ひとつのタイトルから、二人の絵描きがインスピレーションを受けて
それぞれ絵を描いたり、合作したり、互いにタイトルを出し合ったり‥という本は
みたことがありましたが、二人の作家が、互いに文と絵を交換して、独立した1冊の
絵本であるのに、2冊続けて読むことで、繋がりを感じることができ、なおかつ、
両方を繰り返し読むことで、2冊のセカイがぐっと深まっていく、静かだけれど、
とても心躍る絵本に出会いました。
『みなとまちから』
nakabanさんが書いた文に、植田真さんの絵。
ぼくは長旅を終えて、港に着きました。とても しずかな みなとです
今にも雨が降り出しそうだけど、ぼくは こんな そらも すきだな
と思います。
浜辺で小石や貝殻を拾っていたら、とうとう雨が降り出しました。
町をぐるぐる歩き、お店で雨宿りをし、走って行ったら夕焼けに間に合いました。
そして夜、宿に落ち着き、ゆっくりと てがみを かきはじめました
『とおいまちのこと』
植田真さんの文に、nakabanさんの絵
ぼくがお茶を飲もうとしていると、手紙が届きます。
外は今にも雨が降り出しそう。
ぼくが飲んでいる紅茶の缶には「Tea Port Calm Blend」の文字と
港の絵。
ぼくは手紙のことを思い出し、青い封筒を手に取るとそこにはきれいな
山の絵の切手が貼ってあり、中からはピンク色の薄い貝殻が出てきました‥。
雨の匂い、お茶の香り‥手紙の最初は
とても とても しずかです
ぼくは みなとに います
お二人は2014年の2人展を契機に、5年間という時間をかけて、絵本製作を
おこなってきたそうです。
それを植田さんは、例えばジャズでいうところの「インタープレイ」‥
相手の鳴らした音に応えるようにアクションを起こし、相手もこちらの鳴らした
音に反応してアクションを起こす‥だと、「発刊にあたって」の中で書き、鳴らされた
音の余韻を味わいながら、2冊の絵本を自由に楽しんでもらえたら、と結んでいます。
一方nakabanさんは、それぞれが住んで居る広島と神戸の町の物理的な距離感が
面白く、海と山の要素がその「距離」から生じたと、書いています。
私はこの2冊を、少し前に西荻のウレシカさんでの原画展の時に買ったのですが、
2冊一緒に購入すると、こんなすてきなケースにいれてもらえたのでした。
本棚にはしまわず、このまま飾ってあります。
そして、表紙裏にはサインが入っています。
ダブルネームですね~
そして、なんと私が原画展に行った日は植田さんの在廊日だったようで‥名前を入れて
貰ったのでした。嬉しい。
すこしだけお話もしました。さらに嬉しい。
アルファベットで書かれた自分の名前がこんなに素敵に見えたこと、
未だかつてあったでしょうか!!笑
この2冊はたからものになりました。
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本日6月27日は、このブログの誕生日。何歳になったのか、もはやわかりませんが、
こんなすてきな絵本に出会えたのも、ブログをはじめたからこそかなーと思っています。
昨年の今日に、こんないいこと書いていたこともすっかり忘れていましたが、
6月27日がやってくるたびに思い出したいと思いました。
そして、願わくば、体の内側ココロの淵は、月を映す水のように揺れたり躍ったり
していられますように。
実写ヴァージョンの『アラジン』昨日、観てきました。
公開前からとても楽しみにしていたので、ほんとは先週の日曜日に
観に行くつもりでしたが、予想以上に近所のMOVIXが混んでいて、
観たい時間の座席が前の2列しか空いていず、今週に持ち越したのです。
一方、娘もボーイフレンドと観に行く約束をしていたようで、
場所は渋谷と聞いていましたが、観たい日時のよい座席が思うように
予約できなかったので、「川口で観ることにする~」と言いだし、
なんと、私たち夫婦と同じ日の同じ回を予約したのです。
さすがに、娘たちの後ろ側に座るのはねえ、と思い(笑)、2列だけ
前にしましたが、まあなんとなく落ち着かず‥でも始まってしまえば
そんなこと忘れますけどね。
ところで。
アニメーションヴァージョンの『アラジン』はいつの公開だったか
覚えていますか?
