my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

はじめましての絵本たち@こひつじ文庫・2

2009-09-30 10:23:30 | 好きなもの・講座やワークショップ

〈日本の絵本〉の紹介で、少々ぐったりしてしまったのですが、コメントつけるのは
おもしろいし、後からみたときに、思いだせるので、がんばって〈海外翻訳絵本〉も続けます。
(それに、本の表紙画像がたくさん並んでいると、絵本ブログって感じがするし・笑)


 はっぱをつかまえて

   (全体の色のトーンが好きな感じ。)

 いろいろペンギン

   (この本の作者は、『はこははこ?』とか『きがきじゃない』の人だそうです。
    私はどちらの絵本もタイトルを知ってるのみで、読んだことはなくって、です)

 マジシャンミロのふしぎなぼうし

    (目が白眼のところがおもしろねーという話になりました。お話も
     なかなかおもしろかったです)

 ラストリゾート

     (今回、私が楽しみにしていた1冊。表紙の絵、PCで見ていたときは
     写真なのかな?と思っていました。内容は、濃いですね~読み込む時間が
     必要かも)


 水おとこのいるところ

     (水の色がとてもきれいだと思いましたー)

 ともだちのしるしだよ

     (難民キャンプが舞台のおはなしです。10代の女の子が、ともだちのしるしだよ
      って言うだけで、うるっ、です。
      絵本についての詳しい説明が、チョムプーさんのココナッツ・カフェにあります。
      ぜひぜひ読みにいってください。この絵本がとても読みたくなると思います)

 ちいさなへいたい

     (題名通り、戦争のはなしです。淡々と話が進んでいく分、戦争が
      もたらす悲しみがひたひたとやってきます)

 少年の木

     (こちらも、平和じゃない社会が描かれています。地面の上には
     人間が勝手な都合で作った鉄条網。でも地面の下の生命の営みは
     だれにも支配できません)

 ぼくのものがたり あなたのものがたり

     (副題は、人種についてかんがえよう、です。皮膚の下にはだれでも骨があり、
     骨だけになれば、皮膚の色の違いなんて関係ないと言っています。
     その通りです。でも、そこまで説明しなければ、差別する気持ちを
     拭い去ることってできないのでしょうか?)
     

 ホットケーキできあがり

     (エリック・カールさんの新作。なんのしかけもない正統派お料理絵本)

 赤ぼうしちゃん

      (この画像では、ほかの絵本と比べて大きいみたいに見えるけど、
      すごく小さい絵本です。「赤ずきん」だとわかりにくいから
      「赤ぼうし」ちゃん、だそうです。ふーん。)

 ベニーはおにいちゃん

       (小さいきょうだいをお持ちの方には響くかも。表紙で
       お兄ちゃんのベニーがくわえているのはおしゃぶりです)


以上でおわりです。

毎月毎月たくさんの絵本が出版されるのですね。

これだけたくさんの絵本を、「新しい」という視点で紹介してもらうと
自分の好みがわかってくるかもと思いながら、三蔵さんのお話を聴いていました。

楽しかったです。どうもありがとうございました。

次回のこひつじ文庫さんでの開催は、11月27日(金)・28日(土)だそうです。
クリスマス絵本がきっとたくさん出てきますねー



※さきほどこひつじ文庫さんのブログで、かがくいひろしさんの訃報を知りました。
びっくりです。享年54歳、すい臓がんだそうです。すい臓がんってほんとにこわいです。




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はじめましての絵本たち@こひつじ文庫・1

2009-09-29 11:51:51 | 好きなもの・講座やワークショップ

今年2回目、通算3回目の「はじめましての絵本たち」in こひつじ文庫 に
25日の土曜日参加しました。
ナビゲーターは、とことこペンギン隊3号の、三蔵さんです。

まず〈日本の絵本〉から。
かっこの中は、私の感想やら、聞いたことやら、です。

おはなをどうぞ

    (かわいい絵に、かわいいストーリー。もううちにはちょっと縁がない絵本かも)

にくまんどっち?
   
