雪がちらつく中、今年初めての、小学校での読み聞かせに行ってきました。
入ったのは1年生のクラス。
この日雪が降ると月曜日くらいからわかっていれば、雪遊びの絵本を選んだの
ですが(笑)、そうとは知らず、こちらにしました。
やまんばのむすめ まゆのおはなし です。
同シリーズで『まゆとおに』があり、そちらの方は何回もクラスで読んだ
ことがありますが、りゅうの方は今回が初めてです。
りゅうが春の雨を降らせると、お山の雪が溶けて春がやってくる、という
内容なので、季節的なことを考えると、3月くらいに読んだほうが
よかったかもしれません。
でも、こういうしっかりとした「お話」は、読んでいてとても楽しくて
私はやっぱり、こういう種類の絵本が一番すきかも、と思ってしまいます。
ゆっくり読んで8分近くかかるので、1年生にしては長いかと思い、次の
絵本はこちらにしました。リラックスして笑ってもらいたかったので。
なにがこんなにおもしろいのかなーと思うほど、1,2年生は
この絵本でよく笑います。
とてもよい感じになったので、「おまけ」の1冊も出してみました。
ダジャレの絵本なんですけど、とってもおもしろいんです。
たとえば、表紙の絵だったらこんな文がついてます。
うそでひょう こんなうさぎも
うさぎ ひょう
ぞうヴァージョンはこんなの。
うそが おおいぞう
うさぎ ぞう
前に、高学年のクラスでさらっと読んでみたことがあるのですが
あまりのシラケ具合に、ちょっとへこみました‥笑。
1年生にはOKでしたね。
*次回は2月に5年生のクラスに行く予定でした、他の方に代わってもらいました。
今まで、すごーく忙しかったときも、一度決めた当番を変更したことなかったのですが
2月の最終週はさすがにかなり忙しくなるだろうし‥そのために選書や練習が
おろそかになってもねぇ、と思って。
なので、読み聞かせはしばらくお休みで、次回は新年度ということになりました。
今月号の、こどものとも年中向きは『3びきねこさんのそりあそび』。
「こどものとも」2000年1月号の再版です。
柳生まち子さん作の、この、3びきねこさんはシリーズもので‥
『3びきねこさんとおひるねまくら』 (1997年年中向き11月号)
『3びきねこさんとさくらんぼさん』(2001年6月号)があるのですが、
この『~そりあそび』だけ、こどものともセレクションとして単行本化されたことも
あるようです。
3びきのねこの名前は、きい とら ごろ。誰がどの名前かすぐわかりますよね?
『~とおひるねまくら』は、この3びきが、ねむねむじいちゃんにたのまれて、
がちょうのおばさんに注文しておいたおひるね用のでっかいまくらを受取り、
それをねむねむじいちゃんの家まで持っていく、というお話です。
誰が枕を持つかをじゃんけんで決めたり、不意になくなってしまった枕を
きつねやカメレオンやリスから取りかえしたり‥の様子がとても楽しい絵本です。
当時保育園生だったrの、寝る前に読んでもらいたい絵本のベスト3に入って
いたのではないかというくらい、ほんとうによく読みました(読まされました)。
裏表紙の見返しに、簡単な地図が載っているのですが、それを最後にたどるのが
またおもしろかったみたいですね。
(私はこの絵本を読んでいると、なぜか毎回とても眠くなり、ねむねむじいちゃんの
魔法?呪い?がかかっているからではないかと、秘かに思っていました・笑)
『~そりあそび』は、村の掲示板に、ふるいそりさしあげます の貼紙を見つけた
3びきが、喜び勇んでもらいに行くのですが、いたちくんに先を越されてしまい‥
でも、最後には、ぶたさんやりすくんたちも一緒に楽しく遊べるというお話です。
やっぱり見返しには地図が載っていて、そりをくれたうさぎのおばさんは
おひるねまくらの時に、3びきに道を訊いてきたおばさんだという繋がりもあるし、
2つの地図を並べてみると、さらに楽しめる趣向になっています。
そうして3作目の『~さくらんぼさん』は、さくらんぼ という名前の、
とても魅力的な、靴屋さんをやっている女の子のねこが登場するお話です。
さくらんぼさんは靴屋さんといっても、お店を持っているわけではなく、
大きなかばんにぎっしり靴をつめて町から町への行商スタイル。
かっこいいです。
「さあ、はるの くつやの かいてんよ」
さくらんぼさんは
おおきな カバンの ふたを あけました。
くつを だしながら うたいます。
