尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『憐れみの3章』、ヨルゴス・ランティモス監督の奇怪な傑作

2024年09月30日 22時12分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 『哀れなるものたち』で見る者の度肝を抜いたヨルゴス・ランティモス監督の新作、『憐れみの3章』(Kinds of Kindness)が早くも公開された。題名通り中編映画が3つ合わさったオムニバス映画で、一編はそんなに長く感じないが合計すると165分もある。内容もこの監督らしい奇怪という他ない作品で、こういうのはすぐに上映が少なくなると思ったので、早速見て来た。

 この映画は間違いなく傑作で、見ていて非常に面白い。だけど、前作、あるいはその前の『女王陛下のお気に入り』などと同様に、嫌いな人も多いと思う。初めから終わりまで不穏なムードに包まれ、意味もよく理解できない設定で物語が延々と続く。3編すべて見る者を不愉快にする映画で、映画を見てスカッとしたい、感動を貰いたいなんて思う人は見てはならない。映像も演技も素晴らしいと思うが、この設定に入り込めない人がいても不思議ではない。説明抜きで映画が進むから、訳がわからない迷路の中で迷いつつ見る方が面白い。だからここで詳しく書いてしまうのは避けたいと思う。
(第1話)
 各章は「R.M.F.」という名が付いている。R.M.F. の死R.M.F. は飛ぶR.M.F. サンドイッチを食べるの3編だが、この意味も後で考えてそういうことかと思うけど、まあバカにしたような付け方である。そして、3編それぞれ同じ俳優が違う人物を演じている。最近3作連続で主演し、『哀れなるものたち』でアカデミー賞主演女優賞を獲得したエマ・ストーン、前作でも重要な役をやっていたウィレム・デフォー、そして今作でカンヌ映画祭男優賞を獲得したジェシー・プレモンスが全作で重要な役をやっている。
(ジェシー・プレモンス)
 ジェシー・プレモンスって誰だっけ。最初はマット・デイモンかなと思うが、プレモンスは映画『すべての美しい馬』でマットの少年時代をやってたぐらいで、そっくりさんで有名らしい。3編すべてで「支配された男」を演じていて、見ていて恐ろしくなる。エマ・ストーンの存在感が一見大きいのだが(特に2作目、3作目)、振り回される感じのジェシー・プレモンスの受けも凄い。さらに助演陣も共通で、マーガレット・クアリーホン・チャウジョー・アルウィンママドゥ・アティエなど、名前も知らないけど同じ顔の人が出てるなという感じで全部出てくる。つまり同じ俳優を使って、3つの中編映画を作ったわけである。
(エマ・ストーン)
 『哀れなるものたち』はいかにも変な設定だが、これには原作があった。『女王陛下のお気に入り』も一応英国王室史の史実をもとにしている。それに比べて、この映画はオリジナル脚本でヨルゴス・ランティモスエフティミス・フィリップが共同で手掛けている。このコンビは『ロブスター』『聖なる鹿殺し』などを書いていて、あの変テコな発想が再び甦ったのである。人間の中の善き面は出て来ないで、奇怪な思考に囚われる恐ろしさばかりが強調される。こんな映画があっても良いのか。もちろん良いのである。たまには見た方が良い。
(第3話。エマ・ストーンとジョー・アルウィン)
 3つの中編映画が集まったオムニバス映画は、エドガー・アラン・ポー原作をもとにした『世にも怪奇な物語』(ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ)など多数ある。しかし、同じ監督が3つ作ってまとめるというのは珍しい。最近では濱口竜介監督『偶然と想像』が思い出される。もしかして、この映画がヒントになったのかもしれない。またジム・ジャームッシュ監督『コーヒー&シガレッツ』もあるが、これは11もの小片映画の集まりだった。アルゼンチンの『人生スイッチ』もあったから、最近ちょっと一人監督のオムニバスが流行っているのかもしれない。昔の映画では今井正監督が樋口一葉原作3作を映画化した『にごりえ』(『東京物語』『雨月物語』を越えて1953年ベストワンになった)もあった。
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「三つの捏造」の意味するものー「袴田事件」再審無罪判決②

2024年09月29日 22時29分02秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「袴田事件」に関しては、8月に文春新書から青柳雄介著『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』が出た。昔出た本はあるが、近年は再審請求の真っ最中だったこともあり、「5点の衣類捏造説」後の情報を盛り込んだ一般向け書籍が見当たらなかった。(専門的な本やパンフレット類、ドキュメンタリー映画などはある。)袴田巌さんに密着しながら、事件内容を簡潔に紹介した本として貴重な本だと思う。また市民集会で聞いた小川弁護団事務局長の報告と合わせて事件の構造を見てみたい。

 最初に袴田巌さんのボクサー時代のことを書いておく。昔はよく「無実のプロボクサー」と呼ばれ、アメリカで映画にもなった元ウェルター級チャンピオン、ルービン・ハリケーン・カーター(1937~2014)と比べられた。彼は1966年に殺人罪で逮捕され終身刑を宣告されたが、無実の証拠が見つかり1988年に釈放された。この事件はデンゼル・ワシントン主演、ノーマン・ジェイソン監督で映画『ザ・ハリケーン』となった。またボブ・ディランの歌にもなっている。1993年には世界ボクシング評議会(WBC)から、世界ミドル級名誉チャンピオンの称号とベルトを授与された。
(ボクサー時代)
 袴田さんも2014年に釈放された後、世界ボクシング評議会(WBC)認定の名誉チャンピオンの称号を受けた。世界でただ二人である。袴田さんは中学卒業後にボクシングを始め、国体で活躍した。1959年に上京してプロボクサーとなり、最高位は全日本フェザー級6位だった。さて先の新書で初めて知ったが、当時寺山修司がボクサー袴田に注目し、「渋いファイトをする」と書いていた。しかし、「今なお日本最多記録である年間十九試合」に出場し、体を壊して1961年に引退したのである。同時期に東京拘置所にいた石川一雄さんは、運動時にシャドーボクシングをしていたと記憶を語っていた。

 さて今回の無罪判決は、「三つの捏造」を指摘した。「自白」「衣類」「共布」である。このことは大きな驚きと衝撃をもって受けとめられた。何故なら弁護団も「5点の衣類」捏造は主張したが、「自白の捏造」などは(言葉としては)主張していなかったからである。そもそも今回検察側は「自白調書」「5点の衣類」がなくても、有罪は立証出来るという理解不能な方針で死刑を求刑した。多くの冤罪事件は検察側提出の「自白」が「新鑑定」によって揺らぐという成り行きで、再審無罪となることが多かった。しかし、今回は検察側は「自白調書」を証拠請求しなかったのである。

 再審では弁護側から「自白調書」が無罪の証拠として提出されたのである。どうして検察が提出できなかったかと言えば、今までないとされてきた「録音テープ」が証拠開示された結果、警察の取り調べに拷問、強要、偽証があったことが明らかになったからである。さらに今まで思われていた以上に、長時間の取り調べがあったらしいこと、自白調書の日付などにも食い違いがあることも判ってきた。それらを総合して、裁判所は「自白は捏造」と判断したのである。

 「自白の捏造」とは、検察も「証拠価値のない自白」だったと知っていたと判断したのである。検察側は「5点の衣類」を捏造する動機がない、何故なら「犯行時の着衣はパジャマ」という「自白」をもとに起訴していたからと反論した。検察が自白を揺るがす「証拠捏造」を自らするはずがないというわけである。しかし、当時公判では「パジャマの血痕は少なすぎる」という疑問が出されていた。つまり「物証」がなくなる危機にあった。1966年11月15日の初公判で無罪を強く主張、67年8月31日に味噌タンクから「5点の衣類」発見、68年5月に求刑、最終弁論という日程を見ると、検察側も衣類を長く味噌に漬けておく時間がなかった。
(5点の衣類)
 一審途中で出現した「5点の衣類」は、「共布」(ともぎれ)が袴田母宅で押収されたことによって、様々な疑問が出されつつも「有罪」の最大根拠となってきた。「赤みが残っているのは不自然」という論点は再審開始の重大ポイントになった。しかし、「血を味噌に漬けるとどうなるか」を研究している学者なんかいなかった。最初は支援者の一市民が実験したのである。そこら辺の科学論争はここでは触れない。その問題と別にしても幾つも疑問がある。返り血を浴びたはずなのに、ズボンより(下着の)ステテコに赤みが残っているのは不自然だ。シャツにあるというかぎ裂きなど不自然な点が多すぎる。
(ズボンがはけなかった)
 特に裁判中にはかせてみたら「ズボンがはけなかった」問題。検察は「味噌漬けで縮んだ」「獄中で太った」と主張した。そしてズボンにある「B体」というタグを「大型」と主張したのだが、実はこれは「色」を示す記号だった。そして、公判中に衣料会社から検察充てにそのことが示されていた。証拠開示でそのことがはっきりしたが、検察側は公判中にそのことを隠して「ズボンは袴田のもの」と主張したのである。これは「捏造」を知っていた証拠と言えるだろう。
 
 「5点の衣類」が捏造なら、当然「共布」も捏造になる。実は当初から不自然なことが多かった。共布なんか、普通はどこにあるか覚えてないものだろう。時間をかけてタンスを探し回ったかと思うと違った。それまでに家宅捜索した場所から、5分ほどで「あった」となって帰ったらしい。そして「ズボンと共布が同じ布である」という科学的鑑定が出る前に、裁判所に証拠請求していた。これらを総合判断すれば「共布は捏造」、つまり「捜査側が仕込んだ」ということになる。今までにもそういう疑惑のある事件は幾つもあるが、裁判所がはっきりと認定したのは初めてではないか。この判断は他の事件にも影響するだろう。
(「凶器」のくり小刀)
 裁判所は以上3つを「捏造」と判断したが、僕はもっと多くの捏造があったと考えている。再審では「5点の衣類」を中心に争われたので、他の論点に触れられていないだけである。特に「凶器」とされた「くり小刀」は不可解。4人も殺害され、特に専務の男性は体格も大きくスポーツマンだったというのに、こんな小さな凶器だったとは考えにくい。弁護団は真犯人は「怨恨・複数犯」と主張している。事件を虚心坦懐に見てみるなら、誰でもそういう結論になるのではないか。たまたま手近なところに「ボクサー崩れ」がいたという偏見で、見込み捜査、自白強要が行われ、ついに証拠捏造に至った。それが真相だと思う。
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「袴田事件」再審無罪判決①ー日本史上最悪レベルの権力犯罪