    (どっちが肉まんで、どっちがあんまんなのかーたしかに
     見分けるのが難しいことあるけど…この絵本のまんじゅうたちは
    どうしても自分が肉まんだと言い張っります。しゃべり言葉が一方は
    江戸っ子弁?で、もう一方は京ことばってところがポイント)

おとうふちゃん 

    (この手の絵本は結構好きだけれど、なぜゆえにおとうふ?と
     ちょっと思ってみたり)

まないたにりょうりをあげないこと

    (最初に聴いたとき、あげないって、上に乗せないってこと?って
    思ってしまったら、ほんとは、あげない=食べさせないってことでした。
    表紙の絵をよく見てたら、わかったのにねー)

いっぽんみちをあるいていたら

    (一本道には何かが現われる。なんとなく長さんと、スズキさんを
    思いだしながら、成り行きを見守りました)

大阪うまいもんのうた

    (関西圏では、すでにかなりのヒットソングだということを、その日
    知り、ふり付きで歌っていただきました。マーガレットさんのブログ
    詳細があります。)

どんぐりロケット

    (早川純子さん作、「家缶」と同じ主人公だそうです。絵もかわいいし
     宇宙服とか自分たちでデザインしたりする、そういう簡単さ、好きだな。
    早川さん、前回のときには、影絵芝居のすごい版画の絵本で登場だったし、
    ご活躍の様子、よかったよかった)

 山ねこホテル

     (絵本というか、童話です。7つの話はどれもオチがあるようでないような。
     「まめじかカンチルが穴に落ちるはなし」を思いだしました。
     はらぺこさんに、好きそうな本あったよ、とお薦めしちゃいまいした。)

くまの楽器店

     (ゆらさんの絵に、ちょっとクラッ。)

 あの路

     (ああ、これが噂の、いせさんの新しい本なのねーと思って
     後から見るときも、正坐をして手に取りました。文章長めです。
     いつかゆっくり読む日がくる予感)

 旅の絵本Ⅶ

     (この絵本の絵は、紙じゃないものに描かれているねーという
      話になり…どうやら絹布らしいです、三蔵さん。)

 みみかきめいじん

     (巷で大人気というかがくいさんの絵本を、初めて見ました。
      文庫にあった、がまんのケーキや、そのほかのも見せていただきました。
      なるほどね~)

 でっこりぼっこり

     (急きょ、三蔵さんが足してくださった絵本。高畠邦生さんの絵本
     結構好きなんですが…このスケールの大きさには笑いました。
     地球ってどんだけひらべったい??)



〈海外翻訳絵本〉に続きます。

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ミニコンサート

2009-09-28 15:33:52 | 想うこと
昨日は、rが通っているピアノ教室の発表会がありました。

前に何度か書いたことがありますが、教えてくださる先生は、
夫の大学時代からの友人で、今では私も「生徒の母」でも、「友達の奥さん」でもなく
お茶に誘ったり、誘われたりする友達です。

自宅のリビングにあるグランドピアノで、rがレッスンを受けてるときに
すぐ横のテーブルで本を読むのは、とても楽しみな時間でした。
けれど、いつしかひとりでレッスンに通うようになり、読書とレッスン後の
おしゃべりが、今では思い出の時間となりつつあります。

E子先生は、2年に1回と決めた発表会を、「ミニコンサート」と呼んでいます。
話すときは、「発表会の曲はね‥」と言いますが、プログラムのタイトルは
どれも MINI CONCERT 

小さくたって、曲が短くたって、習い始めたばかりだって、
聴いてくれる人の前で弾くこと、演奏することは、コンサートのステージに
立っているっていうことだよ、の気持ちからなのかなあと思っています。

日ごろのレッスンの成果を発表するのだから、「発表会」だって
全然間違っていないのですが、E子先生が、その日のために選んでくれる曲は
先生曰く「きれいな曲」。
技術的なことはよくわかりませんが、聴いていて、ああいいなあとか
なんかうまくなったかも?って思ってしまうような曲を選んでくれるのです。

rは小学2年の終わりから習いはじめ、「ミニコンサート」は、今回で3度め。
2年前、4年前のプログラムをゆうべ出してきて、曲名と、弾いている子たちを
見てみました。
このとき、この曲を弾いていた子が、2年後はこの曲ね、とか。
この子の妹は、2年後におねえちゃんと同じ曲を弾いてるね、とか。
普段のレッスンでは会うことがなくても、2年に1回の「コンサート」での、
皆の成長を見ることができるのが、とても楽しいのです。

rは2年前には「渚のアデリーヌ」リチャード・クレイダーマン作
今回は「小犬のワルツ」ショパン作 でした。
連弾は、小5のときは、仲良しのTちゃんと「君をのせて」だったのですが、
中1の夏前に、Tちゃんが一時レッスンをお休みすることになったので、
中2のSちゃんと「青い車」を弾きました。rはピアノの伴奏担当で、
Sちゃんはキーボードでメロディの方。スピッツ好きの私は、いつかミニコンサートで
rが、スピッツの曲を弾いてくれたらいいなあと、ずっと思っていたので
曲が決まったとき、すごくすごく嬉しかったのでした。
(第2部のアンサンブルでは、スピッツの曲は毎年人気で、今年は8組中、
3組がスピッツでした)

