9月も、8月からの「掛け持ち読書」は続いて
いましたが、なんとか4冊読み終えました。
物語やエッセイ以外の本を自分から選ぶことは
ほとんどなく‥この本も「先輩」から勧められて
読んだのですが、思いの他読みやすく、そして
「発達障害」を抜きにしても子育てのバイブルに
なるような内容でした。
たとえば‥
脳をつくり直すのは「生活の改善」
1 脳の育て直しができ、脳のバランスが整う
2 セロトニン神経を育てられる
3 睡眠が安定する
そのために
1、朝日を浴びる
2、十分に眠る
3、規則正しい時間に食べる
何よりも睡眠と早起きが大切
「傾聴」と「共感」
役割を人からもらう感謝が子どもの自己肯定感を
底上げしていきます ‥
9月に観た映画のところにもちょっと書きましたが、
旅の復路の飛行機が台風の影響で飛ばなくなったため
旅行の予定を一日延ばして、米子に泊まり、翌日
岡山から新幹線で帰ることになりました。
車中退屈しないように、本屋さんで何か買おうと
思い立ち、そこで選んだ文庫本。
旅といえばやはり沢木さんだよねーという気持ちと
東北新幹線の車中にある雑誌で、掲載されていた
エッセイを読んだことがあったので、新幹線で読むのが
とてもふさわしいように思えました。(厚さというか
ちょうどよい薄さだったし)
このエッセイの中に『春に散る』のシーンを思いついた
桜並木のエピソードがあり‥もしこの文庫を手に
しなければ、その映画も観ないまま通り過ぎてしまった
なーと、偶然の積み重ねに、ちょっとココロ楽しく
なりました。
あの『春に散る』の物語は、主人公の元ボクサーが
この道を歩くシーンで終わりにすればいいのではないか
と思いついた。いやそう思いついたとき『春に散る』
というタイトルが確定したのだ。
8月に映画を観たあと、岩井俊二監督が書いた
「原作本」があると知り、図書館で借りて読んで
みました。
この表紙の通り、小説の中でのキリエは頭の中で
アイナジエンドに変換され、イッコは広瀬すずに
すぐに変換されてしまったけれど、演技からだけでは
(わたしが)汲み取れきれなかった細やかな感情が、
文章を読むことでよくわかった箇所もあり、そうか
やはりそうだったのかーと答え合わせをするような
気持ちもありました。
映画のラストシーンで、ネットカフェのシャワー
ブースを出たところでキリエとすれ違った女性に
何か意味があったのかなーと思っていたけれど、
小説にはちゃんとその続きがあって‥イッコが
捨てたと言った「まおり」という名前を「貰って」
後に本を書いたという設定付で終わってました。
(もしも、小説を先に読んでいたら、映画を観た私は
どう思ったかなーと思ってみたり)
未読の江國作品を図書館の棚で見つけたので
借りてみました。タイトル通り、本のこととか
その周辺のことを、ちょこちょこっと書いた文章を
まとめたエッセイ集。
さようならを言うのはすこしのあいだ死ぬことだ
と言ったのは、フィリップ・マーロウだけれども
散歩するのもまた、すこしのあいだ死ぬことだ。
日常からはみだすこと、日常がそこでふっと切れて
時間が停滞するというか、ゆるくかたまる、
くず湯みたいに、そういう意味で、散歩と旅と
お風呂は似ている
こういうところにエクニカオリという人がとても
よく表れていて‥そういう世の中の捉え方みたいな
もの(あるいは感覚)が好きか嫌いかで、彼女の
作品に対する評価も変わってくるのかなーと思い
ました。
もう9月が終わってしまったというのに、
今日も半袖Tシャツ着ています。。。
8月は図書館の返却期限のために、読みかけを中断
したり、旅の途中で文庫本を買って、新幹線の中で
読んだりと‥何冊も掛け持ちしてましたが、結局
ちゃんと読み終わった本は3冊でした。
どこかでレビューか、読んだ方の感想を読んで
図書館で借りて読みました。
第二次大戦後のアメリカ、シカゴが舞台。
南部からの「大移動」があって、黒人文化が花開いた
あとのシカゴの町。
「いなかもの」と、同級生から虐められるが、仕事で
疲弊している父には言えず、母を失った寂しさを
うちに秘めたままで暮らしている主人公を癒して
くれるようになったのが、町の図書館‥。
それだけでも、良い話なのに、自分の名前が
亡くなった母が好きだった詩人の名からとったもので、
母がかつて父に宛て書いた手紙にも、その詩の一節が
引用されていたことを知っているのは、自分と母
だけなのだということに気づいた主人公が、一層
心を強いものにしていった、という素晴らしい
ストーリー。
(もしプリンスの映画を観ていなかったら、南部から
北部の町へと、大移動があった背景を知らなかった
ので、すんなりと話しに入っていかれなかったかも、
と、思うと、いろんなところで、自分の中の「偶然」
は繋がっていて面白い)
辻村作品が読みたくなって、図書館の棚から
探してきました。
詐欺を題材にした短編が3つ。
「2020年のロマンス詐欺」
「五年目の受験詐欺」
「あの人のサロン詐欺」
詐欺なので、だます人とだまされる人が
それぞれ描かれているわけで‥読み進めるうちに
どの作品も、胸が痛む。
だます側に加担させられてしまった人、そんな
つもりはなかったのに結局はだましたことに
なった人、だまされていたようで、実はその人も
誰かを欺いていた人、などなど‥。
誰でも(きっとすぐに)どちらの側にもなって
しまう可能性がある(と思う)。私はきっとそう。
最後のさいごに、そんな自分を瀬戸際から救って
くれるのはなんだろう、と思う。
自信はまったくないけれど、救うのは、たぶん
それまでの自分しかいないのではと、最後の話の
ラストシーンを読んで、そう思った。
でも、その後の世界でも、人生は続くんだ。終わった
方が楽だけど、悔しいけど、続くんだー。
迷いはなかった。どうして体がうごくのかわからない。
谷嵜の胸の真ん中に手を置いて、紡は両手の掌をクロス
しては重ね、渾身の力を込めて体重をかける。
久しぶりの「まかてさん」作品。以前に図書館で
借りたが、読むまでに至らず、二度目の挑戦。
昔話のような語り口で「草どん」と子ぎつねの
やりとりから始まるので、最初はこの「中」に
入って行かれるのかー?と思っていたけれど、
草どんが請われるままに語る昔話が、自分の知って
いるものと同じようでいて、すこし違い、
まかてさんの文章のうまさとあいまって、気づけば
面白く読み進めていた。
特に「浦島太郎」の話を、亀目線で語っていく話は
とても面白く、竜宮城が江戸時代の御城のようで
愉快。
中盤の「小太郎」が登場してくるあたりから、
全体のトーンが変わり(解説によると‥作者は
はじめのうちは民話を小説にするとは破壊行為
ではないか、という気持ちもあったが、私は
小説家なので、小説しか書けないとアクセルを
踏み込んだ‥)、とても惹きこまれた。
雲上(神さまのいらっしゃる世界)と雲下