2024年09月28日 21時58分33秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2024年9月26日(木)午後2時、いわゆる「袴田事件」の再審無罪判決が静岡地裁で出た。行こうかなとも思ったが、結果は無罪に決まってるし、さすがに静岡は遠いので止めることにした。傍聴券の倍率は10倍以上で当たるはずがないし、そもそも僕ではなくもっとふさわしい長年の支援者が傍聴するべきだろう。(自分は袴田事件の支援者だったわけではないので。)

 その代わり、28日に開かれた日弁連主催の市民集会「司法に翻弄された58年間~袴田事件判決と今なお続くえん罪被害」(弁護士会館)に参加して、姉の袴田ひで子さんのあいさつ、小川秀世弁護団事務局長の報告を聞いてきた。狭山事件石川一雄さん、足利事件管家利和さんなどからの訴えもあった。いずれも何度も聞いてきたが改めて感慨を覚えた。

 今まで「袴田事件」については、何度も書いてきた。何回書いたか調べてみたら、一般的な冤罪問題や再審法改正などを書いた記事を別にして、この事件に絞って書いたものに限っても、以下のように8回あった。ブログ開始翌年に新鑑定が報道され、2014年に最初の開始決定が出たときのことが思い出される。「死刑囚」である袴田さんが、「拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する」として、即日釈放されたことにはビックリした。裁判所が重大証拠を「ねつ造の疑い」と断言したことにも驚いた。もちろん弁護団の主張は知っていたし、僕もそう信じていたが、裁判所がきちんと判断したことに驚いたのである。

 それで終わるかと思ったら、検察の抗告、それを認めて再審開始を取り消した東京高裁と時間ばかりが経ってしまった。その間に折々に書いてきたことになる。1970年代後半に「冤罪では?」と問題視され始めたが、当時は大手新聞やテレビなどは全く取り上げていなかった。僕は1980年の最高裁判決(死刑)を傍聴している。それ以来、44年。ようやく聞かれた「無罪」の言葉である。

 ところで、「いわゆる袴田事件」と最初に書いた。これはどういう意味があるかというと、1966年に起きた味噌会社専務一家殺害事件は袴田巌さんとは何の関係もない。たまたまその会社に勤務していて、深夜に火事になったたのでパジャマ姿で消火を手伝ったのである。(そのことは争えない事実なので、検察側は当初「犯行」後に着衣を脱ぎ、パジャマに着替えて消火活動に参加したという荒唐無稽な主張を行った。)それなのに事件名が「袴田事件」というネーミングは不当だろう。そこで地名を冠して「清水事件」と呼ぼうと提唱されたが定着しなかった。

 もし「袴田事件」と言うのなら、その「現場」は清水市(現静岡市清水区)の味噌会社ではなかった。「事件は清水署取調室で起こった」のである。そこで繰り広げられた無実の袴田巌さんに対する、拷問強要監禁傷害そして「殺人未遂」こそ「袴田事件」と言うべきだろう。「殺人未遂」というのは、証拠をねつ造、隠匿し、そのことを知りながら(警察官、検察官は証拠を隠して、裁判で偽証しているから、無実を知っていたのである)、「死刑」を求刑したからである。

 判決で認定されたことは次回に考えるが、この事件は日本司法史上最悪レベルの歴史的冤罪事件である。死刑が確定して処刑されてしまった事件は他に複数あるので、「袴田事件」が最悪とは言わない。だが死刑執行事件で再審が開かれた事件は未だない。「袴田事件」は裁判所に「証拠ねつ造」が認められたという意味で歴史に残るのである。検察官、警察官も「人間だから間違うこともある」のではない。「証拠をねつ造し、隠して、有罪を求刑した」のだから、それは「権力犯罪」だった。そのことをまざまざと証したことが、この事件の最大の教訓である。

 しかし、権力犯罪の企みは寸前のところで阻止されたのである。あり得ないほどの(半世紀以上にわたる)時間が掛かり、袴田巌さん本人は「死刑の恐怖」により心を破壊されてしまった。拘置が解ければやがて戻ると思われていたが、結局14年になるが未だに「夢の中」に住んでいる。(そういう袴田巌さんに対して長年見守り活動を続けてきた浜松の支援者に敬意を表したい。)弁護団だけでなく、今まで支えてきた数多くの支援者の存在あって、この大々的な権力犯罪を阻止できたのである。「袴田事件無罪判決」は日本民衆運動史に残る輝かしい成果でもあったと思う。

(今まで書いた8本の記事は以下の通り。)
①『袴田事件、DNA鑑定は「不一致」』(2012.4.12)
②『袴田事件と名張事件』(2012.7.7)
③『袴田事件再審の決定迫る』(2014.3.26)
④『画期的な決定-袴田事件の再審開始決定』(2014.3.27)
⑤『支援するという意味-袴田事件から』(2014.3.28)
⑥『袴田事件の再審、不当な取り消し決定』(2018.6.11)
⑦『再審に光が見えたー袴田事件最高裁決定』(2020.12.24)
⑧『袴田事件の再審開始決定、検察は特別抗告するな!』(2023.3.13)
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自民党新総裁に石破茂氏ー「大逆転」の党内力学を読む

2024年09月27日 21時41分29秒 | 政治
 2024年9月27日(金)に自民党総裁選が行われ、決選投票で石破茂高市早苗を破って当選した(敬称略)。今日の関東は「警報級の大雨」になると予報されていたので、まあ家で自民党総裁選でも見ようかなと思った。今まで誰が当選するか投票日には予想がつく総裁選が多く、僕もここまで勝者が予想できないのは初めてだ。まあ、自分には投票権がないから見てるだけ。今書かなくてもと思いつつ、大きなニュースではあるので、感想をちょっと。

 今回は9人が立候補したが、報道によれば終盤戦の情勢は「決選投票に残る可能性があるのは3人」だとされていた。それは石破、高市、小泉の3人。そうすると決選投票には「石破・小泉」「石破・高市」「高市・小泉」の3通りの組み合わせがあり得る。石破は議員票は少ないが党員票をかなり集めて、決選には残るだろうと言われていた。そこで「石破・小泉」か「石破・高市」になるが、「石破・小泉」だと麻生副総裁には最悪の組み合わせ。そこで高市が決選に残れるように、第1回投票で麻生派が票を回したと思われる。そのため、高市は議員票で小泉75に続いて、72と事前予想より30人以上多くなり、第1回投票でトップの181票を獲得した。2位石破は154票、3位小泉が136票となった。
(1回目投票結果)
 高市は党員票でも109票と石破の108票を上回ってトップとなった。この結果は予想以上で、党員票の出方も見ると決選も高市有利かと一時は僕も思った。しかし、後知恵になるが「第1回でトップになったことが決選で不利に働いた」と思われる。高市だけ党員にリーフレットを送付して、「金をかけない」総裁選に反していた。そういうルールができる前に送付したという話だが、党員票に少なからぬ影響を与えたという。この「ズルしたもの勝ち」で良いのかという反発が国会議員にあった。また唯一の派閥となった「麻生派」の支持が明確になったことも「派閥の力が働いた」ということで不利になった。

 それと同時に、そもそも高市陣営には「千慮の一失」というべき大問題があった。推薦人20人のうち、13人が「裏金議員」だったことだ。総選挙で野党に攻められるのは確実で、衆院選、参院選を控えた議員心理に大きな影響を与えたのは間違いない。推薦人に今まで問題発言を繰り返してきた杉田水脈(裏金議員の一人)がいるというのも、信じられない。推薦人は選対が決めたので自分は関わっていないと言ってるようだが、そんな意識の議員が選対を仕切っていたこと自体理解不能。他にも支持者がいないわけじゃないだろうに。「裏金」と「派閥」の支持を受けた総理と言われるのは確実で、選挙を控えた議員心理を左右した。
(決選投票の内訳)
 石破の方は「消去法」で選ばれた面もあるだろう。立憲民主党の新代表に野田佳彦元首相が選ばれたことも、石破に有利になった。高市や小泉だと、野田との応酬が心配になる。石破なら、論戦力は負けないだろうと思われた。だが石破は党内に基盤がなく、あまり突出すると昔の三木政権時の「三木降ろし」みたいな、「石破降ろし」が起きるかもしれない。逆に党内に配慮し過ぎて、「政治とカネ」に甘い対応を取ると、これまた支持率が急減するかもしれない。多くの議員が「選挙の顔」として、石破が高市よりマシと判断した。それがどう出るか判らないが、野党に取って小泉や高市より攻めにくいのは確実だ。
 
 当初は小泉が大量の党員票を取ると思われていたが、その後「失速」したと報じられた。しかし、もともと「小泉が党員票を大量に獲得するだろう」というのが幻想だったのではないか。若い世代に小泉支持が高いと言われたが、若い世代に自民党員なんていないだろう。もちろん少しはいるだろうが、自民党員・党友の平均年齢は相当高いと予想できる。議員との関係で党員になってる人は、議員の意向に従う。それに長年党員を続けている人は、相当に「保守的」だろう。選択的夫婦別姓制度など小泉が掲げる「改革」「決着」なんか支持されなかった。それはそれで困ったことだが。

 ということで、「若手」は退けられた。そうなるだろうことを予測できずに小泉を担ぎ出した菅前首相も感覚がズレていた。まあ決選では石破に入れたようで、辛くも存在感を残したが。一方、麻生副総裁は高市に賭けて失敗し、政治感覚のズレを露呈した。今後どう処遇されるか不明だが、事実上「失権」し、総選挙では引退する可能性もある。もう84歳なんだから潮時だろう。そういうことで、二階も含めて、長老世代が権力を失う可能性がある。そうでなければ、石破が当選するなどあり得なかっただろう。

