。
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田中美津、竹本信弘、荒井献、伊藤隆他ー2024年8月の訃報③

2024年09月08日 21時32分23秒 | 追悼
 1970年代前半の「ウーマンリブ」運動の中心だった女性運動家、鍼灸師の田中美津が7日死去、81歳。60年代末にベトナム反戦運動に関わるようになり、本郷三丁目の自宅が東大闘争活動家のアジト化した。活動家の男性を見て失望し、「女性解放」という問題意識を持ち、1970年8月、「女性解放連絡会準備会」を結成。10月21日の国際反戦デーで女性だけのデモを行い、「便所からの解放」というビラを配った。同年「ぐるーぷ闘うおんな」を結成。これらの活動は現代フェミニズム運動の出発点とされる。75年の「国際婦人年メキシコ会議」に出席するためメキシコに赴き、そのまま4年滞在した。帰国後、鍼灸学校に通い、82年から新宿で鍼灸師を続けた。そのことも含めて、同時代の女性の生き方に大きな影響を与えてきた。著書に『いのちの女たちへ』(1972)や『自分で治す冷え性』(1995)など。ドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』(2019)がある(追悼上映あり)。
(田中美津)(昔)
 1970年前後に新左翼の理論家滝田修のペンネームで「過激派の教祖」と呼ばれた竹本信弘が7月14日に死去、84歳。8月に報道された。京都大学で思想史を専攻し、1967年に京大経済学部助手となった。暴力革命論を展開し当時学生たちに影響を与えたと言われる。1971年8月に起こった「朝霞自衛官殺害事件」(「赤衛軍事件」)の首謀者とされ、1972年1月9日に指名手配されたが、竹本は不当な濡れ衣を晴らす義務はないとして、以後「潜行」生活に入った。この事件は川本三郎『マイ・バック・ページ』の事件だが、実行犯Kは「虚言癖」があり供述には問題があると言われていた。
(竹本信弘=滝田修)
 僕が知っているのはその「潜行」報道からで、1974年には潜行しながら本も出し「不在の存在感」があった。後になって土本典昭監督の記録映画『パルチザン前史』を見て、これが滝田修かと感慨があった。10年以上も潜行したが1982年8月8日に逮捕され、裁判では無罪を主張するも1989年に幇助罪で懲役5年の判決が出た。未決勾留の方が長いので直ちに釈放され、同年『滝田修解体』を出版して過去を否定した。調べてみると2018年に『今上天皇の祈りに学ぶ』という本を出していて、この人も結局「転向」したのかと思った。何故出頭して裁判闘争を行わなかったのか、僕は昔から疑問に思っている。
(映画『パルチザン前史』) 
 新約聖書研究の第一人者荒井献(あらい・ささぐ)が16日死去、94歳。原始キリスト教史や新約聖書学が専門で、聖書の歴史的研究を行った。東大名誉教授、学士院会員。イエスの実像を探る研究は多くの人に影響を与え、特に1973年の岩波新書『イエスとその時代』は僕も刺激を受けた。『原始キリスト教とグノーシス主義』(1971)で学士院賞。専門研究は奥深いが、イエスやユダを論じた一般書は現代思想として読まれた。なお、2010年に亡くなった夫人の荒井英子氏は『ハンセン病とキリスト教』(1996)などの著書があり、以前『小島の春』の映画上映と荒井英子さん講演会を企画した思い出がある。
(荒井献)
 歴史学者の伊藤隆が19日死去、91歳。日本近現代政治史専攻、東大名誉教授。保守系論客として知られ、「新しい歴史教科書をつくる会」理事となり、分裂後は「日本教育再生機構」に参加し育鵬社教科書の執筆代表者となった。この人に関しては、2015年に中公新書の書評『伊藤隆「歴史と私」を読む』を書いた。若い頃から立場が違うけど、史料発掘の業績は大きい。その本でもいかに昔の政治家の文書を見つけるかが大変に面白かった。また「オーラル・ヒストリー」の開拓者としての業績もある。70年代には戦前の日本政治史を「ファシズム」ととらえることに疑問を表明し論争となった。その問題については思うところもあるが、ここでは触れないことにする。伊藤史観が定説となったわけではないだろう。
(伊藤隆)
 7月29日に世界第2位の高峰K2(パキスタン、8611m)で山岳カメラマン、クライマーの平出和也(ひらいで・かずや、45歳)と中島健郎(なかじま・けんろう、39歳)が滑落した。この事故に関して、8月22日二人が所属する「石井スポーツ」が「生死を確認できない」ものの、「追悼の意を表する」と死亡と認識する報告を発表した。二人とも「世界最強」と言われるクライマーで、少人数で荷物を軽量化してスピーディーに行動する「アルパインスタイル」で、数々の未踏ルートを登ってきた。「登山界のアカデミー賞」と言われるフランスのピオレドールを平出は日本人最多の3回、中島も2回受賞している。
(左=平出和也、右=中島健郎)
・元プロ野球選手の宅和本司(たくわ・もとじ)が4日死去、89歳。1954年に何回に入団し26勝9敗、防御率1.58、275奪三振で、新人王と投手三冠に輝いた。翌年も24勝11敗で最多勝。その後近鉄を経て61年引退。通算成績は56勝26敗なので、ほぼ最初の2年だけの活躍だった。また元大相撲の小結千代天山が28日死去、48歳。99年に入幕し、連続3場所で三賞を受賞したことで知られる。99年名古屋場所で新小結となるがケガでその後は活躍出来なかった。
・在外被爆者救援に取り組んだ森田隆が12日死去、100歳。広島の被爆者だが、56年ブラジルに移住。日本では原爆手帳が支給されていると知り、84年に「在ブラジル原爆被爆者協会」を設立した。自伝『広島からの最後のメッセージ』(2017)がある。また広島の被爆者で原爆死没者名簿の記帳を約40年間続けた池亀和子が16日死去、82歳。
・沖縄戦研究で知られた元沖縄国際大教授、吉浜忍が23日(訃報発表日)までに死去、74歳。2戦争遺跡の文化財指定に取り組むとともに大学に「沖縄戦」の科目を新設した。2017年に『沖縄の戦争遺跡』を出版した。
・「シャトレーゼ」創設者の斉藤博が10日死去、90歳。1954年に山梨県甲府市で菓子販売業を始め、67年に合併してシャトレーゼとなった。
・前島根県知事での溝口善兵衛が20日死去。財務官時代は「ミスター・ドル」と呼ばれた。07年から3期島根県知事。
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桂米丸、新川和江、田名網敬一、松岡正剛他ー2024年8月の訃報②

