ずいぶん前に予約したので、なぜその本を読みたいと思ったのかは
思い出せませんが、タイトルに「図書館」が入っているので、
きっとそのせいかーと思っていました。
図書館そのものが主人公になり、自らの歴史を語る章と、
のちに小説家になる「わたし」が、まだそうでなかった頃、
上野公園で、偶然出会った「喜和子さん」に、図書館を主人公に
した小説を書いて、と頼まれる場面から始まる現在形の章が、
交互に物語を運んでいきます。
どちらの章も、とても面白いのです。
「夢見る帝国図書館」という題名がついている、図書館の章は、
福沢諭吉先生が、近代国家の仲間入りをするためには、日本にも
図書館なるものが是非とも必要というところから始まります。
(明治新政府の頃の空気感は、前に読んだ『落陽』と重なるものが
ありました。)
噴水がある広場や、国際子ども図書館、という、よく知っている場所の
場面から始まる現在形の章は、「わたし」が、喜和子さんの、自由で何にも
囚われないような暮らしぶりと、本好きなところに魅了されたのだろうなあと
容易に想像がつき、谷中界隈の様子や、一緒におやつやお茶をするところなど
とても和みます。
やがて、話の端々から、当初のイメージとは異なる「喜和子さん」の過去が
現れ、読み手である私たちも、ああそうだったのか、と深く息を吐くことに
なるのですが。
「夢見る帝国図書館」の章で、山本有三の『女の一生』がわりと詳しく
語られるところがあるのですが、戦後から昭和、平成を生きた喜和子さんの人生
も、一人の女性の、まさに「女の一生」だなと、読み終わってすぐに思いました。
喜和子さん。
本がどういうものかも知らない頃に、『たけくらべ』などを面白おかしく、
お話をしてくれる人がそばに居て、「図書館」という、ひんやりとした壁が
ある建物に入ったことがあり、その時(時期)だけはきっと安心して
いられたのでしょう。
そういう思い出が、のちに自由奔放に生きてきたように見える
晩年の喜和子さんに繋がっていったのかなと思いました。
巻末に出てくるこの言葉がとても印象的でした。
真理がわれらを自由にする