 だが子飼い議員も少なく、今後の人事、国会、総選挙はなかなか大変だと思う。高市早苗をどう処遇するか。高市が決選に残って、敗れたというだけで円相場が4円以上動いた。何も処遇しないわけには行かないだろう。外相は危ないから、経済関係閣僚か。幹事長官房長官も難しい。小泉進次郎官房長官はあるかもしれないが、党役員かもしれない。小林鷹之は入閣するだろうが、他の人の予測は難しい。岸田政権を継承するという対外イメージのため、外相は上川留任か林芳正に戻すかも。まあ、僕が考えても仕方ないが、野党側も協力体制をしっかり作らないと選挙は厳しくなると思う。
(その後思ったのだが、「石破首相」が全国遊説中に官邸を離れられない官房長官に、小泉進次郎を任ずるわけがない。選挙の顔なんだから。今言われているところでは、小泉は選対委員長。官房長官は林芳正留任。幹事長は森山裕総務会長という話。9.28追記)
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A・ホロヴィッツの新作『死はすぐそこに』、傑作にして大問題作

2024年09月26日 22時24分38秒 | 〃 (ミステリー)
 秋になると創元推理文庫からアンソニー・ホロヴィッツの新作が出るというのも、毎年の恒例である。猛暑が幾分和らぎ、夜が長く感じられてくると、またホロヴィッツが楽しめるというのは今では秋の風物詩と言えるかも。今年も出ました、今回もホーソーン・シリーズで、『死はすぐそばに』(Close to Death)が山田蘭訳で刊行された。これがまた傑作にして、ちょっと驚くしかない(ミステリーとしての)「問題作」になっていて、ミステリー・ファンには読み応えたっぷり。

 ダニエル・ホーソーンとアンソニー・ホロヴィッツがコンビを組んで、事件解決を描くというシリーズももう5冊目。一応今までの作品を紹介しておくと、『メインテーマは殺人』、『その裁きは死』『殺しへのライン』『ナイフをひねれば』と続いてきた。警察を訳あって辞めたダニエル・ホーソーンという秘密を抱えた男がいて、今も時々警察に頼まれて事件捜査に関わることがある。その捜査に作家のアンソニー・ホロヴィッツが同行し(または捜査情報を教えて貰い)、真相を探ってゆくというシリーズである。ホームズもののワトソンにあたる役をホロヴィッツが演じるわけだが、このホロヴィッツは作者自身と見て構わない。

 児童向けミステリーで成功し、テレビ番組にも関わっているというのは本人と同じ。スピルバーグと会ったとか楽屋オチ的ネタも豊富で、今回は人気俳優ユアン・マクレガーが通ってるという歯医者が出て来る。まるでホーソーンという人物が実在し、彼の捜査を書いているノンフィクションみたいな体裁なのである。もちろん実際は完全なフィクションで、作中でホロヴィッツがミスを犯して難局に陥るというのが定番である。第3作ではチャネル諸島で開かれた文芸フェスで事件が起きる。第4作では自分の書いた戯曲が上演され、酷評した劇評家が殺されたためホロヴィッツ自身が容疑者となるという禁断の展開になる。
(著者と原書)
 そういう「メタ・ミステリー」、つまり「ミステリーの中で、ミステリーについて考えるミステリー」という構造なので、次第に書くのが難しくなってくる。そうそうホーソーンが呼ばれる事件が起きるわけもなし、書くことがなくなってきた。だけどシリーズの評判は良いようで、エージェントからは早く次を書いてくれと言われる。じゃあ、自分が関わる前の事件なら書けるんじゃないかとホーソーンに打診する。まあ、ないわけじゃないが…ということで、5年前にロンドンのリッチモンド地区で起きた地区の資料が送られてくる。それが全部じゃなくて少しずつ送ってくるから、ホロヴィッツは全貌を知らないまま書き始めたのである。

 ミステリーとしての特質から、内容を余り書けないのが残念だが、簡単に書くと「中途半端に終わってしまった事件」なのである。どういう事かというと、普通の古典的謎解きミステリーだと警察が解けない謎を名探偵が関係者一同を集めて解き明かす。すると警察も感嘆し、犯人自身も恐れ入ったり逃げ出したりして、犯人が判明して事件解決となる。ところが今回の事件では、ホーソーンが目星を付けつつある段階で「容疑者」(と思われる人物)が「自殺」(と思われる)死をとげて、警察はそれで一件落着とする。しかしホーソーンは納得出来ず独自捜査を続ける。という展開なのである。
(テムズ川に面したリッチモンド地区)
 リッチモンド地区はロンドン西南部の高級住宅地だという。そこに「閉じられた集合住宅地」があって、何軒かが暮らしてきた。しかし、そこに近所迷惑な一家が越してきて、いさかいが頻発するようになる。そして、ついに殺人事件まで…、という設定である。5年前の事件の展開に納得出来ないホロヴィッツ(作中人物)は、独自に現地調査に行くと当時を知る人物に会える。また当時ホーソーンの助手をしていたダドリーという(ホーソーンと同じぐらい)謎めいた人物が出て来て、気になるホロヴィッツはホーソーンとダドリーを調べ始める。たった5年ぐらいだが、過去と現在を行き来しながら進行するのである。

 ホーソーンは「自殺」は見せかけで実は殺人だと考えるが、そうなると「密室」ものになる。そこでホロヴィッツは作中で「密室ミステリー」談義をしている。「密室」ものでは「密室つくり」に不当なまでのエネルギーが費やされるという。それはまあその通りで、外国では銃が入手しやすい所が多いから、銃を一発お見舞いして「逃走」や「アリバイつくり」の方に頭を使った方がずっと楽である。なおホロヴィッツは本書の中で、「密室」ものは日本で発展したと述べ、島田荘司『斜め屋敷の犯罪』横溝正史『本陣殺人事件』の名を挙げている。日本のミステリーを読んでるんかい。

 また古典的ミステリーだけを置いている小さな本屋を二人でやってる老女性が住人にいて、「アガサ・クリスティのあの小説」について言及する。その名前を書けないが、これを知らないとこの小説は面白みが無くなる。ということで、事件内容には触れてないが、近隣同士のイザコザが事件に発展して…という体裁で進行する。登場人物の謎が次第に深まっていき、ホーソーンの見立てがラストに炸裂するんだけど…。もっと書かないと何が「問題作」か理解出来ないと思うが、それを書くと本書の構造に触れざるを得なくなる。480ページほどと案外長いが、僕は第1作以来の傑作だと思う。ミステリー史に残る怪作としても魅力的。
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「維新」的発想=「中間組織の排除」がもたらすものー「維新」考②

2024年09月25日 22時23分25秒 | 政治
 「維新考」は何回か予定しているが、まずは2回で止めて断続的に続ける予定。今回は7月に刊行された吉弘憲介検証大阪維新の会ー「財政ポピュリズム」の正体』(ちくま新書)を読んで思ったことを書きたい。著者の吉弘氏は財政学、地方財政論が専門の桃山大学経済学部教授。この本では主要政策や支持者の分析を行った後、「維新の会は「小さな政府」か」「「維新は大坂を豊かにした」は本当か」などを実証的に検証している。支持者が必ずしもカジノや万博は支持していない調査結果も示している。そして「小さな政府」を指向しているようなイメージがあるが、案外そうでもない現実が提示されている。

 それらは興味深いのだが、関心がある人は本書で見て貰うとして、この本を読んでなるほどと思ったことを書いてみたい。「維新」は2008年2月に大阪府知事に当選した橋下徹氏が府議会自民党会派と対立を深め、2010年4月に松井一郎氏ら府議6人と「大阪維新の会」を結成して誕生した。それ以来、当初は「橋下・松井」の「2トップ」を売りにしていたわけだが、両者ともに今は政界を引退している。それは「大阪都構想」が二度にわたり大阪市の住民投票で否決されたことがきっかけだった。この意味でも大阪市民が「維新」を完全に信認しているわけじゃないことが判る。
(創設者の橋下徹氏=2012年衆院選)
 一方で、自民党はもちろん、立憲民主党のリーダー層にも長年見てきた顔が多い。公明党や共産党も同様なのに、「維新」だけは結党時のリーダーが引退し、より若い吉村洋文大阪府知事(2014~15に衆議院議員、15~19、大阪市長、19~大阪府知事)が次のリーダーとなった。1975年生まれの吉村氏は2024年現在49歳なのである。こうして、維新には「新しいリーダー」を擁する清新な政党というイメージが生まれたわけである。しかし、「維新」は民主党政権時代に野党の安倍晋三元首相に接近し、やがて安倍政権復活によって「大阪・関西万博」やIR法案(カジノ)に政権の支持を得た。そして最大の大型公共事業とも言える万博を、都構想敗北後の「目玉」にする「古い発想の党」というもう一つの顔がある。

 同時に、主要な政策として「身を切る改革」を掲げて議会の定数削減などを進めて来た。2011年までは109議席だったものが、一挙に88議席に削減、さらに2022年には79議席に削減された。まさに公約を実行してきたかに見えるが、地方の議会選挙は定数1人と複数定数が混合している。2人から1人になった選挙区では維新しか当選しない。共産党や民主党系は複数区の下位じゃないと当選が難しく、定数削減により府議会は「維新」が圧倒的になるわけである。
(松井一郎大阪市長=2022年参院選)
 このような発想のもとには「中間的組織」を敵視する発想があるという。中間的組織には業界団体や職能組織があり、自民党の票田、資金源でもある。そういう組織が票や金と引き換えに「利権」を得てきたと考えるわけである。そこで自民党の政治のあり方に反発する「改革政党」的イメージが生まれる。だが同時に野党を支持する労働組合市民運動も同列の組織として排除される。労働者の「団結権」や一般市民の「表現の自由」を尊重するという発想が浮かばないのである。それらも「行政トップ」が推進する正しい政策を妨害する「抵抗組織」とみなされるわけである。

