と輝いてとてもきれい。穏やかな日、という感じです。
(一歩外にでれば、風がものすごく冷たいですが)
今年は、喪中なので、お正月の準備はいっさいなし。
そのせいか、街を歩いていても、喧噪が自分とは関係ないこと
のように思えます。
子供の頃のお正月は、思えばたいへん特別な日でした。
朝、お風呂に入って(祖父、父の次が私と妹でした)、
母が用意してくれた新しい下着を着て、ウールのアンサンブルの
着物を着せてもらい、もう身支度がすんで、御祝のテーブルに
ついている祖父と父の前に「出て行って」新年の挨拶をします。
この時に必ず祖父か父が「お嬢さんたちの支度ができた」とか、
「お、今日はおしとやかだよ」とか言うので、私も妹も、
恥ずかしさ、照れくささでいっぱいでした。でも、きちんと
正座して、まず祖父に、そして父に「あけましておめでとう
ございます。今年もよろしくお願い致します」と言っていました。
祖母は普段でも着物を着ていたので、新年の着物姿も珍しい
ものではなかったけれど、祖父、父の着物姿はお正月の2日間
だけでした。母は準備が大変なせいもあり、ほとんど着物は
着ていませんでした。
私と妹のウールの着物、とても懐かしいです。絣模様とか、
格子模様で、色は紺やオレンジ、みどりの時もありました。
アンサンブルなので、羽織りがついているのです。
高校生の頃まで着ていたような記憶があります。
朝、遅い御祝の食卓を囲んだ後の楽しみは、近くに
住んでいるいとこたちが遊びに来てくれることでした。年が
近かったこともあり、いとこ姉妹とは本当によく遊びました。
お正月らしい遊びは、かるた取りぐらいで、あとは何をしてたん
でしょう? ただ楽しかったという気持ちだけが、残っています。
祖父も祖母も、そして父も亡くなり、あの頃のお正月は、
とっても遠いものになってしまいました。子供だった私も、
もうあの頃の母よりも「年上」に違いなく。今度は私や夫が、
娘の心にいつまでも残る「家族や親戚の思い出」を育んで
いかなければいけないときだと、思っています。
子供の頃経験したことは、ほんとうに深く心に入り、
いつまでも支えとなってくれるものだと、何より私自身が
知っているのですから。
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お正月2日から7日まで、またまた三重県の方に帰省します
ので、ブログは(たぶん)お休みします。その間だけ、
テンプレートをブルーの犬に変更してみます。