次の「ミニコンサート」のときは、中3だから大変だね、と昨日rに言ったところ‥
今と同じようにやればいいだけだから、大丈夫じゃない?という返事でした。
「最後のコンクール(吹部の)があって、しかも受験だよ」と、すこしおどかしてみましたが、
大丈夫でしょうー♪だって。

その返事を信じていいのかどうか(まあ私が心配したところでしかたないんですが)
わかりませんが、E子先生に、ピアノを教えてもらうことができてほんとうに
よかったということと、再来年のミニコンサートが今からとても楽しみだということは
確かな気持ちです。



そうそう、最初の「ミニコンサート」の連弾では、お父さんと一緒に
「ミッキーマウスマーチ」を弾いたのでしたー
夫は、今でもキーボードで時々伴奏部分を弾いています。




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おはぎと笑点

2009-09-21 22:44:28 | 日々のこと
今日は敬老の日で、あさっては秋分の日。
手帳で確かめないと、なんで休日なのかよくわからない今年の連休です。

昨日、今日と二日続けてお萩を食べました。母が作ったお萩です。

一生かかっても、これだけは母に勝てないと思うものがいくつかありますが、
お萩(春にはぼた餅)作りもそのひとつです。
母の実家、川越の家では、小さくまるめたもち米をこしあんで包んでいたので、
今うちで作っているお萩を、母は川口に嫁いできて、祖母から習ったのでしょう。
うちのは大きくて、あんは粒あんです。

小さい頃のお萩(ぼた餅)作りは、一大行事だったと思います。
朝、子供だった私が起きてきたときには、家の中に煮小豆の匂いが満ちていました。
重箱につめて親戚へ、大きなお皿でご近所へ。
いったいいくつ、母と祖母はもち米を握ったことでしょう、それをあんで包んだことでしょう。

うちのお萩(ぼた餅)を、いちばん好きだったのは、4年前に
亡くなった父だったかな、と思います。

今年のお彼岸は、お萩をお供えできて、よかったです。
(うちの母、父が逝ってしまったからと、きちんと毎度毎度好物を作る
という人ではないのです。今年は時間があるから、じゃあ作る?という
感じで‥笑)



父の好きだったものといえば‥ご長寿番組の「笑点」がありました。
あのオープニングテーマを聞けば、誰でも思い出しますよね。

今日から3日間、部活が休みになるrが、アルトサックスを練習のため
持ち帰ってきました。文化祭や、地元のお祭りでの演奏のため、
何曲か練習しているそうなんですが、その中に、「笑点のテーマ」というのがあり‥
テッ テッテッテテテテ テッ・テッ が夕方、家の中に鳴り響きました。

何よりの敬老の日であり、何よりのお彼岸の供養です。

(聴こえましたかあ?)





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ひと夏のしるし

2009-09-17 14:45:15 | 好きな本
この夏、気になり続けた1冊を、やっと読み終えることができました。

ビーバー族のしるし
   エリザベス・ジョージ スピア 作 こだまともこ 訳 


なんでもっと早く読まなかったのだろう、と何度も思うくらい、私の好きな話でした。


舞台は1768年春の、北アメリカ、森の中。
マサチューセッツ州から、移住してきた白人の少年マットが主人公です。
フロンティアとして最初にその森へ、父とともにやってきたマットは、
共にとうもろこし畑を作り、丸太小屋を建てます。
そして、次に課せられたのは、父が他の家族を迎えにいって
帰ってくるまでの留守番です。

父のいない間にひとりで13歳を迎えたマットを、遠くでみつめていた老人と、
その孫の少年が、この話のもうひとりの主人公、エイティアン。
エイティアンとその祖父は、長くその土地に住んでいたインディアンでした。



アメリカの開拓時代の話といったら、『大草原のちいさな家』ですが、
マットとエイティアンの交流を軸に書かれたこの本も、ローラたちの
話のように、小さなエピソードを綴ったテレビドラマであったり、場面どごとに絵を
つけた絵本であったりしたらいいのに、読みながら思っていました。

ローラたちの話が、成長とともに長く続いていったように、青年になった
マットの話も読みたいし、立派は狩人になったエイティアンの手柄話も知りたいし。
マットの妹は、犬と仲良しになれたのだろうか、とか、10キロ離れた隣に
越してきたのはどんな人たちだったのかも、知りたいのです。

春にはじまって、クリスマスの前で、本は終わってしまいますが、
マットとエイティアンの話にすっかり入っていくには、十分過ぎる時間で、
じゅうぶん、ふたりの話の虜になってしまいました。


