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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

早紀江さん

2006-04-28 16:03:31 | 想うこと

 朝からとてもきれいに晴れ、昨晩の雨で洗われた緑の美しいこと・・・

 「絵本の話を中心に」のブログのはずが、本や絵本の紹介をするのは、1週間に1冊程度になってしまっているこの頃。こんなんでいいのかなあと、思いながらも、今日も絵本のお話はお休みです。(すいません)


 そう、タイトルの「早紀江さん」は、アメリカ大統領と会うことになった横田早紀江さんのことです。本日のトップニュースですよね。一般人(しかも外国人)に、30分も面会の時間が取られているのは、異例とも報道されてました。政治的な背景とか、アメリカ側の事情とか、諸々のことがあるのでしょうが、そういうのを語ったり議論したりするつもりは、私にはまるでないんです。

 ただ。横田早紀江さんは、私の母とほぼ同じ年なんです。母も還暦+10歳(今年の秋で)のわりのは、仕事もしているし、毎日スポーツクラブにも通い、とてもその年には見えないと、娘の私でも思うほど。しかし、そういう日々の暮らしとかけ離れた次元のところで、ほぼ同じ年の女性がされていることを見ると、その大変へさの度合いの大きさに、胸を打たれます。

 すこし前、早紀江さんが渡米し、下院の公聴会で証言することになったというニュースを、夕食時に家族で見ていました。「証言って議会で演説するんだよね。すごいね、すごいことになってきたね」と言った私に、夫は「この人はできるかもしれないけど、同じ立場にいてもできない人だっている」的なことを言いました。(夫は大勢の前で、話をすることがとても苦手だと日頃から公言しています)

 「私はできるよ。私は、もし同じ立場だったら、どこへでも行くし、なんでもする」
間髪いれずに答えた自分の声に、自分でもちょっと驚いていたら、「まあ、あんただったらできるでしょ」と夫。そんな二人のやり取りを、娘は、首をつっこむ隙をうかがいながら、注意深く聞いているようでした。

 
 大きな事件や事故に巻き込まれて、ある日突然、自分が「渦中の人」になってしまったら?
昨日テレビで見た出来事が、いつ自分たちに起こっても決しておかしくない世の中です。悲しい事件を知るたびに、もしも自分がその立場におかれたらと、考えてみます。行動を起こすことはできるだろうか、勇気を取り戻すことはできるだろうか、分かり合うことはできるだろうか、許すことはできるだろうか、最後まで戦い抜くことはできるだろうか、自分の信じていることをずっと信じていられるかどうか、などなど。

 今私が居るのは、小さな出来事、小さな幸せ、繰り返される毎日で構成されている、「小さな幸福」の世界です。だからせめて、私にできるようななにかがあったら、私にしてもらいたいと周りの人が望んでいるのなら、私がやるべきだと私の心の声が言っているのなら、ためらわずに、まっすぐ手を挙げなければと思っています。

 スーツ姿の早紀江さんの姿を見るたびに、そう思うのです。



 
 

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愛し。

2006-04-26 15:48:18 | 日々のこと

 初めて、種から蒔いて育てたビオラに、花が咲きました。

 その種は、前の年の花からこぼれ落ちたものです。一粒が句点〈。〉や読点〈、〉よりも小さくて、でも〈・・・・・〉この点々くらいはあったかな?いずれにしても、そんなごま粒より小さなものから、ほんとうに芽が出て、いずれ花まで咲くのだろうかと、半信半疑ながら、そのときは「とっても手間がかかることがしたい気分」だったので、チャレンジしてみたのでした。

 たくさん蒔いた種のうちから、発芽し、冬の寒さを乗り越え、勝手な時期の間引きや、移植に耐え、現在鉢に残っているのは、7株だけ。一番大きくなったものでも、普通に売られている苗の、3分の1くらいの大きさまでしか育っていないので、花がつくのは、まだまだ先だと思っていました。

 「先」と言っても、とっくにビオラの季節にはなっているので、ちっちゃいまま、夏を迎えるのかなあと思ったり。いやいや暖かい日が何日も続けば、あっという間に大きくなるんじゃない、と思ったり・・・。「
小さいままで、花が咲く」というのは、考えてもみませんでした。

 

 今のところ、咲いているのはたったひとつだけですが。それでも
なんか、大きなことを成し遂げたみたいな、自分がとっても立派なことをしたみたいな、そんな気持ちになってきます。

 咲いたのは、花なのにね。

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クマさん現る!

