my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

ひらがなの、せつなさ

2022-04-13 15:11:29 | 好きな本

桜がもうすぐ、とか、桜咲いて風吹いて風に舞って、
気が付けばモクレンは終わっていて、ハナミズキが
満開になっていて、4月もあっと言う間に中旬です。

川上弘美作『パスタマシーンの幽霊』が面白かったと
よく訪れている方のブログで読んだので、それを借りて
読み終えたら、それよりも前に『ざらざら』があったと知り、
そっちを読んで、またパスタマシーンを読みました。



どちらも雑誌に連載していたとても短い掌小説。
ざらざら』には23篇、『パスタマシーン~』には22篇、
ざっくりいうと恋がらみの話が入っています。

でもそこは川上弘美さんの小説なので、人間ではない
いきものとか、幽霊になって現れたおばあちゃんとか、
コロボックルとか‥?

久しぶりに、川上弘美さんの小説を読むと、それが
何度目であっても、日本語の使い方の上手さというか
しなやかさに驚かされるのですが、今回も、それが
10ページくらいの短編であるにもかかわらず(だからこそ?)
どれにもいちいち頷いて、どれにもいちいちココロ動かされ
ました。

爽やかな恋の話はほとんどなくって(そもそも爽やかな恋って
いったい何・笑)、上司との不倫話や、恋人との別れ話、
学生時代の思い出の恋愛や、家族、姪っ子の話などなど、
そのどれも「場面の切り取り方がうまい」なんて、思う
間もなく、「そこ」に自分がもう「居る」のです。

同じ組み合わせで登場している人たちもいて‥修三ちゃんと
アン子とか、コロボックルの山口さんと誠子ちゃんとか、
続きを読むことができて、楽しかった。

私のお気に入り、下記の通りです。
「トリスを飲んで」
「山羊のいる風景」
「パステル」
「笹の葉さらさら」 ここまでは『ざらざら

以下『パスタマシーンの幽霊
「すき・きらい・らーめん」
「ほねとたね」
「ピラルクの靴べら」
「てっせん・クレマチス」


 

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ミラルのものがたり

2021-12-29 12:05:11 | 好きな本

二度続けて『鹿の王』を読んだあと、今度はその続編とも
言える『水底の橋』の、二度目を読んでいます。

2人居た主人公のうちの、医術師ホッサルのその後の物語。
助手でありパートナーであるミラルとの恋の物語でもあります。


ホッサルはオタワルの貴人で高名は医術師、ミラルは
とても腕のよい医術師であり薬作りの名手でもありますが、
平民‥一般市民なので、ともに愛し合いそれぞれを
かけがえのない存在と思っていても、明るい将来は望めない
状況で‥互いにそれを知りながら、ホッサルはなるべく結論を
先延ばしにし、ミラルは「その日」への覚悟を決めている
ようでした。

オタワルの医術が、この現実世界では西洋医学だとしたら、
ツオル帝国の清心教医術は、漢方などを用いる東洋医学の
骨幹を清心教が支えている形で、さらに今回、その清心教医術の
源流を二人は知ることになると同時に、時期皇帝争いにも
巻きこまれてしまうのです。

二つの医術の対立や、二人の恋の行方‥そこへサスペンスの
要素も加わって、本当に読み応えがあるなあと思いつつ、
「水底の橋」って、何を意味していたのだろう?と一度目を
読み終えた後に思い、そうして二度目を読み始めたのですが。

今回登場するミラルの父親を、橋を専門に作る建築家、とした
ところがさすがだなーと感心し、父親がミラルに、かつて見た
橋の中で、自分が一番感銘を受けたのが、水底に沈んでいる橋
だったと話す場面が、さりげなくあるだけなのです。

でも、「橋」はホッサルとミラルの間だけではなく、二つの
相異なるよう医術の間にも架けられたのだ、と、ある時すとんと
私の胸のうちに落ちてきて、ああこれはやはりミラルの物語
だったのだ、と淡い光に包まれたような気持ちに満たされました。

ホッサルとミラルの物語、またいつか続きを読むことができたら、
とせつに願います。

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二度続けて読んでやっと「入ってきた」鹿の王

2021-12-04 15:21:58 | 好きな本

長い物語が読みたいと、自分の中の「読みたい本」リストを
探していて、まだこの本が未読だったことに気が付きました。

 

最初は図書館で文庫版の方を借りてきたのですが、1~4がすぐに
揃わないので、こちらの単行本に切り替えました。

一度目は、ストーリーを追うことに精一杯で、ラストまで辿り着くも
あの国とこの国の関係はどうなっていたのかーとか、この人は誰と
通じ合っていたのかーとか、思い出せないことがいくつもあって、
それらの箇所を探すよりは、もう一度最初から読みなおした方が
早いと思い、この1ヵ月、ほぼ『鹿の王』の毎日でした。


なんとも壮大な話なんです。
二人いる主人公のうちひとりは「欠け角のヴァン」という名で呼ばれた
元戦士で、大勢の奴隷が噛み殺された岩塩鉱の中で、彼と、後に
彼が引き取り育てることになる、幼い女の子だけが生き残るという章
から物語は始まります。

