ソメイヨシノの開花が待ち遠し今年の春ですが。
春のはじめの、もうひとつの楽しみはモクレンの花。
木に咲く花の中ではいちばん好きかも、と思っています。
白の方はピークを過ぎてましたが、紫は蕾からすこし
開き始めの、とてもよい感じでした。
毎年見に行ってる、西口公園。2024年3月27日午後。
数年前に、娘の大学卒業式に列席して、ああもうこれで
入学・卒業・入学・卒業‥の繰り返しはもうおしまいで
慌ただしい春は終わりだーと思っていたら。
今週末は、新居への、娘の引っ越しとなりました。
自分たちのときとは違って、今は、新生活や結婚式までの
道のりというか、時間のかけ方は人それぞれのようで‥
娘たちの場合は‥
部屋探しから始まり、互いの両親への挨拶や、両家顔合わせ、
式場探しと決定、そしてようやく引っ越し、来月入籍、
10月に結婚式という運びなのです。
いろんなことを(深く)考えないように、
思い出さないようにしてきましたが(笑)、ここへ来て、
さびしい気持ちが広がってくることもしばしば。
しかし。
新しい、ココロ躍る、「はじまり」を迎えるためには、
「おわり」があってこそ(だとよーくわかってます)。
なので、わたしがわたしに贈る歌はこれですね。
僕らこれから強く生きていこう
涙がこぼれそうさ
ヒバリのこころ
ヒバリのこころ
ヒバリのこころ
スピッツ「ヒバリのこころ」
昨日からなんかカレンダーばかり気になって‥。
夜になったら、そうだ、6月27日はブログを始めた
記念日だった。今日じゃなくって明日じゃない、と
思い出しました。
2005年6月27日が初投稿だったので、もう18年に
なりますねー。
その年、娘が小学3年9歳だったので、そこからも、
すでに2倍の年月が過ぎていて‥中学、高校、大学と
卒業していき、この夏が来たら27歳。。それだけの
時間をともに過ごし、心身ともに成長していく過程を
見ていると、同じ時間を過ごしている自分自身は
果たして何か変わったのか‥???と思えてきます。
変化といえば、矢印が下降していく衰えが「見える」
だけで、あとは基本的には何も変わっていないような。?
それはよいことなのか、あまりよろしくないことなのかー。
本が好きなこと
本を読むのがすきなこと
絵本の読み聞かせを続けていること
ヒナタノオトへ行くのが楽しみなこと
スピッツが大好きなこと
音楽が好きなこと
2005年時点と2023年の今とほぼ変わっていないこと。
日記は3行日記をつけてること
毎日ひとつ「印象的」なことを見つけること
観た映画、読んだ本の記録と感想を残すこと
ラジオ英会話をPCで聴くこと
行きたいライヴにはなるべく行くこと
毎日少なくとも30分散歩すること
ここ数年続いていること
ものすごいトピックスやニュースはないけれど、
好きなことを好きなペースで続けて行かれることを
「しあわせ」というのでしょうね。
そして、こんな断片が浮かんできました。
谷川俊太郎の『さよならは仮のことば』の‥
赤んぼうだったぼくは
ぼくの年輪の中心にいまもいる
角田光代さんの『降り積もる光の粒』から‥
年月とともに容姿は変わっても、その人に中にある
「変わらないもの」を見つけることができる人同士は
いつまでも変わらないと普通に言い合うことができるのだ。
そうなのだ。あるものごとはどうしようもなく変わるが、
その変化のなかで変えずに持ち続けられるものが、ある。
とういうわけで、ぼちぼちと、ブログをこれからも
更新していきます。どうぞよろしくお願いいたします。
散歩中に公園で見つけたネジバナ。
こんなに密生?群生?して咲いているのを見たのは
初めて♬
日本橋浜町のヒナタノオトで絶賛会期中の
吉田史作品展 物語るー に、昨日娘と出かけてきました。
今回初登場の樹皮状結晶を持つ石と、象牙(吉田史さんと言えば