2006-04-24 14:58:54 | 日々のこと

 先週の土曜日、4月22日にK市のアートギャラリーがオープンしました。

 そこは元々Sビール工場の広大な敷地の一角。工場撤退後に、ショッピングセンター、住宅、公園、スポーツクラブを有する「新しい街」として生まれ変わった際、Sビール会社が、K市に、ギャラリーを建立し寄贈したのだそうです。
 展示室が2つにスタジオが1つ、それとカフェスペースだけの小さな施設ですが、公園に面してウッドデッキがあるので、今までK市にはちょっと見られなかった「息抜きの場」的な雰囲気があり、なかなかいい感じです。

 さて。オープン記念として、鉄のゲージツ家であるクマさんこと、篠原勝之さんと、かつてキューポラのある街として知られたK市の鋳物とのコラボレーションを目指したワークショップが開催されました。簡単に言うと、市内の子どもたちが集めた鉄を、クマさんに「作品」として仕上げてもらおうという内容です。
 うちの娘もこれに参加していたので、近所の工場や、荒川土手あたりまで出かけ、鉄を集めました。

 そんなわけで、招待状まで頂いたし、親子3人その出来上がった作品の除幕式に出かけました。
 なんかウッドデッキの側にトラックが停まっていて、シートに覆われているけど・・
 なにやらデッキの隅のほうに黒い鉄の柱が立っているけど・・

 そんなことを思いながら、公園で遊ぶ人たちを漠然と見ているうちに、人だかりがデッキの方へと移動し、赤いTシャツ姿のクマさんが現われました。私もさささっーと群集の一人に。
 「じゃあ、のせちゃって」的なクマさんのしぐさで、突然トラックの上のシートがはずされ全貌が明らかに。


 巨大なたまご?まゆだま?
わーわー周りがうるさい中で、いつのまにか市長が来ていて、「クマさん、作品の説明してよ」と。

 クマさん曰く。「ここはもう、鋳物の街じゃないってことがよーくわかったよ。子どもたちに鉄拾ってこいって言ったけどよ、なんか家庭の廃品ばっかでよ。なんでも集めればゲージツ作品になるわけじゃないんだよ。それでオレも考えてよ、オレが集めてきた鉄の中に、子どもたちの鉄を入れて作ったわけよ。イメージとしてはだな、未来への旅たちだな。『SEILING TREE』っていう名前にしたから」

 ほうっーーー。 セイリング・ツリーときたね。でも、あの中に本当に「うちの子の鉄くず」が入っているのだろうか??? 周りの人たちの気持ちの揺れが伝わってきました(笑)。

 そのあと、「クマさん、子どもたちと一緒に写真撮ってやってよ」の市長の一声で。

 どこに自分のうちの子がいるのかわからないうちに、写真撮影は終了し、色々尋ねる広報やケーブルテレビの人たちに「あんたがた、聞いてばっかいねえでよ、少しは自分で考えろや」と言って、クマさんは去っていきました。

 オブジェの全貌です。製作過程はクマさんのHPにありました。


 
 ギャラリー内ではオープニング記念として「KUMA'S FACTORY」が開催されています。
 私は、クマさんの作品を見るのは初めてでしたが・・予想をはるかに越えた繊細さを感じました。絵がないのが残念ですが、廃材の鉄と古い釘を組み合わせた、ひと目で動物だと分かる作品があったんです。尻尾の感じとか、前足をあげたところとか、頭に見立てた皮のサドルの傾きかげんとかで、小さな恐竜みたいにも見えるんですね。で、なんてタイトルなのかなあと思ったら「SKINNY MOON」。やられた~と思いました。

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空模様とこころもよう

2006-04-20 14:50:08 | 日々のこと
 今日の午前中、東京近郊のこのあたりは「すごい嵐」。風と雨が横殴り状態で、雲が切れたかなと思うと、10分後には、また降り始め・・の繰り返しでした。

 天気を、思うように変えることなんかできないんだから、天気に、自分の気持ちや行動を左右されるのは馬鹿げているーステファンという名の、アメリカ人の先生が言っていたことをよく思い出します。
 自分で操ることができないものに、操られるなってことですよね。なんだかとっても合理的な考え方で、一理あるなあと、思ってしまいます。天気が悪く、でかけるのが億劫な時(または、家族がそう思っているのが伝わってくるとき)は、「そんなふうだとステファンに叱られるよ」と、いう使い方をうちではしていますが。

 しかし、そうは言っても、お天気が自分の気持ちに反映されること、度々です。朝から晴れ上がれば、それだけで嬉しいし、しっとりとした雨が降る午後は、できれば家に居たいなあとか。
 逆に、自分の気持ちの持ちようで、曇っていた空もなんだかいいなあと思えるときもあるし。いろいろです。


 ところで。
 
 小学校の新学期が始まって、今日で10日が過ぎました。
 4年生になった娘の担任は、教師になって2年目、クラスを受け持つのは初めてという24歳の女の先生です。これまでの3年間は、ベテランで私より年上の先生だったので、どうしたもんかなあ、というのが正直な感想です。先週の懇談会の際も、なんか見ていて「痛々しい」感じ・・・。娘が帰宅すると、この頃では、「どうだった?」と娘に対して、その日のことを聞いているというよりも、先生はどうだった?に変わりつつあります。 
 親しい友人に、新しいクラスのことをメールで報告したところ、「先生だって、保護者に育てられていくんだから、その先生も、rucaみたいなお母さんのいるクラスを持ててよかったんじゃない」という返事。