もうひとりの主人公は、ホッサルという名の若者で、彼は「医術師」。
別々の章で、ストーリーは交互に進んでいき、ホッサルたち医療関係者を
通して、彼らが属しているセカイでの病の状況を知ると同時に、
私たちが居るこの世界の、人の体とウイルスのしくみを学ぶことが
できるとても優れた医術小説となっているのです。

では、鹿は?なぜ鹿の王??なのだろう。
序盤での私の中の疑問は、この物語がどのようにタイトルに繋がって
いくのかということでした。
ヴァンたちが暮らしていた地方では、鹿と言えば「飛鹿」(ピュイカ)
のことで‥ファンタジーならではの、とても魅力的な動物が登場する
のです。

物語が終盤に近づいたあたりで、ヴァンの父親がかつて自分が見た、
ピュイカの<鹿の王>を、成人の儀を終えた息子たちに話すシーンが
印象的でした。

平地で山犬や狼などに群れが襲われて、逃げきれない仔鹿がいた
時に、群れの中から一頭の牡鹿が躍り出て敵と向き合った。
その牡鹿はもう若くもないのに、その敵の前に立ち、まるで挑発
するように跳ね踊る‥その牡鹿を、群れを守るために我が身を犠牲に
する<鹿の王>と英雄扱いするのは違っている、と言うのです。

「敵の前にただ一頭で飛び出して、踊ってみせるような鹿は、
それが出来る心と身体を天から授かってしまった鹿なのだろう。
才というのは残酷なものだ。」
「そういう鹿のことを、呑気に<鹿の王>だのなんだのと持ち上げて
話すのを聞くたびに、おれは反吐がでそうになるのだ‥」

この時の父の言葉が、ヴァンの中に深く強く残っているのだなーと
二度読み終えた今なら、よくわかります。


鹿の王
物語の世界観は果てしなく、ディティールも込入っていて、
とても読み応えがありますが、作者の言いたいことは、実に
シンプルなのではないかと、思いました。

与えらた命を、精一杯を尽くして生きていくーできれば自分が
愛し、自分を愛してくれる人たちとともに。
ヴァンが見つけ慈しみ育ててる女の子ーユナが、そこにあるだけで
美しい、命の象徴のようでした。




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六度目だった!

2021-11-02 17:18:36 | 好きな本

今までで、一番読み返した本ってなんだろう、絵本以外で。

特にカウントしていたわけではないのですが、もしや
これかなーと思っていたら、たぶんそうです、この本です。


※この画像は2005年9月に出た新装版

私が持っているのは、1985年(昭和60年)6月に出た
箱に入っているピンク色のもの。

この頃は購入して、読み終えた本には日付を記入していました。


最初は、1985年(昭和60年)6月28日~7月7日
二度目は、7月12日~7月28日

2回続けて読んでますね~

1985年といえば、大学を卒業してもう働いていました、私。
村上春樹の名前を知っている人は職場にはまだいなかったかな。
(『ノルウェイの森』よりも前なので‥)
パラレルワールドも、世界の終わりという概念も、登場する
女性たちもすべてに魅了されました。


三度目は、1986年(昭和61年)11月21日~11月28日

まだ結婚する前です。


四度目は、1994年(平成6年)4月25日~5月4日

およそ8年後ですね。8年しかたっていないのに、この8年間で
いろんなことがあり、大きく揺れ動いた‥今思えばいちばん
苦しい時期だったかもしれません。30代始め頃。
この時点でも、主人公の方がまだ年上でした。


長い間、一番好きな小説は『世界の終わりと~』と思っていた
のに、五度目を読もうと思ったのはわりと最近。

2011年(平成23年)2月13日~2月24日

なんと17年もたっていました。震災の前ですね。
もうこの時は40代も終わりに近づき、娘も中学生になってます。
なぜ、この時に再読しようと思ったのか、動機は忘れてしまい、
ブログやっていたのに、ログも残っていませんが、10日間くらい
で読み終えているので、きっと新鮮で、楽しい読書だったのでしょう。
主人公もとっくに「年下」になってますね。


そして、このたび六度目!は娘が買った文庫本の上下で
読みました。
ある時、村上春樹を読んでみたいので、お薦めは?と訊かれ、
この本を教えたのですが、通学の時に持ち運びが重いと言いだし、
自分で文庫版を買ったのでした。

家で読むのなら、六度目も、箱に入った方を読み返したと
思うのですが、このたびの動機は、入院中に読みたくなるような本を、
だったので、とりあえず上巻だけ持って行きました。
腰椎の手術を終えたのが10月上旬の金曜日。週があけて、火曜日に
なるまでは、持っていた他の本も雑誌も読む気が起きず。
でも、火曜日の夕方に、ふと、読んでみようかなという気持ちに
なり、入院前、入院中、退院後で、上下巻読み終わることが
できました。

入院中はこの話を読むのは五度目だなーと思っていたのですが、
あらためて、単行本を開いてみたら六度目!だったことが判明し、
そのいきさつを忘れないためにも、書いておこうと思った次第です。