(わたしたち下々の民の世界)とはそうって
繋がれていったのか、と夢中で読んでいる自分に
気が付いたときには、物語は終わっていました。
7月に読み終えた本は3冊でした。
図書館でなんとなく借りてきた山内作品。
(いっつも伊坂さんばかり読んでるのもねーという
気持ちから‥)
タイトルに惹かれて手にしたので、内容はまったく
知らず。読み始めて軽く驚いたのは、ほとんど主人公が
男子(あるいは男子目線の)短編だったこと。
高校生男子ってこんなこと考えていたんだーとか、
高校生女子って、いまどきはこんななの???とか。
役者を辞めて就職したものの、やはり会社社会に
馴染めそうもない男を、その会社の先輩が
「おれが逃がしてやる」という作品が一番良かった。
女子が主人公でなくても、地方出身者でなくても、
各個人がそれぞれ持ってる悲哀みたいなものは
変わらないよねーと思ったり。。
作者は(やはり)洞察力に優れ、文章がうまいのだろう。
どの物語も気持ちよく読み切れた。
会社の同僚から『ルビンの壺~』と一緒に借りた本。
東野作品は、映画化されたものは観たことがあるけど、
小説を読むのはもしかしたら初めてだったかも。
「ブラック・ショーマン」が実際にステージで
活躍していた頃のことがもっと語られるのかなーと
期待していたが、ストーリーは「名もなき町」での
「殺人」を、彼の洞察力や推理力や、手品師としての技?を
駆使して解決していく‥といった感じ。
いろんなところでタイトルを目にして‥図書館で予約。
そうなんだ、婚活のはなしだったのか、と思いながら
読み始め‥タイトルの意味はどこから?と考えていたら
110ページで、結婚相談所の小野里夫人から語られる。
現代の日本は、目に見える身分差別はもうないですけれど、
一人一人が自分の価値観に重きを置きすぎていて、
皆さん傲慢です。その一方で、善良に生きている人ほど、
親の言いつけを守り、誰かに決めてもらうことが多すぎて
”自分がない”ということになってしまう。傲慢さと
善良さが矛盾なく同じ人の中に存在してしまう、不思議な
時代なのだと思います。
小野里夫人はさらに‥
自分はいくら、何点とつけた点数に見合う相手が来なければ
人は”ピンとこない”と言います。中略 私の価値はこんなに
低くない、もっと高い相手でなければ私の値段とは釣り合わない。
ピンとくる、こないの感覚は、相手を鏡のようにして見る
皆さんご自身の自己評価なんです。
婚活というものをしたことがないので、正直、そこに「居る」
人の気持ちはわからない。でも、〇〇活と名前がついてしまう
(付けてしまう)とやらねば、どーにかしなければ、と焦りが
出てくるのは、一応シュー活は経験したので、よくわかる。
主人公の真美。たしかに「善良」なよい娘さんだった。
真美の両親の気持ちも、もうそっちの立場なので、理解できる。
理解はできるけれど、なにそれと思う。2020年代に入っても
みんなそんな「親」を持ち、自分の気持ちと親の気持ちの
板挟みになったりしていることに驚いた。私の時から、40年
くらいたっているのに。。。
三分の2くらいまで読んでも、気持ちはなんか苦しくて‥
そして、この先この二人はどうなってしまうのか知りたくて。
これが読書の醍醐味なのか??と思いながら、終盤まできて、
そしてわりとあっさり物語は収束していった。
謙虚で自己評価は低いのに、自己愛だけはやたら高い、
だから傷つくことや変化を怖がる
真美が自分のことをこう分析していた。
多かれ少なかれ、誰にでもあてはまる。ここに辿り着かせる
作者、すごいなーと思いました。
6月に読み終わった本は4冊でした。
1年の半分が終わったので、この半年間はどんな感じ
だったかさらっとみてみたら‥だいたい1か月に
3冊から4冊読み終わっていて、そのうち1冊は
伊坂作品が入ってました(笑)。
今月も、結果的に2冊読んでいて、もうそろそろ
読んでない作品がなくなってきそうで焦ってます。
だいぶ前から読みたいと思っていて‥
ようやく「辿り着いた」感。
デビューから3冊目の本だったことを、読み終えて
から知る。(道理でわかりやすいヒントがあった
なーと思った)
のちに、成瀬がクロサワに繋がっていくのかなあと
思ったり。特殊能力を持った人や、あり得ない
ことができる人はこんな初期から登場していたんだ、
と思ったり。
楽しみながら読んで、また最初にもどってパラパラ
みているうちに、2回目も読んでしまった。
未読の江國作品を図書館の棚で見かけたので
借りてみた。家族の群像劇のような、いくつかの
家庭のパッチワークのような物語。そしてその中心に
居るのは三人の、80代半ば過ぎの、かつての仕事
仲間の男女。
大晦日のバーラウンジ。女性ひとりに男性ふたり。
昔話をしながら新年を迎えるのかと思いきや、
猟銃自殺を図るための(その前の)集いだった‥
という衝撃的な冒頭。
大事件が起きた(起こした)ことによって、三人の
家族や知り合いが期せず集まることになり、少しづつ
そして微妙に、関係やその後の人生が重なりあっていく
はなし。
タイトルの「ひとりでカラカサさしていく」は
♪雨降りおつきさん~ ♬ の中の一節。
お嫁にゆくときも ひとり
死んでゆくときも ひとり ということなのかな。
三人の、家族や教え子や元後輩の、その後の人生は
続いていくわけで、少しだけ彼らを知ってしまった
読者の私たちは、もっともっと「先」を知りたいと
思ってしまう。
葉月はデンマークにとどまるのだろうかー
みどりの弟はこどもが生まれたあと円満別居ができるのかー
ランズの息子、大輝のいじめ問題は解決するのかしないのー
などなど‥。
伏線回収が出来ていないまま物語が終わっている、という
レビューをみたが、これは推理小説ではないので、
そんなものはないのに、と強く思った。
何も回収なんかされないまま、それぞれに進んでいくのが
人生なのだから。
とても面白いと話題になっていたので買って
しまった、と、会社の同僚が貸してくれた本。
フェイスブックで知り合いを見つけ(見つけられ)
ある日、メッセージが届く。それに返信するという
形で(手紙のやりとりのみで)物語が進んでいく。
30年前、結婚式当日に、すっぽかされた男と
すっぽかした女。この二人に一体どんなことが
あったのかーその興味でどんどんページを繰って
いって‥でも自分にとって都合の悪いことは
すべて他人のせいにする男の考え方に、嫌気が
さしてきた頃、男の本性が暴かれ、ふいに、
やりとりが終わり、物語も終了。
驚きはあったけれど、感動も感心もなく、
不快感に包まれました。
やっぱり続編が読みたくなって‥。
安定の、面白さでした。
成瀬、響野、雪子、久遠(くおん)の四人
中でも私のお気に入りは天才的なスリの
久遠くん。勝手にお気に入りバンドのベース奏者と
ダブらせて読んでます(笑)。
