たしか、インスタで友達の紹介文を読んで‥なにこれ、
こんな本あったんだー!と急いで図書館に予約したの
だったと思います。
日本語タイトルがいいですよね?
村上春樹の「せいで」、何が起こった??と
とても興味を惹かれました(笑)。
作者は、韓国の作家イム・キョンソンさん。
いかに自分が村上春樹から影響を受けてきたか、を綴ったエッセイ
なのかと思いきや、春樹氏の著作はもちろんのこと、経歴や過去の
様々なエピソード、奥様のことまで、詳細に語られている研究本でも
ありました。
若い頃から熱心なファンだった私にとっては、88%くらい?は、
知っていたことなので、自分の中での「確認」になり、
あまり読んだことがない初心者の方にとっては、これ1冊押さえて
おけば、村上春樹の学生時代がどんなふうで、前職は何で、
どのような経緯で作家になったのか等々が簡単にわかる凄い本です。
お父様の仕事の関係で、海外と自国を行ったり来たりしながら、
青春期を過ごした作者が、アイデンティティ確立の過程で、
村上春樹という作家に惹かれたのは、頷けるし、その思いを
素直に書いているところに好感が持てました。
副題の「どこまでも自分のスタイルで生きていくこと」は、
作者の思いというか、決意の現れですよね。
面白く読みましたが、私が知らなかった10%くらいのことを
(残り2%は誰にもわからない部分)
知っていたことに長年のファンとして、ほんのりジェラスを
覚えました(笑)。
名前は知っていても、なんとなく読む機会がないままだった
自分にとっての「新しい作家」の本、読みました。
作者の川上未映子さんは、春樹氏との対談本があったり、
なんとなく華やかなイメージがあったので、この本も
キラキラした恋人たちが出てくる恋愛小説なのかなーと
(勝手に)思っていたのですが。
主人公の入江冬子さん34歳の、孤独な毎日と、
孤独だった過去の日々にページは埋められていて、
なかなか「恋人」が現れない展開でした。
でもそれが退屈なわけでも、じれったいわけでもなく、
自分にとっての初めての川上さんの文章は、むしろ心地よく、
誕生日の夜に、冬子が町をひとり歩く場面や、冬子が窓の外を
ただ眺めるこんな描写が響きました。
動くものと動かないもののあいだを満たしてゆく
インクのような夜の濃さを、わたしはコーヒーカップに
唇をつけたまま、ぼんやりと眺めていた。
ただ、途中読んでいて苦しくなったのは、冬子がアルコールに
依存し始めたとき‥。
缶ビールやワンカップの力を借りなければ、カルチャーセンターの
受付でさえ話す勇気が出ない、孤独の深さに胸が痛くなったのでした。
ひりひりするような孤独の殻から出ていくためには、力づくで
その殻を割るのでも、縁側昼寝のようにぼんやりと温めるのでもなく、
水分を与え、輪郭をまず滲ませ、外と内との境界を曖昧にしていくのが
いちばんだったのかなー、と、ゆうべお風呂の中でふと思ったり。
文庫本の帯に書いてあったような、恋はこんなにも孤独で、せつなくて、
涙が出るほど美しい。とか、天才が紡ぐ繊細な物語に超感動 とか、
これが、究極の恋。とかそこまでは、思わなかったけれど、人を好きに
なった時間は無駄ではなかったよね、とそっと背中に言ってあげたい
ような気持ちです。
それにしても、タイトルの「すべて真夜中の恋人」。
何度口の中でなぞってみても、頭の中に吸収されていきません(笑)。
(それゆえココロに残る、さすがのタイトルだと思います)
すべて、真夜中の恋人 だったら、真夜中を歩いている、
真夜中という時間に属している人たちはみんな恋人同士みたいな(?)。
すべて真夜中、の恋人 だったら、(自分の)恋人が存在していた
時間はいつでもその全部が真夜中だった、という印象になるし。
もし、一文字増えて すべてが真夜中の恋人 とか、
すべての真夜中の恋人 とか、すべては真夜中の恋人 だったら?