今回あらためて思ったのは、1985年の時点で、村上春樹の小説の
エキスみたいなものは、すべてこの中にあったのだなーということ。
少々荒っぽかったり、雑だったりするところはあるかも、ですが、
本質的には変わっていないと思いました。
主人公は永遠の38歳ですが、六度の読書の間に、私は50代も
終わりに近づき、その間、カフカねじまき鳥1Q84や、
騎士団長も読んでいるので、じんわりとわかってきました。

どんな僕であれ、僕は僕であることをやめてはいけない、のです。



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本屋さんが出てくる本はたいてい面白い

2021-04-03 12:15:33 | 好きな本

図書館の文庫本の棚を、なんとなく見ていたら、その
タイトルが引っかかり、以前からお名前だけ知っていて、
その作品は未読だった、柚木麻子さんの小説を借りてみました。



先日読み終えた『赤いモレスキンの女』も、もう少し前に
読んだ『グレート・ギャッビーを追え』
にも、魅力的な
書店の店主が登場してまして‥もとより、本屋さんや
図書館が出てくる話はそれだけで好きなので、内容説明に
ほんのちょっとだけ「?」を感じましたが、結果的には
読んでみて、大正解でした。

主人公の名前は大きい穴と書いてダイアナ。小学3年生。
キャバクラで働いているお母さんに無理やりされた
金髪が大嫌い。当然小学校の教室でも浮きまくり、いじめの
対象にも。でも、3年のクラス替えで初めて一緒になった
彩子ちゃんが、毅然とした態度で、いじめから彼女を守って
くれて、二人の交流がはじまります‥。

「?」は、小学3年女子が主人公だということと、そもそも
大穴(ダイアナ)なんて名前を付ける親が、いくら小説の中とは
いえ、存在するのだろうか?でした。もしかしてありえない
設定のマンガ原作が映画化されたみたいな??

そんな私の「出だし」の心配は、2章に進む頃には杞憂だった
ことがわかり、主人公のダイアナや彩子、その両親、友だちに
魅了され、前のめりで読み終えました。

面白かった大きな理由は、ダイアナと彩子の共通の趣味が
読書だったこと。接点が持ちにくい環境で育った二人を結んだ
のは、共通の読書体験でした。
そして、そもそもこの小説は、主人公の名前からも察せられる
通り『赤毛のアン』が底本になっているのです。

その仕掛けもさることながら、ダイアナのお父さん探しや、
二人が別々の環境で、もがきながら成長していく様子、また
彼女たちの母親の気持ちにも、共感しまくりでした。

物語の終盤でダイアナがこう言います。

「本当にいい少女小説は何度でも読み返せるんですよ、お客様。
小さい頃でも大人になっても。何度だって違う楽しみ方が
できるんですから」

ほんとうにその通りですよね。

40年以上前に読んだきりになっている『赤毛のアン』
『若草物語』をこの春は再び手にしようと思います。


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「可能性のノスタルジー」

2021-03-22 17:31:58 | 好きな本

いくつかの書店のインスタをフォローしているのですが、
何度も紹介されていたのと、先日読んだ本と同様、表紙が
印象的だったので、図書館で借りてみました。

 『赤いモレスキンの女』

↑の画像は小さくて少々わかりずらいですが、窓辺に居る
女性が持っているのが、モレスキンの赤い表紙の手帳ですね。
こんなやつでしょうか?



物語は、その手帳所有者の女性が、深夜帰宅した際に、
自宅玄関前で強盗に襲われ手帳が入ったバッグを奪われてしまう
シーンから始まります。
翌朝、そのバッグを拾った(というかごみ置き場に捨て置かれて
いたものを見つけた)のは、その近くで書店を経営している
ローランという男性でした。

バッグの中には、パトリック・モディアノ(私は全然知らなかった
のですが実在するフランス人ノーベル賞作家)のサイン本と香水瓶、
クリーニング店の伝票と、文章が綴られた赤いモレスキンの手帳、
鍵の束、古い写真、サイコロや小石などなど。
それらを手掛かりに、ローランはその女性を探し出すことが
できるのかーというミステリー的かつ探偵小説的な面白さがあり、
どんどん読み進めることができました。

でも、それだけではなく、この小説の最大の魅力は、「本」が
二人の縁を繋いでいくところなのだと、後半になればなるほど
わかっていくのですが‥。「可能性のノスタルジー」という言葉も
ローランの書店に入ってきたお客さんがたまたま訊くのです。
『可能性のノスタルジー』はありますか?と。
その本を探しに行きながら、ローランはこう思います。

人は起こらなかったことについて、ノスタルジーを感じることが
できるのだろうか?人は人生のある局面において正しい決断をしな
かったというほぼ確信に近い思いを抱く時、そこから生じる感情を
「後悔」と呼ぶが、それはより独特なバリエーションを含んでいる。
このバリエーションは私たちをより神秘的で甘美な余韻に包む。
それがつまり可能性のノスタルジーではないか。

偶然もたらされたその言葉に、ローランは導かれ、あるいは
背中を押され、物語はゆっくりと誰もが望むようなエンディングに
むかっていきます‥。


主人公や周りの人たちが少々オシャレ過ぎる?と思いましたが笑、
パリが舞台の小説なのだから、このくらいでいいのかなーとも。
そしてもしも、自分のバッグがどこかで拾われたとしたら、その
持ち主を探してみたいと、誰かに思わせることがわたしできるかなーと
ちょっと思ってみたりしました(笑)。