 そうか、そういう見方もあるんだ。
 心配によって、少し曇っていた気持ちに、明るい陽がさしてきたのでした。



 
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「ルピナスさん」になったミス・ランフィアス

2006-04-18 15:21:19 | 好きな絵本

 春になって、暖かくなって、花屋さんの店先でその花の姿を見かけるようになったら、
ここにも登場させたいなあと思っていたのが、この本です。
 

 『ルピナスさん』 バーバラ・クーニー 作 掛川恭子 訳 

 クーニーの代表作のうちのひとつで、原題は『Miss Rumphius』。けれど、邦題は『ルピナスさん』。
おまけに、小さなおばあさんの話というサブタイトルもついています。 
 もちろん、どんな人だって、最初からおばあさんだったわけでは、ありません。後にみんなから
「ルピナスさん」と呼ばれるようになったこの女性にも、子ども時代があり、青春時代があったのです。
クーニーの描く他の作品にも見られるように、このお話も、アリスという名前の少女の視点で語られています。
アリスにとって、ルピナスさん=ミス・ランフィアスは大叔母にあたる人です
。ミス・ランフィアスの名前も、
アリスと言うので、その大叔母さんの名を彼女はいただいたのでしょう・・ 

 子どもの頃のアリス(のちのルピナスさん)は、看板絵や船首像を作るおじいさんの仕事を手伝ったり、
遠い国々の話を、そのおじいさんから聞かせてもらっていました。 

  おはなしがおわると、アリスはいつもいいました。
「大きくなったら、わたしもとおいくににいく。
そして、おばあさんになったら、海のそばの町にすむことにする」 

 
そう言うアリスに、おじいさんは、もうひとつしなくてはならないことがあるぞ、と言います。

  「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたいのだよ」 
「いいわ」なにをすればいいかはわかりませんでしたが、アリスはおじいさんに
やくそくしました。
 

 おとなの女性へと成長したアリスは、まずは図書館で働きます。図書館には遠い国々について
書かれた本がたくさんありました。その後、アリス(この頃はすでにミス・ランフィアスと呼ばれています)は、
「本物の」南の島へと出かけます。雪山登山やジャングル、砂漠へも。
おじいさんとした約束のうちの一つめは果たされたわけです。 

 ラクダから降りる時に、背中を痛めたことを「きっかけ」に、ミス・ランフィアスは、海のそばに暮らす
場所を見つけることにします。二つめの約束です。美しい海を見渡せるその家のポーチで、
ミス・ランフィアスは考えます。

 「でも、しなくてはならないことが、もうひとつある。世の中を、もっとうつくしくしなくてはならないわね」
 それにしても、なにをすればいいのでしょう? 「いまでも、それほどわるくないのに」 

 
痛めた背中の具合が悪くなり、芳しくない数年が続きます。ベッドでの慰めは、前の年に蒔いた
花の種が芽を出し、花を咲かせたことでした。

  「ルピナス。わたしのいちばんすきな花」

 
散歩ができるくらいに回復し、ある日、丘の向こう側まで足をのばしてみると、風が種を運んでくれた
おかげで、あおや、むらさきや、ピンクのルピナスの花が、さきみだれていたのです。  

 
おじいさんとの約束の3つめは、ついに果たされるときがきました。ミス・ランフィアスは、大好きな、
美しいルピナスの花で、村中を埋め尽くすことを考えついたのです。そうして、いつしかミス・ランフィアスは
ルピナスさんと呼ばれるおばあさんになっていました。

  いまでは、かつてのアリス(ルピナスさん)がそうだったように、アリス(語り手の)は大叔母さんから、
遠い国々の話を聞かせてもらいます。そして、同じように、大きくなったら遠い国々へ行き、帰ってきたら
海のそばに住むと言います。そんなアリスに大叔母は「世の中を、もっとうつくしくするために、
なにかしなくては」
と言うのです。もちろん、アリスは答えます。 

 「いいわ」 

 
ミス・アリス・ランフィアスという女性の生涯が、ルピナスの花と重ねられ、美しい物語となって
胸に残ります。 

 おばあさんになったとき、語られる話を、私は持っているのかなあと、思います。
おばあさんになった時のために生きているわけではないけれどー。それでも、アリスのような、
好奇心満ち溢れた少女に、継いでもらえるもの、少女が受け入れたいと思うようなものを、持っているでしょうか。  

 世の中を美しくするためにできること。 これは、すぐに目に見える美しさでなくても、気をつければ、
誰にもできることがあるはず。正しいものを選ぼうとする力、正しくないものにNOと言える勇気、
心の声に耳を澄ますこと・・・。
 