 恐らく「議会」や「役所」さえ、余計なものに見えているかもしれない。自分たちの正しい政策が途中で妨害されずに住民に直接届けば、それが最も望ましいわけである。これは言ってみれば「政治の産地直送」とでも言うべき発想だ。この間、日本では高齢化、少子化が予想を越えて進行してきた。社会の担い手がどんどん減っていく中で、増税することなく社会を維持し一定の行政サービスを行っていくためには、出来る限り「中間的組織」を排除して、安く仕入れる工夫をするしかない。このような日本を覆う危機への対処が「身を切る改革」なんだろう。そしてそれは一定の支持を得てきた。
(吉村洋文し大阪府知事=2023年統一地方選)
 その結果、「公務員削減」が実行される。市民病院や市営地下鉄の民営化などもあるが、「維新」政権下で正規の公務員が減り、代わりに2008年~2019年までの12年間で、市全体の非常勤職員は1845人から4924人と2.66倍に増えているという。区役所窓口や証明書発行から生活保護の受給相談まで非正規職員が担っているという。これは「団塊の世代」が定年を迎えた後、後任に正規職員を配置しなかったことが多いんだろうと思う。だが「公務員」はその職務内容上、地元自治体(または隣接自治体)に長年居住することが多い。そしてそこで自分の生活を営むとともに、育児や介護に従事してきた。

 そのような地元を支える「消費者」から、身分が安定しない非正規職員に代わる。人件費自体は削減されるだろうが、同時にそれは地元の経済にマイナスになるのである。そして「派遣社員」を公開入札で決めるとなると、東京に本社がある大手人材派遣会社が採用されることが多くなる。つまり、正規職員という安定した地元経済の担い手を減らして、東京一極集中を後押ししてきたわけである。またマジメな大学生、高校生の就職先としての公務員を減らせば、民間企業に行くしかないが、民間では転勤がある。(もちろん公務員にも転勤はあるが、自治体内部に限られる。)そして有能な人材が地元から逃げてしまうのである。

 橋下氏のもとで、かつて文楽協会への補助金停止、大阪市民楽団解散などの措置が問題になった。「文化」への投資をしないとなると、「文化」を求める若い世代はますます東京を目指すしかなくなる。また学校でマジメに勉強して地元の公務員を目指すという進路目標がなくなってしまえば、公立学校の役割も大きく変わってしまう。こうして、「身を切る改革」がかえって大阪を貧窮化してしまうという「合成の誤謬」が起きるわけである。
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2025年大阪・関西万博は「失敗」するのかー「維新」考①

2024年09月24日 21時58分32秒 | 政治
 最近ミステリーや新書を片付けているが、「日本維新の会」関連の新書が出ているので、その紹介。立憲民主党代表選や(27日にある)自民党総裁選のことは前に書いてるから、総選挙前に「維新」について考えたいのである。10年以上、大阪を中心に猛威を振るってきた「維新」だが、最近はちょっと失速気味である。箕面市長選(8月25日)では「大阪維新の会」現職が敗北し、大阪府議補選(摂津市選挙区)では「維新」公認候補が無所属候補に敗れている。

 こういう失速は、一つは「維新」が推薦した兵庫県の斎藤元彦知事(9月19日に県議会が全会一致で不信任案を可決)への対応が影響したと言われる。しかし、その前から支持率が低迷し始めていて、その大きな要因に2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)をめぐる諸問題(開催費用の増大、パビリオン建設が遅れていること、会場の「夢洲」の地盤・交通などの問題、入場料が予想より高くなったことなど)がある。一体どうなっているんだと思うと、8月にちくま新書から松本創編著『大阪・関西万博「失敗」の本質』という本が出たのでさっそく読んでみた。

 もともと関心はないんだけど、「失敗」と明言しているので気になったのである。前書きに、やる前に「失敗」と決めつけて良いかと言われるだろうが、終わった後で書いたら事前に書くべきだと批判されるだろうと書いてある。この本に書いてあることはいちいち紹介しないが、ふーん、こんなになってるんだと思うことが多かった。確かに「不運」もあった。ウクライナやガザの戦争によって、世界的に物価高が進んでしまった。また東京五輪のスキャンダルで電通や博報堂など大手広告代理店が入札禁止になってしまったことも大きかったという。それは確かに「維新」には不運だった。
(万博会場のイメージ)
 だがこの本を読むと、というか多くの人の印象にあるように、そもそも「大阪でまた万博をやる」ということは全く「維新」が言い出したことだった。やるとしても、「夢洲」(ゆめしま)を会場にするというのも、松井一郎氏(2011~19年に大阪府知事、19~23年に大阪市長)が発案して押し通したことが明らか。そもそもここは日本初のカジノが開設される場所だった。コロナで遅れたが、本来は2025年に同時に開場するはずだった。しかし、夢洲という埋め立て地は南側は咲洲(さきしま)、北側は舞洲(まいしま)というどっちも人工島を通ってしか行けない。地下鉄開設は延期になり、橋とトンネルしかない。
(夢洲の地図)
 災害(台風や地震)の時はどうなるんだと心配されるが、まあ僕は行かないから関係ないけど。別に「維新」がやってるから行かないんじゃなく、東京でやっても行かない。そもそも博覧会的なイヴェントに関心がないのである。つくば万博(1985年)も愛知万博(2005年)も行ってない。前回の1970年の大阪万博は行ってるが、それは親と一緒の家族旅行(中学時代)だったので別。その時も大混雑だったという思い出が強い。来年の万博もいろいろあってもそこそこ観客はいるだろう。わざわざ行く気にならない。博覧会に行って様々な体験をするというのも今さら感が強い。
(開会300日前の会場)
 「大阪・関西万博」は2025年4月13日から10月13日まで184日間開催される。もうおよそ半年前になっている。東京では全く話題になっていないと思う。想定来場者数は2800万人というが、これは相当難しいだろう。入場料はいくつか違いがあるようだが、大人3,700-7,500円と当初より高くなった。観光で大阪へ行ってUSJも行きたいとなると両方はきついという人も出て来るんだろう。前回のドバイ万博はコロナ禍で予定より1年遅れの2021年に行われた。大阪も1年遅らせても良かったんじゃないかと思うが、まあ予定通りやるということだ。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、自分が関心がないからかもしれないが全然覚えられない。70年大阪万博は「人類の進歩と調和」だったと今もすぐ言えるんだが。
(ミャクミャク)
 それに「公式キャラクター」ミャクミャクが選定当時(2022年7月18日)から「気持ち悪い」と評判が悪い。僕も気持ち悪いと思うし、これを選定したセンスを疑う。だけど、もうそうしたレベルを超えた段階にある。開催中に大地震が起こり、交通手段がなくなって夢洲に大量の観客が取り残されたり、地盤が液状化してパビリオンも入れなくなってしまったり…。そんなこんなで途中で終わりになってしまうなんて事態が起きなければ、もうそれで良しとするしかない。台風や集中豪雨も心配だが、まあ天気は予報できるが地震はいつ起きるか判らない。せめて「維新」が夢洲以外を会場に選んでいればまだマシだったのである。
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中公新書『アメリカ革命』(上村剛著)を読むー世界初の憲法制定

2024年09月23日 21時46分28秒 |  〃 (歴史・地理)
 中公新書の上村剛(うえむら・つよし)著『アメリカ革命』を読んだので、その感想。書評を見て読みたくなったのだが、たまには歴史の本も読まないと。アメリカ史は詳しくないが、やはりきちんと知っておく必要がある。著者の上村剛氏は1988年生まれの若い研究者で、東大大学院博士課程を修了して現在関西学院大法学部准教授。『権力分立論の誕生ーブリテン帝国の「法の精神」受容』(岩波書店)という本で、2021年サントリー学芸賞を受賞したと出ている。

 書名のアメリカ革命って何だと思う人もいるだろう。歴史の教科書には「フランス革命」や「ロシア革命」は出て来るが、普通は「アメリカ革命」とは出てない。「アメリカの独立」と書いてあることが多いだろう。「アメリカ独立革命」と呼ぶこともある。代表的な「市民革命」として必ず教科書に出て来るが、これが生徒には理解しにくい。なるほど市民革命なき国に住んでるんだとそのたびに実感したものだ。しかし、この本を読んでも「独裁からの自由」を求めて起ち上がった英雄的人物はほとんど出て来ない。

 人物史ではなく制度形成史だという点もあるが、そもそもワシントンとかジェファーソンなどという有名人も今から見れば「限界」だらけで、その限界を見極めることが本書の目的だからでもある。有名な「独立宣言」(1776年7月4日)は「すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と格調高く宣言したが、もちろんその後も黒人奴隷を認めていたし、女性の参政権もなかった。そこら辺は当時も議論した人がいるが、そもそも先住民の土地を奪って「建国」したことなど意識さえしていなかっただろう。
(上村剛氏)
 この本で重視されているのは、「憲法制定会議」である。独立戦争は一進一退で決してアメリカ独立軍が圧勝したわけではなかった。しかし、1781年にイギリス軍が降伏し1783年のパリ条約でイギリスも独立を認めた。しかし、その後のことは何も決まっていなかったのである。1787年にフィラデルフィアで連邦憲法制定会議が開かれ、4ヶ月の激論の後に憲法がまとまり、その後建国各州の批准を経て発効した。僕たちはアメリカには大統領がいて、上下両院最高裁もあると「常識」で知っている。しかし、同時代にはそういう国は世界のどこにもなかったんだから、「アメリカ合衆国」は「発明」だったのである。
(アメリカ独立宣言=ジョン・トランブル作1818年)
 それも妥協に次ぐ妥協の末に作られたのが合衆国憲法だった。そもそも会議に代表を送ってこない州(ロングアイランド)もあれば、すぐに帰ってしまった州(ニューヨーク)もあった。イギリス国王から離脱したのに、「大統領」という独裁者を作るのは大反対という人も結構いた。議会制度ももめたあげく、上院は各州から2名ずつ、下院は人口比でと決まった。これも大きな州(ペンシルバニアやヴァージニア)と小さな州との対立の末の妥協だった。今では「巧みな知恵」に思われて誰も疑わないシステムも、妥協で作られていった。「人口比」も「黒人どれいのカウント」をめぐって揉めた。奴隷も「一人の人間」としてカウントすると、南部の代表が多くなってしまう。参政権は有産階級の男性だけが持つのが自明だったから、奴隷賛成派の勢力が増えてしまうのである。
(建国13州から西部へ)
 そして19世紀になって、ヨーロッパ列強(イギリス、フランス、スペインなど)と戦争、交渉などを経て、西部へ勢力を広げていく、先住民を虐殺、追放しながら、太平洋岸にまで至る「帝国」を築いていった。そして現在の民主、共和両党につながる「党派」が成立していく。そういう19世紀半ばまでを扱っている。長いスパンで見ると、植民地時代から19世紀半ばまでを「アメリカ革命」ととらえている。これは「明治維新」だったら、江戸時代中期から日清日露戦争まで長くとらえるというようなものだろう。