2024年09月07日 21時54分46秒 | 追悼
 2024年8月の訃報。日本人は芸能、文学、アート関係などを最初に書き、学者や社会運動、その他の人を2回目に。僕には何と言っても高石ともやさんの訃報に大きな衝撃を受けた。

 落語家で元落語芸術協会会長の4代目桂米丸(かつら・よねまる)が1日に死去、99歳。この年齢には驚くが、引退していたわけではない。2019年9月が最後の高座(新宿末廣亭)で、90歳を過ぎても寄席に出ていた。しかも自作の新作落語で皆を笑わせていたのである。僕は何度も聴いていて元気な人だなと思っていたが、コロナを機に見なくなった。1961年から75年まで続いたテレビ番組「日曜演芸会」で司会をしていたので、多くの人に知られていた。また1976年に芸術協会会長となり、77年の法人化(落語芸術協会)後も99年まで23年間にわたって会長を務めた。1946年に古今亭今輔に入門して1949年に桂米丸を襲名。弟子の桂歌丸が先に亡くなったが、他の弟子に桂米助(ヨネスケ)や桂幸丸桂竹丸桂米福などがいる。新作を作り続けた情熱が凄い。
(桂米丸)
 詩人の新川和江が10日死去、95歳。僕はほとんど読んでなくて、茨城県結城市出身とも知らなかった。疎開してきた西条八十に詩を学んだというから創作歴が長い。1953年に第一詩集『睡り椅子』を発表以来、多数の詩集を刊行し現代詩人賞、歴程賞など多くの受賞歴がある。83年に吉原幸子とともに季刊雑誌「ラ・メール」を創刊して女性詩人を育てた。代表作としては「わたしを束ねないで」が知られている。「わたしを束(たば)ねないで/あらせいとうの花のように/白い葱(ねぎ)のように/束ねないでください わたしは稲穂(いなほ)/秋 大地が胸を焦がす/見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂」(中略)「わたしを名付けないで/娘という名 妻という名/重々しい母という名でしつらえた座に/座りきりにさせないでください わたしは風/りんごの木と/泉のありかを知っている風」と続く。全文はネット上でも読めるが、力強い言葉だ。
(新川和江)
  グラフィックデザイナー、イラストレーター、映像作家の田名網敬一が9日死去。88歳。武蔵野美大在学中の1957年に日宣美で特選。卒業後に広告会社に勤めるが2年で退社に幅広い創作活動を展開した。極彩色のポップなデザインで知られたが、アメリカ大衆文化の影響だけでなく東京大空襲など戦時の記憶が反映していると言われる。僕は70年代に四谷三丁目にあったイメージフォーラムで、映像作品の特集上映を見た記憶がある。ちょうど現在国立新美術館で大回顧展を開催している。
 (田名網敬一)
 著述家、編集者で「編集工学」を提唱した松岡正剛(まつおか・せいごう)が12日死去、80歳。71年に出版社「工作舎」を設立して.雑誌「」を創刊した。そのことは記憶しているが、「遊」は買ったことがない。自分の方向性と少し違っていたのである。2000年からネット上で「千夜千冊」の連載を始め、一日一冊ずつ同じ著者は取り上げずに完走した。しかし、それも読んでなくて、僕は名前を知っていただけで読んだことがない人だった。文化横断的に日本文化を幅広く論じ、多くの人々に影響を与えた。
(松岡正剛)
 ノンフィクション作家の石川好(いしかわ・よしみ)が19日死去、77歳。伊豆大島に生まれ、大島高校卒業後に兄を頼って渡米し農園で働いた。1969年に帰国し慶応大を卒業、再び渡米し庭園業で働いた。1981年帰国後米国体験を基に作家となり、『カリフォルニア・ストーリー』(1983)でデビューした。1988年の『ストロベリー・ロード』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。これはものすごく面白い本で、カリフォルニアのイチゴ農園の体験を描いている。突然現れた大型新人という感じで、その後日米関係に関して多くの言論活動を行った。テレビにもよく出ていて、1995年の参院選に「新党さきがけ」から神奈川選挙区で出馬したこともあった。(3人当選のところ、5位で落選。)その後、あまり名前を聞かなかったが、今回調べると秋田公立美術工芸短期大学学長や酒田市美術館長などを務めていた。そう言えば忘れてたなあと思い出した訃報。
(石川好)