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明日はおよばれ

2006-04-14 12:15:10 | 日々のこと

 天気はしだいに回復し、うっすらと陽が射してきました。

 明日はー何年振りでしょうー結婚式に出席します。
 母方の叔母の長男だから、私のいとこの結婚式です。本来なら、私の両親が揃ってよばれるところですが、私が父の代理となりました。結婚式の披露宴に招待されたのだって、もうかれこれ10年前くらいです。式からの出席は、いつが最後だったのか、もう思い出せないくらい遠い昔になっちゃいました(笑)。

 何を着ていこうか・・・迷う事なく、着物にしました。結婚する前に、母が、私と妹にそれぞれつくってくれた、紋入りの色無地(こういう呼び方があってるかどうかはわかりませんが)です。妹の結婚式にも、娘の七五三の時にも、着ました。紋が入っていることで、正式な感じもするし、無地なので、帯やその他の小物で楽しめるし、守備範囲も広い(20代でも40代でも同じ色でOKという点)ので、とても便利だと思っています。
 
 着物を着るのは、わりと好きなのですが、ただ自分に似合うかどうかは、疑問に思っているのです。
妹が着物を着たときの写真と、自分のそれとを較べてみると、明らかに妹のほうが「着慣れている」ようにみえる・・。なぜなのか、分析するまでもなく、私は「いかり肩」で妹は「なで肩」。私は、棒に、帯が巻きついているみたいに見えるけど、妹はちゃんと胸の下に帯がおさまっている感じがするのです。
 忘れもしない、振袖の着付けの時。「肩の力は抜いてね」と、何度も担当してくれた方に言われました・・

 それでも、(懲りもせず)、明日は着物で出かけます。

 それはそうと、その叔母さんの家は、一家で鰻屋さんを営んでいます。秩父の古民家を解体した材料などを使っている、とても立派な見ごたえのあるお店です。鰻をさばいているのは、明日の新郎さん。お嫁さんも、もちろん手伝います。場所は埼玉県の川越市なのですが、もしもお近くの方がいたら、一度食べに行ってみてください。おいしいですよ。アドレスはこちらから(クーポンもついています)

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雨に促されて

2006-04-12 17:11:21 | 日々のこと

 夜からの雨も、天気予報通り昼には上がり、空がだいぶ明るくなってきました。
 
 春の雨に洗い流されて、植物の緑がとてもきれいです。プランターに植えてあるラズベリー(冒頭の写真)にも、ようやく蕾らしきものができてきました。はっぱのほうは、目に見えるほどの勢いで、毎日ぐんぐん伸びてきています。


こでまりの蕾の中に、雨粒がひとつだけ残っていました。写真で見ることができるでしょうか。


こっちは、庭にあるはなみずきです。まつかぜ日記に、花が開く様子が載っていたので、うちの木はどうか見に行ったところ・・同じような形のを見つけました。

 
 緑といえば、いつか「大都会のドブ川の奇跡」として放送された芝川の様子を見てきました。ヘドロをすくった後に植えた植物が、寒さに耐え、だいぶ大きくなっていました。川も、心なしか流れているようで・・時折波紋が広がるのは、私はアメンボではないかと思ったのですが。
 その日は、今にも雨が降り出しそうな天気の中、初めての「桜まつり」の日でした。私たちのように、川のそばまで降り、覗き込んで見ている人を多く見かけました。川の反対側で、木炭を使った浄化を行っていた中学生のグループは、その後の取材を受けているようでした。

 これが、緑を植えた箇所。浮かんでいるのはごみではなく、桜の花びらです。


 川沿いの桜並木。写真左下に川が流れていて、真ん中は遊歩道になっています。ヘドロが入ったバケツをみんなで「リレー」で運んだのはこのあたりです。

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絵本作家ワンダーランド

2006-04-11 17:33:04 | 好きなもの・美術館や展覧会

 先週の土曜日。娘とともにヘアカットに行った後、夫と東京駅で待ち合わせ、
大丸ミュージアムへ行って来ました。会期が11日までの、世界の絵本作家展Ⅱ
『絵本作家ワンダーランド』を見るためです。

 いろんな方が、それぞれのブログで、「行ってきました」「とってもよかったです」
「〇〇のグッズやポストカードを買いました」と書いてらっしゃるのを読んでいたものですから、
もう予習はばっちりで・・気持ちはかなり「はやって」いました。

 構成は3部になっていて。

 旅の時間ー絵本を旅するよろこびー
 子どもの王国ー子どもの頃の時間の輝きー
 かたちの冒険ー五感を心地よく解放してー

 どの作家の原画も、もちろん目を見張るものばかりでしたが、その中でも、特に感動したのは・・・
バージニア・リー・バートン作『ちいさいおうち』。ストーリーを追えるくらい場面も揃っていたし、
本物の絵ならではの繊細なタッチを見ることができ、ほんとによかったです。展覧会の冒頭を飾るだけでなく、
「別枠」で展示してもいいのでは?と思ったほどでした。