 本書は歴史の中で「小さな発明」として作られた「アメリカ建国」がいかにして「超大国」になっていったか、その「種」を建国当初にさかのぼって検証した本だ。その当時は女性、どれい、先住民を排除して作られた国だった。そういうアメリカが世界的超大国になって、大統領選挙は全世界が見つめる関心事になっている。いま「大統領」がいる共和国は世界にいくつもあるが、もとは18世紀末のアメリカが「発明」したものだった。なお、人物史にはほとんど触れられないが、『コモンセンス』で独立を主張したトマス・ペインが後にフランスで言論活動を行い、革命中に囚われるなど波瀾万丈の人生を送ったことが興味深かった。
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レバノンの通信機器爆発事件ー「テロ国家」イスラエル

2024年09月22日 21時44分30秒 |  〃  (国際問題)
 2024年9月17日に、レバノンで「ポケットベル」(ポケベル)が同時多発的に爆発する事件があった。翌日には「トランシーバー」の爆発も起こった。合計で37人が死亡、およそ3000人がけがをしたと報道されている。これはレバノンで活動するシーア派系イスラム主義組織ヒズボラ(ヒズボッラー)を狙ったものとされる。ヒズボラはスマホを使うとGPSで位置を突きとめられるとして、数ヶ月前に内部に禁止令を出したと言われる。しかし、こんなことになるとは誰も予想せず、子どもにも死者が出ているようだ。どこで爆発が起きるか事前に判らないから、町中で爆発して周りの人々にも多くの被害を出したようだ。
(ポケベルが爆発)
 ポケベルは90年代日本で大ヒットした商品で、当時の女子高生は皆使っていた。僕も生徒を呼び出すのに使ったことがあるが、今や知らない人も多いんじゃないかと思う。ケータイ電話の普及によって使う人が少なくなっていって、通信会社によるサービスは2017年に終了しているという。一部で行政組織など特別に「無線呼び出し」システムを残しているところもあるらしいが、まあ日本では終わった技術だろう。こういう風な使い方もあるのかと思ったが、「一斉に爆発」とは恐ろしいテロ事件である。誰か指導者を特定して狙うのではなく、「無差別テロ」が計画段階から想定されている。
(トランシーバーが爆発)
 これほど大規模で巧妙な「テロ」事件を計画、遂行できるのは、もちろんイスラエルだけだろう。他の国家に行う能力があったとしても、「動機」「機会」がないだろう。イスラエルは否定も肯定もしていないし、今後もそういう対応を続けるはずである。しかし、他に考えられらない以上、これは「イスラエルの国家テロ事件」とみなさざるを得ない。その前に7月31日にイランの首都テヘランでハマス最高幹部ハニヤ氏が暗殺される事件が起こった。ハニヤ氏はイランに永住していたのではなく、大統領就任式典参加のためイランに滞在していた。この事件の詳細も不明な点が多いが、どうしてこういうことが可能なのか。

 イスラエルのモサド(諜報特務庁)はかねてより「世界最強」と言われているが、それにしてもちょっと考えがたいレベルに達している。恐らく僕が生きている間には真相は明かされないと思うが、その事件内容の評価はさておき何があったのかは知りたいものだ。ポケベルは台湾の会社(ゴールド・アポロ)のものだが、その会社はハンガリーの会社(BACコンサルティング)とライセンス契約を結びブランド使用を許可していたという。そのBACコンサルティングという会社は実体があるかどうか不明で、謎めいている。一方トランシーバーは大阪に本社を置く日本の通信機器メーカー「アイコム」が製造したものというが、同社は10年前に製造を中止している。一方で同社の模造品は世界中に流通しているとのことで、こちらも謎めいている。
(「15年前から計画」と報道)
 そこで「15年前から計画されていた」という推測もなされている。そこら辺は不明だが、少なくとも1年で出来るものじゃないだろう。つまり、ハマスの奇襲攻撃、イスラエルのガザ攻撃戦争が起こったため、この事件が計画されたのではない。それ以前から何年もかけて準備されてきたのである。恐らく世界各地に「幽霊企業」や「マネーロンダリング銀行」などを多数用意してあるんだと思う。それにしてもヒズボラに納入するポケベルやトランシーバーに爆発物を仕込むという作業を誰がどこでどのように行ったのだろう。一人じゃ無理だが、多すぎても不審を招く。どこから洩れるか判らないし、ヒズボラに確実に納める方法は見当も付かない。
(ヒズボラは報復を宣言)
 国連安保理では20日、緊急会合が開かれた。出席したレバノンのハビブ外相は、イスラエルによる無差別な攻撃だとしたうえで「イスラエルはこのテロ攻撃によって軍人と民間人を区別するという国際人道法の原則に違反した」と述べたという。一方、イスラエル側はヒズボラがレバノンで「国家内国家」となり、イスラエルに攻撃を仕掛けていると非難した。それは間違いないが、今回の事件と直接関係しない。もちろんイスラエルは爆発事件の「実行犯」であると認めていないのだから、事件に対して触れるはずがない。もともと民間人に犠牲を出すことを目的とした作戦なんだから、今回の事件は明らかな国際法違反である。

 ガザでの報復攻撃、ヨルダン川西岸地区での異常な強圧的姿勢、それらにも見ることができるが、イスラエルの場合単に「やりすぎ」とか「派生的犠牲者」などと言って済まされない。やってることは「テロ国家」と評するしかない。モサドは首相直属組織で、要するにネタニヤフ首相の承認なくしては作戦を実施出来ない。ネタニヤフ政権が交代したとしても本質は変わらないだろうが、それでもネタニヤフ自身に個人的責任がある。それとともに、数年前からイスラエルとの「防衛協力」を日本政府や大企業が模索してきた事実である。だがイスラエルとの協力には問題が多いことが明らかだ。どんなテロ事件に利用されるか判らないし、そもそも倫理的に許されない。日本政府、企業への監視も必要だ。
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ティム・ウォルズ、米民主党副大統領候補はどういう人か

2024年09月20日 23時13分02秒 |  〃  (国際問題)
 アメリカ大統領選挙で民主党の副大統領候補となったミネソタ州知事ティム・ウォルズという人の経歴・実績はなかなか興味深いので、ちょっと調べてみたい。アメリカ人もこの人のことを知らなかった人が多いというが、日本人だってついこの間まで兵庫県知事の名前なんか(現地の人を除けば)知らなかっただろう。そういうウォルズ氏がなぜ副大統領候補に選ばれたのか? 

 上院は与野党の議席差が少なく、上院議員を選ぶことは考えにくい。そこで民主党系の知事が候補になるが、カマラ・ハリスが「女性、有色人種系」なので、副大統領は「男性、白人系」を選んでバランスを取る必要がある。さらにトランプ支持者が多い「ラスト・ベルト」だと一番ふさわしいので、当初はペンシルバニア州シャピロ知事が有力と言われた。恐らくユダヤ系のシャピロ氏はイスラエル支持色が強く、アラブ系民主党支持者の反発を呼ぶ可能性があるとして避けたのだろう。もちろんハリスも基本的にイスラエル支持だが、夫がユダヤ系なのでそれ以上必要ない。ウォルズとは面談で「ウマが合った」と言われている。

 ティム・ウォルズ、正確にはティモシー・ジェームズ・ウォルズ(Timothy James Walz)は1964年4月6日に生まれた。2019年からミネソタ州知事を務めていて、現在2期目である。その前は2007年から6期にわたって、連邦下院議員を務めていた。その前は公立高校の教員で、2006年に選挙に出る時は休職制度を利用した。選挙に立候補する際に公職を休職できる制度があるらしい。ミネソタ州は五大湖地方の西にあって、アメリカの地理的区分けでは「中西部」になる。人口は570万ほどで、全米22位。面積は225,181 km²で全米12位。日本の本州島は227,976 km²なので、ほとんど本州と同じぐらいある。州都はセントポールだがミシシッピ川をはさんだミネアポリスと同一の都市圏を形成していて「ツインシティ」と呼ばれている。
(ミネソタ州の位置)
 こう書くとティム・ウォルズはミネソタ州に生まれたように思うかもしれないが、実際はネブラスカ州が生地である。ミネソタ州の西南に当たるが、よく見ると隣接していない。人口は200万に満たず全米37位なので、ミネソタ州よりずいぶん少ない。面積はそんなに違わないが、影響力では小さな州だ。父親の病気で田舎町に移り、夏は農場で働きながら小さな郡の高校を卒業した。そのまま大学へ進学しなかったのは、恐らく父の病気(肺がん)、死去(1984年)が影響したのだろう。父の死に精神的にも経済的にも打撃を受け、ウォルズはアーカンソーやテキサスなどで州兵になった。その後、1987年にネブラスカに戻ってシャドロン州立大学に入学し、1989年に社会科教員の資格を取った。このようになかなか苦難の青春を送った人である。
(ネブラスカ州の地図)
 その後サウスダコタの先住民居留地で教師となり、続いて中国広東省佛山市の高校で1年間教えた。帰国後にネブラスカの高校で教員として働き、1994年に同僚のグウェン・ウィップルと結婚した。グウェンはミネソタで学位を取ってネブラスカで英語教師の職を得ていた。二人は96年に妻の生地ミネソタ州に移住し、ミネソタ南部の小都市マンケート西高校の地理教員及びフットボールコーチとなった。同校のフットボール部は当時27連敗していたが、3年後の1999年に州大会で優勝した。