 作家の大崎善生(おおさき・よしお)が3日死去、66歳。日本将棋連盟に勤務し、雑誌「将棋世界」編集長時代に『聖(さとし)の青春』(新潮学芸賞)で作家デビュー。映画化もされた。『将棋の子』で講談社ノンフィクション賞、『パイロットフィッシュ』で吉川英治新人賞を受けた。2001年から作家に専念し短い作家人生の中で多くの作品を残している。
(大崎善生)
・7月13日に児童文学者の矢玉四郎が死去、80歳。「はれときどきぶた」のシリーズで知られた。
・俳優の下村青が15日死去、60歳。劇団四季で『コーラスライン』『キャッツ』『ライオンキング』などに出演した。
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アラン・ドロンとジーナ・ローランズー2024年8月の訃報①

2024年09月06日 22時30分02秒 | 追悼
 2024年8月の訃報特集。8月には重要な訃報が相次いだが、国内のものが多かった。外国人で日本にも知名度が高い人はアラン・ドロンだけだろう。そこで今回は外国の訃報を最初に書き、日本人の訃報は2回に分けて書きたい。フランスの映画俳優アラン・ドロン(Alain Delon, 1935.11.8~2024.8.18)が8月18日に亡くなった。88歳。近年体調不良が伝えられていたので意外感はないが、訃報が大きかったのに驚いた。今でも「二枚目俳優」として知名度が高いのである。(「二枚目」は死語かもしれないが。)
 (アラン・ドロン若い頃)
 両親が離婚したため家庭的に恵まれず、若くして軍隊に入りインドシナ戦争に従軍した。休戦協定でフランスへ帰り、カンヌ映画祭でスカウトされた。美男子ぶりに自信を持って、カンヌを訪れたのである。そして「世紀の美男子」として世界で人気を得た。日本では1960年公開の『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督)で人気がブレイクし、今も代表作と呼ばれる。パトリシア・ハイスミスの原作にある毒や暗さを表現できる俳優だった。しかし、生い立ちも影響したかもしれない「影」が最後まで付きまとった。むしろ初期の代表作はヴィスコンティに愛された『若者のすべて』や『山猫』じゃないだろうか。さすがに巨匠の傑作である。
(『山猫』)
 人気的にも作品的にもピークは60年代後半から70年代前半だろう。数多くの映画に出ているが、ほとんどが犯罪者役。それは日本の高倉健などとも共通する。『冒険者たち』(ロベール・アンリコ監督)のようにロマンティックな映画もあるが、一番ハマっているのはジャン=ピエール・メルヴィル監督作品だと思う。刑事役の『リスボン特急』もあるが、『サムライ』『仁義』では孤独な犯罪者を見事に演じている。「サムライ」は原題通りで、「一匹狼の殺し屋」をやっている。もともと侍の原義はボディガードだが、いつのまにか外国では一匹狼的なイメージになったわけである。
(『サムライ』)
 アラン・ドロンは最初アメリカ映画にスカウトされた。まずフランス映画界で成功したが、ハリウッド進出を考えていた。60年代半ばにはハリウッドに移住しアメリカ映画に出ていた。また仏伊合作『さらば友よ』(チャールズ・ブロンソンと共演)、『ボルサリーノ』(ジャン=ポール・ベルモンドと共演)などがヒットした。そしてアメリカの西部劇『レッド・サン』でチャールズ・ブロンソン、三船敏郎を共演した。しかし米映画では余り成功せず、その後はフランスを中心に中級娯楽作が多くなった。1985年に『真夜中のミラージュ』でセザール賞男優賞を受けたが、どんな映画か覚えていない。作品的には初期以外は恵まれなかった。
(『レッド・サン』)
 私生活では僕の知った頃(70年代初期)には女優のミレーユ・ダルクと「同棲」していて、その前に女優ナタリー・ドロンと結婚していたが、さらにその前には女優ロミー・シュナイダーと婚約していた。これらの情報は日本の映画雑誌にも細かく紹介されていた。日本でも非常に人気があったが、殺人事件への関与疑惑などスキャンダルも絶えなかった。そのような点も含めて「暗い魅力」があったと言うべきか。1975年の『アラン・ドロンのゾロ』という映画があったが、とても楽しい映画で、こういう映画こそ本領発揮というべきだろう。テレビでは野沢那智が吹き替えをやっていたのも思い出。