 ジョン・バーニンガム、マリー・ホール・エッツ、酒井駒子さん・・。その作品に、どんな材料
(油絵の具なのかパステルなのか、色鉛筆なのかなど)が使われているのかも、タイトルや制作年とともに、
記してあればなあと思いながら、じっくり見ました。(絵画展ではなく、あくまでも絵本の原画展なのだから、
期待し過ぎかもしれませんが)

 自分でも、あれ?と思うほどおもしろかったのは(予想以上にその原画に惹きつけられたのは)、
島田ゆかさんの作品でした。もちろんバムケロが大人気なのは知っていましたが、手元には1冊もなく、
図書館で一度読んだきりだったので。 『ぶーちゃんとおにいちゃん』の原画を見て、その色と、
「隅々まできちんと描かれている」画面に、人気作家の秘密を見たような気がしました。

 もうひとつ、あれれ?と思うほどにおもしろかったのは、サラ・ファネリのコラージュでできた作品
完成された絵本を見たことがなかったので、(絵本)全体としてはどうなのか、ということはわかりませんが、
1枚の絵、一つの作品、としてはとても見ごたえがあり、おもしろいなあと思いました。

 反対に、自分の予想通りだったのは・・・やはり荒井良二さんの絵でしょうか。
今回は『バスにのって』の原画がとてもよかった!!「旅する絵本画家」は、荒井さん抜きには語れませんね(笑)。
どこか知らない町の、知らない音楽がすぐ近くで聞こえてきそうでした。

 もう一人、やっぱり私はこの人の「絵」が好きなんだと実感したのは、アンネ・エルボーの作品を見たときでした。
期待していた『ちいさなしんぱい』の原画はありませんでしたが、『すきまのじかん』の絵を、見ることができました。
お話がなくっても、この絵だけでもいいなあ、などど思ってしまいました。


 それにしても、展覧会は大盛況でしたね。土曜日の午後だったせいもありますが、
絵の前に長い列が出来ていました。どんな方が来ているのかなと、度々振り向いて周りを見回してしまいました。
 おみやげに、娘は「リサとガスパールのファスナーマスコット」を、私は迷いに迷って『バスにのって』を買いました。
非常に難しい決断でした・・(ちなみに、最後まで迷ったのは『うちにかえったガラゴ』 でした。)

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うつくしいとおもえるこころ

2006-04-07 16:48:23 | 好きな絵本
 『空飛び猫』のシリーズのほかにも、アーシュラ・K・ル=グウィン作の、
短い話があるのかなあと思い、図書館で探してみたら、こんな素敵な本に出会いました。
いちばん美しいクモの巣

『いちばん美しいクモの巣』

アーシュラ・K・ル=グウィン
長田弘 訳
ジェイムズ・ブランスマン 絵




 誰も住んでいないお城に、リーゼ・ウェブスターという名前のクモがいました。
 このリーゼがお話の主人公です。ウェブスター一族は昔からこのお城で、他のクモたちと
ともに、廊下や壁や天井やいたるところに巣をかけ、ハエをとって暮らしてきました。

 巣をかけ始めて3日目の夜、リーゼはつぶやきます。

「ときどきはすこしちがう模様にして、巣をかけてみたっていいんじゃないかしら。やってみよう」

 
はじめはうまくいきませんでしたが、糸の新しい結び方や新しいパターン、新しい形を
考え、試し、工夫して、リーゼは今まで、普通のクモが普通に作っていた巣とは、
まるでちがうデザインを作り出します。
 他のクモたちは、リーゼの行いをすごいと思いつつも、ハエがつかまらなければ意味がないと、
リーゼに言いますし、当のリーゼもそれはよくわかっていました。クモにとって、巣を作る目的は、
ハエを捕まえること。そして、
クモだって、食べなければなりません。どんな生き物も、おなじです。

 
従来のデザインとは違うもの。ハエを捕まえる機能が備わっていること。その上、
王さまの肘掛椅子にあったような、宝石のきらめきを巣の中にも取り入れたいと、
リーゼの思いはふくらみます。
 
 リーゼにとっては、いまひとつ納得できない出来栄えの巣でしたが、壁の絵を真似たデザインは、
まるではじめからそこにあったタペストリーのようで、とても素晴らしいものでした。
 ある日の午後、お城の掃除に来た2人の女性が、それを見つけます。

 
ドアのすきま風でほんのすこしちらちらゆらめいている、みごとなクモの巣をまえに、
2人の女の人は思わず立ちつくしました。
 「ほんと、美しいわ」そうつぶやいたのは、最初の声の人です。