タイトルからくる印象はだいぶ変わってきますよね。
もしかして、冬子の恋も、あの時句点をひとつ入れてみれば、
あと一歩踏み出して、助詞を一文字変えてみれば、三束さんとの恋も
違う方向に進みだしたりしたのかなーと、そんなことも思ってみました。
読書の記録を、その流れを感じながら(?)残しておこう
と思った年の初め‥。
12月は2度続けて『グレート・ギャッビーを追え』を
読んでいました。それは『一人称単数』からの流れ、というか、
その2冊は店頭に並んでわりとすぐに購入したのですが、
なんとなく、図書館からの本を優先して?いや、買ってすぐに
読み終わってしまうのがもったいなくて、とっておいたのです。
表題作の「一人称単数」のラストは、半年前に読んだ
チーヴァーの「泳ぐ人」のラストを私に思い起こさせました。
漂う空気の冷たさがとても似ていると感じました。
ジョン・グリシャムの小説を村上春樹が訳す!それだけで
興味津々でしたが、邦題はどうかなー?微妙だなーというのが
私の率直な感想。あとがきで春樹氏はこれ以外は思い浮かばなかった
と書いてたように、たしかにフィッツジェラルドといえば、
ギャッツビーだし、たしかに「追って」はいるのですが、邦題からの
イメージだと、もっと追って欲しい、というか、もっとコナン的な
刑事ドラマ的な展開を期待してました‥(笑)
その点からいくと、この小説のクライマックスは「そこ」では
なかったのが残念、かな。海辺の町とか、疑似恋愛とか、せつない系
の気持ちは満たされたような気がしました。
そしてここからが、(やっと)年越し。4冊予約していた本のうち
年末に3冊を借りることができ、どれから読もうか迷った結果
この本から。
表紙だけ見て、そそられて、借りてみたら
絵本ではなくて(勝手に絵本だと思ってた)詩集でした。
作者は1990年生まれ、早稲田大学文化構想学部卒。才能のある
方なんだと思いました。
短い詩ばかりではなく、散文形式の短いお話もあり‥
保育園の頃に、私にはお父さんが二人いた、と始まる「おとうさん」
がわかりやすかった。
SNSに流れてきたので、
借りてみました。(私と)等身大の主人公が出てくる等身大のはなし。
本文中で紹介されている「水曜日郵便局」。
実在していた!と知ったのは読了後だったけど、もし今もやっていたら、
私は私の水曜日を書き記して見知らぬ誰かの元へ届くことを想って、
送ったのだろうかー。
厚く重たい本を想像していましたが、
文庫本になってました。
アラスカ・インディアンに語り継がれる知恵と勇気の物語‥。
日本でも姥捨てがあったように、部族や集落が生きのびるためには
弱者を切り捨てていくことも必要、という考え方。
置いていかれたのが、おじいさんではなく、おばあさんであったこと、
そして二人が置き去りにされた屈辱をばねに、生き抜いてやろうと
決めたことが(私の)ココロに風を吹かせ、二人を応援しながら、
時に見守りながら、そして終始祈りながら、読み進めました。
人して生を受けた以上、自分にできる限りのことを続けていく
努力をしていこうと、素直に思わせてくれる本でした。
次の読書は、貸してもらった本といただいた本。
恋愛ロマンス系みたいです。
2021年
あけましておめでとうございます。
静かで穏やかなお正月を過ごしました。
12月21日の上映開始日にも観たのですが、
(その時はひとりで)
お正月休みに、娘と二人で、この映画を観ることが
何よりも楽しみで(笑)、ビッグイベントでした。
(11月、たった一夜限りのコンサートに、いったい
何人が応募したのでしょうね‥。)
部屋を暗くして、ソファの向きを変えて、MAC大音量で。
もちろん、いちいちの拍手あり、で。
どの曲ももちろん知っているのですが、順番が変わり、
聴く時期が変わると、よく口ずさんでいた歌でさえ、
まったく違ったように聴こえるから不思議です。
「映画」なので、音質はもちろん、アングルも照明も
とってもよい感じでした。
コンサートの前の晩、娘と予想し合ったセトリ。
私は2つくらい当たっていたかなー。娘は「聴けたらいいな」と
言っていた曲が演奏されて、すごく嬉しかったそうな。
最初にひとりで観たときに、涙がでてきた曲と、
1月3日では、泣いた曲は別でした。前にもライヴで聴いたこと
あったのに、その時はフツーだったのに、このたびは刺さりました。
♬ どうか正夢 君と会えたら
何から話そう 笑ってほしい
ココロおきなく、いろんな「君」と会って話せる2021年が
一日も早く来てほしいものです。
朝、窓を開けて、空を見上げて祈りましょう。
今年もどうぞよろしくお願い致します。