my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

じごくのそうべい 水の絵本 ※追記しました

2020-02-25 17:37:48 | ひらきよみ(読み聞かせ)

先週の金曜日は5年生のクラスでの読み聞かせ当番でした。
ひとりで、2冊読んできました。

最初は、今回の「届ける絵本」
こちらです。↓


教室で読むのは、昨年に続いて2回目ですが‥なんか、今年の方が
ダメダメだったというか、上手く読めなかった気がしました。

上方落語が底本になっている、ということを意識し過ぎるのか、
自分の嘘っこ関西弁が、どうも気になって、へんに固くなってしまった
と思うのです。
で、その緊張みたいなものが、聞き手である5年生に伝わったのかなと。

どの場面でも、くすりとも笑い声が洩れなかったのですよ~
まあ、よく聴いてはくれていましたけど。
(誰か一人が笑ったりとか、担任の先生が笑ったりすると、教室内に
『スイッチ』が入ったりもするんですけどね~)

2冊目は、少し前に購入した、この絵本を選んでみました。


時間的にも、すきまを埋めるのにぴったりだったし、
長田さんの詩を、味わってもらいたいなあという気持ちで、
なるべくゆったり読むように心がけました。

本文の詩は、水とはどういうものであるかを、長田さんが
語りかけるように、問うように、教えてくれます。
たとえば‥

どんなものより きらきら ひかり
どんなものより すきとおってて

どんないろも してないのに
どんないろにでも なれるもの


荒井良二さんの絵はどこまでも美しく、手描きの文字が、
文と絵の両方を引き立てているなあと思います。

そして、長田さんの書く文とはまったく関係なく、お父さんとボクが
お母さんに見送られて家を出て、1泊2日のキャンプをして、また家に
戻ってくるまでが描かれていて‥その絵の方の「ストーリー」も
とてもよいなあと思っています。

お教室の5年生。

こどもが いった みずは
かみさまたちの おしっこなの?

どう感じたでしょうー。



***   ***




明日の金曜日と、3月にもう1回、読み聞かせ当番が入って
いたのですが、どちらも今朝中止になりました。
なので、今年度の当番は、『水の絵本』で終了ということです。

予測はしていましたが、いろんなものが次々に「中止」になって
いくのって、さびしい気持ちになりますね。
3月、4月。
行こうと思っている展覧会や、ライヴ、どうなるのでしょうね。
こんな穏やかな青空が広がっているのに、春に向かって
(みんなの気持ち)広がっていきませんね。


健やかな、新年度の訪れを願うばかりです。


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工芸館所蔵作品展@東京国立近代美術館工芸館

2020-02-17 17:27:36 | 好きなもの・美術館や展覧会

前述の、ハマスホイの時間@ヒナタノオトへ行く前に、
東京駅で降りて、竹橋の工芸館へ寄ってきました。
工芸館が石川県に移転されるということを知り、それまでに
一度行っておこうと思った次第です。




日曜日の昼過ぎの東京駅、美しいです。
駅舎の美しさは言うまでもなく、ですが、私は高いビルと広い道路を目にすると
いつもわくわくと気持ちが踊ります。

それに加え、この時はちょうど『残り者』を読んでいたので、御濠が見えてきたら
さらにわくわくそわそわとなんだか落ち着かない気持ちになりました(笑)。



国立近代美術館へは何度も行っていますが、工芸館は初めてでした。
こちらの建物も美しいですね。旧近衛師団司令部庁舎だったそうです。

所蔵作品展 パッション20 今みておきたい工芸の想い が
東京で開催される最後の企画展ということで、(私が)思っていた以上に
訪れる人は多く(決して混みあってはいませんが)、みなさんとても
熱心に観ているのが印象に残りました。

染め織りあり、彫金あり、焼き物あり、人形あり、ガラスありー。
製作過程の映像もあったりして、盛りだくさんでした。
私は「林忠正さんの依頼より作られた~」という作品に、おおっあのころ
パリに居た林氏からの!と、感動しました。本で読んだことが本当の
世の中と繋がっていることを実感した次第です。