象牙ですよね)を組み合わせたブローチとか、愛らしいイヤカフ
とか、ときめくものもたくさん見せていただき、ココロと体
(とくに顔の筋肉)がとてもやわらかくなった気がします(笑)。
ずっとずっと前から、いつかは史さん作の象牙のアクセサリーを、
私もおひとつ自分のものにしたいと思いつつ、その夢叶わずで
ここまで来ましたが。
そうよ、今年はメモリーイヤー!とある日気が付き、出会いの
時を待っていました。
「発見する」という名の、ルーペを模したヘッドが付いたネックレスに
かなり惹かれましたが、ここはやはり、花束を、私からわたしへと
「めでたしの花束」を作ってもらうことに(やっと)決めて‥。
選んだのは象牙の白詰草と、ラベンダーで、ネックレスに。
同行した娘は、象牙スズランのイヤカフと最後まで迷っていましたが、
象牙タンポポと、ラベンダーでイヤカフに。
出来上がり予定は8月中旬。まさに二人とも誕生日前で、こんな偶然も
嬉しかったです。
オーダー作品は、待つ時間も楽しみのひとつだね、と言い合い
ながら帰路につき‥そうか今日の時間そのものが、もうすでに
私にとってなによりの「めでたしの花束」だったと、気づきました。
めでたし . ※ヒナタノオトさんインスタより、転記させて頂きます。
 ̄ ̄ ̄ ̄
愛で(めで)甚し(いたし)
うつくしいものに深く愛情を寄せる気持ちをあらわすことばです。
また、「おめでとう」の語源でもあります。
もとは相手にかける言葉ではなく、
喜び幸せな相手を見て心惹かれ、
愛おしく思う自分の気持ちを表す言葉だったのです。
いつまでも変わらない、
うつくしいものに寄せる気持ちを形にしました。
「めでたし」の心持ちをいつもそばに。
そして、本日このブログの誕生日を迎えました。
(昨年は6月28日と記していましたが、それは間違いで27日が
正解です‥)
もう始めてから何年になるでしょうね~2005年からなので、
なんと17年!も経ってました。
一度気にいったことは、わりと続けられるのが、わたしの
数少ないよいところの一つなのでは?と近頃思っているので、
もうしばらく「めでたし」の気持ちを持って、続けていこう
と思います。どうぞよろしくお願い致します。
ほぼ日の「今日のダーリン」。
以前ほど熱心な読者ではないのですが、今日のものは
今日ここに記しておきたいなあ、「今日」記しておきたいなあと
思ったので、コピーさせていただきました。
「これだけはやろう」と決めてやっているのが、
この「本の読み聞かせ」という習慣なんだそうだ。
先輩がやっていると、後輩おかあさんもやりたくなる。
前にも、ちょっと書いたことかもしれないけれど、
絵本を持って、まだことばをおぼえていない赤ん坊に、
「読み聞かせ」をすると、それなりに
聞いているように見えるから不思議だ。
じぶんに呼びかけられている感じがいいのかもしれない。
ことばのわからない赤ん坊だってよろこぶのだから、
多少なりともしゃべれるようになった子どもなら、
「読み聞かせ」はかなり好きなのではないだろうか。
いちばん安心できる人の声で、
知らない世界に連れて行ってくれるのだから、
それがたのしくないはずはないだろう。
声で、こころを愛撫するような行為なのだろうな
(そういう意味では、歌を歌うのも似てるかな)。
こんなふうに考えていくと「読み聞かせ」というのは、
子どもにとっての、たいへんに贅沢な遊びなんだね。
その遊びで、なにが育ったりだとか、
どこがうれしかったりするのかは知らないけど、
大人でもしてほしいくらいの、ご馳走な行為だよ。
たぶん、一冊の本をぜんぶ読んでくれる人が、
実際に、ここにいるってわかった子どもたちは、
じぶんが大人になったとき、本を読むことを
めんどうに感じないんじゃないだろうか。