 
お城が美術館として生まれ変わったあとも、巣は取り払わずに、ガラスケースに入れて
保管しよう、ということに決まります。リーゼが作った「クモの巣」は「銀の織物」と
呼ばれるようになりました。しかし、リーゼにとっては大迷惑。
ガラスケースで覆われてしまっては、ハエを捕まえることはもうできませんから。

 でも、最後は、巣を見て「美しい」と最初に言った女性の「ちょっとした気遣い」で、
リーゼは新しい世界へと出て行くことができ、こう思うことができました。

 「これは、いままでにわたしのつくった、いちばん美しいクモの巣だわ」


 
新しいもの。今までにやったことがないもの。心がすこしでも、そっちへ傾いたなら、
こわがらずに前へ踏み出してみよう。
 あ、きれい。心がすこしでも動いたのなら、その動きに従って、大きく目を開いてみよう、
受け入れていみよう。・・・読みながら、私はそんなことを思いました。



 この本は、「詩人が贈る絵本2」というサブタイトルがついていす。
詩人の長田弘さんが選び、訳されたシリーズなのですね。カバー折り返し部分の紹介を
見ると、他にも 『子どもたちに自由を!』 『魔法使いの少年』 など興味をひかれる作品が
続いています。

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太鼓の音・太古の音

2006-04-06 15:39:56 | 好きな絵本

 1月だったか、2月だったかの「絵本カレンダー」で、知って以来、この本が
ずっと気になっていました。表紙の絵にとても惹きつけられたのです。
アフリカの音


『アフリカの音』 

 沢田としき・作

 


 これを本の表紙ではなく、1枚の絵としてみていると、LPレコードのジャケットのように
見えてきませんか?全体の縦横の比率や、レイアウト、日本語と英語のバランスの
取り方などのせいかもしれませんが、とても完成されていると思います。
この絵を見ているだけで、澄んだ空の向こうから、太鼓の音が聞こえてきそうな気がします。

 表紙、見開きの次に出てくる「扉」。そこに描かれた絵が、またいいのです。 
ろばがひく、簡単な作りの荷車の台に、赤い帽子をかぶった男が座り、そばには、
その荷台にゆるく肘を乗せている、オレンジ色のシャツを着た男が立っています。
左側に描かれた木の下には、白い服の男と少年が一人。誰の表情もはっきりとは見えませんが、
静かな語らいと、ゆっくりとした時間の流れが感じられる絵です。
気持ちは「レコードジャケット」から、今度は「映画」に移っていきます。期待をこめて
見つめるスクリーン上に、今タイトルが現われたような、そんな錯覚を覚えます。 

 すっかり絵に魅せられてしまいましたが、遠い遠い昔から、アフリカの地でジンベと
呼ばれる太鼓とともに生きてきた人たちのお話を語るには、これくらい力強く
「語りかけてくる」絵が必要だったのだと思います。 
 西アフリカに暮らす人たち(バンバラ族、マリンケ族、スス族など)は、生活や人生の
あらゆる場面で、ジンベを演奏し、その周りで踊ることで、収穫、結婚、誕生を祝い、
時には自然や祖先、魂や精霊の世界とコミュニケーションを図り、結びついてきたそうです。  

 私は、話の始まりの、この部分がとても好きです。  

   かわいた風にのり
   どこからか   
   タイコの音が   
   きこえてくる   

   木をくりぬいて   
   作られた タイコには   
   一頭のヤギの皮が   
   はられている   

   ヤギは死んで 皮をのこし    
    音になって また生きる 

 
生身の生は終わろうとも、また別のものに変わって生きていく。音を生み出す器となって、
いつまでも生が継がれていくところに打たれます。(モンゴルでも、スーホがかわいがっていた
馬から馬頭琴を作り、そしてその音が人々の心をとても潤しました)  

 繰り返しの中で、多くのことが受け継がれ、人の血も受け継がれていきます。
目を閉じると。太古の時より吹いてきた風に髪をなびかせ、乾いたタイコの音に心を乱され、
早く踊りだしたくてたまらない両足をなだめている、自分の姿が見えるような気がします。 
 人間のルーツがアフリカにあるからなのか、それとも、リズムを刻み続ける私の鼓動が、
タイコの音に重なるからなのでしょうか。 



 作者の沢田としきさんは、今年の4月号より、福音館書店の「おおきなポケット」
表紙絵を担当されています。和田誠さんの描く表紙が大好きだったので、はじめは
がっかりしたのですが、新たな趣向が凝らされていることを知り、それからは沢田さんの
表紙がとても楽しみになりました。 
 表紙には楽器を持っている動物の絵。裏表紙にはその楽器の音が記されているのです。
5月号はアルプスの谷間の村(?)で、キリンがアルプホルンという楽器を吹いている絵でした。
沢田さんの表紙。沢田さんの絵本。これからも注目していきたいです。     