 映画や小説に高校のフットボール部がよく出て来る。多くの地域でアメリカンフットボールの高校対抗戦が学校スポーツの華で、チアリーディング部の女子生徒が対抗戦を盛り上げる。コーチは有償で、いろいろ調べると50万~60万程度の報酬らしい。他部のコーチより高額で、それは拘束時間が長いからだという。誰でも部活に入れるわけではなく、セレクションを突破した生徒のみが参加出来る。(学力条件もあると思われる。)アメリカの学校スポーツは季節が決まっていて、夏と冬で違う競技をしたりする。試合は有料なので、それでコーチを雇えるらしい。教師がボランティアでやってる顧問とは違って、日本で言えば私立高校の野球部監督に近いと思う。一年で数ヶ月間コーチを務めるだけというのも日本と違う。
(フットボールコーチ時代)
 その間1999年には性的マイノリティ向けの指導員になっている。同性愛生徒がいじめにあったのを見て、研修を受けたという。また特別支援学級でも教えている。このような幅広い体験は生い立ちもあるだろうが、中国の学校と関係を持ち続けたことも影響している。妻とともに夏休みに中国でボランティアする会社を設立し、2008年まで毎夏生徒を連れて行っていた。また2002年にはミネソタ州立大マンケート校に、ホロコーストの教育に関する修士論文を提出し、体験教育に関する修士号を得た。妻との間には不妊治療を経て二人の子どもが生まれていて、この間の活動には驚くばかり。これだけ活躍すれば周囲からの注目も集まるだろう。2006年はイラク戦争が泥沼化していて、ウォルズが戦争に強く反対していたことが、立候補のきっかけだろう。
(教師としてのウォルズ)
 下院議員の活動を振り返ると長くなるので省略する。2017年に民主党の現職知事が引退を表明し、ウォルズは2018年の知事選への立候補を表明した。知事選では53%対42%で共和党候補を破り当選した。当選就任後は教育と医療改革を進めると演説した。もっともBLM運動のデモへの対応や警察改革には批判も受けたが(2020年5月にジョージ・フロイドが警官に殺されたのはミネアポリスだった)、教育など他の施策への支持は強く、2022年には2期目の当選を52対44で果たしている。

 教育問題だけ見ておくが、日本語版Wikipediaでは以下のように書かれている。(英語版はもっと詳しい。)「教員の能力給に反対する」「公立学校への財政支出の強化」、「低所得世帯の学生を対象とする公立大学授業料無償化を支持」、2019年2月12日には「経済の強固な基盤を確保するために最も重要なことは、子どもたちに可能な限り最高の教育を提供することだ」と演説し、これらの教育政策に対して、全米教育協会、全米大学女性協会、全米小学校長協会などの多くの利益団体から強い支持を得ている。」2023年3月、「ミネソタ州のすべての児童・生徒を対象とする学校給食費無償化法案に署名」。同年8月、「州内の公立学校に対し、4年生から12年生までの児童・生徒に生理用品を無償で提供することを義務付ける法案に署名」。

 どうだろう、この人こそ僕の望む教育政策を進めていた人なのではないか。教員の能力給に反対し、公立学校への支出を強化する。ミネソタ州のすべての児童・生徒への給食費無償化。こういう施策は当然教育界の多くの団体に支持されている。こういう人が日本にも欲しいし、教育をホントに理解出来る人が政治家に欲しい。なおウォルズは中国との関係が長いが、中国の人権環境を厳しく批判しているという。また副知事のペギー・フラナガンはネイティブ・アメリカン出身の初の州知事になる可能性が高い。ウォルズが副知事に女性の先住民運動家を選任したというのも素晴らしいことだと思う。
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映画『Mommy マミー』、和歌山カレー事件に迫る問題作

2024年09月18日 21時43分59秒 | 映画 (新作日本映画)
 二村真弘監督のドキュメンタリー映画『Mommy マミー』をようやく見た。この映画は和歌山カレー事件を現時点で検証し直す映画である。8月3日に公開されて評判になったのは知っていたが、東京で上映しているシアター・イメージフォーラムが駅から遠く猛暑の時期は避けたくなる。今日は駅直結の柏・キネマ旬報シアターでやってるので見に行くことにした。

 1998年に起きた和歌山カレー事件は、よく覚えてない(または年齢的に知らない)という人もいるだろう。ホームページからコピーすると「1998年7月25日、和歌山市園部地区の夏祭りで提供されたカレーを食べた67人が急性ヒ素中毒を発症、そのうち4人が死亡。同年12月、和歌山県警はカレーへのヒ素混入による殺人と殺人未遂容疑で林眞須美を逮捕。1999年5月、初公判。林眞須美は、過去の保険金詐欺は認めるものの、カレー事件をはじめとするヒ素関連事件については否認。続く二審からは無実を訴えた。2009年5月、最高裁で死刑が確定。戦後日本で11人目の女性死刑囚となる。2024年2月、弁護団が3回目の再審請求を和歌山地裁に申し立てる。林眞須美は現在も大阪拘置所に収容されている。」と出ている。
(林眞須美夫妻)
 林眞須美死刑囚は一切の供述をしなかったので、動機は不明とされたたまま状況証拠の積み重ねで確定した死刑判決だった。発生当初の大報道は今も鮮明に覚えている人が多いだろう。事件発生現場付近に「怪しい夫婦」がいると報道され始め、その林夫婦は保険金詐欺で暮らしているなどと大報道がなされた。今回はもちろん死刑囚本人には取材できないが、息子が案内して今は施設で暮らしているらしい夫はよく語っている。また同居していた男性がいて、その家にも直撃取材を行っている。

 そこら辺は非常に興味深いシーンなのだが、全体的には「冤罪映画」としては飯塚事件を扱った『真実の行方』の方が「面白い」だろう。面白さで比べちゃいけないだろうが。両者の違いはこの映画では捜査員が全く取材に応じないことである。検察官や裁判官(故人であると判明する)まで直撃しているが、もちろん何も語らない。(守秘義務があるから本来語る方がおかしい。)飯塚事件は死刑執行後に再審請求している事件だから、捜査当局側も「適正な捜査だった」と広報したいんだろう。一方、和歌山カレー事件は再審請求しているが、一般的には「もう終わった事件」である。今さら取り上げられたくないと思う。

 一番の問題は「鑑定」ということになる。裁判を支えた捜査段階の鑑定人が出て来て説明する。そしてそれに反対意見を述べる有力な学者が登場する。問題は「ヒ素が同一かどうか」である。林宅にはヒ素が存在したが(当時はシロアリ駆除などのためヒ素を所有する家庭も多かったという)、そのヒ素と事件当時のカレーやカレーに入れた時に使用したとされる紙コップから検出されたヒ素が同一物質かどうか。ヒ素は皆同じかと思うと、産地ごとに「亜ヒ酸」の化学的組成がかなり異なっているという。

 兵庫県にある大型放射光施設「SPring-8」で行われた鑑定の結果、ヒ素は同一由来とされた。それはおかしいと批判されるが、僕には判定が難しい。「パッと見」で同一パターンと見るのは危険と批判されているが、「パッと見」なら同じに見えるとは僕も思った。再審過程でもう一回再鑑定をするべきだろうが、日本の裁判所はそれを認めていない。「ヒ素が違うと新たに証明された」と断言出来るほど原審での鑑定が揺らぐのかどうか。僕にはそこまで判らない。再審請求で鑑定が問題になっていることは知識として持っていたが、その内容は難しくて(現時点では)判断出来ない。
(二村監督)
 僕は死刑廃止論者なので、この事件が冤罪かどうかに関わらず死刑制度は無くすべきだと思っている。では「冤罪なのか」と「有罪判決が正しいのか」はまた別の問題だ。再審請求が行われても裁判官の裁量範囲が大きすぎる。原審段階の未提出証拠もあるだろうし、鑑定は疑問が出されたらやり直してみるべきだ。関係者は口を開かない中で、二村監督はラスト近くで、関係者の車にGPS発信器を取り付けようとして「不法侵入」で警察の取り調べを受ける。(示談が成立して不起訴と出る。)監督の暴走で終わる映画で、監督は「無実」を信じているのだろう。そういうタイプの映画で、そこが面白くもあり、大丈夫かなとも思う。

 二村真弘監督は1978年生まれで、日本映画学校卒業後多くのテレビドキュメンタリーを作ってきたという。「見る当事者研究」(2015)、「情熱大陸/松之丞改め神田伯山」(2020)、「不登校がやってきた」シリーズ(21~/NHK BS1)などがあると出ている。今回が映画初監督作品。東京では忘れられ、現地では「タブー」とされている事件を追う情熱は見事。製作陣の勇気を称えて、見ておくべきだと思う。
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映画『この星は、私の星じゃない』と上野千鶴子トーク

2024年09月17日 21時50分23秒 |  〃  (旧作日本映画)
 8月7日に亡くなった田中美津さんを主人公にしたドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』(吉峯美和監督)の追悼上映を見て来た。アップリンク吉祥寺。今日は上野千鶴子さんのトークがあって、きっとすぐ一杯になるだろうと思ってチケット発売開始直後にネット予約した。そうしたら会員にならないと前売り券を買えなくなっていて、その手続きをする間にもどんどん席が埋まっていた。観客には高齢女性も多く見られたが、知り合いに取って貰ったりしたようだった。

