前回、角田さんの本を借りたのに、期限内に読み切れず
そのまま返却してしまったので、今回はまず角田本から、と
決めて、図書館の文庫の棚からこちらを借りてみました。
題名の潔さと表紙のデザインに惹かれて。
※うちで愛用している牛乳石鹸みたい笑
「もうひとつ」「月が笑う」「こともなし」「いつかの一歩」
「平凡」「どこかべつのところで」の6つの話からなる短編集。
もしもあの時に別の方を選んでいたとしたらー。
誰もが一度や二度(いや何度も)自問自答したに違いない
自分の人生の分岐点(あるいは分岐点だったと後から
気が付いたある時点)を考えたり、思ってみたり、悔やんだり
している人たちの話。
自分自身がもっと若かったら、あの時の私はああだったとか、
ああするべきだったとか、あれこれ思い返しては、胸が
痛んだかもしれませんが、今の私は、決して強がりではなく、
「今の、ここ」が(ほぼ)最良の選択だったと思っているので、
わりとさらっと読み終えました。
そしてあとがきに辿り着いたら、私のこんな心情をとても
上手く、佐久間文子さん(文芸ジャーナリスト)が書いてくれ
ていました。
人生に無限の可能性を見ているとき、「平凡」は確かに呪いの
言葉だったろう。けれどもある程度、年を重ねてみればその言葉
は祈りや祝福に似ていると気づく。これといったドラマチックな
ことが起こらなくても、当たり前に毎日を送れることがいかに
幸せか知った後では。
*** ***
そのむかし、私が10代の終わりか20代のはじめ頃のある日、
川越に住む母方の祖父が一人で電車に乗って、私の家に遊びに
来たことがあり、そんなふうに訪れることは(私の記憶では)
初めてだったので、早い夕ご飯をいつもは使っていない部屋で
皆で食べることになり。そして、いい感じに酔いがまわった
祖父は帰る間際、何の脈絡もなく、「○○ちゃん(私のこと)
の両親は、ほら見ての通り、フツーの平凡な人なんだから、
○○ちゃんだっておんなじようになるのは、もう決まってるんだ」
と言いました。
えーなんでそんなこと突然言うの?この私に??と胸の中では
おそらく憤慨しながら、でもおじいちゃん酔ってるし、でも
おじいちゃん何にも私のこと知らないし、と思っていました、
たぶん、きっと。
それから数年して祖父は他界したので、その日のことが余計に
記憶に刻まれたのかもしれません。
この話にオチはなく、ただ「平凡」という言葉から連想する
エピソードとして(あるいは私にまとわりついていたある種の
呪いとして笑)書いておきたくなりました。