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そのドアを開けるまで

2006-04-05 18:05:42 | 好きな本

 かれこれ6週間も、この本を借り続けています。
 
 一旦は返却したのですが、「本日返却分」の棚に並んでいるのを見て、また手にとり、さらに次の2週間が過ぎて、同じことを繰り返してしまいました。
 読み終わってはいるけれど、なんだか、大切なことを見落としているようで、手離すのが心許ない気持ちなのです。(だったら購入したほうがいい、と自分でも思うのですが)

読む力は生きる力

『読む力は生きる力』

 脇 明子・著






 著者の脇明子さんは、 長年、大学生を教え、「子どもの本の会」を主宰してきた 方です。
「はじめに」のところと、目次(第1章から第7章まで)を読んだけでも、この本の奥深さと、子どもたちへの思いの細やかさが伝わってきます。

 第1章は「読むことはなぜ必要なのか」 
 
小さな見出しが 読書はほんとうに大切か  「本なんか読まなくても、立派に育った」時代  というふうに続いていきます。
 著者はこの第1章の中で、子どもたちにとって大事なのは、本を読むという行為そのものではない、と言っています。なぜなら、その昔の子どもたちは本を読まなくても、共同体の中で、大人たちと生活文化を共有し、生きていく上で基本となる大切なことを、自然に学びとることができたからです。しかし、社会構造が変化し、共同体というものがほとん機能しない現代社会では、その代わりとしての「伝えていく」手段を、読書にゆだねるほかないので、読むことが必要になってきたというのです。

 本文19ページから20ページに、こう書かれています。
 身のまわりの物事を楽しみ、生活にちょっと手間をかけて彩りを添えることは、人間にささやかな自尊心を与えてくれます。そうやって手に入れた自尊心は、ささやかではあってもゆらぎはせず、積もり積もってしっかりしたものに育っていきます。それがあれば、勝ち負けに悩むことも他人を見下すこともなく、ゆったり構えていられますし、年を取ろうと、貧しくなろうと、逆境におちいろうと、自尊心をまるごと失ったりせずにすみます。それが文化というもののありがたさで、大人はその楽しみ方を子どもに手渡していかねばなりません。読書の楽しみも、そのひとつなのです。

 
そして、第1章は 自分がほんとうにいいと思う本を子どもに手渡し、楽しんで読めるように手を貸すことーそれが、生活文化を失った時代の私たちが、子どもたちのためにしてあげられる、数少ないことのひとつなのではないでしょうか。  と結ばれています。

 この第1章の結びの言葉は、小学校での「読み聞かせ」に関わるものとして、胸に留めていなければならないことだと思います。心から納得し、読んでいる私の気持ちは、さっぱりと晴れやかでした。

 しかし、第3章「絵本という楽園の罠」 を読んでいるうちに、気持ちはみるみる曇りだし、不安が募り始めました。そこには、いまの大学生たちの中に、絵本を読み聞かせてもらって育ち、それを幸せな思い出としていながらも、「本を読むのは苦手」「読もうとしても頭に入ってこない」「自分で読むのはめんどう」などと言う人たちが、目立って増えてきつつある と言う事柄について書かれていたからです。そういう学生たちは、絵や写真のある本を見るのは好きだが、文字だけの本は見る気がしないと言い、さらに、本についても「読む」ではなく、「見る」という表現を使うのだそうです。

 なぜ、そういう現象が起こるのか。「絵本のあまりのきらびやかさ」を著者は一因に挙げています。美しい絵、画家がその手腕を思う存分発揮した絵本が増えている現状に、大人が「踊らされてしまい」、本来の目的「絵本は子どものためのものであり、絵は、お話の世界へ入っていく手助け」ということを、忘れていることを指摘しています。大人が自分自身の楽しみのために見る絵本と、子どもが想像のアンテナを伸ばし、物語の世界へ入っていくのを助ける絵本とは、別のものだと認識していなければならないのです。

 私は私に尋ねます。「自分が楽しい、おもしろいというだけの理由で、絵本を選んでいなかっただろうか」
 私は私に問いかけます。「今年10歳になる娘は、物語の世界へ続くドアに手をかけ、中に入っていくことができるだろうか。あるいはもう、ドアを開け、そこに広がる世界を知っただろうか」

 
 物語を読む楽しさ。読むことによって、自分の頭の中にひろがっていく世界。読書のそんな醍醐味を私はよく知っています。
 前述の大学生たちは、ドアの前に立っただけで、中へ入っていかなかったのです。ただドアだけ見ていたのでは、少しもおもしろいことなんかありません。誰もドアの開け方を教えてあげなかったのか、あるいは、その子自身に、好奇心という力がわかなかったのか。いずれにしても、とても残念なことであり、とてもこわいことだと思います。

 本を開けば、ドアを開いて別の部屋へ行くように、物語の世界は常にそこにはあり、それはどんなによくできている映画でも越えることはできません。いくら原作に忠実で、どんな技術を駆使しても、それは所詮誰かが考えた、誰かの映像なのですから。
 
