「パリーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄」を読んだ。構成・文は雑誌編集者の元永知宏氏。
元大毎オリオンズ監督の西本幸雄がパリーグのお荷物球団だった阪急ブレーブス、近鉄バッファローズを常勝球団にするための奮闘、葛藤、悲運を描いたスポーツノンフィクション。
パリーグのお荷物球団だった阪急ブレーブスで昭和38年から指揮を執り、5年後の昭和43年にリーグ初優勝。その後、山田、加藤、福本らを育て常勝チームにする。48年に退任し、翌49年から、これまた万年Bクラスで弱小球団の近鉄バッファローズの監督に就任。54年にリーグ初優勝。指揮をとったチームは確実に強くなった。しかし大毎、阪急、近鉄の監督として8度日本シリーズ出場もことごとく敗退した。
特に昭和54年の広島との日本シリーズ3勝3敗で迎えた第7戦。この試合は9回の裏、4対3で近鉄がリードされて無死満塁のチャンスを潰して惜敗。江夏の21球として後々野球ファンの間で語り草になっている。当時、実家のテレビで観てた。小雨が降って、どこか哀愁があって昭和の野球史に残る1シーン。手に汗握る試合というのはああいう試合のこと。
この本を読んで知ったが、監督信任投票事件、羽田殴打事件、鈴木啓示との軋轢etc、エピソードは事欠かなかったようだ。近鉄の監督を辞めて、数年後、阪神が監督要請したこともあったが実現しなかった。実現してたら日本のプロ野球史も大きく変わっていたはず。
西本さん、去年の秋に永眠。享年91才。葬儀で阪急、近鉄の教え子たちが棺桶をかついだ。元選手にとっても監督にとっても感無量だったと思う。 凄いのが教え子の梨田(近鉄、日ハム)とマニエル(フィラデルフィァ・フィリーズ)が監督になって強力チームを築きあげたこと。西本野球の遺伝子は、いまなお受け継がれている。
このユニフォーム懐かしいねえ。牛のマークのデザインは岡本太郎!
昨日、山下智久(山ピー)のひとりぼっちのアメリカ ルート66視た。アリゾナ州までたどり着いた。彼の「愛テキサス」という曲がヒットしているらしい。ドラマの主題歌だけど、最後の方の歌詞はアメリカでのドライブを連想させるな。