シリーズ3作目も読みたいところでしたが、
ぐっと堪えています。
5月って、ずっとずっと前みたいな気がします。。。
読み終えた3冊は(偶然)、ドラマ化や映画化された作品を
最初に観て、それから「じゃあ、原作も」ってなった本
でした。
6人の女性作家によるユーミンの曲から題を得た短編集。
発売されたのは4年7月で、そのままになっていて‥
そしてこの中の3編がドラマ化されたのを2月だったか
3月だったかに観て、なかなかおもしろかったので
原作も読んでみました。
1 あの日にかえりたい 小池真理子
2 DESTINY 桐野夏生
3 夕涼み 江國香織
4 青春のリグレット 綿矢りさ
5 冬の終り 柚木麻子
6 春よ、来い 川上弘美
ドラマ化されたのは、4,5,6
私が好きな曲は、好きな順に、3,2,4
(夕涼みはダントツに好きな曲)
ドラマの時の感想は、4がとても苦く厳しい
ストーリーだと思い、5は、主人公の設定が
スーパーマーケットのパートさんというのが
斬新だった。6は宮崎あおいはじめ、キャスティング
がとてもよかった‥。
小説としておもしろかったのは「夕涼み」と
「春よ、来い」
(もともとふたりとも好きな作家で、読みなれているから
なのかもしれないけれど‥。)
夕涼みの歌詞から連想される男女間のはなしではなく
小説の設定は姉妹で‥姉がかつて住んだことがある
ポルトガルのとある町でのおんなたちの「夕涼み」を
こんなふうに思い出し、結婚が決まった妹を思いやる‥。
花はまたあの夏の夜を思いだす。
暗い山道で夕涼みをする老女たち。壁にもたれて、
一列にならんで。花は、彼女たちの沈黙の重みを、
妹が理解する日が来ないことを願った。(中略)
あのころの花が無敵だったように、妹が無敵であり
続けることを願った。どんなに叶わぬ願いだとしても。
春よ、来い は、他の作品よりも長く、構成的にも
とても読み応えがあり、私的には「別格」だった。
ドラマで観ていたように、それぞれ別の場所で暮らす
3人の、それぞれの物語が進み、ちょっとだけ交わる。
ドラマではそれがペンションだったが、小説では、
それがユーミンの苗場でのコンサート。
実際に言葉を交わしたり、顔見知りになったりする
わけでななく、ただ遠くから、気になった人として、
その人の幸せを願う。それによって、死にたいくらい
重いものを抱えていた人は、私は大丈夫と思える
ようになる‥。
まったく知らない人の幸せを願えるくらいの、キラキラ
したオーラが、ユーミンのコンサートには溢れていたの
だろうなあと想像でき、あの歌から、こんな物語を
作り出した川上弘美の力量に深く感じ入りました。
WOWOWでオリジナルドラマ化されているのに気づき、
喜んで観始めたものの、どうしてかあまり馴染めず、
2話の途中でやめてからちょうど1年くらいたった頃、
図書館で偶然文庫を見つけて、原作だったらどんな感じ
なのだろう、面白いと思えるだろうか?と借りてみました。
読んでみた結果、(やはり)伊坂作品らしさが随所に
あって面白く、ドラマも原作の雰囲気を損なわずに
むしろうまくキャスティングしているのかも??と
再考し、続きから最後まで全部観終えました。
解説までたどり着いてわかったのですが、この作品は
太宰治の『グッドバイ』へのオマージュというか、
遺作となった作品の続きを、という依頼から、続きは
無理だが、元彼女に別れ話をしにいく男の話‥という
モチーフを借りてできた。
しかも「ゆうびん小説」という形体で発表された。
‥ということ。
(選ばれた読者にだけ、郵送で「新作」が届けられる!
って、すごく斬新な企画だったのですね~)
ところで、タイトルの「バイバイ、ブラックバード」は
どこから来たのだろう?と気になってました。
そしたら本文270ページにこんなやりとりが‥。
少し経ち、佐野さんが歌を口ずさみはじめた。〈中略〉
「佐野、それ何の曲なの」有須睦子も驚いたから、
やはり珍しいことなのだろう。
「『バイバイ、ブラックバード』という曲です。
知ってますか?
悩みや悲しみをぜんぶつめこんで行くよ。
僕を待ってくれているところへ
ここの誰も僕を愛してくれないし、わかってくれない
って、訳すとたぶん、そんな感じです」
〈中略〉
「ブラックバードって不吉というか、不運のことを
指してるみたいですよ。バイバイブラックバード
君と別れて、これから幸せになりますよ、と、
そんなところですかね」
ここらへんを読んでからラストに向かうと、なるほど~
って感じで、なんか切ない気持ちになりますね。
映画を観たのは今年の2月で、そのあとにすぐに原作も、
と思っていたのに、数か月経ってしまいました。
映画の方がよかった!と言い切った人も
周りに居ましたが、私は‥うーん、どっちかな。
なんとなく、原作の方がよいかも、と言いたい
気持ちになりました。
映画は、よくこんなに考えたと感心するレベルで
練られていて、小説のエッセンスや重要な設定は
すこしも変えずに、でも、広がりとビジュアル面で
観る側を満足させる仕上がりになっていて、とても
素晴らしかった。(特にプラネタリウムの場面)
原作の(映画より)よかったところは、自転車
とのかかわり方かな。藤沢さんが整備して、山添君に
持っていってあげるのもよかったけど、山添君が
自分の意思で、思い切って自転車という方法を
選んだのはとてもよかった。彼の回復への兆しが
ペダルをこぐ力強さとともに感じられてきて。
そして、映画にはなかった、クィーンの曲を聴く
場面。ここも好きなところ。
小説のあとにもう一度映画が観たくなって、
映画を観たら、またきっと本が読みたくなる‥。
いつかきっと夜は明けるのだ、夜明けのほんのすこし前
に、二人は居るのだと信じることができる清々しい
結末を、小説も、映画もそれぞれ持っていることが
素晴らしい作品でした。
4月に読み終えた本は4冊ありました。
『チェコの~』は2月に友人と行った【出久根育展】で、
迷いに迷ったすえに購入した本。
でも、ずいぶん前に図書館で借りて読んでいたことが
あとからわかり‥でも、まったく覚えてないので、
ま、いいか、というか、今回読むことができてよかったです。
偶然出会った方から、チケットが余っているからと
誘いを受けて音楽会へ行ったり。
雪景色を描くために、山へ行ったり。春を祝うお祭りに
参加したりしている出久根さんと、季節や街の様子を
自分なりに思い浮かべ、楽しみました。
次の本はなににしよう、と探していた時に、2月に
角野さんの映画を薦めてくれた友人が、読んでいた本を
思い出し、借りてみました。
(表紙絵が植田真さんだった!ことに何か偶然の繋がりを
感じたりして‥)
内容は中学生女子2人と男子ひとりの物語。
おもしろくない日常から逃れるために、ネットのセカイに
逃げ込みそこから帰って来られなくなる、かも?