♪ はるの くつやが やってきた
すてきな くつ くつ
100そく あるよ ♪
最後には、お約束の地図が、ちゃんと載っています。
ゆうべ、この3冊を見くらべたくなり本棚から探していたら、rがやってきて
「このねこたちって、よくみたらおしゃれー」と笑いながら言いました。
そう。
柳生まち子さんの絵は、ディテールが凝っていて、色使いもきれいです。
新学期が始まった今週の火曜日、相田みつをさんのご長男で、
相田みつを美術館の館長でもある、相田一人さんのお話を聴く機会がありました。
私にとっての、相田作品の印象というか、知っていたことといえば‥
母の実家の「川越のおじさんの家」のカレンダーが、相田みつを作品だったと
いうことです。
何年前からそうだったのかは思い出せませんが、そこに書かれた文字と言葉は
私の中では、「絵手紙」とイコールで結ばれているような感じがありました。
震災後ににわかに有名になった「うばい合えば~」の他にも、いくつか、どこかで
読んだことがある詩も、ありましたが、作品を知る努力をするほど興味の比重は高くなく、
そもそも相田さんが、書家であると同時に詩人なのだと、特に認識もしていなかった
ように思います。
講演の冒頭で、ご長男の一人さんがユーモアを交えながら、まずご自分の
自己紹介を始めたとき、あれ? と思いました。
一人さんと私の夫、1歳違いだ‥。
いきなり話し手の一人さんと、語られる相田みつをさんがぐっと身近に感じられ‥
その後の、みつをさんの生い立ちの話に、当時の日本の情勢が重なっていくのを
聴きながら、ほぼ同じ時代を、夫の父や私の父も生きてきたというのに、一度も
そのことに想いを馳せたことがない自分に気づかされました。
(相田みつをさんは大正13年生まれで、義父も父も昭和5年生まれですが‥)
自分の父となる前の父、学生だった父、その頃の家族の様子、通っていた
学校のこと、まわりの風景‥なにひとつ想像したこともありません。
一人氏の話が進んでいっても、私はそんなことを漠然と考えていました。
話の終盤、相田氏が会場に向かって質問をなげかけました。
「皆さんは、父のこの文字をどう思いますか?」
美術館へ来館された方の感想にも、文字についてのものが多いとのことで‥
中には、思いついた言葉を、さらさらっと、おもしろい字で書いている、と
思っている人もいる、と話してくださいました。
リンクした美術館のサイトにも写真が載っていますが、相田みつをさんは
1枚の作品を仕上げるために、それはそれはたくさんの練習を積み重ね、
「その詩」に合う「文字」を模索されたそうです。
その一日に書いた(練習した)半紙だけで、一人さんが子どもの頃、お風呂が
沸かせたというから驚きです。
ほんとうのオリジナリティというものは、そういう努力の末に生み出されるのだと
いうことを、半紙に半ば埋もれているような相田みつをさんが、教えてくれた
思いです。
もうひとつ、この日私が驚いたのは、書家を目指し、書家としてやっていこうと
決めたみつを氏は、どんなに貧しくても、他の仕事をいっさいしなかったということ‥
妻がいて、子どももいて‥日々のことで足らないおもいを家族にさせていても
毎日毎日、書の練習をして一日を送れる、その信念の強さを、私は自分には
ないものだと感じました。
食べていくために、父が考えたのは、足利市内のお菓子屋さんをまわって、
包装紙を作らせてくれないかと頼みこむことだった、と一人氏は教えてくれました。
今でも、ここはみつを氏製作のしおりと包装紙を使っているとのことです。
興味が持てないことを無理に知ろうとしたり、「学習」ばかりがいいとは
思いませんが、ふとしたことがきっかけで、今まで何も知らないでいた人のことが
わかるのは、とても清々しい気持ちです。と、同時に、知らないことの多い自分を
また知ることにもなりました。
今年最初のお出かけは、1月7日土曜日の日本橋へ、でした。
年末から始まっていた「荻須高徳展」を、夫と一緒に観てきました。
生誕110年記念ということと、OGUISSといえば、パリ、なのですが、ヴェネチアへ
滞在していた時の絵や、未発表だった人物画や静物画も公開されるということも
あってか、大変なにぎわいの展覧会でした。
荻須高徳という名前も絵も、私はあまり知らなくて‥でも、夫はいつからか知りませんが
ファンであったみたいで‥今からだと何年くらい前になるのでしょう?