おかあさんたち、ごくろうさま、いいことしてるね。
コピーさせて貰った中の最後の1行は、「おかあさん」としての私への
労いの言葉に(勝手に)させていただきました。
ま、今はもうしていないので、いいことしていたね、に(勝手に)
変えて(笑)。
****
もしかしてもう何度も書いているかもですが、本日28日は私の誕生日で
あると同時に、娘が生まれて、病院から退院してきた日でもあるのです。
この家で一緒に住み始めた記念日というわけで、翌年の1997年からは
自分の誕生日よりもそのことをずっと意識してきた気がします。
なので、本日の「今日のダーリン」が、なんだか嬉しくて特別に感じられました。
じぶんに呼びかけられている感じがいいのかもしれない。
と糸井氏は赤ちゃんの気持ちを推測していましたが、新米の母親は、その読んでいる
絵本を通して赤ちゃんに「呼びかけている感じ」「語りかけている感じ」が
とても心地よかったのです。
月齢が上がり、やがて反応が出てくるようになって、それはまたそれでもちろん
嬉しかったのですが、最初の頃の、ただ「呼びかけている感じ」だけだったと
しても新米母の気持ちは満たされたのでは、と思うくらいに。
小さな幸せつなぎあわせよう
浅いプールでじゃれるような
大好きな『正夢』の、大好きなフレーズ思い出しました。
予報通り、昼過ぎから雨が降り出しました。
今日は彼岸の入りなので、夫とふたりでお墓参りへ。
‥と言っても、クルマで行けば10分足らず、自転車でも
十分行くことができる距離にあるうちのお墓‥川口から
東京方面への電車に乗ると、荒川を渡るすこし手前に、
進行方向左手に見えてくるお寺にあります。
通路を2つ分奥に入ったところに、むかし働いていた会社の
同僚が、若くして入ってしまったお墓があり、お盆やら
お彼岸の際には、必ず寄るのですが。(もちろん本日も)
「入り」の今日、午後2時前。
Tちゃんの居るお墓は、美しいお花が飾られ、お線香も
長い姿のまま灰になっていました。
いつ来ても、お墓は整えられ、お線香は朝いちばんにお参りが
あったことを教えてくれます。
それを見るたびに、胸がしんと沈みます。
Tちゃんのお父様、お母様、今日も朝起きてすぐに来たのだろうなと。
私は自分の手に持ってたお線香をその上に重ね、傘をすこし
首の方へずらし、語りかけました。来たよ。
先週の土曜日に、こひつじ文庫さん主催の「たしろちさとさん講演会」に
参加させていただきました。
(お話の内容や、ご紹介いただいた絵本などは、こひつじ文庫さんのブログに
詳しく載っていますので、どうぞそちらをご覧ください。)
ほんとうに「学び」と「気づき」がたくさんあった、貴重な2時間を過ごすことが
できたのですが、なかでも、一番感動したお話は、たしろさんの、小さいころの
想い出の中の、「旅行をもう1回楽しむ会」です。
どういう会かというと‥家族旅行等に行って帰ってきたら、楽しかったねえーと
その旅行を家族でなぞる?というか辿る?というのです。
もしそれがイチゴ狩りだったら、家にある材料で家族の誰かがビニールハウスを
作ったり、また別の誰かがイチゴを作ったり。
ある時のスキー旅行では、帰ってきてから、お母さまが、ちさとさんやおとうさまを
主人公にした絵本を作って、想い出をなぞったとのこと‥。
ね、素晴らしいご家族ですよねー。
後半では、スライドも使って、ご自身の創作過程を惜しげもなく、お話してくださり‥
スライドの最後の1枚が「おはなしのたねばこ」の写真だったのも、とても印象に
残っています。
この日は、月末に向けての仕事があったので、講演会終了の後に、すぐに
帰宅しなければならなかったのですが、1冊だけたしろさんの絵本を買いました。
念願のアフリカ旅行に行くことができたのですが、成り行きで?
