4月のはじめに、南米が舞台の短編集を読み、やっぱり
バリ島のも読んでおこうと思って読んだのち、1と3を
読んだのなら、2も読まないとね、と続きました。
世界の旅 1 世界の旅 2
この2冊が3と違うのは、小説の他に、取材旅行の日程表
だけでなく、1の半分は旅行のエッセイになっているし、
エジプトも仲間たちとの楽し気な写真やエピソードが、
たくさん掲載されているところです。
『SLY』は先に取材旅行があって、そのあとに小説を書いた
とあり、バリ島の方はもうとっくに読み終わり返却して
しまったので、どっちが先が忘れましたが、たぶん旅行が
先なのでは‥。
いずれにしても、それぞれの旅先の空気や人や温度や湿度を
とても効果的に、取り込んでいて、それが作者の力量なんだと
感心した次第です。
バリ島の方は、幼い時の虐待が元で多重人格症になって
しまったマリカと、ジュンコ先生との旅‥マリカの体の中に
複数の別の人が現れては消えていく‥。
『SLY』は、HIVポジティブだとわかった元彼と、元彼の元恋人の
男子と三人でエジプト旅行をする話‥旅先でさらに一人旅を
している女子が加わり、風変りなグループ旅行になる‥。
(グループでバリ島に行くのももちろん「有」だけど、それよりも
HIVポジティブからエイズが発症し、その場に居る3人を残して
一人だけ先に逝く可能性が有るグループには、「生と死」がより
濃く感じられるエジプト旅行の方が、数倍も相応しい‥ですよね)
『SLY』の中にこんな箇所がありました。
‥人が美しいものにひきつけられるのは、それが死から最も遠く、
死を忘れさせてくれるから。醜いものをうとましく思うのは、
それが死を思わせるから。死んで少しずつ腐ってゆくものを
連想させるから。ミイラとかそういうとんでもないないものは、
そういうことを一挙に飛び越してしまって、未来の美しさを
重ね合わせて幻想として成り立っている。
なるほどね~そうかもね、と思い‥そして、これは余談ですが。
友人たちが部屋にいて、今夜もひとりになることはないだろう。
(中略)家族でもなんでもないのに、それから「すてきな仲間
たち」というのとも少し違うのに、そのような夕暮れを静かに
共有することがある。
今から30年以上前に、夫の友人2人と、私の友人とその友だちの
計6人でタイのバンコクに旅行したことを、↑の箇所から懐かしく
思い出しました。
バンコクの匂いや美味しいと思って食べたタイ料理のことは
ほとんど思い出すことはないけれど、河を眺めながら朝食を
食べたことや、パタヤまで行ったバスの中に、友人がムギワラ帽子
を置いてきてしまったことや、観光した寺院の塔を登る階段の幅が
異常に狭い!と思ったことや、小さな船に居たガイドさんが日本語の
テキストを持っていて、「はな」+「ち」で「はなぢ」と書いて
あったことなどははっきりと思い出すことができて、あのとき
グループ旅行に行っておいて本当によかった、と今、思うのでした。
前回、角田さんの本を借りたのに、期限内に読み切れず
そのまま返却してしまったので、今回はまず角田本から、と
決めて、図書館の文庫の棚からこちらを借りてみました。
題名の潔さと表紙のデザインに惹かれて。
※うちで愛用している牛乳石鹸みたい笑
「もうひとつ」「月が笑う」「こともなし」「いつかの一歩」
「平凡」「どこかべつのところで」の6つの話からなる短編集。
もしもあの時に別の方を選んでいたとしたらー。
誰もが一度や二度(いや何度も)自問自答したに違いない
自分の人生の分岐点(あるいは分岐点だったと後から
気が付いたある時点)を考えたり、思ってみたり、悔やんだり
している人たちの話。
自分自身がもっと若かったら、あの時の私はああだったとか、
ああするべきだったとか、あれこれ思い返しては、胸が
痛んだかもしれませんが、今の私は、決して強がりではなく、
