こどものとも年少版1999年12月号は、スズキコージ作『かくれんぼ』。この絵本が、
私たち親子にとっての、最初のスズキコージ作品です。娘が3歳3ヶ月の時でした。
お話はとってもシンプル。カンちゃん(男)、クンちゃん(女)、レンちゃん(女)、ボンちゃん(男)、
カボちゃん(女)の5人が、じゃんけんで鬼を決めー鬼はカボちゃんー、残りの4人を探していく、
ただの「かくれんぼ」のお話です。ページの中に一箇所づつ窓が開いていて、しかけ絵本になっています。
最後の一人ボンちゃんが、なかなか見つからない以外は、とくに盛り上がるところもなし。
でも、その代わりに、絵の方は、余白というものがいっさいないほど、あらゆる色とあらゆる線で
埋め尽くされています。まさに「スズキワールド」ですね。
スズキコージさんの絵本を見たのは、初めてなものですから、「その時」親の私はびっくりし、
娘はこわがってさえいました。親だったら、誰だって「そんな場所でかくれんぼなんかしたら、
誰かにさらわれちゃうよ」と思わずにはいられないような場所が、表紙から、裏表紙にまで、
びっしり描かれています。
とても怪しげなおばあさんや、怪獣のかたちをしている噴水、きこり、荷車、町なかで楽器を演奏する人、
牛のようにも見える角のある犬(犬のように見える牛かも)などなど。
今思えば、最後の場面で、この「牛犬」にこどもたちが乗っている様は、 『ウシバス』ですね。
単純な名前の付け方にもなんか意味があるのかな?と思っていましたが、全然意味なんかなくって、
かくれんぼの話だから、カンちゃん、クンちゃん、とどんどん決めていったのだろうなあと、今は
思っています。(「こどものとも50周年ブログ」のエッセイで『エンソくんきしゃにのる』の話を読みましたから)
何回か読んでいるうちに、しかけのしくみが娘にもわかってきたので、おそるおそる、窓を開けて
みるようにはなったけれど・・楽しんでいたのかどうかはちょっと思い出せません。きっと今だったら、
「あんな場所で、みんなでかくれんぼしてみたい」と、言うような気はしていますが。
今日2月28日がスズキコージさんのお誕生日、と絵本カレンダーが教えてくれたので、
懐かしい絵本を探してみました。
娘は平成8年生まれなので、初節句から今年でちょうど10年です。
でも、この雛人形、もともとは私のだったので、もうこの家(正確には私の実家)に来てから相当な年月を過ごしています。軽く口にはできないくらいの・・・。
娘が生まれた時に、新しい「おひなさま」のことも頭をよぎりましたが、夫とも相談し、長年実家で眠っていたこの人形を、娘のために飾る事に決めました。お雛様の冠のビーズが一つなくなっていたのと、ぼんぼりの一部が少しだけ虫に喰われていたのを除けば、とてもきれいに保存されていました。箱の中には、「当時」の新聞紙が敷かれてあって。とっても「貴重」なので、今でもそのままにしてあります。
お人形をひとつ、ひとつ箱から出して飾っていくというのは、とてもいいものです。そのときだけ時間が、すこしゆっくりになっているような。たとえて言ったら何をしている時と似ているでしょう。上手に煎れられたお茶やコーヒーを、なにかを読んだり、誰かとしゃべったりしないで、純粋にそれだけを「楽しんで」いる時と似ているかもしれません。
うちの春・待ちの写真を3点ほど・・・
庭の片隅に、ふきのとう。もうすぐ花が咲きそうです。
クロッカスの芽もこんなに伸びてきました。真ん中あたりに出ている白いのは、たまねぎの芽ではなく、これもクロッカスなんです。どうやら植える時に、さかさまになっていたようで。ある日、変だなあと思って掘り返してみたら土の中でこんなに育っていました。ほんとは笑えないけど、自分ひとりで大笑い!しましたねぇ。
なんでこのくず鉄が「春・待ち」かというと。