キリマンジャロ登山をすることになり‥でも、その経験がとても貴重で
かけがえのないものだったことから生まれた絵本なんだそうです。
慌ただしく帰宅し、午後いっぱい仕事して、さて夕方、
この冬初めて袖を通したオーバーコートにブラシをかけていたら、
衿元に留めて出かけたブローチがないことに気が付きました。
三日月の、シルバーの、とても気に行っているものだったのに、今の今まで
なくなっていたことに気が付かなかったのです。
朝、玄関を出た時にそこに付いていたのは確認していたのですが、
そのあとは、「いつまで」あったのかも覚えていないし‥(まあ覚えているくらい
ならなくしたりしないのでしょうが‥)
夜、寝ようとしても、ブローチのことを思い出してしまうくらい、落ち込みました。
でも。
翌日、ふと気が付いたのです。
これは、ある意味、予兆というか戒めというか、気づきを与えられたのだということに。
ブローチはもちろん大切なものでしたが、それ以上に大切なものを失わないようにと
いうことを教えてもらったのだと思います。
そしてそして、ポレポレなのでした。
ポレポレはスワヒリ語でゆっくりという意味だそう。
土曜日に、この絵本を手にしたときから、予兆はすでにそこにあったのです。
いつもいつも急いでいる私に、ポレポレと語りかけてくれていたのです。
もうすこし早くそれに気が付いていたら、ブローチだって失わずに済んだかも
しれませんが‥でも、今は気が付いたのだから、それでよいことにします・笑。
ポレポレですから。
何が嬉しいって、考えにかんがえて贈ったものが、
うわーこれ欲しかったんだあ、ありがとう!って言われた時ほど
嬉しい瞬間はありません。
本日12月7日は甥っ子&姪っ子(はいご存じの方も多いと思いますが双子です)の
20歳の誕生日。
成人式の晴れ着の「前撮り」を昨日済ませたあとに、うちにお披露目に来てくれたので
その時に、みんなで食事をして、そして構想半年(笑)のプレゼントを渡しました。
甥のMくんには、こちら。
革の色が黒く写っていますが、シックなネイビーです。
糸は水色でお願いしました。
若い男子にふさわしいものは何か結構考えて‥今すぐではなくても
ずっと使えるもので、邪魔にならなくて、そしてできれば作った方の顔が
見えるもの‥ということで、大濱さんの名刺入れ(カード入れ)に辿り着きました。
姪のCちゃんにはこちらを。
同じ年頃の女の子がうちにも居るのでリサーチはしやすかったのですが、
それだけに、Cちゃんの心のど真ん中に届くものを、と思い逆に
探すのがとても難しくなっていました。
2年前に、もうひとりの姪のAちゃんには、言葉が刻まれたペンダントを
贈ったので、やっぱりアクセサリーがいいかなとずいぶん迷い、
お店でもすごーくすごーく迷いましたが、大濱さんの革のがま口に決めました。
なんとなくがま口を探しているという風の便りもあったし(笑)、それに
がま口って、小銭入れ以外にも、アクセサリー類や鍵など、大事なもの入れ
としても重宝すると自分が使っていてそう思ったので。
(相談にのってくださったホンマさん、ありがとう~♪)
贈り物って、贈られるほうより贈る側のほうが何倍も楽しいと、
今回も、どきどきしながらそう思っていました。
長男&次女も無事20歳を迎えられたことを、お祝いとねぎらいの気持ちを
こめて、我が妹にもオリーブ花つぼみ(ひとつぶ)のピアスを贈りました。
わたしの持っているネックレスとお揃いです。
きっと自己満足なんですけど、そうやって、同じ作家さんの作ったものを
持っているのもいいかなと思って。
(Aちゃんに贈った言葉が刻まれたペンダントのピアスヴァージョンは
私の愛用品だし、大濱さんの作品は私のバッグと繋がっているということで‥)
来年、うちの娘が20歳を迎えるにあたっての贈り物は、もう決まっていて。
それを贈ったら、私の自己満足が完結することになっています(笑)。
作家の高橋たか子さんが、7月12日にお亡くなりになったことを
朝刊で知りました。81歳、心不全だったそうです。
私が作家高橋たか子という名を知ったのは、高校の図書室の閲覧棚だったと
思います。国語便欄にも載っている作家高橋和巳氏の奥さんであること‥
へえ夫婦で作家なんだ‥という驚きと、大変失礼ながら、作家にしては