「今の、ここ」が(ほぼ)最良の選択だったと思っているので、
わりとさらっと読み終えました。
そしてあとがきに辿り着いたら、私のこんな心情をとても
上手く、佐久間文子さん(文芸ジャーナリスト)が書いてくれ
ていました。
人生に無限の可能性を見ているとき、「平凡」は確かに呪いの
言葉だったろう。けれどもある程度、年を重ねてみればその言葉
は祈りや祝福に似ていると気づく。これといったドラマチックな
ことが起こらなくても、当たり前に毎日を送れることがいかに
幸せか知った後では。
*** ***
そのむかし、私が10代の終わりか20代のはじめ頃のある日、
川越に住む母方の祖父が一人で電車に乗って、私の家に遊びに
来たことがあり、そんなふうに訪れることは(私の記憶では)
初めてだったので、早い夕ご飯をいつもは使っていない部屋で
皆で食べることになり。そして、いい感じに酔いがまわった
祖父は帰る間際、何の脈絡もなく、「○○ちゃん(私のこと)
の両親は、ほら見ての通り、フツーの平凡な人なんだから、
○○ちゃんだっておんなじようになるのは、もう決まってるんだ」
と言いました。
えーなんでそんなこと突然言うの?この私に??と胸の中では
おそらく憤慨しながら、でもおじいちゃん酔ってるし、でも
おじいちゃん何にも私のこと知らないし、と思っていました、
たぶん、きっと。
それから数年して祖父は他界したので、その日のことが余計に
記憶に刻まれたのかもしれません。
この話にオチはなく、ただ「平凡」という言葉から連想する
エピソードとして(あるいは私にまとわりついていたある種の
呪いとして笑)書いておきたくなりました。
またまた図書館の文庫棚で見つけ本。
作者の名前になんとなく憶えがあるなあと思って
引き出してみたら、娘がひとりで観に行っていた
あのこは貴族という映画の、原作者でした。
表紙の絵もなんだか魅力的だし、私もパリに
行ったことがないので、借りてみました。
パリへ行ったことがない
彼女はパリへ行ったこと(が)ない と、私だったら
そうタイトルを付けてしまいそうだけど‥。
第一部は雑誌フィガロジャポンに2013年10月号~2014年
9月号まで連載されていて、第二部は書きおろしだそうです。
11編ある第一部はどれも短くて読みやすいのは、そのせいか
と納得。
飼い猫1匹と暮らす35歳あゆこも、温泉街で暮らすかなえも、
ガールズバーでバイトをしているさほも、その他の主人公も
ほとんど全員(たえこは若い頃に行ったことがある)が、
パリへ行ったことはなく、ある瞬間まで、自分がパリへ
行ってみたいと思ったこともなかった、あるいはそう思って
いたことに無自覚だった、のに、その瞬間を越えたあとは
「パリへ行く」が自分に対しての、ある種の呪文のように
なっていくのが面白かった。
しかも若い人だけでなく、夫を亡くした後、女友だちに
誘われてとか、夫の定年後の旅行でなんとなく、といった
人たちも描かれているところに大いに共感(笑)。
ところで。解説を書いているカヒミ・カリィさん(かつて
パリで暮らし、今は家族でNYに居るそう)のこんな考察が
興味深かったです。
同じ海外でもパリとNYに住んでいる日本人ではタイプが違う。
例えば移住したしたきっかけも、パリの方はフランス文化などに
真剣に憧れていて、芸術やモード、料理などを学ぶために留学
したりと、具体的な目標をあらかじめ持って住みだした人が多い。
それに対してNYの方は、何となく海外留学したくてとか、友だちに
会いに観光で遊びに行ったまま住み着いたという人が多いように
思う。
NYにずっと憧れていたという人は意外に少なくて、NYに来てから
その魅力にはまってしまったという人が結構多いのだ。そして
長く住んだ今でもNYが本当に好き、という人が多い。
NYの記述については私も多いに頷けます。そのむかし、夫が