娘が生まれていなかったので、もう16、7年くらい前になるのかもしれませんが
たしか目黒美術館で、荻須高徳展があったのです。
(↑ の箇所の記憶が大きくちがっていました。
目黒美術館での展覧会は、生誕100年記念だったとのことで‥そうなると
今から10年前、うちには5歳の娘がいました。
子どもをおいて二人で美術館へ行くことができなかったから、私は留守番を
選んだということだったのかもしれませんが、気持ち的には、最初に書いて
いた通りなのです‥帰国したばかりでなくても、それから6,7年たっていても
私は同じ場所に同じ想いを抱いていたのです、きっと)
夫に誘われたけれど観にいかなかった私と、すごくよかったよ言って、
図録を何度もめくっていた夫‥
毛嫌いしていたわけでもなく、喧嘩していたわけでもないのですが、その時私は
なんで一緒に行かなかったのかなあと、その後も時折思い返したこともありました。
今回初めて自分の目で絵を観てみて、まず、率直に、いいなあと思いました。
そして、何枚も何枚も観て行くうちに、かつて生じた自分の気持ちがどういう経緯で
生まれたものだったのかがつかめたように思いました。
荻須高徳氏が描いているパリは、ほんとうになんでもない店先や街角なんです。
そう言われていて、知っているような気になっていましたが、自分の目でゆっくり
観ていくと‥それは私が一度も訪れたことがない場所であるにもかかわらず、
この道は歩いたことがあるような? という気持ちになったり、この角を曲がった先に
この店があるんだよね、という錯覚に陥りそうになり‥それはなんでかなと
思ったときに、軒先や道の感じが、何度も何度も私が歩いたマンハッタンの
ダウンタウンの「感じ」と似ていたからなのでは、と気が着きました。
ニューヨークとパリではまるで違うよ、と言われるのはわかっています。
建物だって、道だって、空の色だって、それこそ書いてある文字だって
違うのはよーくわかっていますが、そこに流れている空気感みたいなものが
私の中から懐かしさを呼び起こし、既視の感覚に繋がっていったのでは、と思うのです。
荻須高徳氏は、25歳で渡仏し、第二次世界大戦で帰国を余議された一時期を除いて
84歳で亡くなるまでパリに住み続けたそうです(お墓もパリにあることに驚きました)。
生まれ育った土地や国ではない「場所」が終生の棲みかとなる人も居るのです。
1年と何カ月かのマンハッタンでの暮らしが終わって、自分の生まれた町へ帰ってきた
私は、終の棲家を見つけ、その「場所」を描き続けた画家の絵に直面することを
無意識のうちに避けていたのかもしれないなあと、今、思うのです。
夫は、たぶん、すごく素直に、荻須高徳の絵の中に、自分の好きな場所や街を
重ねてみていたのか‥あるいは、絵に描かれているなんでもない場所や
そういう場所を選んだ荻須高徳という人が、ただ、好きなのかもしれません。
技術はとても大切だけど、いくら技術があってもそれだけでは
誰かの心を動かすことはできないよ、
別の人が、同じパリの街を描いたからといって、この場所をこういうふうに
見て描こうとは思わないよね、
この文字のかすれた感じが、すごくかっこいい、
私は、この白いタライが印象的、
ヴェネチアの絵は、水の色がすごくきれい、
描き手、書き手、作り手にとってのオリジナリティってなんだろうね。
そんなことを話しながら、会場をあとにしました。
*日本橋三越ギャラリーでの会期は、1月16日(月)までです。
今日から仕事がはじまりました。
Tシャツの方は、ご注文いただいたときから始まります。
新柄の方は、店長しだいなのですが、今年は夏になるより前に
見ていただくことができたらいいなあと思っています。
陽射しがきらきら踊る窓辺で、いろんなブログを見て回っていたら、私も
2012年の抱負やら、やってみたいことなどを、なにか宣言してみたくなりました・笑。
今年は盛岡へ旅しよう、と記しておきます。
なぜに突然盛岡なのかというと‥ひなこさんの盛岡にっき(勝手に命名)で
旅情をかきたてられたことと、店長のともだちが住んでいるということ
(市内ではないかもしれませんが)のほかに、モリオカという言葉の響きに
どこかでずっと郷愁を感じていたからかもしれません。
時期だって、もう決めてあるんです。
高1になったrが、部活の合宿で不在のときに合わせるって。
(どうか合宿が土日をはさんでくれますように・祈)
曇り空から時折陽射しがきらめいて、穏やかな新年の朝でした。
あけましておめでとうございます。
2012年も、どうぞよろしくお願いします。
このブログ以外にも、Tシャツブログとか、最近ではふぇいすぶっくも始めましたが、
私のいちばんの場所は、やはりこのブログかなーと思っています。
昨年は「光の本」のおやすみ以降、忙しいを理由に、きちんとした文章を書かないままに
過ごしてきました。今年はちゃんと向き合っていこうと思っています。
2011年の目標にしていた「思っていたことはすぐやろう」と「知らない場所へ出かけよう」は
とても良い目標なので(笑)、今年も掲げていこうと思います。そして、それプラス
今年は、昨年ほとんどしなかった、縫物とか編み物とかの手を動かすことや
料理ももっとたくさんできたらなあ、なんて思ったりもしています。
あー
でも、まずは3月の公立高校受験&発表と、そのあとの卒業式&卒業祝賀会ですねー。
娘rの中学生活の集大成であると同時、私のPTA役員としての最後のおつとめ
なので、心してかからないと、です。
そして、春が来たら、女子高校生になる娘と、その母‥その図式を思うと
すごくわくわくしてきます。なんでだろうなあと思うくらい、気持ちが浮き立ちます・笑
そんな私の毎日に、今年もどうぞおつきあいよろしくお願いします。