主人公以外の二人はすでのそこに居るの、居ないの??
結びの文
何が本当なのか‥苦しい日々だった。
境い目なしの不気味な世界。そこのいたのは、この
私だったのかもしれない。
あとがきで角野さんは、中学生ぐらいの年頃を
回想し、「子どもと大人の境い目に居るのに、
気持ちには境い目がない」と書いていて‥それに
いまどきのスマホやSNSを絡ませていって出来上がった
ストーリーでした。
角野栄子さんのデビュー作。
2月に観た【カラフルな魔女】の中で、この本のモデルに
なった(かつて)の少年‥ルイジンニョと再会する
シーンがあり、とても感動的でした。
本は事実とは異なる箇所もあり、子ども向けにわかりやすい
ように仕立てなおされているのが、かえって読みにくく(笑)、
なかなかページが進まなかったけれど、後半はいっきに
読み終えることができました。
ブラジルという未知の場所の魅力を、作者から丁寧に
教えてもらっているような気持ち‥。
106ページ
ブラジルは広い。日本の22.5倍もあります。その広い大地が
ドクドクとみんなのからだの中にながれているのです。
きびしいしぜんとたたかってきた、むかしのことをけっして
わすれていないのです。
てんでん、ばらばらに世界じゅうからあつまった人たちが、
顔の色や文化のちがいをのりこえて、なかよくやってこられ
たのも、たすけあわなければ生きられなかったブラジルの
きびしいしぜんがあったからだと思います。そしてそこから
よろこびやたのしさや、やさしさがどんなにたいせつなもの
かということを知るようになったのです。
長いこと図書館で順番待ちをしているうちに、どーして
この本に興味を持ったのかを忘れてしまって(笑)。
たしか、美容院で読んだ雑誌に載っていたからかー。
斬新なタイトルに惹きつけられたからかも‥?
作者の稲垣さんは、50歳で新聞社を辞め、それまでの
高収入とともに住まいも多くの持ち物も、最初は
しかたなく手放し‥しかし慣れていくにつれ、現在の
生活スタイルがとても心地よいものになっていったと
言っていて‥。
何しろ狭い住居は収納スペースがない。(江戸時代の
庶民の長屋住まいを手本にするほど)
服はもちろんのこと、調理器具や用具をしまっておく
場所もないので、捨てざるを得ない。すると、難しい
料理を作ることができない。ならば、質素、簡素を
モットーに、けれどそれが(負け惜しみではなく)、
体によいばかりではなく、とても美味しいのだそう。
こうなってほんとうによかったと心から思っている
ので、本に書いたのでしょうね~。
私にいちばん響いたのは、途中、老いて認知症を患った
母のことを書いた箇所。ナンスタディ(ココに説明あり)
に言及し‥
集団の中で、自分のできることはしっかりと行いながら、
環境の変化の少ない暮らしを何十年も続けている
本文では、母もそんなふうに暮らしていれば、認知症に
苦しむこともなかったかも、と作者は書いているのですが。
要するに大事なのは‥
自分のできることを自分でしっかりと行う。
変化の少ない暮らし=自分の手で行えるシンプルな
暮らし、ということなんだ!と思った次第です。
そして。
娘が使っていた部屋を自分の部屋にすべく、あれこれ
揃えたいものを考えていたのですが‥その前に、本棚の
なかの本の整理からはじめよう‥自分の手の届く範囲で
気持ちの良い空間づくりを心掛け、それから、本当に
買う必要があるのかどうかを考えよう、と、自分の気持ち
が変化していたことに気が付きました。これも読書の
おかげです。
3月に読み終わった本は3冊でした。
すこし前に映画が公開されてましたよね。
その時に観に行こうかどうか迷っているうちに
終わってしまったので‥図書館の棚で見つけたので
読んでみることにしました。
前知識ゼロで‥でもたしか映画のコピーに
観る前の自分にはもう戻れない的なことが書いてあって。
どういうことなのだろう?とそれで興味を惹かれたのですが。
誰のものかわからない(もちろんあとからわかるが)
とても厭世的なモノローグから物語は始まり、
いよいよ、とページを繰ると、そこには児童ポルノで逮捕された
3人の男の名前と事件の内容が、新聞記事のまま載っていて‥。
やっと長い(と思われた)プロローグ後に、また別の
男性が語り手になる物語が始まり‥別の場所で別の語り手
による物語の進行がやっと、読み手の私の中で理解できたとき
にはもう夢中で読んでいました。
LGBTQだって、名前も持っている(付けて貰えてる)
時点でそれはすでにマジョリティだと言い、自分の中にある
「傾向」をひた隠しに生きていくことのつらさ。
それから逃げようとして「偽装結婚」に辿り着く二人‥。
そのつらさをわかることはできないから、安易な発言は
慎むべきだけど、この二人をとても真面目だと思いました。
(好きという感情で繋がっているはずの夫婦でも、
すべてを信頼しあっているわけではないのだから‥)
331ページ
「いなくならないで」
佳道も声に出してみる~中略
いま抱いている安心感は、この同居のようにひどく不安定で
一時的なものかもしれない。だけどそうだとしても、
そういう時間をつないでいくことでしか乗り越えられない
時間だらけの人生だった。
373ページ
「いなくならないからって伝えてください」
たまたま図書館で見つけたので借りてみましたが、
伊坂作品の中で、わたしの好きランキングの上位に
入りました。
隕石が8年後に地球に落ちてくることがわかり
世界的なパニックから5年が経過した仙台の街が舞台の
短編小説集。それぞれのタイトルがおもしろく、
微妙に話が繋がっているという伊坂スタイル。
終末のフール
太陽のシール
籠城のビール
冬眠のガール
鋼鉄のウール
天体のヨール
演劇のオール
深海のポール
どれも面白かったし、興味深かったし、感動もした。
が、一番好きな話は2番目の「太陽のシール」
何年も子どもができなかった夫婦に、あと3年で世界が
終わる今になって妊娠がわかる。妻の美咲は再開した
スーパーマーケットで働き、富士夫は高校時代の同級生に
誘われて草サッカーを始める。二人はきっと子供を持つ