平凡な名前だなと感じたことをなんとなく覚えています。
たしか最初に借りて読んだ本は『ロンリー・ウーマン』で、『空の果てまで』
『誘惑者』と読み進め、今、他の著作を検索してみて出てきたタイトルを
とても懐かしく思ったので、きっと『彼方の水音』、『骨の城』、『天の湖』など、70年代に
出版された本は次々に読んでいったのだと思います。
手元に何冊著作を持っているのかも思いだせず、最後に読んだのはいつで、
なんという題名の本だったのかもうろ覚えですが(たぶん92年発売の『土地の子』?)、
それでも高橋たか子さんは、忘れることのできない作家です。
18歳の私の内面に、「暗くてよどんでいる奥底」や、「誰にも見せたことがない裏側」
があることを、もし彼女の本に出会っていなかったなら、私はいつどのような形で
知ることになったのだろう、と思います。
大学卒業時に、卒業論文を書きますが、私の選んでいた創作コースは
卒業制作としての小説と、それに対しての副論文がセットでの提出でした。
小説のタイトルは『朱色の部分』、副論文は「わたしの中の『高橋たか子』」だったんです。
あまりにベタですが、22歳の、当時の自分の精一杯がそこにはあったと思います。
私が大学生の時に、すでに春樹氏はデビューしてましたから、『羊をめぐる冒険』なんかを
読みつつも、たか子氏の本も読んでいたのでしょうね‥。それからしばらくして
結婚した頃にはもうあまり読まなくなったのは、環境と心境の変化もあったと思いますが
たか子氏の作品にカトリック色が強く(パリの修道院で生活していた時期もあったようです)
なってきて、信者でない自分にはわからない点があると感じたことはたしかだったと思います。
なんかコジツケかもしれませんが、今年は高校生だった頃の自分に「向き合う」年、
みたいです。
先日、BSプレミアムで放送されていた『タイマグラばあちゃん』の
録画を観ました。
タイマグラというとっても異国な響きの土地名だけ知っていて‥それで
番組予約をしておいたので、どんな内容で、どんないきさつで撮られたのか等は
いっさい知らずに見始めました。
(ここでは、詳しい内容には触れませんので、どうぞタイトルのリンク先を
ご覧になってください。)
その記録映画の最初の方に、「ばあちゃん」の夫である、91歳の「じいちゃん」が
登場し、こんなようなことを話すのです。
50代~60代の頃がいちばんよかった。
若い時は体はよく動くけれど、心がそれについていかない。
50代過ぎた頃が、体と心のバランスがとれてくる‥
91歳の「じいちゃん」のことばは、50代60代を(もちろん70,80代も)通り過ぎて
きた人だけが持っている頼もしさがあり、そうか、そうなんだと、私の顔と心は、
ほころんできたのでした。
+++
それと前後して、今年6月に行われる同窓会の準備委員の集まりがありました。
思ったよりもずっと多い30人弱くらいの同級生が来ていて、もうすでにミニ同窓会だね、
と友達と言いあったりして。
最初の5分くらいは、この人誰だっけと、互いに、顔を見たり見ないようにしながら(笑)
確認しあいましたが、ああ、と頷いて、笑顔が返ってきて、しゃべりはじめると、
30年という時間って、いったいなんだったのだろう、と思うほど、誰もが「高校3年生」の
ままでした。人って、基本的なところは18歳ぐらいの時からほとんど変わることが
ないのではないか、とも思いました。
(すこし早口なところとか、質問の切り出し方とか、人の話をよく聞いていないところ
とか‥笑)
あの時の、3年の教室の隅にドアがあって、それを開けたら「ここ」に繋がっていたような
そんな錯覚すら覚えたし、32年後の自分たちを見ることができるドア‥かなり限定版ですが‥
どこでもドアってあるんだよ、と18歳の自分に教えてあげたいとも思いました。
帰り道、駅のホームで思いっきり手を振り合って別れた私の内側は、18歳のままというか、
32年の時を一瞬で越えたというか、ううん、眠っていた18歳の気持ちが顔をもたげた、が
一番近いでしょうか。
帰ることができると思いました、18歳の気持ちにまでは。
タイマグラの「じいちゃん」が、50代がいちばんバランスがよいというのは
きっと本当のことなんだろう、と素直に信じることができて。