私の住んでいるK市にアートギャラリーができることになり、そのオープニングイベントとして、あの「クマさん」こと、篠原勝之さんが、モニュメントを作るそうなのです。それも、ただの鉄ではなく、K市に住む子どもたちが拾ってきた鉄を使って・・・。私の娘もそのイベントに参加し、これらの鉄を夫とともに集めてきたわけです。
「くまさん」の手で、どのようなものに生まれ変わるのか楽しみです。
※冒頭の写真の「しだれパンジー」は、去年の10月から寒風に耐え、花を咲かせ続けてくれています。でも、花が重いのか?何度支えても、頭が垂れてしまうのです。
今日2月22日は、絵本カレンダーによると「猫の日」だそうです。1987年に「猫の日制定委員会」によって制定されたとのこと。カレンダーでは『タンゲくん』片山健作 が紹介されていました。
私が、今気になっている猫関係の本は、この2冊です。
『ポテトスープが大好きな猫』
T.ファリッシュ 作
B.ルーツ 絵
『空飛び猫』
アーシュラ・K ル・グウィン 作
『ポテトスープ~』の方は、わりと新しい絵本。日頃、行き来させて頂いているブログでも、何人かの方が紹介していました。
『空飛び~』の方は、だいぶ前に図書館で見つけたのですが、その時は借りて読むまでには至らず。最近、同じ作者の『影との戦いーゲド戦記Ⅰ』を読んだので、突然、この本のことを「もしや同じ人が書いた本なのでは?」と思い出したわけなのです。
どちらの本も、翻訳されているのは、作家の村上春樹氏、大の猫好きの方です。絵本『ふわふわ』を読んだ時も思いましたが、猫と暮らしたことがある人でないと、猫のお話は書けない・・ですね。猫を「飼った」だけではだめで、「暮らした」人なのだと思います。
余談ですが、以前から気になっていた『ゲド戦記』を読んでみようと思ったのは、娘の小学校の担任の先生のお薦めがあったからなのです。ハリー・ポッターを先生も読んでる、と娘から聞いていたので、懇談会終了時に、「私も好きなんですよ」と話しかけてみたところ、読書の話になって。「ポッターシリーズもいいけど、最近すこし残酷な感じになってませんか?それより私は『ゲド戦記』のほうが好きですね。なんか奥が深いというか・・いろんなこと考えちゃうんですよ」とおっしゃつていたのでした。50代後半の女性の先生で、本好きプラス絵本好きでもあると、私は思っています。だって、3年生のクラスの学級文庫に、こどものとも3月号の『いろ いきてる!』が入っている、という情報(?)を娘から、しっかり聞いていますので。
最近の絵本には、ほとんどの場合、カバーがかかっています。
先日買った3冊の絵本にも、もちろんピカピカのがしっかりと。おまけに、
うち2冊には帯もついていました。私はこのカバーがあんまり好きではありません。
カバーなくていいから、その分を価格に反映してくれればいいのに、と
思っているくらいです。
でも、この絵本↓に関しては、カバーがあって大正解!だと思っています。
『ねどこどこかな?』
ジュディ・ヒンドレイ:作
トール・フリーマン:絵
谷川俊太郎×覚 和歌子:共訳
なぜそう思ったのかというと。
つるつるピカピカのカバーをとって、「ほんとの」表紙を見ると、そのおさえたマットな感じが、
とってもいいのです。そして、表紙を開けると、表紙裏から見返しへと続く紙の、色と
そのデザインがとっても私好みで・・。扉をめくって本文に入ると、またまたたまりません。
水彩絵の具のぼやけた感じと、細い線で描かれた人物等の輪郭。その線も、ペンの
かりっとした細さではなく、色鉛筆のようなかすれたあったかい感じで。
紙の地色も真っ白ではなく、アイボリーというか生成りというか。それで文字色も黒ではなく、
セピアに見えるし、書体もなかなか「好き」な感じ。ページごとの文章と絵のレイアウトも、
とても考えられていると思います。
絵のことから始めましたが、お話は、こんなふうです。
あくびがでたり こっくりしたり ばたんとたおれて くっつきあって
そのまま ねむってしまいたいとき
おひるね うたたね どこがいい。
ーどこが いちばん おきにいり?