ことを選び、大切に育てるだろうなー最期の日まで。
ラストの「深海のポール」もよかった。
最後の最期まで、隕石が落ちて、大洪水が起きてすべてが
深海にのまれても、ポールの一番てっぺんに、自分の娘を
1秒でも長く生き続けさせるために足掻き続けるだろう、と、
ビデオ屋をやっていた渡部は思う。それが(すべての)親の
願いで、そんなギリギリのところで無様にもがくのが
生きるということなのだ、きっと。
だいぶ前に西荻窪のギャラリーショップ「もりのこと」で
買った本。タイトル通り、小さな生き物と暮らした日々を
ショップオーナーで木工作家でもあるサノアイさんをはじめ
計15名の方が綴っています。
購入したときにすぐに読んで、でも内容は忘れてしまったのか、
途中まで読んでそのままになっていたのかー。
いずれにしても、今回はその語られている内容に、自分の
気持ちがじんわりと溶けていくような感じをおぼえました。
再び手にとって、よかった。
2月に読み終わった本は4冊でした。
『首折り男~』は1月の終り頃図書館で見つけて、
なんとなく借りた本で‥読み終わったのは2月の初め頃。
まだ2か月も経ってないのに、だいぶ前のことのように
思えます。
特に繋がっているわけでもない、7つの短編が
おさめられていて‥最初に掲載された雑誌もばらばらで
書き終ろし作品もなし。
「首折り男」がキーワードだが、ほんとにゆるくゆるく
繋がっているだけで、読み終わったあとも、いつもの
ような、あーそういうことだったのか!の、カタルシスは
少な目でした。でも、合コン会場のレストランにも
首折り男は出没していたし、クワガタの飼育箱を操作する
夜中の作家の「手」のような、「神さまのいたずら」?
あるいは「神さまのたわむれ」?のような出来事がちらほら
起こり、たしかに人生ってそんなものかも、と思い
楽しい気持ちにもなりました。おなじみの黒澤が随所に
現れるのもおもしろかった。
ずっと前から図書館に予約していてやっと順番が
まわってきた本。
表紙のイラストと、タイトルの付け方で、だいぶ
部数を伸ばしたのでは?と思いました。
ワインの仕事で、30年近くイタリアへ通っている
作者の実感を、うまくまとめたエッセイのような
読み物で、前半のビジネスの部分が私にはおもしろく
読めました(後半は食卓のマナーとか家族の場面とか
想像が付きやすかったので)。
そして作者の言いたかったことは、すべて「はじめに」
に要約されていたような。時間配分のこととか、分業の
こととか、譲れないなーと思った点もあったけど、今を
楽しむ型の人生を忘れてはならない、という点で見習い
たいと思った箇所を。
不測の事態はおこりうるのだから、解決策を見出すことに
全力を尽くすほうがよほど大切。そしてそうなったときも
あきらめずになんとかする能力がイタリア人にはある。
なぜならこどもの頃からそういう場面に慣れていて
対応力が高い‥
どんな状況でもしぶとく愉しみを見つける。
好き嫌い、美しいか醜いかで物事を判断する(実用性より
美しさ、直観をはたらかせる)。
地図なしで人生を進む勘を持つ。
時々、よしもとばななさんの本が読みたくなって。
薄いし、簡単に読めるだろうと、図書館の棚で見つけて
借りてみました。
見知らぬ人からのメールに、返事を書くことを仕事
(ボランティア)としてやっている、どん子とぐり子
という(ふざけた)名前の姉妹が主人公。
どんぐり姉妹宛に送られてくるメールの内容と、その
返信が、物語を作っていくのだと思っていたが、実際に
紹介されたメールは3通くらいで、しかもそれがストーリー
をひっぱっていくわけではなく。なかなかのシリアスな
展開は、やはり、ばななはただものではない、と
ページが進むほどに思わされました。
喪失感をかかえて生きてきた姉妹が、その喪失感を
自分の一部に抱えつつ、でも生きていくぞーって感じで
しょうか。ラストが近づくにつれ、もう誰も死んだり
しませんように、と祈るような気持ちでしたよ。
だれもが人々の心でできた大きな海のどこかに
確かにぽつんと存在している。その度合いもきっと同じ。
それでも私たちは人それぞれの個別の色を持った
悲しみをおぼえる。
これは妹、ぐり子の気持ち。
そうか、ずっといっしょにいられない人といるのは
中毒みたいなものなんだ。魔法がとけないまま
別れるのはなんて甘美なものだろう。好きじゃない
わけじゃない、ただ一番好きでいられる方法が
これなんだ。
これは姉どん子の恋愛を、ぐり子が考察してるところ。
2月12日に吉祥寺で出久根育さんの個展を観た後に
なんか、たかどのほうこさんとのコンビの本を
よみたくなって‥。
表紙に居る女の子の、ひとりの名前が「育ちゃん」
なので、読み始めから楽しくなりました。
画廊が入っているような、古いビルへの短期間の引っ越し。
部屋のクローゼットに残されていたパッチワークで作られた
帽子(表紙の女子がかぶってます)。ちょっとかわった
服を着た女の子とのビル内探検‥。
これはファンタジーなの? ありえない話なの??と
思いながら読み進めているうちに、淡くやさしい気持ちが
胸に満ちているのに気が付き‥よい物語だったなあと
思いました。
1月に読み終わった本は3冊でした。
去年(こぞ)の雪
久しぶりに江國さんの本でも読もうかーと昨年のうちに
図書館で借りてあった1冊。表紙も素敵だったし、
お正月休みの間にさくさく読み進めると思いきや、意外に
時間がかかってしまった。
‥100人を超える彼らの日常は、時代も場所も生死の
境界をもとびこえてゆるやかにつながっていく‥
と、文庫本の後ろの説明にある通り、2ページくらいで
登場人物は現れては消えていき、名前を覚える間もなく、
その「物語」も消えていくので、そういう展開というか、
その仕様に頭が慣れていくのが大変だった。
が、後半くらいになると、やっと面白くなってきて、
こんなに多くの人を書き分けられ、こんなにたくさんの
場面を生み出す作者の力量を感じました。
平安時代に生きる人がたびたび出てくるのも、
今年から始まった大河ドラマとリンクしているように
勝手に思ったり。
シャボン玉や飲み残しのコーラが、別の時代を生きてる