が、しかし。

続きの話を切望している気持ちとは裏腹に、13歳の少年の、春から冬への
半年で、物語が終わっていることの潔さも、実は強く感じています。
もう、二度と会うことはない、けれど、決して忘れることはない友と出会い、
過ごした夏の記憶が、マットとエイティアンの人生を支える源を流れていると
信じているからなのですが。



昨日の夕方、最後のページを読み終えたあと、むかし観た映画ー
ダンス・ウィズ・ウルブス」を思い出しました。

南北戦争の北軍中尉だった主人公は、戦後最西端の砦へフロンティアとして
赴任し、そこでスー族と知り合い、最後にはスー族とともに生きていくことを
選択した‥そんなストーリーです。

ケビン・コスナー演じる主人公が、マットの将来と重なったわけではないのですが‥
あ、でもやっぱり、どこかで通じていると思ったから、思いだしのかもしれません。


ダンス・ウィズ・ウルブス






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ゴーギャン展2009@東京国立近代美術館

2009-09-14 20:41:34 | 好きなもの・美術館や展覧会

夏休み前から、いつ観に行こうと思っていた展覧会へ
やっと昨日、行ってきました。
ゴーギャンが特別大好きなわけではないんですが‥きっと行くにちがいないからと
前売りも買ってあったし。

場所は、竹橋の、国立近代美術館です。
私はゴッホ展を、はるか昔に観にいって以来だなあと思っていたら、
ゴーギャン展も、同じ場所で22年前に行われていたことが、うちにあった
図録でわかりました。

1987年の3月~5月。

あれ? その時私誘われなかったね、と夫に言ったら、
会社を抜けて観に行ったような気がする、という答え。
そういえば、そんなこと聞いた気もするなあと、私も思いだしました。

夫とは、結婚する前から、絵や映画を観にいったり、コンサートに連れて行ってもらったり
しましたが、いずれの場合も、夫が決めて、私は付いていくというパターン。
当時の6歳年上は(今でも6歳年上は変わりません・笑)、大先輩ですし、
私の知らないことばかりを知っているみたいで、私の方がよく知っていることと
いえば、本の話くらいでした。

で、そんな彼が(まあ夫のことですが)、ゴッホよりもゴーギャンのほうが好きと
言ったのです、たしか。
私のゴーギャンについての最初の印象は、その言葉なんです。


長い前ふりになってしまいましたが。
22年を経たのち、私の、ゴーギャンに対する知識も、作品に対する感想も、
少しは蓄積をみせた気がします。タヒチへ、最初にゴーギャンが旅立った年齢を、
私自身が越えたせいでしょうか。
デンマークへ、5人の子供を連れて帰ってしまった妻の気持ちだって察するし、
自らを「野蛮人」といい、【自分の描きたいものがある場所】を求めた気持ちを
痛々しく思うこともできるのです。


今回の展覧会の目玉である「我々はどこから来たのか 
我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という大作。

この作品を、今観ることができてよかったなあと素直に思いました。
13歳の娘rには、13歳なりの感じ方で、何か残ることがあったかもしれないし、
帰りに歩いたお堀端の方が、記憶に残ることになるかもしれませが、
私自身は、22年間のささやかな「蓄積」の末に観たからこその、静かな
想いの力のようなものを、感じることができた気がします。


我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

画面右手に赤ん坊が描かれ、左には、老婆が、ペルーのミイラと同じ格好で
描かれています。
昨夜偶然観た、ETV特集の中で、池澤夏樹氏が、その老婆は老いて死へと向かい
死の恐怖と戦っているといわれているが、頭を抱え込むようなポーズは
胎児のそれと同じであり、画面の外側で、次の生へと向かう準備をし、
また新たに画面の右側から生まれ出ているのでは、というようなことを言ってました。
画面の外にこそ、ゴーギャンからのメッセージがあるのではないかと。

とても興味深い解説だと思いました。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

あの大作の、どこらへんに、今、私はいるのだろう、ふとそんなことを考え、
我々はどこへ行くのか は、Road to Nowhere ってこと? とはっとしたのでした。



ゴーギャン展2009は9月23日までです。

昨日書いた、もっと率直な感想は、こちらにも。
(road to nowhere というタイトルをつけた私の過去記事はこちらです。)




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おひめさまを変えた魔法

2009-09-10 17:12:02 | 好きな絵本
実際に素肌に触れるものと、比べることはおかしいのかもしれませんが、
この本を手にとって、1枚1枚ページをめくっていくよろこびは、
洗いたてのリネンのシーツに、横になったときと同じ種類のものでした。