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新鮮な記憶

2021-03-09 17:14:57 | 好きな本

変わったタイトルと、印象的な表紙に惹かれて。
図書館で予約して借りました。『掃除婦のための手引書』



ルシア・ベルリンという、アメリカの女性作家の短編集。
表紙の女性は作者ご自身とのこと‥美しい方ですね。

1936年アラスカ生まれ。残念なことに2004年にお亡くなりに
なっているのですが、幼少期は鉱山技師だった父の仕事の
関係で、北米の鉱山町を転々とし、その後チリに引っ越し、
3度の結婚と3度の離婚、4人の息子を育てながら、高校教師、
掃除婦、看護師、電話交換手として働き‥アルコール依存症
にも苦しみ、そして(もちろん)文章を書いていたという、
なんと波乱万丈な(?)人生でしょう。


訳者あとがきにはこのように記されています。

ルシア・ベルリンの小説は、ほぼすべてが彼女の実人生に材を
とっている。そしてその人生がじつに紆余曲折の多いカラフルな
ものだったために、切り取る場所によってまったくちがう形の
断面になる多面体のように、見える景色は作品ごとに大きく変わる。

そして、この本に収められている『短編』を、実人生の「どのあたり」
だったのかを、分けています。

/鉱山町で過ごした幼少期 『マカダム』『巣に帰る』
 『ファントム・ペイン』

/テキサスの祖父母の家で過ごした暗黒の少女時代 
 『ドクターH.A.モイニハン』『星と聖人』『沈黙』
 『エルパソの電気自動車』『セックス・アピール』

/豪奢で奔放なチリのお嬢時代 『いいと悪い』 『バラ色の人生』

/四人の子供を抱えたブルーカラーのシングルマザー 
 『掃除婦のための手引書』
『わたしの騎手』『喪の仕事』
 『エンジェル・コインランドリー店』『今を楽しめ』
 『ティーンエイジ・パンク』『さあ土曜日だ』

/アルコール依存症との闘い 『最初のデトックス』『ステップ』
 『どうにもならない』

/ガンで死にゆく妹と過ごすメキシコの日々 『苦しみの殿堂』
 『ママ』
『あとちょっとだけ』『ソー・ロング』

※太字になっていない短編のタイトルは、私自身が(勝手に)、その時期に
いれてよいのでは?と思った短編です。


好きだなと思ったのは、最初に読んだ『エンジェル・コインランドリー店』。
うらぶれたランドリーで出会った背の高い、年寄りのインディアン
出てくるはなし、と、『ソー・ロング』。ニューヨークで、夫と、二人の
子供とともに暮らしていたのに、ある日、三番目の夫になるマックスが
電話をかけてきた。ハロー、と彼は言った。いますぐそこの角の電話ボックス
なんだ。そして、子供たちを起こし、アカプルコへ行ってしまう‥。
時は流れ、メキシコで妹の看病をしているところへ、そのマックスから
時折電話が来る、そんなはなし。幼少期の話の中では『巣に帰る』もいい。
あったかもしれないもうひとつの人生、パラレルワールドを、年老いた自分が
振りかえる。
わたしはたまたま町にやって来たダイヤモンド掘りと駆け落ちし、そのまま
モンタナに行き、そしてどうなったと思う?なんとわたしの人生は今と
そっくり同じになっていただろう、ダコタ・リッジの石灰山のふもとで、
カラスを見ながら。

テキサス時代の話はどれも読んでで胸が痛くなるが、今朝起きた時に
ジョン叔父さんが何と言ったのだったかが、とても気になったので、
このはなしが実は一番響いているのかもしれない。

230ページ、『沈黙』の中のジョン叔父の言葉。

「こら、嫌いなんて言葉を使うんじゃない!だいいちお前さんは
メイミーを嫌ってるんじゃない、自分を好いてくれないから
腹を立ててるんだ。メイミーはお前が外をほっつき歩いて、
シリア人やこのジョン叔父さんとつるんでるのをさんざん見てきた。
それでお前のことをろくでなしの、モイニハンの血の者だって
思ってるのさ。お前さんはただメイミーに愛されたいだけなんだ。
いいか、もし誰かのことを憎く思ったら、その人のために祈ることだ。
やってみればわかるさ。そしてメイミーのために祈りながら、
ときどきは家の手伝いもしてあげろ。お前みたいな可愛げのない
ガキんちょでも好きになる理由を、メイミーに作ってやらなきゃ」
(メイミーは祖母の名前、自分の妹ばかりを可愛がっていると
主人公は思っている‥)

いずれにしても、どの短編も、切りたての果物みたいな、新鮮な印象が
ココロに残る。物語の終わり方がどれも鮮やか。日本語訳がとても
リズミカルで読みやすいこともきっと影響しているのだろうと思う。