私は、当時住んでいたマンハッタンのシネコンで観たことを、とてもよく
覚えているのです。
1992年。
通っていた英会話スクールの臨時で来た先生が、主題歌の
『Whole New World』をとても気に行っていて、黒板に歌詞を書き、
皆で歌ったという思い出付です笑。
1992年。当時30歳になったかならないかの私は、27年後のこんな
事態を予想できるはずもなく‥というか、まず子供がいる自分を想像すら
してみない頃でした。
時間は流れ、娘が生まれ成長し、互いにカップルで同じ映画を観る日が
来るなんて‥生きていれば思ってもみないこと、予想もできないことが
起こることもあるのですねーーー。
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そして、肝心の映画ですが。
ウィル・スミスの映画でしたねえ。
もちろん、ジャスミン役の設定も、ジャスミン役の女優さんもよかったけど、
ウィル・スミスはやっぱり好きだな(笑)。
アニメの方の『アラジン』と見比べたくもなりました。
昨日6月14日金曜日は、読み聞かせの当番日でした。
1年生のクラスで、絵本を3冊読みました。
最初は『ちいさなヒッポ』。今回1年生に「届ける絵本」です。
木版画の絵が素晴らしいです。
子どものカバのヒッポが、お母さんカバから、言葉や習慣を
教えてもらう様子がなんとも愛らしく、途中キケンな場面に遭遇しますが、
ちゃんとお母さんが助けに来てくれて、読んでる側も聴いている子供たちも
ほっと胸をなでおろして終わりにすることができます。
幼いときに、親子で寄り添って何度でも楽しめるよい絵本だなーと
思いました。
小学校の教室で読んだのは初めてでしたが、1年生も、ヒッポになりきって
真剣に聴いている様子が伝わったきました。
「いいかい、ヒッポ、グァオが
とても だいじなのよ。」
お母さんカバはそう教えますが、このグァオの発音が一番難しかったです(笑)。
2冊めは、今年のことものとも年中向き4月号の『テオのりんご』を読みました。
テオがおばあちゃんの家に、重いバケツに入ったりんごを届に行こうと
森の中を歩いていくと、ひょっこり アライグマが でてきました。
そして、
「おもそうだね、テオ。てつだってあげるよ」
と いって、バケツを はんぶん もってくれました。
りんごをいっこあげれば、バケツが軽くなるとアライグマはテオに
教えます。
次にウサギがやってきて、手にした花をくれた代わりに、テオは
りんごを いっこ ウサギにあげました。
転んだときに散らばったりんごを拾ってくれた御礼に、りすたちにも
りんごをあげ、橋の上まで来た時に、テオは気が付きます。
「どうして、こんなに りんごが へっているの?
そうか、かるくなるって、りんごが なくなるってことだったんだ。
どうしよう。おばあちゃん、がっかりするよ」
残ったりんごも、川から現れたカワウソと押し問答の末に、すべて
川に落としてしまい、テオは大声で泣きだします。
見開きいっぱいに描かれたテオの泣き顔を、聴いていた1年生も
心配そうな顔で見つめていました。
けれど、ページを繰ると、木の陰からどうぶつたちが、思い思いの
贈り物を持ってきてくれ、またテオのバケツはいっぱいになり、
それとともの元気を取り戻したテオも、みんな一緒におばあちゃんの家へ
行き、ハッピーエンドで物語は終わります。
きくちちきさんの、描きすぎない線と水彩画が、逆にどうぶつたちを
生き生きと見せてくれているように感じられました。
中盤で、一度すべてを失くし、大声で泣いてしまうテオが、なんとも
この時期の子供らしく、新鮮で、好感が持てました。
そうですよね、困ったら、悲しくなったら、大声で泣けばいいんですよ。
そこから解決策が見つかることもありますものね。
裏表紙はテオの後ろ姿が描かれているので、顔がなくて真っ黒なわけですが‥。
「なんで後ろの絵には顔がないの?」と訊いてきた子がいて、
「なんでだと思う?」の私の問いに、すぐに「後ろ向きだから~」と答えて
くれた子も居て‥1年生って、やっぱり面白いと思ったのでした。
すこしだけ時間があったので、『あいさつってたのしい』を読んで、