会期は3月8日水曜日まで。

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ハマスホイとデンマーク絵画@東京都美術館と、ハマスホイの時間@ヒナタノオト

2020-02-14 16:52:35 | 好きなもの・美術館や展覧会

2月最初の日曜日、東京都美術館で開催されている
ハマスホイとデンマーク絵画展に、夫とともに出かけてきました。




前回、ハマスホイの絵が来たのは、ちょうど12年前。
(その時はハンマースホイという表記でした)
同じく上野の、国立西洋美術館へ、当時小学生だった娘も連れて
3人で観に行ったことをよく覚えています。(その時のログは
それから、干支が一巡し、娘も24歳になりました。自分たち家族のことを
照らし合わせてみても、なんだかそれだけで思い出深いです。

私にハマスホイを教えてくれた友が、開幕後すぐに観に行っていたので、
「どうだった?」と、訊いたところ‥4番目のハマスホイの部屋への入口が
とてもよかった。それと、グッズショップが健司さんそのもの。と、
教えてくれたのでした。

友と健司さんのことは、どうぞこちらのリンク先で読んでください→


今回の展覧会は1章~4章に分かれていて‥順番に観ていくと、ハマスホイが
師事していた方の絵とか、当時のデンマーク絵画界のムーブメントとか、
印象派との繋がりなんかも、わかるようになっていて、そして最後の
4章目のドアの向こうに(実際の会場に扉はありませんが)、ハマスホイの
絵があるという構成になっています。

入口。
とてもとてもすてきでした。これから行かれる方は、ぜひ心して立ち止まって
くださいませ(笑)。

そして、忘れてならないのは、今回、本物の、あの「パンチボウル」が
来ているのだということ。(ハマスホイの)奥様が小脇に携えている
あの銀のトレイも一緒にです。

私は展示を観たあとで、こちらの萬屋健司さんの「光の本」での連載を再読したの
ですが、先に読むべきだったのでは、とすこしだけ苦い気持ちが行ったり来たり‥。
それほどに、胸深くささるものがあったのでした。

なかでも、<パンチボウルがある室内>の、この文章。

ただ眺められるだけのものとして、実用性と引き換えに、
このパンチボウルは美的価値を得たのです。

それと、<アジア商会>の、こんなところにも。

彼はデンマークというよりは、コペンハーゲンという街と
結びついた画家であったといえます。

「場所の記憶」

私がハマスホイの絵をいいなあと思う理由が、健司さんの文章を通して、
解けたような気がしたのでした。


***   ***    ***


そして、日本橋小舟町ヒナタノオトでは、2月16日日曜日まで
ハマスホイの時間」が開催されています。

前述の健司さんの文章「ただ眺められるだけのものとして、
実用性と引き換えに、このパンチボウルは美的価値を得たのです」を、
読んだあとに、あれ、と何かがひっかかりました。

では、「ハマスホイの時間」に展示されている9人の作家さんの手で
作りだされた作品は、その真逆なのではないだろうかー。
工芸品は、ただ眺められる美術品ではなく、使い手を得てこそ実用性を
兼ね備えていてこそ、なのではないかー。
ぐるぐる廻ったあとに、そこに「美」はあるか、が共通点なのだと
思い至りました。

必要を満たすものの中に「美しい」と思えるものがあってこそ、
それは生活の一部を潤すものになり、自分自身の一部にもなっていくのです。
パンチボウルも、ロイヤルコペンハーゲンの、元は用を満たす美しい食器で、
粉々に砕けた後に修繕を施され、その直した跡に美を感じた画家が、
実用性と引き換えに美的価値を見出したということですものね。

9人もの作家さんが、それぞれの「ハマスホイ」を胸に抱いて作り上げた
作品、とても美しいです。


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「まかて」まつり・続く

2020-02-13 11:29:01 | 好きな本

グッドバイ』を読んだ後で、まだまだまかてさんの作品を読みたくて、
本の紹介文から2冊選んで、図書館で借りてきました。

  