体は、気持ちの入れものなんだという気にもなって。
ますます、入れもののメンテナンスをしっかりしておかないと、昔の気持ちを
保てないぞと思ったり。
50歳で迎える同窓会、わるくないかもと、思い始めています‥。
今朝 作家の常盤新平さんの訃報を知りました。
81歳と書いてありました。
常盤さんの著作をそんなにたくさん読んでいたわけではないのですが、
『夏服を着た女たち』や、『ニューヨークは闇につつまれて』というタイトルを
懐かしい気持ちで思い出しました。
ニューヨークへ行ってみたいという気持ちが先だったのか、
それとも、常盤さんが訳したアーウィン・ショーの小説を読んでいるうちに
憧れる気持ちが増していったのかー今となっては思いだすことが難しい
25年くらい前のことです。
本の中のマンハッタンは、1980年代半ばよりも、さらに前の「時」が
描かれていたけれど、でも、流れている空気は期待を高めてくれる
ものだったような気がします。
1987年に初めて旅行で訪れて、1992年4月から1年余り暮らしてみて‥
帰国後はまたただの旅行者に戻ってしまったけれど、グリニッチビレッジに
ぎりぎり入る14丁目で暮らしたその時間は、私もニューヨーカーだったと
言ってもいいのかなーと、時々胸の中でつぶやきます。
・・・・・・
時は流れ。
暮らしの手帖の160ページに、毎号「ニューヨーカー・ニューヨーカー」という
コラムを常盤さんが連載しているのを見つけました。
雑誌「NEW YORKER」に掲載された記事の中から、常盤さんが
興味を持ったものについて書いていく、という内容です。
いつ、この連載を知ったのかは忘れてしまいましたが、そうか、こういう目標が
あるじゃない、とその時私は思ったのでした。
いつか雑誌「NEW YORKER」をそのまま英語で読めるくらい、英語の勉強を
続けるということです。会話は相手が必要だけれど、読書だったら、辞書を引く
ことだったら、ひとりでもできるのだから。
2009年の12-1月号には、こんなことが書かれていました。
けれども、料理や食事の英語が難しい。短い囲み記事なのだが、
十回以上も辞書を引く。こうして一生を終えるのかもしれない。
高校英語から一歩を進歩していないようだ。
たくさんの翻訳をなさった常盤さんでさえ、こんなふうに感じることもある、
ということに少し驚き、そして逆に少し励まされたような気持ちにもなりました。
高校英語から、まずおいてきぼりにされないように、そこからがんばろうと。
これは新しい「あこがれ」です。
いつかまた、ニューヨークを訪れる時のために?
頭の中の老化防止のために? いえ、それだけじゃなくて、あの頃の気配のような、
空気のようなものをすぐに思い出すことができるために、です。
常盤新平さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
5月5日子どもの日。
我が家の「こども」は部活の一日練だったので‥またまた吹奏楽部に入り
今度はテナーサックス担当になりました‥夫とふたりで、おでかけしました。
県立美術館へ行ってから、日本橋へ。
高校入学のお祝いをお義母さんからたくさんいただいたので、そのお返しというか
高校入学の記念となるようなものを、と思い、ヒナタノオトさんへ伺いました。
選んだのは、朋子さんの「歌のかけら」。
細長いシルエットが斬新で、ちょこんとはじっこにとまっている小鳥が可憐な作品です。
前回お店に伺ったあとに、糸暦、ピクニック日和 という、2つの魅力的な展覧会があり
そのどちらにも行かれなかったことを、残念に思っていたのですが、見たいなあと思っていた
文香さんのストール、何点もお店にあって、ああ、その中に、写真をみてとってもいいなあと
思っていたものが、ひらりと目に入ってきたのです。
透花
(リンク先は森文香さんのブログです。そのひとつ下のログ「個展おりかえし地点」のところの
下書きもこの作品ですよね?)
「セキレイ」もとってもよくって、すごくすごーく迷ったのですが、「透花」を選ばせていただきました。
ログを読むと、透花は会期の最後の方にお店に来た作品のようなので‥もし、展のはじめに
来ていたら、出会えなかったということですよね?