よい時期によい本に出会い、いい読書ができたなと思うと同時に、
こういう短いはなし、書いてみたいなーと久しぶりに思いました。

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まかてさんの短編集

2020-11-12 15:05:06 | 好きな本

もうすこし、まかてさんの本が読みたくなって、
図書館の棚にあったものを借りてきたら、短編集でした。


そういえば、短編を読むのは初めてだなーと思いながら
読み始めたところ、最初の粉者(まがいもの)と、青雲
少々つまずいたというか、うまく馴染めなくて‥時代背景や人間関係を
読みながら沁み込ませていくには、やはりある程度の長さが必要なのでは、
と思っていたのですが、3つめの蓬莱にきて、やっと、ああ面白いと思える
ようになり、あとはどんどん弾みがついてきて、最後の草々不一のページを
閉じたときには、今回もよい読書だったなあと、じんわりきました。

読み終わってから知ったのですが、この短編集は、もうひとつの
福袋』と対といいますか、『福袋』が江戸庶民を主役にしたはなしで、
こちらの『草々不一』の方は、武士を主役に据えた話だったのです。
だから、話し言葉からして難しく、しきたりや暮らしぶりなど
知らないことばかりで、最初はとっつきにくいような印象だったの
だなーと合点しました。

でも、最初の2つ‥紛者 かたき討ちの話と、青雲 下級武士の
シューカツ話も読み返してみると、武士で居ることのやるせなさ
みたいなものが伝わってきます。

蓬莱 身分違いの家に望まれて婿入りした末弟であった平九郎の話。
馬に乗る場面がとても爽やか。

一汁五菜 大奥の食事をつかさどる台所人、伊織の表の顔と裏の顔(?)
食にまつわるあれこれがとても興味深い。

妻の一分 大石内蔵助の妻、りくからみた討ち入りを、「あるもの」が
語るという趣向。

落猿 藩の中での「聞役」という職務の重さを、理兵衛を通じて
知ることができ、これだけでももっと長い物語になるのでは?と思わされる。

春天 女剣士であった扶希の回想録。終わり方はやはりこうでないと。

草々不一 長年、徒衆(かちしゅう)として勤めてきた忠左衛門は、腕には
自信があるが、仮名は読めても漢字が読めない「没字漢」‥先に逝って
しまった妻が残した手紙を読みたい一心で、手習いに通いはじめる。




対になっているのであれば、と『福袋』の方も読みました。


ぞっこん 職人が寄席看板の名手となるまでを「筆」から目線で。

千両役者 大部屋の役者と、そのご贔屓さん。

晴れ湯 湯屋のひとり娘「お晴」はお手伝が大好き。

莫連あやめ 古着屋の娘あやめが語る江戸ファッションと義姉。

福袋 表題作 江戸にもあった?!大食い大会。大食漢の姉を
   突然現れた「福袋」だと思っていた弟‥。

暮れ花火 女絵師が、花火の夜の「笑絵」の中に描いたもの。

後の祭 神田祭の「お当番」に当たってしまった、さあ大変。

ひってん ひってんとはその日暮らしの貧乏人のこと。
     宵越しの銭を持たない寅次と弟分の卯吉。でもあることが
     きっかけで卯吉は商売の面白さに気づく。

どの話も、暮らしぶりが生き生きと描かれ、へえーそんなシゴトも
あったのかと、とても面白く、そして短編ならではの、ぎゅっと
まとまった「作り」とか「オチ」も、さすがまかてさん!でした。

終わり方で好きだったのは、暮れ花火晴れ湯でしょうかー。
お晴のおかーさんの気持ちに、同じ母親として胸打たれちょいと
しんみりしてしまいました。
ひってんの、卯吉もよかったな。その日暮らしもいいけれど、
自分の頭をフル稼働させて成功した商売の面白さは、格別だよね、
と思ったり。


そして、両方の短編集の中でいちばんずしっと残っているのは、
草々不一

「これは漢字の二文字にて、不一と読みます。意を尽くしきって
おりませぬが、そこは忖度なさって下さいとの決まり文句です。」

何やら胸が一杯で、とても言い尽くせぬ思いだ。
これぞ、不一であるのだろう。





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まかてさんのデビュー作

2020-10-10 18:48:47 | 好きな本

図書館の文庫の棚を見ていたら、まかてさんのデビュー作が
あったので借りてみました。



何冊か(も?)まかてさんの作品は読んでいますが、行きりあたり
ばったりというか、興味の向くまま、図書館の在架状況の偶然に
よったりだったので、書かれた年代は時に意識していませんでした。


主人公は表紙のお二人。江戸向島で花師をしている新次と女房のおりん。
「なずな屋」というのは二人のお店です。

花師というのは、ただのお花屋さんでも、植木職人でもなく、
野や山から植物を採取して育てたり、品種改良や時には交配させ新種を
売り出したりと、いうようなこともする仕事。

物語は、タイトルにある「花競べ」‥三年に一度の「祭」の中での、
技の競い合い‥を中心に、新次とおりんを取り巻く周囲の人から繋がっていく縁や、
新次の昔の縁まで、広がりを持って描かれ、「繁盛記」という言葉が連想させるような、
日々の細々とした悲喜交交では、語りきれない大きさと深さを備えています。


