「1995年」を「現在史」の起点と考えて、今の日本を理解しようというシリーズ。基本的には「1995年に起こったこと」を基にするわけだが、ここで一回「1995年前後に起こらなかったこと」を取り上げたい。それは「ベビーブーム」「第二次ベビーブーム」に続く「第三次ベビーブームは起きなかった」という厳然たる事実である。それは以下に示す1960年から2023年までの出生数推移グラフを見れば一目瞭然である。それはなぜだったのだろうか。
戦争が終わって兵士たちが長い戦争から帰還してきて、1947年から空前のベビーブームが始まった。その年が267万9千、翌48年が268万2千、49年が269万7千と最高を記録し、以後233万8千、218万8千、200万5千と1952年まで年間200万を超えていた。これは第二次大戦を経験した諸国に共通した現象だったが、日本では後になって「団塊の世代」と呼ばれるようになった。その後、漸減するけれど150万~170万程度で推移し、有名な1966年の「ひのえうま」の136万1千を例外として、翌年から再び増えていく。そして、1971年から74年まで4年連続で200万を超える出生数があり「第二次ベビーブーム」と呼ばれた。
当時の平均初婚年齢を調べてみると、女性の場合は23、4歳だった。1947年生まれの女性は、1971年に24歳となる。平均だからもっと早い人も遅い人もいるわけだが、第一次ベビーブーム世代が結婚する時期を迎えて、出生数も増えたわけである。(なお、この頃に生まれた子どもたちは、1980年代半ば以後中学、高校に進学する時期を迎える。その時期に教師をしていたので、進路決定や学級増などの対応が大変だったことをよく覚えている。)1971年生まれの女性は1995年に24歳となる。当時の平均初婚年齢は26歳ほどだが、早く結婚する人もいるわけだから1995年ぐらいから出生数が増加に転じてもおかしくない。
そして実際に1994年は前年よりも出生数が多かった。しかし、上記グラフを見れば判るように、その後減る一方だったのである。婚姻数を調べてみれば、90年代前半にやはり増えているのである。出生数と婚姻数のグラフを見比べて見れば、よく判るだろう。出生数はほぼなだらかに減り続けているのに対し、婚姻数は一端増加する時期があった後で減少に転じている。それは何故だったのだろうか。よく言われたのは「女性の高学歴化」「女性の結婚年齢の上昇」ということで、高卒で就職していた女性も4年制大学や専門学校に進学する人が増えた。社会に出る年齢が高くなるに連れ、結婚・出産も遅れ気味になったので、「第三次ベビーブーム」は少し遅れてやってくるという観測も多かった。だけど結局それは起こらなかったのである。
そこで「バブル崩壊」「就職氷河期」に直面下世代だったということが指摘された。1986年に「労働者派遣法」が成立して、派遣労働者が増えた。当時の家族意識は、子どもは2人(あるいは1人か3人)、出来れば大学に進学させたい、家の祭祀継続のため男子をどうしても望むという人は少なくなっていた。だから、それなりの安定した収入がなければ子どもを持つことをためらう意識が強くなっていただろう。それでも、ベビーブーム世代は安定した職に就いていたから結婚したわけではない。むしろ安定した職にない人でも、かえって周囲が面倒を見て結婚したケースが多いのではないか。
その頃高度成長が一段落して、「日本的」な生活様式が整備されていく。「一人でも生きていける社会インフラ」が成立したことが大きいのかも知れない。「コンビニ」はその象徴である。60年代から70年代に「電化社会」が完成して冷蔵庫や洗濯機がどの家庭にもあるようになった。もし冷蔵、冷凍製品を家で保管出来なければ、「一人暮らし」はとても大変だったはずだ。そして80年代以後にコンビニが増加する。一人でも十分暮らしていけるのだから、結婚や出産は「もっと理想的な出会い」のために待てるようになった。シングルの人生というのは決して珍しいものではなくなったし、不幸せを意味するものではなくなった。
「一人でも生きていける社会」の成立は、社会の進歩であって元に戻せるものではない。社会を維持する人口確保という意味での「少子化対策」の時期はもう通り過ぎたと思う。もはや人口増加社会はやって来ないので、何らかの対策を取れば人口が増加するというような幻想は持つべきではない。むしろ「いまを生きる人々がもっと幸せになれる社会システムの構築」という意味で、「結婚の多様化」を進めていくべきだと思う。「夫婦別姓」や「同性婚」は当然だが、相続などに関わらない「相互扶助システム」を作っていく必要がある。厚労省による人口予測(上記グラフ)を越えて出生数減少が進んでいるのだから。