 もしも今、私の娘が「ドアの前」に立っているのなら、さあ早く、「外」の世界(それは同時に「中」の世界でもあるのですが)へ、という気持ちでいっぱいです。代わりにドアを開けてあげることができるのなら、すぐにでもそうしてしまうかもしれません。けれど、ドアの開け方を教えることはできても、自分のドアを開けるのは、自分自身しかいないということを知っているので、私は側でただ見ています。
 「待ってるからね」。


 
 
 

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さようなら、中央図書館

2006-04-04 17:32:27 | 日々のこと

 東京近郊のこのあたりでは、ちょうど今、桜の花が満開です。

 この時期は年度が変わることもあり、別れと出会いの季節でもありますよね。今頃に合わせて開く桜の花は、もうタイミングが良過ぎるというか、桜以上に、この季節にふさわしい花があるかしら、と思ってしまいます。うちの娘は新4年生なので、ちょうど小学校生活の折り返し。いましばらくは、「大きな別れ」とは縁がなく、穏やかな気持ちで、ただ桜を楽しむことができそうです。


 3月31日でお別れだったのは、私が子どもの頃より親しんできた「K市立中央図書館」。うちから歩いて5分程のところにあり、とても便利でした。K市の再開発事業で、駅から直結の施設に「新中央図書館」が出来る事になり、おそらく建物も老朽化しているため、従来の図書館を移すことが決ったのだと思います。駅からすぐなので、通学通勤をしている方には便利だし、2フロアを使うので、今よりずっと大きく、使い勝手もいいことでしょう。けれど、私の中では、図書館という言葉は、=ここの中央図書館だったので、移転並びに閉鎖が決ったことは、とても淋しく残念なことです。

 初めて図書館に行ったのは、いつだったでしょう。
 たぶん、小学校の3年生くらいの時だったと思います。友だち3人と遊んでいたら雨に降られ、その雨宿りのために入ったのが最初だったような・・・。(その時の印象が強いので、それ以前を忘れているのかもしれませんが)児童用の閲覧室の椅子に座って、濡れた靴下を脱ぎながら「図書館で、こんなことしていていいのかな」と思ったことを、よく覚えています。

 雨と言えば・・・
 中央図書館は、2方向からの階段を昇った2階にあり、長い間、入口のすぐ横が喫煙スペースになっていました。雨の日に階段を昇っていくと、煙草を吸っている人の、その煙が、紫に薄くたなびいているのが見え、「煙草の煙は紫色」ということと「雨の日には煙がよく見える」の2つを、ここで知りました。(だから、煙草を吸うのなら雨の日がいい、と10代の私は思ったものでした)

 私がここへ「通って」いたのは、大学生の時でした。時間が、いつの時よりも余っていたのでしょうね。大きな書棚の部屋の壁沿いにある机に座り、ブラインドの隙間から時折外を眺めながら、いつまでも本を広げて座っていました。
 ある時、(それは本当にあったことなのか、それとも夢で見たことなのか、今ではどちらなのか自分でもわかりませんが)窓からの一陣の風で、書棚の本の紐のしおりが、いっせいにはたはたと揺れ動いたことがありました。書棚は上から下まで何段あって、何冊の本が、その窓からの風の範囲にあったのかは知りませんが、それはとてもきれいな眺めでした。水槽の中で泳ぐ金魚が、その尾を振りながら自由きままに泳いでいるような、そんな美しさがそこにはあったように、思います。

 そんな大学時代を終えてしばらくの間、K市を離れていたせいで、図書館へ行くこともなくなりました。しかし、かれこれ10年くらいを経て、再び図書館を訪れてみると、そこには、よく知っている「私の図書館」がありました。 

 
娘が生まれて、「だっこひも」でだっこして連れて行ったこと。歩けるようになって、親子3人、娘を真ん中にして歩いて行ったこと。(私が腕を精一杯伸ばして、娘も懸命に手を伸ばして、それでやっと手を繋げるくらい小さかったことを、よく覚えています)階段を、一段づつ、足を揃えて昇って行ったことなど、どれも懐かしい思い出です。


 最後に本を借りに行ったのは、3月29日でした。
 好きだった書棚の間を通り、次の図書館では、ここにある本がどんなふうに並べられるのか、その様子を思い浮かべてみました。ちょっと、友だちの新居を想像するような気持ちで。
 最終日の31日金曜日にも、時間があったら来てみよう、できればもっと長い時間を過ごしたい・・・いろいろ考えているうちに、月末の金曜日は慌しく過ぎ、気がつけばその週も終わっていました。でも、今はそれでよかったと思っています。

 「新中央図書館」のオープンは7月中旬の予定です。それまでは、自転車で(たぶん)20分の、駅向こうにある「Y図書館」まで通うつもりです。

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