恋歌』の方は、樋口一葉の師であった、中島歌子という人の話だということで。
残り者』の方は、江戸城明け渡しの前夜に、城内に残っていた「残り者」が
居たという設定が面白いなーと思って。


どちらを先に読もうか迷ったすえ、なんとなく『恋歌』を先に読みましたが、
それは正解でした。
町人の娘が水戸藩士の家に嫁ぎ、幕末に何もかも失い、歌ひとつで身をたてていくー。
中島歌子という人の名をこの本で初めて知りましたが、中ほどを過ぎた頃から、
時代の大波に飲みこまれ、読み始めた時には思ってもみなかった壮絶な場面が
主人公を待っていたので‥。

大老井伊直弼が襲われた「桜田門外の変」のことは知っていても、襲った方が
水戸の藩士であり、当時の水戸藩はどのような状況であったのか等々、思っても
みたことがなかったので、たいそう歴史の勉強にもなりました。

それにしても、やるせないです。自分の意思ではなく主君に仕えるために
むかしながらの鎧兜のいでたちで、大砲や鉄砲を備えた軍に立ち向かって
行かなければならない夫を見送るのはー。

印象的だったのは、囚われの身になってもまだ、自分の子供たちに学問を
授ける母の姿。
死んでいく身に学など必要ないと揶揄されても、明日御沙汰が解かれるかも
しれず、自由の身になったときに、学がなければ生きていけぬから、と毅然と
言ってのけるのです‥。

潔いという言葉は、時にものすごく残酷だと思いました。


残り者』は、江戸城の大奥勤めをしていた、役職も生い立ちも身分も
違う5人の女の、明け渡し前夜から当日朝にかけての話でした。

天璋院様のお着物を縫う「呉服之間」勤めのりつ
お食事の用意をする「御膳所」で働くお蛸
諸々の用事を言いつかる「御三之間」の、ちか
静寛院様の「呉服之間」の、もみぢ
そして、他4人よりも格段に身分が上の「御中臈」ふき

皆事情はそれぞれでも、自らの職場であった大奥を去り難い想いは
同じで、時代や場所はまるで違っても、働く女性としての誇りは
共感できるものが多く、胸が熱くなりました。

物語の終わり方もよく、こちらを後から読んで(やはり)正解、と
また思った次第です。
そして、2冊読み終わってから知ったのですが、この2冊は「対をなす」
作品として知られているようでした。偶然とはいえ、それを選んで借りた
なんて!とちょっと嬉しいような気持ちになりました。


まかてさんまつり、まだ続きます、たぶん。

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てぶくろ はたらきもののじょせつしゃけいてぃー他

2020-02-07 17:06:41 | ひらきよみ(読み聞かせ)

先週の金曜日は1年生のクラスでの読み聞かせ当番でした。

今回1年生に「届ける絵本」は、こちら。



表紙を見せると、クラスの大半の子が、知ってる~読んだことある~と
声をあげましたが、読み始めると、まるで初めてみたかのように
驚いたり、笑ったりしている様子がかわいらしかったです。

大きな手袋だからって、そんなにたくさんの(っていうか1匹だって)
動物が入るはずがないし、しだいに「家」に変わっていったりしない、って
わかっていても、大人だって、そのあまりの「自然さ」に惹き付けられる
お話です(笑)。ほんとにおもしろいなって、読むたびに思います。

最後のさいご、熊が入ったあとの絵が描かれていないのも、魅力のひとつ。
犬が先に駆けてきて匂いをかぐところも、絶妙な終わり方だと思います。



『てぶくろ』は短い話なので、2冊目はすこし長めのこちらを選びました。


(教室で読むのはとても久しぶりでした。前回は2006年2月)