人たちに「発見」される「しくみ」も楽しかった。
印象に残ったのは279ページ。
「一度発生した声はどこに行くのだろう。
ずっーと空中を漂っているのかな」
もちろん消えていくのだけれど、別の時代の、まったく
関係のない人の声がふとした時に「聴こえる」人が
物語の中に時折居て、それは「消えたあとの声」を
耳にしているのではーと自然に思えた。
不思議な能力(自分が念じたことを相手に
喋らせることができる)を持った主人公加藤「兄」が
どんなところに行きつくのかを知りたくて、
どんどん読み進めた。
ムードに流される大衆の中に紛れることなく
自分の力を信じて青くさく戦っている主人公「兄」に
対して、フツーの弟で、ただの語り手に過ぎないと
思っていた潤也。しかし、2篇目の【呼吸】を
読むと、実はこちらの、潤也の物語の方が面白いかも、
と思ってしまった。
読み終わって解説を読むと、加藤潤也は50年後、かなりの
資産家になって『モダンタイムス』に登場している、とあった。
じゃんけんに負けない、という能力を駆使して、大金持ちに
なっていたのだった。
そういえば、兄が主人公の【魔王】に死神の千葉が
登場していた。(読んだばかりだったので、そのくだりは
とても楽しめた)伊坂本の楽しいところ。
兄にしと弟にしろ、そんな特別な能力を持った人ばかりが
居るはずはないと思いながらも、ある種のリアルさを伴って
ストーリーは進んでいき、全部をひっくるめて読者は
小説セカイを楽しみ、虚構と現実の境目はぼやけてゆく。
どちらのセカイに居ても、試されるのは己の信じるもので
あり、勇気の量なのだ、とここでも言われている気がした。
友だちに薦められ、長らく順番待ちをして
やっと読むことができた本。(本屋大賞受賞作だと
全然知らなった)
読み始めは、なんで今第二次世界大戦時の独ソ戦の
話を(しかもこんなに厚い本を)読もうとしている
のだろう?と思っていた。が、当時のソビエト連邦のこと、
狙撃兵のこと、戦争の状況などなど知らないことばかりで
気が付くと、のめり込んでいたし、現在の世界情勢や
戦争紛争地域のことと重なり合わせて思っている自分が
いた。(薦めてくれた友は、今こそ読んでおくべき本
という言い方をしていた)
表紙に描かれている少女セラフィマが家族も村もすべて
失い、女性兵士イリーナに狙撃兵として「スカウト」される
ところから話は始まり、戦場での熾烈な戦いや友情や、
終戦後の彼女たちの人生まで描かれるとても読み応えの
ある物語でした。
同志少女よ、敵を撃て
彼女たちの「敵」は、戦場で戦っているナチスドイツ軍
ではないの?そうではない敵は、どこにいるのだろう。
終盤に近付くにつれ、タイトルが示しているのはどんな
ことだろうと気になり‥ああその人がセラフィマの
「敵」になってしまったのか、と驚かされた。
:: :: ::
この本を読んでいた時に、『バビロン』も観たので、
まるで描かれている世界が違うのに、なぜか自分の中で
印象が重なっているところがあって。
個人の意思などまるで通じない、大きなもの(その時代)に
望むと望まないとにかかわらず「巻かれていく」主人公たち。
彼らのひたむきに生きる(生きた)姿勢が、どこかで繋がって
いるように感じたからかもしれない。
同僚が「久しぶりに感動して泣いてしまった」
というので、貸してもらいました。
互いの連絡先も交換せず、いまどきでは考えられない
くらいむかしのやり方=アナログで始まった主人公二人の
「ピュア」な関係。男性方の二人の親友と、女性の背景が
ミステリアスなことが物語を牽引していき、最後はきっと
こんなふうではないかなーと読者が想像できる終わり方を
迎えるのですが‥。
アナログな関係だった二人が、相手を支えるために、
思いっきりデジタルなものを取り入れざるを負えなくなる
という「変化」がいちばん面白かったかなーと、思って
しまいました。
同僚は、映画も観に行き、映画ヴァージョンは美しい
映像と、ドラマチックなラストで、さらによかったと
教えてくれました。(予告動画を観た感じでは、親友役の
二人のキャスティングが〇、と思いました)
また、図書館で借りてしまいました。
PK
超人
密使
3つの短編が繋がっているような、別々のような、
わかりにくい構造だったので、他の作品ほどには
入り込めないなと思っていましたが、2回目を読んでいた
ときに、妙に「ひっかかり」を覚え、今まで読んだ伊坂本との
共通点を探している自分に気が付きました。
時空を越えたり、世代が繋がっていたり‥
いろんな手法を試みながら、このセカイの不条理に
作者は迫ろうとしているのだなと思えてきて‥。
不条理な世の中に対抗し得るのは、何度か言葉をかえて、
物語の中で「大臣」が言うように、己の中から湧き上がって
くる勇気なのだ、きっと。と強く思いました。
「たとえば勇気の量を」
決断の瞬間に試されるのは、判断力や決断力ではなく、
勇気なんだと思う。決断を求められる場面が人には
突然訪れる。勇気の量を試される。
1月も終わっていこうとしているけれど、
11月に読んだ本を。
11月は読書の方も進まず、読了本は結局1冊だけでした。
10月に続けて読んだ伊坂本の余韻が消えず、
図書館の棚で見つけてつい借りてしまい、一度だけでは
よくわからない箇所もあり、二度目も、といういつもの
パターンでした。
死神
千葉という名前が(一応)あるが、調査対象によって
姿かたちを変えてやってくる。
「仕事」をしに来ると、人間界はいつも雨降りか曇天。
ゆえに晴れがどういうものなのか、青空がどんなものなのか
知らない。
フツーの人間に素手で触ると、失神させてしまう。
(だから触る必要があるときは白い手袋着用)
微妙にずれている会話とユニークな視点。
そして(死神は皆)ミュージックが大好き。
死神は死の前触れとしてやってくる?
死神を見た人はもうすぐ死んでしまう、となんとなく思って
いたので、この物語のようにただ「確認」し、今か先延ばし、
かを「判断」して伝える役目を担っているだけ、というのは
とても新鮮でした。そして何よりミュージックが大好き!