 アメリカの女優ジーナ・ローランズ(Gena Rowlands)が8月14日に死去、94歳。アメリカ映画はカリフォルニア州のロサンゼルス郊外ハリウッドが中心となってきたが、それ以外でも映画は作られてきた。その代表が「ニューヨーク派」で、インディペンデンスで作家性の強い映画が作られてきた。1959年に『アメリカの影』を作ったジョン・カサヴェテスが代表。そのジョンと演劇学校時代に知り合い、1954年に結婚したのがジーナ・ローランズだった。二人の間に生まれたニック・カサヴェテスゾエ・カサヴェテスは映画監督になり、ニックの監督した『きみに読む物語』にはジーナ・ローランズも出演した。
(ジーナ・ローランズ)(ジョン・カサヴェテスと)
 テレビにもよく出ていたらしいが、代表作は夫であるジョン・カサヴェテス作品になる。特に『こわれゆく女』(1974)は情緒不安定な妻役でアカデミー賞主演女優賞ノミネート。さらに『オープニング・ナイト』(1877、ベルリン映画祭女優賞)、『グロリア』(1980、アカデミー賞主演女優賞ノミネート)、『ラヴ・ストリームズ』(1984)などで強烈な女性像を演じ続けた。アカデミー賞はどうしても大会社中心になるが、ジョン・カサヴェテス作品でノミネートされたのはそれほど無視できない迫力だったのである。日本でも80年代以後「ミニ・シアター」ブームで公開され、最近も上映されている。
(『グロリア』)
 その中で『グロリア』はジョン・カサヴェテスとしてもジーナ・ローランズとしても異色の作品。ギャングの殺人を目撃したことから追われている少年をたまたま匿って逃げることになる女性をものすごい迫力で描いている。この種の物語の原型となった。知名度はアラン・ドロンに及ばないだろうが、忘れがたい女優である。
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どう見る?立憲民主党代表選、「野党を育てなかった有権者」の12年

2024年09月05日 21時43分41秒 | 政治
 自民党総裁選と同時期に立憲民主党の代表選が行われる。9月7日告示、23日投開票なので、いずれも自民党に数日先んじている。しかし、報道は自民党総裁選に集中し、立憲民主党代表選は埋没しているという声が絶えない。しかし、自民党の次期総裁は「次期首相」なのに対し、立憲民主党次期代表は「次の次の首相になるかもしれない(可能性が存在する)」という存在に過ぎない。マスコミだけでなく、人々の注目が自民党に集中するのもやむを得ないではないか。