けいてぃーってことは、女なのかなーって、題名聞いたあとに
そう言った子がいましたね。

大雪ですっぽり埋まってしまったじぇおぽりすの街を、ただ1台
けいてぃーだけが、果敢に走っていく様子が、白(と水色)に赤で、
画面にとても映えるなあと思いました。

「たのみます!」と、ゆうびんきょくちょうさんが いいました。

「ゆうびんを よその まちへ とどけるのに こまっています」
「よろしい。わたしに ついて いらっしゃい」と、
けいてぃーは いいました。

街のあちこちから頼まれ、それに「よろしい。わたしについていらっしゃい」
と応えるけいてぃー。とてもたのもしいです。

1年生の驚きポイントは、雪が降りやまず、30センチになり、1メートルになり
2階まで届き‥のところでした(笑)。



ほぼ時間いっぱいだったので、2冊でおしまいにしようと思ったところ、
クイズを出してほしい、という要望があったので、「クイズの本は持ってきて
ないけど、写真の絵本だったらあるよ」と言って、こちらを一緒に見て
終わりました。



前の方に居た男の子が、字が少ない本だから、もっと小さい子が
みる本だよね、と言ってきたのに、響きました(笑)。
そうだよね、もうすぐ2年生になるんだもんね。





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立春も過ぎて

2020-02-05 16:42:19 | 日々のこと

昨年の10月20日過ぎくらいから、地味に「散歩」をしています。
シゴトの合間に、近所の公園へ行ってウォーキングコースを
ぐるぐる歩いたり、図書館や銀行へ自転車を使って行っていたのを
やめて歩きにしたのも「散歩」のため。

昨年9月末くらいから、右足にもたびたび坐骨神経痛のためと
思われる痛みを感じるようになり、左足のしびれも改善されず、ですが、
自分なりに考察した結果、「散歩」をしてみることにしたのです。

週末のヨガや、毎朝毎晩のストレッチ、それプラス「散歩」。

治っても治らなくてもとりあえず3か月は続けてみようと思い、
もうその3か月は過ぎ、よくもわるくもなっていないのですが、
とりあえず、歩くことは楽しいので、地味に続けています。

本日は、川口西公園(リリアパーク)まで、白モクレンの蕾の
膨らみ具合を見に行ってきました。

 

目で見た時はおおきくなったなーと思いましたが、2週間前と
そんなに変わらないように写真では見えますね。

 こちらが1月19日

リリアパークでは毎年お花見をしていたし、娘が小さいころは
よく来ていたのですが、「花と彫刻の広場」の存在は知りませんでした。
(ちょうどリリアの裏側の搬入口あたりです)

  
紅白ともに梅が満開でした。

あ、あの彫刻はもしや?と思って近づいてみたら、、、。

やはり船越保武さん作でした。

この公園には彫刻がたくさんあるのですが、でも船越さんの作品が
あるなんて知りませんでした。作品名は「渚」。



「散歩」の時にかかせないのは、iphoneで聴く音楽なのですが、
この時、わたしほんとうに、スピッツの「渚」を聴いていたのです。
その偶然にびっくりでした。

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“good” bye  精一杯を尽くせ

2020-02-01 15:05:05 | 好きな本

時々、歴史小説、時代小説みたいなものが読みたくなり、たぶんそういう
気持ちだったときに図書館に予約したのだろうと思います。
朝井まかてさんの作品、何冊か読んだことがあって、どれも面白かったので。

 
※順番が来て読み始めるまで、この帯にあるような「伝説の女商人」の
交易の話だなんてまるで知りませんでした。A新聞に連載していたようですが
それも知らず‥なので逆にとても新鮮な気持ちで読み始められました笑。


時は幕末。所は長崎。
26歳で油問屋「大浦屋」を継いだお希以(けい)は、先細りになっていく
油問屋の仕事だけではなく、異国を相手に交易をしてみたいという気持ちを
抑えられなくなります。それは亡き祖父から聞いた言葉が胸の奥深くに沁み
ついているからに違いありませんでした。