 映画は2019年に公開されたが、その時は渋谷ユーロスペースのモーニングショーだったので見なかった。今回見たらとても面白い記録映画で、田中美津という「社会運動家」「鍼灸師」の生き方を見事に映し出していた。主に3つの側面から描かれるが、それは「今までの人生」「鍼灸師としての生活(子どもとの関わりを含め)」「沖縄・辺野古」である。田中美津は日本の「ウーマンリブ」の「伝説的リーダー」として知られるが、その生育歴に幼児の「性被害」があった。そのことを撮影当時も考え続けている。一方、沖縄で轢殺された女児の写真に衝撃を受け、辺野古への基地移転反対運動に通うようになる。沖縄へ通い「自分ももうすぐニライカナイへ行く」と語るのである。そのような姿が等身大で浮かび上がる。
(田中美津)
 一方で鍼灸師としての活動も描かれている。上野千鶴子も患者だと言っていたが、非常に実力のある鍼灸師だがとても辛い治療だという。「長鍼」を使っていて、見ていても痛そうだし患者さんも痛いと言ってる。だが上野さんによれば劇的に効くらしい。田中美津はリブ運動に行き詰まりを感じ、1975年にメキシコに出掛けたまま4年間帰って来なかった。その間に恋に落ち子どもが生まれたが、パートナーとは別れて帰国して、鍼灸学校に通ったのである。その子ども(男性)は40歳前後になっているが、映画撮影期間に鍼灸師の資格を取ったことが出て来る。家庭の領域が記録されているのは貴重だし、人間の諸相を考えさせられる。
(上野千鶴子)
 上野千鶴子さんは1948年生まれ、田中美津さんは1943年生まれで、5歳の差がある。100年後の人から見れば「同時代の女性運動家」に見えるだろうけど、戦争と高度成長、60年代反乱の激動の時代にあっては、この5年の違いは大きい。上野さんは京都大学に通ったので、まさに「大学反乱」の真っ最中である。しかし、大学へ行ってない田中美津さんは60年代初頭にはもう働き始めているたである。「ウーマンリブ」創世記には上野千鶴子はまだ学生なので関わっていない。しかし「後から来た者」の「特権」で、上野千鶴子は「日本のウーマンリブは、1970年10月21日(国際反戦デー)の女だけのデモで、田中美津が書いたチラシ「便所からの解放」を配布した時を以て始まる」と規定した。外来思想ではなく、日本の現実から出て来たとみなすのである。

 もっとも上野さんによれば、「田中さんは嫌な人」だという。田中美津いわく、「お尻をなでてくる男」がいたとして、「ウーマンリブは顔をたたき返す」「フェミニズムはそれってセクハラですよと言う」と言ったらしい。まあ、何となく言いたいことは判る気がするけど。そして上野千鶴子さんは吉峯監督にも聞きたいことがあるという。沖縄へ通うようになって、「聖地」と言われる久高島を訪れガイドを務める人から話を聞く。その時のガイドの言葉は上野さんによれば、ありきたりのもので「田中さんは霊的に筋が良い」とかは誰にでも言ってるに違いないという。そういう場面が必要なのかと問うのだが、監督は実はその時田中美津さんは説明を聞きながら寝てしまった、それが面白くて映像を残したというのである。

 僕も寝てるのかなと思ったが、上野さんは深く沈み込んで熟考していると捉えたらしい。やはり聞いてみるべきだと語っていたが、しかし田中さんが「せいふぁうたき(斎場御嶽)」も訪ねているし、久高島も訪れている。沖縄にスピリチュアルな関心を抱いていたのも確かだろう。そういう方向性と「鍼灸師」として「身体」に関心を寄せたことはつながっているのか。まあ、きちんとメモを取らず聞いていただけだが、「田中美津」という人間の魅力とフシギが後世に遺されて良かったなと思った。どのカテゴリーにするか迷ったが一応「旧作日本映画」にしておきたい。
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『私生活』と『ラムの大通り』、BB(べべ)生誕90年祭

2024年09月16日 22時21分11秒 |  〃  (旧作外国映画)
 フランスの元女優、ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot、1934.9.28~)の生誕90年を記念して、「ブリジット・バルドー レトロスペクティブ」の上映が始まった。未公開映画3本(うち1本は記録映画)を含めて全11作品も上映される。こんなに多くては時間もお金も大変だが、まず作品的にも興味深い2本を見た。ブリジット・バルドーは「BB」(べべ)の愛称で呼ばれ、50年代末から60年代にかけて世界的人気を誇った女優だ。1973年の映画を最後に芸能界を引退し、その後は動物保護活動家として世界的に知られている。登場した頃は「セックスシンボル」としてマリリン・モンローと並ぶ存在だった。BBの初期映画のほとんどは「お色気」を売り物にするエンタメ映画だが、決してそれに止まらない魅力的な作品に出演してきた。

 BBが出たアート系映画としては、ゴダールの『軽蔑』(1963、アルベルト・モラヴィア原作)がある。日本では最近デジタル・リマスター版が公開されたので見ている人もいるだろう。その前年に作られたルイ・マル監督『私生活』(1962)は今度初めて見たけれど、非常に興味深い傑作だった。BB自身を彷彿とさせるジルという女優を自ら演じ、あまりの多忙に加え注目と悪意にさらされ失踪に至る姿が描かれる。パパラッチに追い回され常に見張られ自由がない様子は、見ている方も恐怖を感じるような迫力がある。ある種の「メタ映画」だが、このような「大衆社会で自己を失う恐怖」というテーマは当時よく取り上げられていた。
(『私生活』)
 ジュネーブからパリへ行ったジルは女優として成功するが、ある日アパートのエレベーターで「あんたの映画は見ない。恋人をすぐ取っ替えて信用出来ない女」と罵倒される。街で人々に見つかると追いかけ回され、もみくちゃにされてしまう。そんな日々に消耗し、ある日故郷のジュネーブの母の家に帰ってしまうが母は旅行中だった。昔の知人ファビオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と再会し、彼の助けで家に閉じこもって過ごす。ファビオは演劇雑誌の編集をしながら、演劇の演出もしている。その頃はイタリア中部のスポレート音楽祭に招かれて、クライスト(19世紀初頭のドイツの劇作家、詩人)の演劇を野外劇として上演する準備をしていた。音楽祭というが演劇やダンスもあり、1958年に始まったという。

 スポレートは小さな町だが古い町並みが残り素晴らしい。そこで行われる野外劇の様子も興味深い。ファビオは準備のためどうしても出かけざるを得ず、ジルは我慢できなくなって訪ねてしまう。失踪後初めて見つかって大騒ぎとなり、ファビオとの関係も揺らぐ。マルチェロ・マストロヤンニは『甘い生活』『イタリア式離婚狂騒曲』などキャリア絶頂期の「男盛り」である。ジュネーブ(レマン湖)、パリ、スポレートの街を映し出すのは、名手アンリ・ドカエのカメラ。ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』『恋人たち』『地下鉄のザジ』に続く劇映画第4作目。その次の『鬼火』(1963)が最高傑作レベルで、初期作品の中で『私生活』はほとんど忘れられてきた。しかし現代人の孤独と大衆社会の病理の考察として、非常に見事な作品だと思う。BBも最高。
(『ラムの大通り』)
 もう一つ、ロベール・アンリコ監督『ラムの大通り』(1971)を再見。他の映画は時代的に見たことがないが、この映画だけは若い頃に見て大感激した記憶がある。昔見た映画を再見するとガッカリすることが多いが、これは全く期待を裏切らないロマンティック映画だった。1925年、アメリカ禁酒法時代の話である。題名はラム酒をカリブ海で密輸するルートのこと。この前見た韓国映画『密輸1970』と同じく、目的地近くで海に密輸品を投げ込む。コーネリアス(リノ・ヴァンチュラ)は密輸船の船長で、沿岸警備艇に追われて船を失ったり苦労の連続。ある日雨に降られてたまたま映画館に入ると、リンダ・ラリュー(ブリジット・バルドー)の映画をやっていた。そして一目で心を奪われてしまった。
(『ラムの大通り』)
 ある日キューバにいたら海岸にリンダがいる。何とか話しかけ仲良くなり、ホテルに招かれるようになった。でも旅先の思い出だけの存在で終わるのか。恋敵の伯爵も現れ、リンダも次第に本気になっていく。一緒に船に乗ると、船長を無視して密輸に向かい、リンダがいるのに銃撃され…。憧れの女優と知り合い、恋人にもなって、今度は銃撃とは。この映画はアクション映画でも恋愛映画でもなく、ひたすらノスタルジックでロマンティックな夢のような映画だ。ロベール・アンリコ監督は『冒険者たち』でもロマンティックな夢を描いているが、『ラムの大通り』はもっとロマンティック。それは「禁酒法時代」「カリブ海」という設定からもうかがえる。こんなに夢のような映画も滅多にない。BBも年齢を超えて魅力的。
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主流派体制の崩壊、菅前首相の復権ー自民党総裁選⑤

2024年09月15日 22時02分12秒 | 政治
 自民党総裁選で候補者が乱立している事情として、「主流派体制の崩壊」が挙げられる。何しろ首相を出している旧岸田派から林芳正上川陽子、幹事長を出している茂木派から茂木敏充加藤勝信と二人も出ている。唯一「派閥」として残っている麻生派からも河野太郎が出ている。「派閥」がない(ということになっている)事情から誰が出ても構わないわけだが、これでは票が分散して負けるだけである。どうしてこうなってしまったんだろうか。(敬称略)
(総裁選立候補者の派閥)
 もともと「主流派」の内実はスカスカだった。岸田首相と茂木幹事長はすきま風が絶えず、それは茂木に次期首相をめざす野心が見え見えだったからだろう。党内では「人望がない」と言われつつも「能力は抜群」と言われる。幹事長は党の要なんだから、本来は首相に代わって裏金問題処理の先頭に立つ立場にある。しかし、安倍派の恨みを買いたくないのか、ほとんどタッチしなかった。今回の総裁選でも突然「防衛増税ゼロ」と言い出して首相は怒っていると報道されている。