  『みにくいおひめさま
  フィリス・マッギンリー 作 まさきるりこ 訳 なかがわそうや 絵


1968年に出版され、その後絶版になっていたものが、今年復刊されたのだそうです。
私は、まったくその経緯も、おはなしも知らず、ことり文庫さんの
9月のことり便の中から、この表紙絵にひかれて求めました。


いいなあと思った本や絵本を、すべて手元に置くことは、到底不可能だし、
持っていたからといって、それが必ずしも自分の心のラインナップに
沿っているとも言い難く、ですが。
そばにある、ということただそれだけで、頬に触るリネンの心地よさの
体感と等しいものが、時々は、ほんとうに「ある」のです、この本のように…


みにくいおひめさま 原題 The plain princess

何不自由なく暮らしいるお城のおひめさまは、誰よりも不細工で、
それは王さまの持っているいかなる力を使っても、どうすることもできません。
王さまは、最後の手段として、魔法を使えるものを募り、たったひとり
名乗りでた、ふつうのご婦人に、おひめさまを託します。
そのご婦人が、魔法を使える証しとして示したのは、美しい5人の娘の
写真でした。
王さまは、自分の娘もそんなふうに美しく変わることを祈りつつ、3か月×3
すなわち9か月の時間を与えたのでした…

丁寧な言葉で、丁寧に語られていくおはなしは、読んでいる人の気持ちをほぐし、
おさえた色使いの絵は、おはなしの成り行きを決して邪魔することなく、
ほぐれた気持ちをさらに遠くへ解き放してくれるかのようでした。

約束の9か月が過ぎ、おひめさまはどんなふうになったでしょう。
ご婦人の「魔法」のポイントは、「気づき」ということでした。


みにくいおひめさまを、美しいおひめさまに変えた「魔法」は、努力しだいで
私たちにも有効な「魔法」なのです。




ことり便には、毎月かわいいおまけが一緒についてきますよね。
 9月のは、視覚だけでなく嗅覚も刺激してくれるもので‥それが
 一層この本のステキさを、増してくれたのでした。




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こころのめをひらく

2009-09-08 11:28:38 | 好きな本
やっと、ポール・フライシュマンの『マインズ・アイ』を読むことができました。
種をまくひと』 『風をつむぐ少年』 ときて、やっとです。

フライシュマンという人は多才な方なのですね‥この3冊、設定も背景も文章形式も
何にも似ていないんです。


マインズ・アイ』は、(私はちょっと苦手な)戯曲形式ではなしが進んでいきます。
しかも、舞台は、療養ホームの部屋の中だけ。
話の中に入っていかれるかどうか不安もありましたが、エルヴァの言葉に
耳を貸し、傾けていくうちに(それは、自分がコートニーになったようでもあり)
エルヴァの提案通り、1910年に出版された旅行案内書を丹念に読みながら、
私も、イタリア旅行へ出かけている気分なのでした。

写真が少なく文章がなるたけ多い旅行案内書を選んで、それを辿りながら、
実際に列車の時刻を調べ、お金の計算もし、美術館の案内図に沿って
中を見てまわる…なんておもしろいことをエルヴァは思いついたのでしょう。
しかも行先は、早くに先立たれた夫と、一緒に行きたいとずっと願っていた
ナポリ、ローマ、フィレンツェ。

エルヴァ・長年教師をしていた88歳の老夫人。
コートニー・落馬事故で下半身麻痺になった16歳の少女。

エルヴァの夫も一緒の3人の旅は、閉じたままだったコートニーの心の扉を
ノックし、時に激しくどんどん叩き、すこし開いたかなと思ったのもつかの間
だったりもしたけれど、最後には、解き放たれた扉から涼しい風が
吹き込んできたラストでした。

想像力というのは、ほんとうに、生きていく力になります。



物語の中で、エルヴァがコートニーに語りかけたことは、私自身が忘れないように
したい言葉の数々でした。

  夜になると、あの人は木を彫ったり、削ったり、できた彫像に
  色をつけたり。そのそばでわたしが本を朗読して‥。お金は
  なかったけれど、満ち足りていましたね。思い出すだけで
  心が明るくなります。愛とはそういうものよ。幸せな子ども時代は
  大人になってからの人生を支えてくれます。〈中略〉
  年をとり、ひとりぼっちになっても、幸せな思い出が生きる
  支えになるんですよ。


  しっかりとした精神の部屋を作りなさい。その部屋が、
  社会復帰をするまでのあなたの住み処になります。
  精神の部屋は、そこに住む人に生きる力をくれるのよー



過去ログ→種をまく人
       風をつむぐ少年




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