動物たちがねどこで眠そうにしていたり、くつろいでいたり、ほんとに眠っている場面が
次に来て、そのあとに、3人の(たぶん)兄弟が、動物たちの「ねどこ」に倣って、
寝てみるページが続き、後はその場面の交互の繰りかえしとなります。
私は、最初に読んだ時、 『ねえ、どれがいい?』ジョン・バーニンガム作 、
『どこでおひるねしようかな』岸田衿子作 山脇百合子絵 の両方を思い出しました。
その2冊とちょっと似た感じを受けたのです。でも、あくまでもそれは「似た感じの匂い」が
ちょっと漂ってきただけで・・こちらにはこちらにしかないリズム、言葉が、確かに存在しています。
うさぎは ねむる
ぐっすり ねむる
すあなの なかで。
とりは
ぬくぬく
きによりそって。
かえるは うたたね
おいけのそこの
やわらかい どろに つかって。
みつばちは いいきもち
ばらの ベッドで。
谷川俊太郎さんと共訳の覚和歌子さんは、有名な音楽家で「いつも何度でも」の作詞の方。
また詩人としても作品集を出されています。またライブでは、谷川さんもゲスト出演されているので、
その「延長上」に今回の共訳も成り立ったのかなあと、推測しています。
(谷川さんが朗読した「いつも何度でも」聞いてみたかったなあ)
もし、この本を手にとったら、ぜひ「ウインクしているこうもり」と「おじさんみたいな顔」を
しているカンガルーのあかちゃんの絵をみてください。そして、カバーをはずして、
すべすべの手触りをお楽しみください。眠っているこどものぽっぺを、そっと指でたどったときと
どこか似ている感じがすると思います。
今日も「読み聞かせ」のお当番にあたっている金曜日でした。
学年ごとのクラス数の関係で、2週続く時がたまにあり、そんなときは、本選び、練習ともに大変なのですが、それに加え、もう一つ大変だったのは、(非常に私的なことなんですが)娘のクラスにあたっていたからなのです。
日頃から、私の読み聞かせ活動に、厳しくも的確な?コメントをつけてくれる娘の存在。「えー、またその本よむの?」とか。「〇年生なのに、それぇ?」とか。「ん?いいんじゃない、そんな感じで」とか。そんな娘からの要望は「うちのクラスに来るときは、どの本読むか内緒にしておいてね、つまらなくなるから」。
そこまで、言われたら、内緒、なおかつ彼女の知らない絵本を読んでやろうと決めていたのです。一緒にクラスに行くパートナーのAさんにもお願いして、「うちの娘の知らない本」を選んで頂きました。「読み聞かせ」にそんな私情をはさんでいいのかどうか・・・たまにそれくらいしたって、OKだろうと(勝手に)思っています。 色々考えた結果、選んだのはこの絵本。
『ミトン』
ジャンナー・ジー・ヴィッテンゾン さく
レオニード・シュワルツマン え
はっとり みすず ほんあん
「ミトン」とは、指なし手袋のミトンのこと。そして、表紙の女の子(アーニャ)が抱いている赤い犬のことでもあります。季節的にも、ぴったりの本なんです。
お話は・・・。犬を飼いたいのに、お母さんに反対されたアーニャ。泣いているのを見られないように、自分の赤いミトンで涙をふいていると、なんだか手袋が自分の子犬のように見えてきます。
そこで アーニャは ひもをひいて
おさんぽに でることにしました。
1ぽすすむと ミトンも1ぽ
2ぽすすむと ミトンも2ぽ
アーニャが かけだすと ミトンも かけだします。
たちどまって ふりむくと ミトンも じっと
とまっています。
とてもかわいらしく、とてもいじらしい場面です。
アーニャがミトンをいとしそうになでると、ほんとに、手袋からしっぽが ぴょこん みみが にょきにょき おはなが くんくん してくるのです。その様子は、信じられなくくらいかわいい・・・です。その次の文章はこうなっています。
