1章から9賞までの話が、主人公の少年ブレントが
語り手になっている章(奇数章)と
別の誰かが語り手になっている章(偶数章)で、
交互に構成されています。
17歳のブレントは、自分の過失から交通事故を起こし、
それを償うために、アメリカ大陸の4つのはじっこを目指して、
バスの旅にでます。(4つのはじっことは、ワシントン州・
カリフォルニア州・フロリダ州・メイン州です。)
偶数章の語り手は、ブレントが償いのために作った〈風の人形〉を
それぞれの場所で、見た人たちです。
いつそれを見たのかは、時間軸は描かれていないので、ブレントが人形を
作ってから数ヶ月後かもしれないし、数年後、あるいは数十年後
かもしれません。
前に読んだ『種をまく人』の時にも感じましたが、フライシュマンに
よって作られた物語は、とてもアメリカ的というか、アメリカそのもの
だなあと思います。
アメリカ大陸はとても大きく、東海岸から西海岸の間には、時差があり、
その距離は、日本からインドのそれと同じなのだと聞いたことがあります。
それがひとつの国になっているのです。
長距離バスに乗って、ひとつの目的地から次の目的地まで移動するのは
ちょっと思ってみただけでも、相当大変なことです。
17歳の少年が、そのバスにひとりで乗っているのです。
自分の内面を見つめないわけにはいきません。果てしない時間、バスに揺られているのです‥
偶数章に登場する語り手たちも、また、とてもアメリカ的です。
プエルトリコからの移民、アメリカ人の家庭で育つ韓国人のこども、
第6章に出てくるあばあちゃんは、ポーランド人で、アウシュビッツに
居たことがある人でした‥
ブレントが、自分から申し出たわけではない人形作りと、
人形を備え付ける場所への旅の中で、彼は今まで出会ったことが
なかったような人たちと出会い、星の名前や、音楽を奏でる楽しみを知っていきます。(人形作ることも楽しみになっていったはずだと思います)
〈風の人形〉を、ある日ある時目にした人は、もちろん、それが償いのための
ものだとは知るよしもなく、それでも、その人形に慰められたり、
救いを見出したりするのです。
人形を動かす原動力になっている風は、ブレントの髪をなびかせ、
木々を揺らし、誰かのハンカチを乾かし、思い出のにおいを
運んできてくれたりもします。
思いもよらないところで、何かと何か、何かと誰か、
そして誰かと誰かも、繋がっているのでしょう。
「風は目に見えないけど、ああいうことができる。見えなくても、
風にはパワーがあるわけよ。人間の思いも、それとおんなじ」
第2章に出てくるアレクサンドラは、風の人形を指さしてこう言いました。