そよそよとかぜがふいている
この題名を見て以来、<1>そよそよとした風が吹いてくるのは、いつの季節なのか。
<2>その季節に合わせてこの本のことを書きたいと、いう二つのことを、ずっと頭の隅で
思っていたような気がします。
そして、今日。 私が思う、そよそよとした風が、そよっと吹いています。
「そよそよとした風」は、私の中では、春のはじまりに吹く風のイメージです。
『そよそよとかぜがふいている』
長新太 作
私が買ったこの本には、黄色の帯が付いていて、それにはこう書かれています。
ふしぎな ふしぎな
ネコのおはなし。
長新太、待望の新作!
昨年の夏に、四日市市のメリーゴーランドに行った時、長新太フェアをやっていて、
ウィンドウに飾られたたくさんの本の中に、この本もあったのでした。
題名も魅力的でしたが、ピンク色の中に居る「鼻の長い赤ザル」から目を離すことが
できなかったのを、覚えています。
赤いサルがやけに印象的だったので、お店の中で本を見つけ、帯を読んだとき
「え?どこにネコが??」と思いました。これはネコのお話なの‥?と。
よーく見ると、赤いサル(この猿は本文中でテングザルであるということがわかります)の
後ろに、「手」らしきものが見えていますが、これがネコの手だとわかるのは、この本を
一度でも読んだことがある人だけだと思います。
鼻がやけに長いテングザル。
本物のテングザルがこんな鼻をしているのかどうか知りませんが、長新太さん、ご自分の
顔をマンガで描くとき、鼻がやけに大きいおっさん顔にしますよね?それを、何度も見て
いたせいか、なんだか、このテングザルが、長さんに思えてしまって。そして、あきらかに
何かから逃げようとしているサルの格好と、後ろから不気味に迫ってくる「手」らしきものが、
なんか不吉な感じに見えてしまって。
それは、長新太さんがご病気で亡くなった後に、この絵をみたせいや、2004年発行で
晩年の作品だと知っているからだとわかっていても、この表紙にはタダナラヌモノを、
私は感じているのです。
さて、肝心のお話の始まりのこんなふうです。
ネコ でてきた。
ペッタン ペッタン
あ、やっぱりネコが主人公の話なんだ、とここでわかります。が、「ぺッタン ぺッタン」が
くせものです。
異常なまでに手が大きいネコなんですね~。
この異常にでかい手を使って、ネコが「あること」をするのですが、その「あること」をするために、
手が大きく生まれてきたのか、それとも「あること」が大好きで、大好きでそればっかり
していた結果、しだいに手が大きくなってしまったのでしょうか。私は、前者のほうだと
思っているのですが‥。
ぺッタンぺッタン状態で、ネコが歩いていくと、まずタヌキに「ばったり出会う」。
突如、「あること」をタヌキにむかってしでかすネコ(かなり攻撃的)。
次にライオン、カバ、ワニ、と次々に会い、テングザル、ゾウ、ヒョウ、そしてブタで
終わる「あること」。
凄いですよ~、ネコの「あること」。
最後にはわりと牧歌的?な雰囲気で、お話は終わるのですが、私的には心底からは
安心できない感じです(笑)。だって、ネコはあのぺッタン手のまま、誰かに「ばったり」
出会うことを望んでいるにちがいないのですから。
ここで、またまたテングザルに話しを戻したいのですが。
テングザルだけが、なぜ「テングザル」に限定されているのかなあと、思うのです。
ライオン、カバ、ワニときたら、ただの「サル」でいいはずですよね。長さんは、テングザルが
特にお好きなのでしょうか?それともテングザルが描きたい気分だったのでしょうか?
(もしかしたら、私の深読み通り、ご自分をテングザルに重ねていたのでしょうか)
しかも、他の動物は一頭づつなのに、テングザルだけ二匹描かれているのです。
見開きページの右側と左側に、膝をかかえたポーズで‥。
ぺッタン手ネコの行動を、わはわは笑って、ああおもしろかったと本を閉じることが
できたらいいのですが、私は、何度読み返しても、テングザルが気になって、滲んだ
水彩絵の具の色が気になって、表紙絵の構図が見事だなあと思って、そして、最後に
ちょっと悲しい気持ちになってしまうのです。
春風が吹くと、ほんとはすごく嬉しいのに、でもすこしだけ冬が終わってしまうことが
切なかったりするその気持ちと、一緒かもしれないし、それとはまったく別の種類の、
悲しさかもしれません。