my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

交代式終了

2014-12-31 18:46:46 | 日々のこと

やっとやっとここに辿り着きました。

今年はあれよあれよという間に大晦日です。

でも、無事に今日も、今年も、終わっていこうとしていることに
感謝です。(家族みなが健康で過ごせたことに一番の感謝。)


今年も、一年間、ありがとうございました。 


 

左の水玉が2014年版のほぼ日手帳、そして右側のマリーゴールドが
明日からの2015年版です。

手帳交代式、滞りなく終わりました。
その時交わされた会話はこんな感じだったようです。
は、歴代の手帳カバー 時々確認したくなりので…笑)



「ねえねえ、水玉さん、2014年はどんなだったの?」

「ん? だいだい申し送りの通りだったけどね、トピックスとしては
山梨県・西関東大会・って記されたことかな」

「そうなの、それはよかったね」

「マリーさんの色は、珍しいね、お初じゃないかな、黄色系が
手帳仲間に加わるの」

「2013年さんと同じパターンみたいよ。かわいいカバーが見つかったから」

「なるほど~。
 それはそうと、マリーさんに最初に記される言葉はなんだろうね?」

「卒業式、かなって思ってたら、4月1日の欄に、入学式って書かれるみたい」

「そっか。それはおめでとう。
マリーさんに、おめでとうのことたくさん書かれること祈っています。」

「ありがとう、水玉さん。
でも、1月いっぱいくらいは、一緒に居て、フォローしてね」

「了解」 

 

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(再び)急行 北極号

2014-12-19 18:33:28 | ひらきよみ(読み聞かせ)

今日は今年最後の読み聞かせの当番日。
ペアで、6年生のクラスへ行きました。

先週4年生のクラスで読んだ『急行「北極号」』を読みたいと
伝えたので、2冊の合計が15分になるように、ペアさんが
調整してくれました。 

 

小学校はどの学年へ行っても、それなりの面白さがあるなあと
思うのですが、高学年へなるにつれて、大人びた子と、そうでもない子。
まだまだ幼い面を見せてくれる子などが混在してくるところが
とても楽しいです。

今日の6年生のクラスの、最前列真ん中の男子は、思わず声に出して
しまうほど、お話の中に入ってきてくれました。
せっかくもらった銀の鈴を落としてしまったとわかった時なんか
「あー、どうすんだよ」とか。かわいいです。 


余談ですが、先週の読み聞かせ時間の後で、ノートを書きながら、
その日の絵本やクラスの感想などを言い合っていた時、
銀の鈴の音が、大人になると聴こえなくなってしまうのは、
大人には聴こえない周波数だったりして?!と盛り上がりました。
夜中に公園に集まる不良対策(?)に、若者にしか聴こえない周波数の
騒音を流しているところとかあるよね?と誰かが言いだして…。
そしたら別の誰かが、テレビのCMなんかで流れる音楽が、自分には
よく聴こえないのに、子供には聴こえていたとか言いだして…。

いずれにしても(笑)、そういうおしゃべり含むの、絵本ボランティア、
今年の分、無事に終了しました。

 

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ビショップとともに

2014-12-17 17:42:40 | 好きな本

中表紙を開いた次のページに、チェス盤が描かれ、手前に白、
奥に黒の駒が並べられています。
そして、ページの下の方に、キング、クイーン、ビショップ、ナイト、
ルーク、ポーン、の順番で駒の説明が書かれていて、キングや
クイーンやナイトは、その名からどんな形かを想像できますが、
ビショップは馴染みのない、よくわからない駒でした。

ビショップ(B)‥斜め移動の孤独な賢者。祖先に象を戴く。


ここまできてはじめて、これはチェスについての話なのかなと思い、
変わったタイトルは、どこでチェスと結び付くのだろうかと思いました。



(私の)小川洋子作品の3冊目。

のちにリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになる少年は、
(呼ばれるようになった頃はすでに少年ではなく青年になって
いたと思われますが、彼はたぶん私以外の読者の中でも、
少年の面影をずっと引きずっていたのではないかな?)
そこに至るまでは、名前が与えられず、文中では「少年」と呼ばれ、
祖母からは「お前」と呼ばれ、チェスを教えてくれた、バスの中で
暮らすマスターからは「坊や」と呼ばれていました。

物語の冒頭、両親を亡くし祖父母と暮らす「少年」と彼の弟が
祖母に手をひかれ、デパートの屋上へ行き、かつてそこに象が居た
印を見るのが少年は好きだったと、語られる場面から、物語には
どこかもの哀しく、抗いがたい運命のようなものが潜んでいることを
感じさせます。

話しは進むほどに予兆に満ちていき、張られていた伏線は
きれいにまとまり、こんな哀しい話はないと思いながらも、胸の中には
キラキラしたものが詰まっていて、そのキラキラを、私は失くしたく
ないなと思うのでした。


チェスを覚えたばかりの頃、少年が自分の腹心の友であるミイラに、
その素晴らしさを語るこんな言葉。

「マスターが一番好きな駒はポーンなんだ。猫にポーンって名付ける
くらいだからね。‥中略‥
ビショップやナイトみたいに凝った彫刻をしてもらっているわけでもなく、
ただの丸いボールを頭にのっけてうるだけの、言ってみれば僕らと
同じ子供だよ。その証拠にポーンは、目の前にある相手の駒を取れないし、
自分一人でメイトすることもできない。でも一歩一歩前進する。
後戻りはしないんだ。子供が成長するのと同じさ」