新婚旅行先をぜひNYに、と言いだした時も、共通の友人が住んで
いるしそれもいいか、ぐらいの気持ちで決めたのに、そのわずか
1週間くらいの旅行で、次に来る時は旅行ではなくて、もっと
長くここに留まりたいと思い始め、二人の間の呪文になったので。
NYへの気持ちと比べてみるためにも、一度くらいパリを訪れて
みたいものですねー。その時の私、何歳になっているかな。
インスタでいくつかの書店をフォローしているのですが、
この本を推している方が何人も居て、そんなに薦めるのなら、
と図書館で予約待ちして読みました。
裏表紙の説明に、男たちの財産を奪い、殺害した容疑で
逮捕された梶井真奈子(カジマナ)。若くも美しくもない
彼女がなぜー。週刊誌記者の町田里佳は親友の伶子の
助言をもとに梶井の面会を取り付ける。とあったので、
なんとなく事件の真相に迫る系のサスペンスなの??と
何の予備知識も持たないまま読み始めてしまったところ、
あれ?これって何かに似てる‥と、木嶋佳苗をモデルに
していることがわかりました。
殺人容疑で拘置されているカジマナは、実に堂々としていて、
髪や肌の手入れも怠っていないように見え、多忙な記者で
ある里佳よりも余裕を持って、人生を楽しんでいるかの
ように振る舞います。
いかに自分がバターを愛しているか、バターのない(あるいは
けちった)料理がどれほど不味いか、バターをきちんと
味わったことのない里佳が、どれほど貧相な女であるかを
語り、それに頷くしかない里佳は、「カジマナマジック」に
かかったような状態になると同時に、バターの美味しさを
知っていきます‥。
カジマナは本当に犯人なのか、里佳は真実を引き出し、
記事にすることができるのかー。
そこが主軸の物語として読み進めていくと、作者の意図は
それだけに留まらず、私たちが直面しているありとあらゆる
こと‥(思いつくだけでも)過度なダイエット、ネットの炎上、
妊活、父と娘、推しのアイドルなどなど‥に及んでいること
がわかり、しかもそのどれもが「さらっと」ではなく、
「わりとたっぷり」なのです。
すごいな、うまいな、と思いながらも、読み手の私はそれを
次第にヘビィに感じてきて‥あれあれあれ。
これはそう、まさにバターと同じだと思いました。
たまに食べるとすごく美味しいけれど、私にとっては重すぎる
食べ物。本文中に、自分の適量をいつか知ることができたら、と
いう箇所がありましたが、柚木麻子本は、私にとってはどうやら
バターのようなので、またいつか、を楽しみにすることにします。
図書館で偶然見つけた文庫本。
宮澤賢治が、親友の女学校教師、藤原嘉藤治から不思議な話を
聞いたり、彼を通して持ちかけられた相談に応えるために
「探偵」まがいの捜査をし、万事上手く解決してゆくという
短編が3つ収められていました。
最初のはなしは、賢治が書いた童話「月夜のでんしんばしら」
のように、電柱が歩くのを見た!という人が現れるというもの。
文学だけではなく、科学にも強い賢治は仮設を立て、それが
何ゆえそう見えたのかを立証してゆきます。
どの話も、事件が解決していく面白さだけではなく、その土地
に住む人々の暮らしや心情に深く寄り添っていることにココロ
打たれます。
宮沢賢治という人は、自分にとても厳しい人で、常に俯いて
いるような(勝手な)イメージがありましたが、この本の中の
賢治は、とても行動的で、笑顔が似合う愉快な人だったので、
なんだか安心しました(笑)。
探偵ものって、ほんとにときめきます笑。大好き。
余談中の余談ですが、名探偵コナンもずっとずっと観続けて
いまして(現在もTV録画して観ています)。でも劇場版が公開
されてすぐに、映画館で観るのはこのたびが初めてでした。
昨日ひとりで観てきましたが、楽しいひとときでした。
わかっていても、コナンが「らーーーーーんっ!!」って叫ぶと
うるっとせつなくなりますね~(笑)。