「職人小説」と、紹介されていましたが、いいですねー職人もの笑。

植木の一つ一つに、その特徴や、水のやり方などのお手入れ方法を記した紙を
付けようと考えついたのは、元は手習の先生をやっていた、女房のおりんなんです。
そんなふうに、色々工夫していくって、きっと楽しかっただろうなあ。



まかてさんの本、もっともっと読みたいけれど、未読のものがなくなって
しまうのは寂しいので、少しづつ「挟んで」いこうと思います。




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それは秘密のやりとりだったのかー

2020-10-01 14:40:32 | 好きな本

先日ギャラリーらふとでのクロヌマさん作品展の時に、
この本の装丁の秘密(?)を知ったので、早速図書館から
借りてきて読みました。




クロヌマさんにお目にかかった時に、今読んでるところです、
って言えたらよかったし、自分が読了してたなら、「クロヌマさんも
この本読みましたか?」と是非とも訊いてみたかった内容でした。



表題作の『口笛の上手な白雪姫』をはじめ、全部で8編の短編が
収められています。

『先回りローバ』
『亡き王女のための刺繍』
『かわいそうなこと』
『一つの歌を分け合う』
『乳歯』
『仮名の作家』
『盲腸線の秘密』
『口笛の上手な白雪姫』


小川洋子さんの作品を読むのはとても久しぶりでしたが、
ああそうこういう感じだった、と程なく思い出しました。

吃音癖があり、思うようにしゃべることができない僕の前に
箒と塵取りを持った「お婆さん」が現れる『先回りローバ』。

廃線が危ぶまれている、通称「盲腸線」に、毎日乗りに行く
曾祖父とひ孫だけが知っていた『盲腸線の秘密』。

赤ちゃんの愛らしさ、赤ちゃんと呼ばれる時期だけが備える
みなぎる生命感が、その物語の、静かに生きる女性と対照的な
『亡き王女のための刺繍』と『口笛の上手な白雪姫』。

感受性豊かな少年期にだけ「見える」『かわいそうなこと』と
『乳歯』。


見えるものと見えないもの、生きている人(もの)と
もう生きていない(もの)の境目を、そもそも境界線など
始めからなかったかのごとく、それぞれの物語の登場者は
越えていきます。それはなぜ?

本の終盤、『口笛の上手な白雪姫』の中にこんな文章がありました。

自分を必要とする客がやって来るとすぐさま察知し、
控えめな視線だけで、もしよろしければどうぞご遠慮なく、
という合図を送った。(中略)ただ小母さんを求める人々との
間にのみ行き交う、秘密のやり取りだった。

こちら側とあちら側(あるいはわたしとあなた、あるいはAとB)で
秘密のやり取りがあったから。

やり取り‥すなわち交換であり交感が存在していたのだと思うと、
それまでに読み終わった短編の諸々が、胸の内側にきれいに収まって
いったのでした。


表紙の白鳥たち。好き勝手な方を向いているようでありながら、
交感されたものをひっそり反芻しているように見えてきませんか。


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久しぶりの梨木作品

2020-09-17 10:28:18 | 好きな本

なんで(とても)久しぶりに、梨木香歩さんの本を
読もう思い、そしてこの本にしたのかその「動機」は
またもや思い出せませんが(きっとどなたかが
面白かったと紹介していたのでしょう)。
図書館にいつの間にか(自分が)予約していて(笑)、
順番が来たので、受け取りに行き、そこではじめて
ステキな絵の表紙だなー、タイトルの『雪と珊瑚と』って、
なんだろう?名前?と思ったしだいです。



梨木さんの本が出るたびに、一応チェックというか、
そうかまた新刊が出たんだーと思ってはいましたが、
実際に手に取って読んだのは10年ぶりくらいかもしれません。
(ブログのログがほぼ10年前でした)

私の中で梨木さんの書く小説は、読み始めれば面白くて、
考えさせられるのですが、ちょっとだけ「はぐらかされそう」
みたいな気持ちもどこかにあって。それは、物語の大筋とは別に
語られているアナザーストーリーを自分が読み取れないせい
なのか‥読み手としても自分の力量不足を過去に感じたような
漠然とした不安みたいなものが、本を手にすることをためらわせて
いたのかなあと思ったりしています。

でも、この本を読み終えて、そんな過去のトラウマ?とも呼べない
ような不安は、一掃されました。素直に、とても面白かったと
言えるし、素直に、とても感動しましたから。


雪と珊瑚。
珊瑚はこの話の主人公(21歳のシングルマザー)の名前で、雪は、
珊瑚が生んだ赤ちゃんの名前でした。

物語冒頭で、珊瑚は自分の名前の由来をこんなふうにくららに話します。

「母が若い頃、私を産む前、祖母の形見の珊瑚の簪を質に入れたんだ
そうです。結局そのまま質草は流れてしまって。で、生まれた子に
つけた名前が、珊瑚」

そして、雪と名付けたわけは‥。

「この子は雪。生まれたとき、窓の外に雪が降り始めたのを見て、
名づけました。そのとき、とても嬉しくて。雪が天から降りてきて
くれたみたいで。」

母から愛された記憶がない珊瑚は、離婚後ひとりで雪を産み、
育てていこうと決心しますが、働きたくても、生後すぐの赤ちゃんを
預かってくれるところは見つからず、途方にくれて脇道に折れた
ところで偶然にも「赤ちゃん、お預かりします」の張り紙を見つけます。