 代表選に関しては、枝野幸男前代表が出馬を表明し、続いて野田佳彦元首相も出馬を表明した。泉健太現代表も続投を目指しているというが、なかなか推薦人20人が集まらない状態と報道されている。他には当選1回の女性議員吉田晴美氏も出馬の意向を表明しており、江田憲司馬淵澄夫氏を推す声もあるが馬淵氏は撤退。西村智奈美代表代行は不出馬を表明した。立憲民主党代表選に出馬するには、国会議員の推薦人20人を集める必要があるが、このハードルは自民党以上に高い。何しろ所属議員が衆参合わせて136人しかいないのに、自民党総裁選と同じ条件なのである。
(出馬を表明する枝野前代表)
 その条件を変えるべきだという声が高いが、まあそれは今後党内で議論すれば良いだろう。今回に関しては、いくら何でも枝野、野田2氏だけでは自民党に比べて見映えしないので、何とか4人ぐらいにはなるのではないか。推薦人確保も危うい泉現代表の再選は厳しいだろうし、一期生の吉田氏は出馬できても当選ラインには遠いだろう。ということで、結局は二人。保守系がまとまりそうな野田氏が優勢枝野氏が対抗という情勢と思われる。小沢一郎氏が野田氏を推すという話で、じゃあ2012年の分裂は何だったのかと思うが、自民党に対抗する以上「政権交代のためなら何でもアリ」かもしれない。

 野田元首相は「昔の名前で出ていますではいけない」と言っていたのに自ら出馬するのは何故だろうか。(この表現に対して、新聞が「1975年の小林旭さんのヒット曲に例えて」と書いてたのをみて、説明がいるのかと感慨があった。)これは自民党で小泉進次郎氏が出馬するのに連動した動きだと思われる。立憲民主党の若手議員はもちろん誰も閣僚経験などないし、党役員さえやっていない。だから「知名度」と「経験」では誰も小泉進次郎首相に対抗出来ない。「」「」の小泉首相には、「老巧」「重厚」イメージの方が有効なのではないかと党内で思われているのだろう。
(出馬を表明する野田佳彦氏)
 ちょっと立憲民主党の立党経緯を振り返ってみたい。2017年総選挙を前に、当時の民進党前原誠司代表が小池百合子都知事らが結党した「希望の党」と合流を決めた。しかし、小池氏は民主党時代の閣僚経験者などを公認せず「排除」した。その時「排除」された人々によって作られたのが立憲民主党である。結党当初の代表を務めて当選したのが枝野幸男氏、無所属で当選したのが野田佳彦氏、希望の党で当選したのが泉健太氏である。その後、無所属を含めて合流の機運が高まったが、合流しなかった人たちが国民民主党に集まり、それ以外で今の立憲民主党に結集した。

 そういう成り立ちだから、内部的にはいくつかの潮流が存在する。代表、幹事長、国対委員長などの要職は民主党政権時代に閣僚経験がある人が就くことが多く、顔ぶれに既視感が強いと批判され続けている。ただ、この問題で立憲民主党を非難出来るとは僕には思えない。2009年の政権交代選挙では、当時の民主党は全国300小選挙区のうち、221で勝利した。(他にも連立を組む社民党が3、国民新党が3、新党日本が1と、新与党で228議席を獲得した。)

 一方、自民党で小選挙区を勝ち抜いたのは、わずか64人に過ぎなかった。それでも西日本では強さを発揮し、安倍晋三、麻生太郎、岸田文雄、石破茂、二階俊博、加藤勝信氏など政権復帰後に要職を務めた人がいる。また神奈川県では全18小選挙区中、自民党はわずか3人しか勝てなかったが、それは菅義偉、河野太郎、小泉進次郎氏だった。つまり、2009年の民主党旋風の中でも勝ち抜いた議員が2012年の政権復帰後の自民党を支えたわけである。

 ところが2012年の総選挙では、民主党が獲得した小選挙区はわずか27議席に激減した。民主党から分裂した日本未来の党(小沢一郎系)が2議席、国民新党1,政権を離脱した社民党1である。それに対し、自民党は小選挙区で237議席も当選したのである。その中には後に「魔の○回生」と呼ばれて任期途中で辞任、さらには逮捕・起訴されたような新人議員が何人もいる。そして民主党で当選したわずか27人の中には、長島昭久細野豪志松本剛明(現総務相)、山口壯氏など今は自民党に所属している人もいる。また玉木雄一郎前原誠司古川元久氏など立憲民主党に合流しなかった人もいる。