透花
森さんがつくった言葉なのでしょうか? それとも、すでに存在している言葉なのかな。
どちらにしても、初めて目にした言葉で、目に映る、二つの文字の連なりがとても美しいです。
そして、こっから先は、私の勝手な憶測なのですが‥この「花」は、白モクレンの花びらの
イメージからきているのではないでしょうか‥。
文香さんのお庭にも、モクレンがあるみたいだし、ブログにも
「咲き終えてもなお、惹かれてしまう花だなぁと、
今年初めてその魅力に気付かされています。」 とあったし。
でも、全然違っていたとしても、それはそれでよいのです。
作品を生み出したときの作者の想いが作品に反映され、使うことができる私が、そこに
自分のイメージを重ねていって、そのときそのときの気持ちを1枚の布が映してくれて、
それでその布を自分の身に纏う‥なんてしあわせな間柄でしょう。
透花の水色は藍生葉。 薄緑はツユクサ。 芥子色はアワダチソウ他 で
染めた糸ですって。
どの色もとても美しいです。
空気はきーんと張りつめていますが、窓から受ける陽射しと
空の色は、春の訪れは近いよ、と教えてくれているかのように眩しいです。
今日は9日。
1ヶ月後の3月9日は公立高校の合格発表日‥
今がいちばんつらい時で、今がいちばんの頑張りどころだと
わかっているけど。頭で理解していても、気持ちがついてゆくのはまた別で‥
ゆうべ、rが言うんです。
気持ちがざわざわして、いつもと同じように英文が読めない、どうしようって。
寝なきゃいけないって思えば思うほど、眠れなくなるときみたいに、
緊張しないようにしようって思うと、どんどん緊張してきて、どうやって
今までやっていたのかわからなくなるって。
その場では、大丈夫、今まででだってできたじゃないとか、
そういう気持ちを乗り越えてこその受験なんだよ、とか
結構きつい調子で励ますのですが、ひとりになれば、
穏やかな陽射しが恨めしくなるほど、私の気持ちもざわざわしています。
この時期のつらさって、勉強のラストスパートっていうよりも、
自分の心との戦いなんですね。
*****
1ヶ月後に、ここを読み返して、ああこんなこと思っていたんだと
懐かしい気持ちで振り返ることができますように。
ゆうべ、ふとした気持ちから本棚にずっとずっとあったこの本を
手にしてみました。
最後のページに、最初に読んだ時の日付が残っていました。
’82.1.5
今はもう書いていませんが、昔は、買った本には必ず読み始めた日と
それを読み終わった日を記していました。何度も読んだ本には、だから
いくつもの日付が残っていて、それはそれで、なかなか興味深いのですが‥
この本には、ひとつしか残っていなかったってことは、ほぼ30年前に、一度しか
私は読んでいなかったのでしょうか‥ねえ?
訊いてみたところで、答えるのは自分ひとりしかいないし、その自分があやふや
なのだから、どうしようもありませんが‥。
眠る前に読み始めて、今日の午後続きを読んで。
そうか、こういう話だったのだなーと思いました。
作家の処女作には、その後の作品の「元」になるものが詰まっているとは
思っていましたが、まさか、ここに、そんなにいろんな断片があったとは!です。
当時の私は何も知る由もないわけで‥作家ご本人だって、この作品を書いて
いた時には、その後自分がどういう作品を発表していくかなんて
知っているはずがないわけで‥。
小説を読む楽しみって、こういうところにもあったのだなーと今さらながらに
感じました。
それにしても、当時の私、何にも知らない、知らないだらけのただの学生
だったのです。その事実はよーく知ることになりました。
知らないながらにも、それなりに考えて感じて思って、選んで捨てて、
苦しんだり悲しんだりもしてたんだなあと思いますが、でもそれにしても
20代になるかならないかの頃って、何にも知らずに生きていたんだなと
思います。
今そう思えるってことは、それからの時間がいくらかは無駄にはなって
いなかったってことだよね、とわかり、すこし安心したりもするのですが‥
みんなそういうふうにして大人になっていったのでしょうか。
先週の土曜日は、予告通り、石神井公園駅前へお出かけしました。