なところが。
物語は6つの短編の集まりのようでいて、あ、こんなところに
繋がっていたのか‥でした。
「死神の精度」
「死神と藤田」
「吹雪に死神」
「恋愛で死神」
「旅路を死神」
「死神対老女」
最終章の、対老女の中での印象的な会話
「人間というのは、眩しい時と笑う時に、似たような表情になるんだな」
老女は一瞬きょとんとしたがすぐに、そうだねと答えた。
「言われてみれば、意味合いも似ているかも」
「意味合い?」
「眩しいのと、嬉しいのと、似てるかも」
「何だそれは」
老人の言うことの意味が分からなかった。
ほんと、眩しいね、老女が弾むような声で言うのが聞こえた。
物語の中に、『重力ピエロ』の春と思われる人が出てきたのが
わかり、そのあとに読んだ『魔王』に千葉が出てきて、なるほどね
と思い‥。私の伊坂ステージが一段階上がったようで、
そんなことも嬉しかったです。
10月に読み終わった本、思いのほかありました。
7月にマティス展を観に行ったので、その余韻と、
今年5月に出たばかりの本と知ったので、図書館で
借りてみました。もちろん、観たことがない絵も
たくさんあったし、その解説もよかったのですが、
一番驚いたのは、著者である、国立新美術館主任研究員の
米田尚輝さんという方が1977年生まれだったこと。
40代の若さですごいなあと感心しました。
来年2月からの、国立新美術館での展覧会がさらに
楽しみになりました。
伊坂氏の新刊が出てたんだ~!と知った時に、
私に伊坂本の面白さを教えてくれた会社の同僚はすでに
読み終えていて‥「よかったら貸しますよ」と持ってきて
くれました。
「天道虫」と呼ばれている、運の悪い殺し屋、七尾の
新しい物語。高層ホテルで、通常では考えられないほど
次々と「業者」が殺されていく。当初は嫌な奴、悪い奴、
だと思わされていた人が本当は良い人で‥のパターン。
いろんな階で色々起こるので、最初は戸惑い気味だが、
テンポがあるのでどんどん読んでしまう。そして、
ところどころに挟み込まれる妙に沁みる言葉。
「人をうらやんだときから不幸が始まる」
「恩知らずは運にみはなされる」
最後は、すっとうまくおさまるので、読者は読んでよかった、
面白かったーと素直に思える。マクラとモウフの二人組が
今回はとてもよかった。あとソーダも。
『777』の後に、カポーティの本に戻ることができず、
図書館で2冊一緒に予約して借りてしまった。。。
読み終えたから知ったが、作者はじめての短編だった
らしい。でも、それぞれの話は連作になっていて、
作者曰く「短編のふりをした実は長編」とのこと。
(今更だけど)え?何この人??と周囲がいったん引く
ような変わった登場人物の設定がとても上手い。
今作ではもちろん、陣内。
銀行強盗の人質になる中、果敢にも歌ってみせるし、
解放されたとき、カウンターにあった数十万をちゃっかり
持ってきてしまったり。
人質となったことで知り合えた永瀬という全盲の青年、
彼のガールフレンドの優子、盲導犬のべス、も、とても
よかった。
『チルドレン』の続編。こちらは長編。
陣内は家庭裁判所の調査官(しかも主任)になっていて
武藤という部下まで居る。武藤の担当案件が、過去の
陣内が担当していた事件にも繋がっていて、とても
読み応えあり。
タイトルの『サブマリン』はどこに繋がっているのだろう
と思っていたら‥文庫本224ページに、
せっかくの人生の大事な年月を、光の届かぬ深海でじっと
するように負のことを考えることで費やしてきたのだ。
また、264ページには、
「そうとは言い切れないよ」
僕の言葉はもちろん彼を楽にしない。
彼の起こした事故は、十年経っても消えることがなく、
姿が見えない時もどこか、視界の外に潜んでいる。
水中の潜水艦の如く。そしてことあるたびに、急浮上し
若林青年に襲い掛かるのだ。
モダンジャズに少年事件をなぞらえて話す陣内は
(そう陣内にしゃべらせた作者は)すごいと思った。
モダンジャズとは正々堂々と「けんか」ができる
場所を共有すること。
「いいか、もう二度と弱い奴を狙うなよ、というか
狙わないでくれ」
「もし、むしゃくしゃしたら曲でも作って、演奏しろよ」
読み終わったあとで、ほんとうに月並みだなーと思い
ながらも‥わたしはわたしの毎日の中で、適当に済ませたり
見てみないふりをしたり、とかはやめて、精一杯を尽くそう
と思うのでした。
友だちのインスタで見つけて、印象的なタイトルと
表紙に惹かれてー。8月の終り頃から読み始めて、
9月1日に読了。
なんとも言えない後味の悪さを感じながら、表紙を
見返えして‥あ、と気が付く。
この絵にミスリードされていたに違いない、と。
物語は「わたし」の一人称で、ジェイクのことばかりを
語って進んでいく。ジェイクの両親に会うために
彼がかつて住んでいた農場までの退屈なドライブ。
その車の中で、「わたし」は「もう終わりにしよう」と
何度も何度も頭の中で言い続ける。
両親の住む農場→不穏
帰り道で突然レモネードを買おうとジェイクが言い出し、
その紙コップを捨てるためにわざわざ近くの学校へ寄る
→不穏増幅
一人で車に残された「わたし」、一人で校内へ入って
行ったジェイク‥。本編の途中、太字で何度か記されていた
会話は、最後のシーンの悲惨さを表していたのだと、
読者(=私)は知らされ、そして不完全燃焼の苦い気持ちの
まま表紙をじっと見て、やれらた、と思ったのでした。
「わたし」=ジェイクだったんだよ、きっと。
ジェイクの孤独に同情するよりも、変な話だったという
気持ちの方が強いけれど、読後2か月くらいたった今も
なんだか気になってしかたがない小説なのは確か。
いつかこの作者の別の本も読んでみよう。
この本もインスタから「仕入れた」情報で。
ヨーロッパを代表する漫画家
マヌエレ・フィオールの恋愛漫画ついに初邦訳
とあり、作者の名前をどこかで見たような‥と思ったら
図書館で偶然見つけて借りた『クリスマスを探偵と』の
イラストを描いた方でした。
まず、タイトルが素敵です。
書名の『秒速5000km』は、オスロ(ノルウェーの首都)と
エジプトの発掘現場の物理的な距離=5000kmと、
国際電話のタイムラグ=1秒に由来して いるとのこと。
主要人物は一人の少女と二人の少年。
イタリアで出会った三人は、その後ノルウェー、エジプトと
場所を変えながら、20年の歳月を経てまたイタリアで
再会する‥。
説明の文章はなく、すべてセリフで構成されている
大人のコミックス。面白かったよ、と娘にすすんで勧めて
よいのかどうか迷う描写あり(笑)。
こちらの美しい表紙の本も9月に読み始めてはいるのですが、
どうにも進まず。やっと主人公が目的の家に辿り着いたところ
でとまっています。