 一方、麻生派を率いる麻生副総裁は唯一派閥を残したことで、すっかり「守旧派」イメージになってしまった。もともと岸田首相が相談なく岸田派解散を打ち出したことに怒ったと言われる。しかしそれもおかしな話で、「副総裁」なんだから「党の不祥事」に何の対策も示さない方が理解不能。「麻生派は問題ない」(そうでもないという話も出ているが、一応今回は刑事罰の対象にはなっていない)という認識から来ているんだろうが、党全体の危機にあたって、この無神経な対応はどうなんだろうか。むしろ麻生派を岸田派に続いて解散していたら、ずいぶん違っていたはずだ。
(麻生副総裁と茂木幹事長)
 この事態の遠因を探ると、結局は「安倍長期政権の弊害」に行き着く。安倍政権のナンバー2は麻生副首相だったが、年齢的にも一端首相に就任した経験上も麻生が安倍後を担うことは想定されていなかった。麻生副首相兼財務相は在任中にたびたび「失言」問題があったし、財務省にも様々な問題(セクハラ等)があった。それでも安倍首相は麻生を一切辞めさせなかった。それが何年も続いたわけだから、麻生が「自分は何を言っても大丈夫」と思い込むのも仕方ない。政治家に必須の「危機管理意識」「サバイバル能力」が錆び付くのも当然だった。今回の総裁選は「自業自得」の道を進んでいる。

 安倍首相は2018年に党則上最長の総裁3期目に入っていたので、遅くとも2021年には退任することが決まっていた。従って「後継者をどう育てるか」をはっきりさせる責任があった。しかし、有力候補としては岸田外相(その後政調会長)と菅官房長官、さらに外相、防衛相に抜てきした河野太郎などがいて、それぞれを「分割統治」する感じだった。「安倍派」(当時は細田派)も何人もの有力者が並び立ち、特に誰が抜きん出ているという感じもなかった。急逝後も「集団指導」とするしかなく、無理に後継会長を選べば分裂しただろう。そして安倍後継を決めることなく、派閥自体が解散することになったわけである。

 前々回の2020年総裁選は突然だったこともあり、菅官房長官が後継に名乗りを挙げ、立候補した岸田、石破に大差を付けて1回で当選した。(菅=377、岸田=89、石破=68。)党則上、任期途中の辞任の場合、後継総裁は前任者の本来の任期までとなる。従って、2021年9月に再び総裁選が行われたが、この時は菅首相が再選断念に追い込まれた。支持率が低迷する菅政権に岸田が批判を強め、「党役員は任期一年」と事実上「二階幹事長交代」を打ち出した。菅は内心では岸田に対して面白くない感情を抱いていて、「岸田が自分を追い落とした」と思っているのである。

 結局、2021年総裁選は、岸田文雄河野太郎高市早苗野田聖子が立候補し、第1回投票では岸田(256)、河野(255)、高市(188)、野田(63)。決選投票が行われ、岸田(257)、河野(170)で岸田文雄が当選したわけである。その時は衆参議員票が382票で、党員・党友票が同じ382票に設定された。党員票は河野(169)、岸田(110)と河野優位だったが、決選投票では岸田が当選した。その後の組閣・党人事で、麻生太郎副総裁、甘利明幹事長、官房長官は松野博一(安倍派)、外相には茂木敏充(留任)で、岸田内閣では岸田派、麻生派、茂木派が「主流派」となり、安倍派も実質的に主流派だった。
(小泉進次郎を支援する菅前首相)
 菅前首相にとり、3年前のリベンジが今回の総裁選。小泉進次郎を全面的にバックアップし、岸田政権の主流派を解体させた。横浜の街頭演説で菅も応援演説をしている。しかし、あまり菅が前に出ると「長老支配」が露骨になるので、もう人前では応援しないらしい。同じ神奈川県連で関係の深い小泉とはずっと「無派閥」が共通している。河野太郎が麻生派を抜けなかったので、前回支持した菅も見限ったということだ。経験不足の小泉陣営を菅が支えているようで、「小泉政権誕生なら副首相か副総裁」などと公然と取り沙汰されている。

 この「政治に関心がある人なら誰でも知っている」菅の影響力がプラスになるか、マイナスになるか。事実上「菅派の締め付け」を行っているらしく、明るみに出れば批判が高まるかもしれない。清新イメージの影に長老支配あり。そう思われたら人気に影響するだろうか。僕には判断出来ないが、菅首相は「自助、共助、公助、そして絆」が自分の信条だとあからさまに述べた人物だ。首相就任直後に「学術会議会員任命拒否」をした人である。今も僕は許せない思いを抱いている。菅前首相がバックにいる小泉政権なんて、とんでもないものになるに違いない。(もっとも誰が総裁になっても同じようなものかもしれないが。)
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小泉進次郎の弱点は「若さへのジェラシー」ー自民党総裁選④

2024年09月14日 21時53分17秒 | 政治
 プロ野球ヤクルト・スワローズ青木宣親選手(42)が今シーズン限りで引退すると表明した。日米通算3128本はイチロー、張本、王、野村に次ぐ日本選手第5位である。あっ、そんなに打ってたんだ。現在最年長のプロ野球選手、同じヤクルトの石川雅規投手(44)は来季も現役を続行する意向だという。大体のプロスポーツ選手は長くやっても40代前半ぐらいで「引退」になる。(まあサッカーの三浦知良という人もいるが。)ところで青木、石川両選手の真ん中なのが、自民党総裁選に立候補している小泉進次郎氏(43)だが、政界では「若手」になる。もし総理大臣に就任したら憲政史上最も若い首相である。

 自民党総裁選が9月12日に告示され、9人が立候補した。(出馬を模索していた野田聖子、斎藤健、青山繁晴3氏は推薦人が確保出来なかった。)抽選による届け出順で、高市早苗経済安全保障担当大臣(63)、小林鷹之元経済安全保障担当大臣(49)、林芳正官房長官(63)、小泉進次郎元環境相(43)、上川陽子外務大臣(71)、加藤勝信元官房長官(68)、河野太郎デジタル大臣(61)、石破茂元幹事長(67)、茂木敏充幹事長(68)の9人である。
(日本記者クラブの討論会)
 今回の総裁選は9人という異例の大量立候補になった。その結果、一回目の投票で当選者は出ず、上位2人の決選投票となる。総裁選は議員票367票党員票367票合計734票で争う。常識で考えて、推薦人と本人は投票先が決まってるわけで、20×9+9=189票がもう決定している。これは議員票の約半分である。党員票と言ったって、ある程度はバラけるだろう。議員票の残り半分90を確保し、さらに党員票の半分を獲ったとしても180票。推薦人と合わせて300票にもならないから過半数を獲る人は出ない。小泉氏や石破氏が比較的強いと言われているが、党員票の半分は無理だろう。従って必ず決選投票になるのである。

 さて、自民党は今裏金問題をきっかけに支持率が低下している。今秋にも衆院選、来年7月には参院選があるということで「猫の手も借りたい」気持ちだろう。とにかく「選挙の顔」になる清新で人気のある新総裁を求めている。となると何と言っても小泉進次郎か。実は小泉氏が出馬会見を行ったのが川村記念美術館に行った日なので、ラジオで会見を聞いていた。なかなか威勢が良かったし、「選択的夫婦別姓」「解雇法制」「憲法改正」など「決着」を付けると意気込んでいた。
(決着を掲げる小泉進次郎氏)
 小泉氏の「決着」はその内容の評価はともかく、そういう論点を設定したことで総裁選の論戦を促した役割はあっただろう。そこでやっぱり「小泉が有力か」と言われるわけだが、小泉進次郎にウィークポイントはあるだろうか。必ず決選投票になる以上、小泉氏以外の人が皆反対候補に入れれば敗れることになる。今の予測では上位に入ってきそうな候補は、小泉、石破、高市に加えて、小林、上川あたりまでじゃないかと予想されている。残りの林、加藤、河野、茂木には上位2人に入る可能性はない。

 上位に入ってきそうな石破氏や高市氏も党内では反発が多い方の政治家である。そうなるともう片方が小泉氏だと、多くの人は小泉氏に入れそうな気もする。だけど僕が予測するに、必ずしもそうは言えないんじゃないか。今回小泉氏が新総裁となり、目論み通り衆院選、参院選で自民党が勝つとする。次回の参院選は2028年、衆院議員の任期は2028年まで。次の自民党総裁選は2027年である。よほど大きな失政があれば別だが、支持率が高いままなら小泉再選は堅い。党則上3期9年は出来るとして、そこまでは誰にも予測不能だが、一応今回小泉政権が誕生すると6年間は続くと見た方が良い。

 そうなると、先の候補一覧に年齢を入れておいたが、自ら「最後の戦い」という石破氏だけでなく、上川、茂木、加藤氏などに加え、高市、林氏なども次は厳しい。年齢的に次々回総裁選も出られそうなのは、小林鷹之氏ぐらいではないか。今回これほど多数が立候補した理由には「派閥」の問題もあるが、一番大きいのは「自分が出られるのはこれが最後かも」という思いではないか。総理になれなくても、総裁選に立候補すれば「総理を目指した政治家」の証を歴史に刻むことが出来る。自分だって当選が難しいぐらいは理解してるだろうが、やはり「一度は総理を目指してみたい」のである。

 そのことを考えると、「大幅な若返りを避けたい」という公には言えない理由で、「石破でも良い」「高市でも良い」という人が出て来ないとは言えない。いや、むしろ「イケメン、弁舌爽やか、美人妻」に対するジェラシーは根深いと想定しておく方が良い。そんなバカな、いやしくも国会議員たるもの、国益、党益を最優先に判断するなどと思うわけにはいかない。みな終局的には「自分優先」であって、だから裏金問題なども起きている。もちろん、公的には「小泉氏は国政の最高責任者を担うには経験が不足している」として、「国益のために判断した」という言うだろうが、内心は自分より圧倒的に若い小泉には入れたくない。

 僕はそんなことも考えてしまう。高齢男性のジェラシーは怖いのである。それを避けるには、党員投票で圧勝する必要がある。2012年総裁選では党員投票トップの石破氏を、決選投票で安倍氏が破ったわけである。これは今度は出来ないと思う。大きな批判にさらされている自民党は、党員投票で誰かが大差で1位となった場合、2位候補には「辞退圧力」が掛かるだろう。しかし、党員投票でどれほど獲れるだろう。党員も国会議員の要請でなっている人が多いだろうし、その地方出身議員が出ていればその人に入れるだろう。何でも小泉氏が銀座で演説し5千人が集まったとか。やはり「人気」はあるので、選挙のことを考えれば小泉かと思いつつ、何とか小泉に入れなくて済む「失言」を待っているという自民議員も多いと思う。
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