そして好きな駒、ビショップへのこんな言葉。

「僕にとって一番気掛かりな駒は、ビショップなんだ。なぜだろう。
‥中略‥最初の色と同じ色の升目にしか移動できない。
二つのビショップは仲間同士でも、お互いに心を通わせることが
できないんだ。斜めに威勢よく移動しているようで、実は淋しがっているん
じゃないかと気になって、慰めてやりたくなることがある」

チェスをまったく知らなくても、彼がチェスを想う言葉を読んでいると、
すごく寒い冬の朝、そっと開いた窓から遠慮がちに入りこんでくる
朝一番のきーんとした空気を吸い込んだ時の、静謐で、そしてちょっと誇らしい
ような気持ちと、同じ気持ちになってくるから不思議です。



変わっているなと思っていたタイトルが、読み終わった後には
もうこれしかない、と思える絶妙なものに変わっていました。

『猫を抱いて象と泳ぐ』


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いつかはきっと 急行「北極号」

2014-12-15 18:53:28 | ひらきよみ(読み聞かせ)

先週の金曜日は、小学校での読み聞かせ当番でした。
4年生のクラスで読んだのは次の2冊。

 

 

15分の持ち時間をひとりで担当するときは、長い絵本と短い絵本の
組み合わせがしやすいので、今回は4年生だったこともあり、
久しぶりに、北極号を読んでみたいなあと思いました。

10分くらいかかるので、もう1冊は、短い絵本の『いつかはきっと』。
今までに何度となく(自分の)候補にあがっていましたが、
小学校の教室で読むのは、10年やっていた中で今回がおそらく
初めてだったと思います。

いつかはね、いつかはきっと…お兄ちゃんが「ちび」ではなく
「いもうとです」ってちゃんと紹介してくれるようになるとか、
ピアノを弾いていたら、近所のおばさんが「まあすてきな音」って
言ってくれるとか、家の中に、今まで知らなかった部屋が見つかるとか、
ささやかでかわいらしい、女の子の「いつかこうなったらなあ」が
並んでいく話です。

ちょっと女子向きだったかなーとも思いましたが、最後に大きな
クリスマスツリーが出てくるところも、この時期っぽいかなと思って
読んでみました。

そして、急行「北極号」。
ほんとうに好きな話で、気を許して読んでいると、最後のページで
思わずこみ上げてくるものがあるので、気を引き締めなければなりません(笑)。
しかし、それ以上に困るのが、この絵本の画面構成。
文章が右端か、左端のどちらかに小さな文字で並んでいるので、自分から
遠くの側は、近眼眼鏡をかけたままでなければ見えず、自分に近い側は
その眼鏡をかけたままだと文字がぼやけてしまうのです。
……その眼鏡調整がなかなか大変でした。

でも、それでも読んでよかったなあと思いました。
たぶん、じっくりと聴いてくれた子が多かったような気がしました。


鈴の音が、いつまでも聴こえる人であったらいいね、とそっと声をかけたような
気持ちで終りました。


 

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ことりのおじさん

2014-12-08 17:11:34 | 好きな本

ひっそりと息をひきとっていた、初老の男を最初に見つけたのは
新聞の集金人だった。
その男は、いつしか周囲から「小鳥の小父さん」と呼ばれていた。
抱きかかえるようにした腕の中にあったのは、竹でできた鳥籠で、その中には
メジロが一羽。
でも、その男が「小鳥の小父さん」と呼ばれるようになったのは、メジロを
飼い始めるずっと前だという。

そんな書き出しの数ページが過ぎ、小父さんに鳥小屋を見せてくれたのは
「お兄さん」だった、と、幼少時代の話に、すべるように移っていく。
その時小父さんは6歳で、お兄さんは7つ上、と書いてあるから、ほんとうで
あれば、中学生の年頃だった。
小父さんのお兄さんは、もうその頃には、誰とでも話をできる言葉を捨て、
独自の世界の中だけで通じる「ポーポー語」でしか語らなくなっていたので、
中学校には行ってなかったのだろう、と思う。

6歳の少年だった時も、物語の中では少年に名前は与えられず、
ずっと「小鳥の小父さん」と彼は呼ばれ、兄は、彼が認識した時から
「お兄さん」であり、生計は自分で立て、兄との二人暮らしの中心になっても、
兄が死んでしまったあとでも、兄のその年を越えたあとでも、「お兄さん」と
呼ばれ続ける。

そんな兄弟二人にとっての最大の楽しみは、小鳥の声を聴くこと。
小鳥小屋の世話をし続けること。習慣は儀式にまで高めれられ、静謐で崇高な
行いのように、いつしか読んでいる自分も感じ始める。
普段、気に留めたこともなかった小鳥の声の中に、小父さんとメジロが共に
感じあったシンパシーを読みとれるかもしれないと、明日の朝、ふと
そう思ってしまうかもしれない。


:::::


小説を、物語を、読むということは、自分の知らない(所属していない)セカイの
しくみを知ることであり、思いを馳せることであり、人の痛みを知ろうとすることなのだと、
読み終わったあとに、自然に思えた。

コメント (2)
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