もう10月も半ば近くになりというのに、8月の記録も
アップできないまま‥となんかひとりで焦っています。
この本は、友だちがインスタで感想を書いていたのを
読んで、そんな本があるんだーと、図書館で探しました。
話は、大学時代に主人公の二人が作った映画が賞をもらった
ことがきっかけで、一人は名のある映画監督の元で働くすべを
得て、もう一人は自分の撮りたいものを漠然と探っているうちに、
YOUTUBEと配信動画のセカイへなんとなく入ることになり、
それぞれの仕事と生活を描くことで、対照的な二つのセカイを
読者も自然に知ることができるようになっていて。
(たとえば映画館上映にこだわる監督の気持ちとか、たとえば
YOUTUBEで生活している人のしくみとか‥)
知らないことがたくさんあったので、感心しながら面白く
読みました。
映画に限らず、音楽も、たぶん文学(というか文章書くこと)も、
同じような葛藤とジレンマを抱えているのだろうなーと思い、
こだわりだけではやっていけないし、今に乗ることばかりでも
「今」は先へ先へと進んでいくから辛くなるし。
結局送り手側は受け手のことを思いながら、心をこめて
ひとつひとつ作っていく、という当たり前で、でも一番難しい
ことを真摯にやってゆくしかないのでしょうね。。。
タイトルの「スター」。
いつになったら「スター」が出てくるのだろうと思いながら
読んでいて‥。
でも、主人公二人の大学の後輩が、中盤過ぎたあたりで、
二人は大学時代、賞をとったことでスターだったじゃないですか、
みたいなことを言うところがあったので、そうか、そういう意味での
「スター」なの?と一時は納得しかけたのですが。
最近、何かで、この「スター」というタイトルはレビューとかで
簡単に評価される ☆☆☆☆☆ のこと、と書いてる人が居て‥
あー!そうか、きっとその意味もかぶせてあるよねー、となったのでした。
(☆の数にもう惑わされるべきではない、という会話が、ラスト近くに
あったなあと思い出しました)
久しぶりの伊坂本。
友だちが「難しくてよくわかんない」と言っていたので、
では私はどうかなーと思って読み始めました。
活劇風のイラストが、挿絵というよりも、もっと
重要な役目を持っている、面白い趣向の小説。
コロナ禍以前に書かれていたのに、まるで予言のように、
鳥インフルエンザが蔓延後のパンデミックを描いていること
にまず驚き、「クジラアタマの王様」とは一体誰のこと?
いつになったら現われるのかなーと、考えながら
読み進めました。
現実と夢。リアルと非リアル。
夢の中での戦いが現実世界とリンクしていたら‥?
まったくありえない設定なのに、全然、変とか不思議
とか思わなくなってきたのは、伊坂ワールドにそれだけ
馴染んできたから??と思ったりして‥とても面白かったです。
ハシビロコウ。
そうか、そうだよね、ハシビロコウから始まった物語
ですものね。
7月に読み終えた本も3冊でした。
3冊とも、予備知識や事前予約なしで、図書館の棚で偶然
見つけた本でした。
6月に読み終えた『ビブリア古書堂の事件手帖』と
同じ作者。ビブリア~の続きを読んでみようかなーと
探しに行って、なんとなく題名に惹かれて借りてみました。
1930年代に建てられた、当時の最先端アパートメントを
舞台に、そこから70年(!)続く、主人公八重と、
八重の大切な家族の思い出が、年代を行きつ戻りつ
しながら描かれています。
プロローグは、八重の最後の記憶。
年老いて、死へと向かうとき、人はこんなふうに、かつて
愛した場所や人や場面を思い出すものなのでしょうかー。
本文9ページ
それから耳元にそっと囁いた。
「いきなさい」
あなたはまだ、ずっと先まで。
たちまち娘の姿は消えて、老いた女が一人きりで
立っていた。わたしはここでおしまい。
それと、ひとくくりに「家族」といっても、微妙に
合う、合わない、という人は(きっとどこの家族にも)いて。
それは好き嫌いとはまた別の感情というか、感覚で‥、
がんじがらめの家族よりも、素直にそういう気持ちで、
「代官山アパート」を通して繋がっている関係は
いいなあと思いました。
なんとなく、たまに、ばなな本でも読んでみようかー。
という気持ちになって。文庫の棚から今回はこちらを。
(ライフワーク長編で全4冊あるそうですが、まずは、
その1 アンドロメダハイツ)
カウンセリングができるおばあさんとの暮らしから、
山のこと、草のこと、薬草茶の作り方などを覚えた
雫石(しずくいし)は、おばあさんがマルタへ移住して
行った後、生まれて初めて一人で町へ降りて行く。
そこで、「先が見える」特技?を持つ楓(かえで)の、
アシスタントのような仕事を得るが、彼が海外に居る
あいだ、その留守を預かることになるー。
お伽話のようでもあり、長いながいプロローグが
やっと終わり、さて、第1章が始まる!と思ったところで
「その1」はおしまいになった。
序盤の、アパートの隣の部屋に住む男女の、なんでも
ないと思われた描写が、最後の大事な場面に生きてきて‥
おお、ばななさんはやはり、上手いなと思ってしまった。
本文133ページ
この時の幸福なイメージを私はきっと長い間心に
とどめておくだろう。
もうすぐ終わってしまうありふれた日常の風景の中に、
花のようにか細く開いた、淡いせつなさがあった。
水にまつわる本を集めたコーナーがあって、そこで目に
ついた本。著者は赤瀬川源平さん。
源平さんは、モネに代表される、印象派と呼ばれる
人たちの絵が、絵画のなかの「頂点」であると言い切り、
なぜ今でも多くの人々に印象派の絵は愛されているのかを
「水」という切り口で、実際の絵を見ながら、話すように、
教えてくれます。
印象派の画家たちは、描き表すのが難しい「光」を画面に
入れることに心を砕いているとばかりと思っていたので、
そうか、「水」だったのか、と新鮮な驚きとと共に楽しみました。
本文94ページ
抽象絵画は表現の自由の天国あるはずなのだけど、何故か
自由の嬉しさが感じられないのはどうしてだろう。むしろ
自然描写に結びついた印象派の絵の筆触(タッチ)の方に、
自由の嬉しさを感じるのは何故だろうか。自由というのは
与えられると消えてしまう。印象派のタッチにはみずから
それをつかもうとする力が放つ輝きがあるのだ。
本文103ページ
~でも絵の輝きが印象派を上回ることはない。後を追う
ものには、技術の有利さがあるのだけど、技術だけ積み重ね
ても輝きを得られないのは、芸術の不思議なところだ。
「グローバル」になってしまった現代の人間は、水や緑を
率直に賛美する資格をすでに全員が失っている。印象派の
絵の輝きは、かつての時代に生きた彼らの特権であり、
その絵は、ぼくらには得難いものとなって残されている。