こひつじ文庫さん主催の「子どもへの読み聞かせ」のお話を聴くために、です。
お話をしてくださったのは、ブログを通して知り合ったこももさんと
ベテラン図書館司書さん。
講座の概要はこひつじ文庫さんのブログと、こももさんご自身が綴られた文章を
読んでいただければなあと思いますが‥
私も、そのとき私自身が感じた気持ちだけは残しておきたいなあと思って。
でもどこから書いたらいいのでしょうー。
そうそう、キーワードは「共有」だなと、こももさんのお話を聴きながら
何度もなんども思ったのでした。
まず、絵本を読むという行為は、絵本そのものを共有している、ということから
始まって、絵本の内容や、その絵本を一緒に読んだ時間を共有し、
後に、その絵本を別々の場所でそれぞれが読んだ時に、かつて一緒に読んだなあと
いう思い出までも共有できる‥
それに加え、そういう思い出を持っている私たち「絵本友だち」は、
そうそうそうなんだよね、という同じ体験談をも共有できるわけで‥
「分かち合うことができるもの」の大きさに打ちのめされたというか、
大げさに言うと、その素晴らしにちょっとクラクラしちゃうような感じさえ、しました。
もちろん、子どもと共有するものは絵本でなくてもいいと思うのです。
ブロックとかで遊ぶのが好きなら、それを一緒に繰り返すこともよいし、何より
自分が好きなものがいいですよね? なんせ、共有なんですから。
その「好きなもの」が絵本であった場合、本当に楽しい時間は続き、
やがてそれは幸せな時間の思い出となって、いつまでも胸の中に残るのです。
*****
それにしても、こももさん、すごいなあと思うのは、
本を読みながら「笑う」だけじゃなくて、一緒に「泣いた」ということです。
私はそこがほんとにダメなところで‥泣いているところ、娘に見られるのは
恥ずかしいような気持ちがあって。
涙が出そうになると、なんかごまかしていたというか、そもそもそういう本、
読まなかったかもしれません。
もしも、少しだけ戻ることができるのなら、物語をもうちょっと一緒に読みたかったなあ。
エルマーのシリーズは読んで、その後、ナルニアの最初の方を読んだような
読まなかったような‥感じなので。
絵本の後の、おはなし(物語)まで一緒に楽しんできたこももさんとおにいちゃん。
おにいちゃんの中には、それまで培ってきたものが、ぐんぐん育ってきているなあと
強く強く感じました。
そして、自分にとってのすごくつらく悲しいことも、本を読むこと、読んでもらうことで
消化してきて逞しい子になったと思います、と言ったこももさんの顔はとても晴れやかで、
ひとりの絵本好きとしても、母親歴が一緒の同志としても、とても嬉しく、なんだか
私までもが誇らしい気持ちになったのでした。
今日で、娘rは、15歳になりました。
誕生日はいつだって特別な日ですが、今年こそが(私にとっての?家族にとっての?)
もっとも記念すべき年なんじゃーないかなーと思うのです。
なぜかといいますと‥
私が夫と出会って、つきあって結婚して、母になるまでに、14年。
そして、娘が生まれてから、15年。
そうなんです、夫とふたりで過ごした年月を、家族3人になった年月がついに
追い越したのです。
結婚と、子どもを持つことがほぼイコールの場合には、子どもの成長が
その方たちの結婚生活の証みたいなものになるのかなーと想像しますが、
私は、一本の太い線として、両方を一緒にすることができずに、今まできたような
そんな気もしています。
娘が居る、その時々の自分を、もうひとりの自分が、「ほんとうに?」と驚いて
みているような‥。ちょっと借りもののような‥?
15年たって、15年を越えてみて、揺らぎのない自分が表われるかどうかは
まだわかりませんが、借りもの的な気持ちのおもしろさは、ずっと持ち続けて
いたいなあとも思っています。
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今年の誕生日絵本は、すんなりと決まりました。
このCDは、珍しく本人が「これ欲しい」と言ったもの。
もうひとつ、こちらで見つけたものもあるのですが、それはどうかな?
喜んでくれるかな。