 だから2012年に民主党で小選挙区を勝ち抜いた、枝野幸男岡田克也安住敦長妻昭馬淵澄夫氏などがその後の党運営でいつも何らかの役割を担わざるを得なかった。(野田佳彦元首相はその後はしばらく表に出なかったが。)そして、2009年に初当選した多くの若手、女性議員はほとんど2012年に落選し、その後の2014年にも戻って来れなかった人が多い。その結果、生活のために政界を引退せざるを得なかった人が多いだろう。中には当選を続けていれば、今頃はリーダーに相応しい人も出ていたかもしれない。しかし、野党議員を落選させ続けたのは有権者の判断だった。その結果、立憲民主党には「ベテラン」がいて、「若手」もかなり多いが、「中堅」が少ない。(前回衆院選当時、当選7回以上=28人、当選6~4回=22人、当選3~1回=46人。)
(出馬を模索する吉田晴美氏)
 野党第一党のそういう構造を作ったのは有権者の審判だったので、今さら批判してもむなしい。若手議員はかなりいるので、今後は変わっていく可能性があるが、人がいない以上しばらく「ベテラン優位」が避けられない。有権者の側は自分たちの判断が自民党のスキャンダル議員を選び続けてきたことを自覚する必要がある。そのことを前提にして、10月にもあり得る解散・総選挙に臨む以外にないのである。だが…、それにしても「野田佳彦首相の復活」というストーリーに我々は「萌える」ことが可能だろうか。小泉進次郎政権=菅義偉前首相の復活よりはマシと思うしかないのだろうか。政策面は今回は細かく書かないけれど、「保守」に寄ることで「安心」する人もいるんだろうが、何も変わらないなら政権交代の意味もない。
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映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』、F・ワイズマン94歳の傑作

2024年09月04日 21時47分55秒 |  〃  (新作外国映画)
 アメリカのドキュメンタリー映画監督フレデリック・ワイズマンは何と94歳である。ワイズマンの映画はとにかく長いので、2022年に『ボストン市庁舎』を見たのが最初だったが、それから2年。今度はフランスへ行って有名なレストラン「トロワグロ」のすべてに密着する映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』を作った。それがまた240分もあるのだが、真ん中に休憩があるので『オッペンハイマー』や『キラーズ・オブ・フラワームーン』なんかよりは楽。それに劇映画でもないのに、なぜか見入ってしまって時間を忘れるような傑作だった。時間を恐れず機会があれば見るべきだが、ちょっと満腹し過ぎるかもしれない。

 「トロワグロ」は「親子三代55年間ミシュランの三つ星を持ちつづけ」ているフランス最高のレストランだとチラシに出ている。日本との関係も深く、新宿に系列店がある。映画内でも日本への言及が多く、それも興味深い。フレデリック・ワイズマンの映画は、幾つものカットを細かく積み重ねるスタイルで、「ノーナレ」で進行するのが特徴。だから当初はよく判らないことが多い。この映画でも最初に地図ぐらい出して欲しかった気もする。後で調べたら、フランス中部ロアンヌ(リヨンから電車で1時間)の近くにある。元は街中にあったが、2017年に郊外のウーシュという村に移転して話題となったという。
(フレデリック・ワイズマン)
 そこは田園地帯にあって、近くに農園や牧場もある。究極の「地産地消」をめざし、環境上の配慮もあっての移転らしい。もっともあまりにも美しい風景を見て、オーナーシェフ3代目のミッシェルが古民家を買いたくなったのである。2012年に権利を獲得し、5年間整備して宿泊施設もあるレストランにした。長男が店を手伝い、次男は30分ほど離れた場所にあるもう一つの店のシェフ、娘が宿泊部門の予約や事務の責任者といううらやましいような家族経営である。映画では冒頭から料理の材料やソーズについてミッシェルが確認している。その微妙なさじ加減の味覚には驚くばかり。
(厨房のようす)
 映画は厨房の調理の様子を細かく見ていく。恐らくこのレストランで働く人も、映画を見て初めて知ったことが多いと思う。「町中華」じゃないので、一人で全部は担当しない。肉、魚、ソース、スイーツなどいくつかの専門があるようで、皆自分の仕事で手一杯。それからフロア部門に映像が移る。このレストランではフロアスタッフの持つ意味が非常に大きい。料理の説明だけでなく、常連の好み、ワイン選び、世界中から来る客との会話、アレルギーの確認などやることがたくさん。コースだけでなくアラカルトもあるので、客席ごとに出す料理が細かく違っていく。それを見事にさばいて行くスタッフいてこそのトロワグロである。
(田園風景を望める店内)
 中継を挟んで、チーズ工房やブドウ畑など関連施設も紹介する。ここも非常に興味深い。日本関連では冒頭からソースの材料に「醤油」が使われ、もう定番調味料になってる感じ。さらに「活け締め」(イケジメ)は日本語のまま使われ、「ジャポネのハーブ」紫蘇も使われる。ミッシェルは若い頃に日本料理に触れて大きな影響を受けた。白くて丸いスイーツの命名に困っていたら、日本人客が真珠のネックレスをしていたのを見て「ミキモト」と名付けたとか。このように日本の影響も大きいのだが、やはり基本は肉食で塩やバターが多く使われている感じがした。塩分や脂肪分の含有量を教えて欲しいという気もしてきた。
(チーズ工房)
 飽きない映像が続くが、次第に映画内の料理には飽きてくるかも。やはりベースがフランス料理なので、逆に宿坊に泊まって精進料理を食べたくなってくる。グルメの劇映画はかなり多く、最近ではフランスの『ポトフ 美食家と料理人』が面白かった。劇映画だと登場人物のドラマが並行して描かれる。しかし、この映画は料理関連のみで、あるレストランのすべてに迫るという目的で作られている。それにしても90過ぎて異国で大長編を作るフレデリック・ワイズマンには驚くしかない。(まあフランスは『パリ・オペラ座のすべて』『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』など今までも縁があった国だが。)
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映画『ソウルの春』、迫力のポリティカル・アクション