おそるおそる呼び鈴を押すと中から出てきたのが、くららさん。
赤ちゃんを預かるのは「初めて」だけど、子どもは昔から好きだし、
最近子どもを預けるところが不足しているって聞いて、やってみよう
かしらって気になった、と言います。


そんな都合よく物事が運ぶなんて‥と思っているうちに、この
くららさんと知り合ったことが、間違いなくその後の珊瑚の人生の
大きな転機になっていき、色々な人の助けを借りて、惣菜カフェの
オーナーになっていくのですが。

物語をただのサクセスストーリーにも、カフェ開店までの
how toガイド的なものにもしていないのは、もちろんそれが梨木さんの
小説だからなのですが。珊瑚のことを助けてくれる人も、そうではない
人も(少なからず出てきます)、それぞれの人の背景がうまく設定
されているというか、描かれているからなのです。(特にくららさん)

もちろん、「カフェ」をフツーのカフェではなく、「惣菜」カフェに
したことには大きな意味があり、それは、くららさんのこの言葉からも
わかります。

「どんな絶望的な状況からでも、人には潜在的に復興しようと
立ち上げる力がある。その試みは、いつか、必ずなされる。でも、
それを現実的な足場から確実なものにしていくのは温かい飲み物や
食べ物ースープでもお茶でも、たとえ一杯のさ湯でも。そういう
ことも見えてきました」


くららさんが、どんな「背景」を持った人なのかは、ここで
書いてしまうとつまらないのでやめておきますが、こんなくららと
珊瑚との、一見何気なく思えるような会話にも、「アナザーストーリー」は
しこまれていて‥同情とは何なのか、「プライドの鍛え方」とは‥に
大きくココロが動いた自分がいました。

そうそう、書き忘れてならないのは、タイトルの『雪と珊瑚』の、
「と」。この一文字があるとないとでは全然物語は違ってきます。




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セカイのムラカミだって

2020-09-15 17:56:18 | 好きな本

セカイのムラカミだって、こんなふうに書いている。

僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと
落胆させてきた、
その期待を裏切ってきた、という
気持ちをーあるいなその残滓のような
ものをー
抱き続けている。

 

父親との間の確執を認めたうえで、父がどのような人生を
歩んできたのかを自分なりのやり方で確かめるために書いた
短編。





私自身が、私の父親に、フツーの態度で接することが
できなかった自分を省みたときの敗北感や挫折感に似た
気持ちがすこし薄らいだ、のは本当の気持ち。

私も(いつか)書くことで、整理していかなければと思う。


 

 

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女の一生

2020-08-24 14:04:51 | 好きな本

ずいぶん前に予約したので、なぜその本を読みたいと思ったのかは
思い出せませんが、タイトルに「図書館」が入っているので、
きっとそのせいかーと思っていました。



図書館そのものが主人公になり、自らの歴史を語る章と、
のちに小説家になる「わたし」が、まだそうでなかった頃、
上野公園で、偶然出会った「喜和子さん」に、図書館を主人公に
した小説を書いて、と頼まれる場面から始まる現在形の章が、
交互に物語を運んでいきます。

どちらの章も、とても面白いのです。

「夢見る帝国図書館」という題名がついている、図書館の章は、
福沢諭吉先生が、近代国家の仲間入りをするためには、日本にも
図書館なるものが是非とも必要というところから始まります。
(明治新政府の頃の空気感は、前に読んだ『落陽』と重なるものが
ありました。)

噴水がある広場や、国際子ども図書館、という、よく知っている場所の
場面から始まる現在形の章は、「わたし」が、喜和子さんの、自由で何にも
囚われないような暮らしぶりと、本好きなところに魅了されたのだろうなあと
容易に想像がつき、谷中界隈の様子や、一緒におやつやお茶をするところなど
とても和みます。
やがて、話の端々から、当初のイメージとは異なる「喜和子さん」の過去が
現れ、読み手である私たちも、ああそうだったのか、と深く息を吐くことに
なるのですが。

「夢見る帝国図書館」の章で、山本有三の『女の一生』がわりと詳しく
語られるところがあるのですが、戦後から昭和、平成を生きた喜和子さんの人生
も、一人の女性の、まさに「女の一生」だなと、読み終わってすぐに思いました。


喜和子さん。
本がどういうものかも知らない頃に、『たけくらべ』などを面白おかしく、
お話をしてくれる人がそばに居て、「図書館」という、ひんやりとした壁が
ある建物に入ったことがあり、その時(時期)だけはきっと安心して
いられたのでしょう。
そういう思い出が、のちに自由奔放に生きてきたように見える
晩年の喜和子さんに繋がっていったのかなと思いました。

巻末に出てくるこの言葉がとても印象的でした。

真理がわれらを自由にする



 

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150年後

2020-08-11 16:04:14 | 好きな本

やっと順番がまわってきたマハさんの『風神雷神 上』を受け取りに
行った際、まかてさんの作品は何が今図書館にあるかなーと棚をのぞいたら、
この本1冊だけがあったので、なんとなく借りてしまいました。