「海はこの世界のどこにでもつながっとるばい。昔は自在に交易できたばい。
才覚さえあれば、異人とでも好いたように渡りあえた」

あるとき、行きつけの料亭の女将を通して、通詞(通訳)品川藤十郎と、
阿蘭陀人の船乗りテキストルと知り合うことができ、テキストルを通して
お茶の葉を、イギリス人に渡してもらうことで、外国との交易という
大海原に船を漕ぎ出すことができたのですが、海は凪いでいる時ばかりでは
もちろんなく、沈没しそうになったり、難破させられそうになったり。
でも、お希以(のちに慶と名をあらためます)は、何事にもその時その時の
精一杯を尽くすのです。


物語が始まってすぐにお希以さんの生き方に夢中になっている自分に
気が付きました。女の分際でとか、女のくせに、とか言われながらも
(言われれば言われるほど?)自分の信じた路を懸命に歩いていく姿にも、
そういう女の人がその時代に居たということにも、ココロ奪われた感じでした。

商売は軌道に乗り、大浦屋は、「幕末のヒーロー」と後に言われるような人たちの
バックアップをしたり、誰からも一目置かれるようなところまでのぼりつめます。

でもそのあたりに来ると、読み手の自分の速度が急に落ちてきたのを感じ、
なんでなんだろう?と思ってみたら、いつか途方もない落とし穴が待っているに
違いなく、お慶さんの身に起こるかもしれない不幸に、自分が怖がっている
のだということがわかりました。
そんな私の心配をよそに、大浦慶という女性は、幕末から明治の世にかけて
生き抜くのですが‥こんな箇所に慶さんの強さを想い、ぐっときました。


 大浦屋が火事にあったとき、お希以を置き去りにして後添いとその息子との
 三人で逃げて行った父親が、数十年ぶりに大浦屋に戻ってきたときー

 お父しゃんが今もろくでなしであるように、私も冷たか娘よ。
 それでも、こらえると決めた限りはこらえ通すまで。
 己にした約束は、裏切れぬのだから。


 晩年長崎を離れて横浜で造船所の仕事にかかわったときー

 こうして始めてしもうた限りは、まだ帰れん。目論見通りに進めぬ道行には
 慣れているはずだと背筋を立て、踵を返した。


 そして、タイトルへ繋がるこのくだりもー

 「日本は旧き世におさらばして、どこに向かうとやろうか。一途で頑固な
 くせに、移ろいやすかけんね」
 我が身の来し方を思い合わせれば、なお自嘲めく。
 「あれは、よかさよならをしたと言えるとやろうか。グッドバイやった、と」


グッドバイはもちろん英語のgood bye のことで、タイトルにした真意はどこに
あるのだろうと気になり、語源を調べてみたところ‥

good bye の語源は、God be with you だったということ。
元々は、〈神があなたのおそばにありますように〉 の意で、「Good」 ではなくて
「God」 。その 「God」 が、ほかの 「Good morning」 「Good evening」 「Good night」
などの挨拶ことばに引っ張られて 「Good」 に替わってしまったといういきさつ
だそうです。

でも、本書『グッドバイ』は、そういう語源とは関係なく、大事なのは good (ですよね?)


お慶がこんなふうに長年のココロの友に語りかけるところがあるのですが。

 宗次郎しゃん、友助。
 空も海も、どこまでも青かね。ほら、波濤が白く輝いとうよ。
 あんたがたにこの景色を捧げて、私はようやく心から告げよう。
 グッドバイ。

前述の、よかさよならをしたと言えるとやろうか。グッドバイやった、と
と重ね合わせて思ってみると、良い出会いばかりが、自分と自分の人生を豊かにしてくれる
わけではなく、「良き別れ」をいくつも重ねてこそ、豊かな人生だったと言えるのでは
ないかと、思えてきました。

その時その時の、精一杯を尽くすからこそ、良き出会いに恵まれたのかー。
出会いを良きものにするために、その時その時を精一杯生きたからこそ、よかさよならを、
「グッド」バイをすることができたのかー。



いずれにしても同じことたい。

大事なのは自分にできることの精一杯を尽くすことだと、お慶さんだったら
言うだろうなと思い、まだ訪れたことがない長崎の海を想ってみるのでした。


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