2024年09月02日 21時42分17秒 |  〃  (新作外国映画)
 2023年の韓国映画で最高の動員となった『ソウルの春』が公開されている。これは1979年のパク・チョンヒ(朴正熙)大統領暗殺後の軍内部の暗闘を描いたポリティカル・アクションの傑作だ。1979年12月12日にチョン・ドゥファン(全斗煥)国軍保安司令官が上司の鄭昇和(チョン・スンファ)戒厳司令官(陸軍参謀総長)を逮捕して軍の実権を掌握した。(粛軍クーデター)。僕は隣国の情勢を固唾をのんで見守っていたのを記憶している。その事態をほぼ史実に近く映画化したのが『ソウルの春』である。朴大統領暗殺後の「民主化運動」が「ソウルの春」と呼ばれたので、この題名はちょっとミスリードかもしれない。

 チラシを見れば、二人の男の向かい合う顔写真になっている。左側がチョン・ドゥグァンで、名前を変えてあるがもちろん全斗煥(チョン・ドゥファン)。演じているファン・ジョンミンはカツラを被って顔つきを似せている。ほぼそっくりのイメージで、軍内の秘密結社「ハナ会」を牛耳る迫力は凄まじい。ナンバー2ノ・テゴン第9歩兵師団長(パク・ヘジュン)は、盧泰愚(ノ・テウ)である。この二人は韓国なら若い人でも顔が思い浮かぶだろう。映画でもソックリな感じでやってる。反乱グループを率いるリーダーシップは完全に「チョン・ドゥグァン」の圧勝である。
(映画のチョン・ドゥグァン)(実際の全斗煥、盧泰愚)
 映画を見ると全斗煥一派の勝利は薄氷を渡るようなものだった。国防長官はアメリカ大使館に逃れるし、チョン・ドゥグァンが大統領に戒厳司令官の逮捕の許可を求めに行くと、チェ・ハンギュ大統領(1979年12月8日に代行から昇格していた崔圭夏=チェ・ギュハ)は抵抗する。その間にイ・テシン首都警備司令官チョン・ウソン)が徹底的に立ちふさがる。陸軍士官学校出身じゃなかったイ・テシンは軍内主流ではなく、その無欲ぶりを買われて首都警備司令官に抜てきされた。そしてチョン・ドゥグァンは法を無視した独裁志向であり、首都を守るのは自分の役目だとクーデター阻止に全力を尽くす。
(映画のイ・テシン)
 僕はこういう人がいたことは知らなかったので、モデルの人物が判らなかった。家で調べると、張泰玩(チャン・テワン、1931~2010)という人で、Wikipediaによれば事件後に予備役編入、2年間の自宅軟禁になったという。民主化以後は2000年から4年間金大中政権与党に入党して国会議員を務めたと出ている。クーデター派は追いつめられると休戦ライン近くを守る第二空挺師団を呼び寄せるが、イ・テシンは橋を封鎖してソウルに入れないようにする。両者策謀をめぐらすが、保安司令部は各所の電話を盗聴できる権限を持っていて、情報が筒抜けだった。結局ハナ会一派は軍内各所ににいて防げなかったのである。
(イ・テシンのモデル張泰玩)
 基本的に史実に基づいているので、映画内の結末は決まっている。その後キム・ヨンサム(金泳三)政権下に「歴史の清算」が進み、このクーデターも裁かれた。全斗煥も盧泰愚も反乱罪で有罪となったので、今ではこの題材を映画化しても何の危険性もない。それにしても、クーデターの細かな動きを再現して、リアルな政治映画として完成度が高いのは見事。もちろんエンタメ映画の限界もあり、「男たちの対決」という構図で両雄のし烈なアクションになっている。中国でも「天安門事件」や「林彪事件」などを正面から描くし政治映画が作られる日が来て欲しいものだ。『アシュラ』などのキム・ソンス監督。
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『すべての罪は血を流す』ーS・A・コスビーの犯罪小説②