まずは『風神雷神 上』を読みーこちらの舞台は安土桃山なので、
あたまの中は、信長の頃を思い浮かべたまま、明治時代のはなしを
読み始めました。

本当に、なんとなく借りてきたため、明治神宮を作るにあたって
尽力した人のはなし、くらいの認識しかなく、そういえば、
明治神宮」そのものも、私の中では漠然としているなあと
思っていました。

そんな情けない状態だったので、初めて知ることが多く、
安土桃山の南蛮寺や俵屋宗達の描いた絵のことを想像していた
あたまの中が、ぐるぐるしながらも、ご維新後の東京についていこうと
動き始めました。



題材そのものもとても興味深いものでしたが、それを、当事者
(明治神宮を東京の代々木に作ろうと言いだした人たち)を中心に
書くのでななくて、三流新聞社の記者を主人公にして、それを記事として
追わせる、といういう視点がとてもよかったと思いました。
(しかもそのネタを持ってきたのは、主人公亮一でななく、同僚の女性
記者だったところも)

さらに、この物語に深みを与えているのは、主人公の新聞記者が、
遷都の時に若干17歳だった明治天皇を、御簾の中の現人神ではなく、
一人の青年として、その心持ちを推察していることであり、そこから
明治という時代を生きた自分と、周りの人々にとっての「明治時代」を
わかろうとしている姿が等身大で描かれているところだと思いました。



新聞社というものも、時代が明治に変わった頃からたくさんでき始め、
初期の頃は、記者は記事にするネタを探してくるために「探索」と
呼ばれる人を(暗黙の公認?で)雇っていた、なんていうことも
初めて知りました。

中でも、市蔵という渋い「探索」が出てくるのですが、彼が、引退した
あとに、主人公の亮一が訪ねて行く場面があり、そこで市蔵がこう話すのです。

「何せ、公方様のことは身近に感じていても、帝についてはただ、
やんごとない、神のごときお方だという捉えようしか持ち合わせて
おりやせんでしたからね。学のある者は尊王を頭では理解して
いたでしょうが、それでも実感ってものがねぇんです。その尊いお方が
こうしてわざわざ下向してきてくだすったと思ったら、救われた心地に
なったじゃありませんかねえ」

当たり前のことですが、いつの時代も、その時その時を、まいにち毎日を
フツーに生きている私たちのような人たちがいるわけで、えーと、幕府が
なくなったら江戸はどうなの???と不安に思っていた人が大勢いたわけで、
市蔵の言葉は、いつの時でも、の「わたしたち」だなーと、すっと納得が
いったのでした。


タイトルの「150年後」は、神宮の森が本当に完成するのにはそれくらい
かかるということで‥創建が1920年なので、今でも森は途上にあると
いうことですね。

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愛すべき「すかたん」

2020-07-18 19:03:47 | 好きな本

こんな感じの、面白そうな表紙だし。
題名だって、すかたん=(見当違いな人、間が抜けたことをする人)
なので、しっかり力を抜いて読み始めたところ‥。


やはり、浅井まかて作品はすごいなあと、すっかりやられてしまいました。
「まかてさん、こんな本書かれたら、惚れてまうやろ」笑です。

時は江戸時代だけど、場所はお江戸ではなく、「天下の台所」の大阪です。
主人公の知里は饅頭屋の娘。藩士の夫に見初めまれてお武家へ嫁ぎ、
夫の任務に従い共に大阪暮らしが始まって間も無く、夫は不運にも病死。
嫁ぎ先には居られず、されど実家へも帰れず、子供に手習を教えて暮らしを
立てていましたが、仕事先はクビになり、空き巣にも入られ、途方に暮れて
いたところに、たまたま居合わせた「若旦那」。ちょっとした口喧嘩の
売り言葉に買い言葉が「縁」で、青物問屋のご寮人さん付きの上女中という
新たな就職口が見つかります。

何もかも目新しい大店での暮らし。ご僚人さんには叱られ続けですが、
次第に大阪の旨いものに知里が目覚めていく様子と、人は良いけどどこか抜けてる
「すかたん」の若旦那との、付かず離れずの気持ちが、とてもいい具合に
描かれ、あともう少し、あと1ページと、手が止まらず、気がつけば
あっという間に読み終わってしまいました。

若旦那がただの「すかたん」ではなく、青物馬鹿で、品種改良を試みて、
新しい「蕪」を作ろうとしたり、農家と問屋と小売店の関係を考え直して見たりと
いうあたりもとても話を魅力的にしているし、色街の芸妓が、知里と若旦那の
関係に関わっているだけでなく、旦那様とご僚人さんの長らくこじれた糸の
発端もそうであったことが下地にあったり、と、とにかく上手いんですよね、
この度のまかてさんも。


::: :    ::: :


つかえていた胸の中の何かが、読んでいるうちに溶けてきて、流れていくのが
わかるようで、小説ってこういう効用もあったのだなーというか、まあ、
効用なんかなくたって、面白ければそれで良いのですが。

ああ、面白かった。
生きていれば何か新しく、何か面白いことが起こるかも、ってまた思いました。


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