終わりにしました。
図書館の返却本の棚がわりと好きです(笑)。
自分では探せないような本が見つかることがあったり、
シリーズものや同じ作者のものが数冊並んでいたりすると、
(見知らぬ誰かは)これにはまっていたのねーとか思ったりして。
この本も、先日偶然見つけて借りました。
『曽根崎心中』 原作 近松門左衛門 角田光代 著
たいへんインパクトのある表紙だし、へえー角田さん、こういうのも
書いているんだーと興味を持ったので借りてきました。
近松の心中ものといえば‥
大変むかし、川口のリリアホールで、蜷川幸雄演出の
『近松心中物語~それは恋』というのを観たことがありまして‥。
先日の大阪観光の際、「お初天神」へ行こうと思い立ったのも、元々は
それが頭に残っていたからで、それプラス『阿蘭陀西鶴』という小説に
近松門左衛門が登場してたからなのですが。
今日調べ直してみたら、舞台の『近松心中物語』イコール『曽根崎心中』
ではなかったことが判明しました。(まあ私ひとりで納得すればよいこと
なのですが)
でもそれはそれとして、角田さんが書いた『曽根崎心中』は、お初目線が
しっかりしてて、恋とはなんぞ?と思っていたお初が、徳兵衛に一目ぼれをし、
恋の喜びを知り、いつかは一緒にと夢見た矢先、徳兵衛の縁談やそれにからんだ
金銭問題(銀二貫)やお初の見受け話(お初は遊女ですから)が
ほぼ同時期に起こり、にっちもさっちも行かなくなるのですが。
徳兵衛なしの「今」を生きることに何の意味もないとお初は思い、
徳兵衛の弱いところやもしかしたら嘘をついていたのでは、と
薄々感じつつも、それさえもひっくるめて、徳兵衛を受け入れるところに
強い母性を感じ、読み手の私は、哀しくなりました。
ただ徳兵衛だけを愛し、徳兵衛だけを信じ、盲目的に死んでいかれたら
お初はもっと幸せだったのでは、と思えてきて‥どんな時にも、死んでいく
時でさえ女は男の弱さもダメさも引き受けてしまうものなのかなーとか
思ってしまって。
ところで。
数年前に『銀二貫』という小説を読んだことがあって、先日のそれの
ドラマの再放送がありました。
なかなか面白く、そうそうこういう話だったと思いだしたのですが、
それに関する何かを読んでいたら、作者の高田さんは、『曽根崎心中』に
出てくる「銀二貫」‥今の貨幣価値だと300万円くらいらしい‥から
『銀二貫』を思いついたと書いてありました。
こういうシンクロナイズド的なことがあるのも、読書の楽しさかなーと
ひとりで思い、忘れないようにブログに書いておこうと思いました。
昨日は3年生のクラスでの読み聞かせ当番でした。
最初に課題の絵本 『おさるとぼうしうり』
2012年5月に5年生のクラスで読んだ記録が残っていました。
5年生の反応は薄かったと書いてありましたが、昨日の3年生は
笑ってほしいところで、よく笑ってくれたし、おさるたちが
帽子売りのマネばかりしている、ということも繰り返しの2回目
くらいで気がついたので、お話のおもしろさをともに分かち合えた感が
ありました。
2冊目は『ゆかいなかえる』を久しぶりに選びました。
調べたら、こちらを読んだのは2005年!の4月、1年生のクラスでした。
(14年前だったなんてびっくり)
1冊目の『おさると〜』は、ほとんどの子が知らない、読んだことがないと
言ってましたが、『ゆかいなかえる』は、知っている子の方が多かったことが
ちょっと意外でした。
絵がのびのびしていて、とってもいいですねー。
最初に魚がたまごを食べる場面から始まって、残った4つのたまごがオタマジャクシに
なって、4匹のかえるになるのですが、そのあとも、さぎやかめがかえるたちを
狙ったり、かえるたちもとんぼのたまごを食べる場面があったり、その辺りの
自然の営みが自然に、絵本に組み込まれているところも、何気によいなあと
思っています。
2冊読んで時間がすこし余ったので、またまた『くうき』を読みました。
読み終わったあとに担任の男の先生が、「くうき、おもしかったですねー」
と言い、「さっきまで先生の胸の中にあった空気は?」と子供たちに問い、
「今はぼくたちの胸の中」と言わせようとしていたことが、微笑ましかったです。