2024年09月01日 20時25分08秒 | 〃 (ミステリー)
 アメリカミステリー界の新星、S・A・コスビーの『黒き荒野の果て』『頬に哀しみを刻め』が面白かったので、続いて今年出た『すべての罪は血を流す』(All the Sinners Bleed、2023)を読むことにした。文庫で500頁、税込で1450円という大長編だが、一気読み確実。久しぶりに時間を忘れてラストまで読みふけってしまった。これこそミステリーの醍醐味。

 今度の小説は今までと大きく違う設定になっている。今までは「犯罪」をアウトローの目から描いていたが、今回は保安官が主人公の「警察小説」なのである。舞台はもちろん大西洋に面したヴァージニア州で、チャロン郡(架空)初の黒人保安官タイタス・クラウンが主人公である。タイタスは元FBI捜査官だったが、父の病気などもあり故郷に戻った。捨てたはずの故郷の人々に請われて立候補して、図らずも保安官に当選したのが1年前。当選を快く思わぬ人もいたが、何とか地域の平和を守ってきた。

 小さな地域だから、面倒を起こす面々も大体知り合いの範囲のことが多い。今も南部国旗を掲げる人々も多いが、対抗する黒人教会もある。FBIを辞めるときに恋人とも別れ、今はチャロン郡で知り合った新しい恋人もいる。母を若くして亡くし、弟はほとんど家に帰らないので今は父と二人暮らし。というようなタイタスの私生活も細かく描写される。母との死別が人生を苦しめ、FBIを辞めたきっかけも複雑なものがあった。そのため彼は信仰を持つことが出来ず、教会には懐疑心を持っている。
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 ほとんど殺人事件など起こらない地域で、ある日大事件が起きた。それは彼も卒業した高校での銃撃事件だ。知らせを聞いたタイタスらが駆けつけると友人の息子ラトレル・マクドナルドが銃を手にして階段を下りてきた。タイタスも教わった地理教師の名を挙げて「スピアマン先生の携帯電話の画像を見ろ」と言い放って銃を手に近づいて来たので、部下がラトレルに発砲して射殺した。捜索した結果、校内でスピアマン先生の死体が見つかったが、他の犠牲者はいなかった。町ではスピアマン先生追悼の動きも出るが、一方では警察が黒人のラトレルを殺したことへの抗議も寄せられる。

 そんな中でスピアマンの携帯電話が何とか見られるようになったのだが…、そこには驚くべき恐怖の映像が残されていた。スピアマンには裏の顔があり、黒人少年多数を監禁して殺害する様子が残されていたのである。そしてラトレルもその協力者だった。さらにスピアマンでもラトレルでもない、マスクを被った第三の男が映っていて、その男こそが真の主犯と思われたのである。タイタスはプロファイリングの知識を駆使して7人の遺体を見つけ出し、町は大騒ぎとなった。噂が広まり、町が二分される中、タイタスは第三の男を見つけ出せるのか。まあそういう小説なんだけど、非常に出来が良いと思う。

 警察捜査小説としても、シリアルキラー(連続殺人犯)の犯罪小説としても読み応えがある。しかし、一番興味深いのは大西洋に面した漁業の町チャロン郡の社会描写だ。人種によって分断された教会の影響力が大きく、麻薬なども存在するが基本的には安定して保守的な町。人々はまさかここで黒人保安官が当選する日が来るとは思っていなかった。しかし、保安官は人種によってルールを変えることが出来ない。白人至上主義団体が許可を得たデモを行うのを止めることは出来ず、そこに黒人団体が対抗デモを仕掛けると衝突を止めるために両者の間に入る。

 作者は悪人を描く方が書きやすいと言っている。悪の側はルールを守らなくて良いが、善の側はルールに縛られているからだ。なるほどと思わせるのは、ルールに縛られるタイタス・クラウン保安官の存在感が凄い迫力。犯罪内容からも、人種対立が大きな意味を持っている点からも、この小説は映像化が難しいと思う。しかし、読む人は頭の中にくっきりと映像が浮かび上がる傑作長編だ。
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