ミトンが こいぬに なったのです。
まっかな こいぬに なったのです。
私は、初めてこの絵本のこの箇所を読んだときに、どこかのクラスで必ず読もうと、すぐに思いました。とっても好きなんです。こういうふうな言葉の連なりかたが。
お話の結末は、アーニャの家に新しい子犬が来て、お母さんも子犬が大好きになって、ハッピーエンドです。
ミトンは手袋に戻ったのか、それともアーニャのだいじな子犬のままなのか。今晩寝るときに、そっと、娘の思ったことを聞いてみたいと思います。
青山のワタリウム美術館へ行きました。
フェデリコ・エレーロというアーチストの『ライブ・サーフェス』
という展覧会を見るためです。
その日は、原宿同潤会アパートの跡地にできた『表参道ヒルズ』の
オープンの日だったので、それはそれはすごい人で・・・ちょっとした神社の初詣より、
多くの人々がヒルズ詣でのために列をなしていました。
フェデリコ・エレーロ。1978年、コスタリカ、サンホセ生まれ。
・・若いですね、まだ20代です。
昨年の『愛・地球博』で、会場の中にある池の底面に世界地図を描き、
来場者は足を浸して歩くことができる、というアートプログラムにも参加されていたとのこと。
そんなこともまったく知らずに、どうして今回青山まで出かけて行ったのかというと、
それはハンモックなんです。
やしの木陰で、ハンモックに揺られながらのお昼寝。そんなことを夢見ながら、
一度もハンモックに寝た経験がないものですから、いつしか「ハンモック」という言葉そのものが、
夢の対象みたいになってきていて、耳から入ってくるその「音」にも敏感に反応していました。
そして、1ヶ月くらい前、新日曜美術館のアートシーンのコーナーで、この展覧会が取り上げられていて、
なんとハンモックが会場に設置され、そこでゆらゆらしている人の映像が流れていたのです。
ゆったりとした気持ちで作品を見てもらいたい、忙しい東京の人(?)にひとときの
憩いの場を提供したい、そんな意図があるといった説明がされていたような。
とにかく、そこへ行けば、ハンモックに寝られるのだということがわかり、私と娘
(彼女もハンモックに憧れている者のひとり)は、カレンダーの隅に
「フェデリコ・エレーロ ハンモック」といそいで書き込んだのでした。
さて、やっと辿り着いたワタリウム美術館。ON SUNDAYSと同じビルにあったなんて知りませんでした。
いかに長い間、原宿青山方面にご無沙汰していたことか・・
エレベーターで2階へ行くと、2階、3階が吹き抜けになっていて
(後から4階まで拭きぬけていたことを知りましたが)、その大きな壁一面が作品となっていました。
ハンモックの方は3階にあり、そこに横たわった状態でも、一応その壁画を鑑賞できる状態にありました。
しかし、寝心地のほうは、どうなのでしょう?あんなものなのでしょうか。ずっとずっとゆらゆらしていて、
正直あまり落ち着きませでした。娘は、すっかり気に入ったようで、3つあるハンモックの
すべての寝心地を確かめ、いつまでもその場を離れませんでした。
肝心の絵のほうの説明をうまくできるといいのですが。
色の積み重ね方と、その色の群生の間から今生まれ出たばかりのように見える
「カエルの卵状の丸」(白い楕円の中に黒い点)、それと、人の顔のようにも猫型の動物のようにも
見える落書き状のイラスト。その3つが壁面の中でうまく融けあっていて。最初に思ったことは、
「こんなのが絵本になっていたらすごく楽しい」でした。その、壁一面に広がっている絵は、
床の一部にも繋がっていて(というより、床の一部からその絵が生まれてきたように見える)
なるほど、live・Surfaces だなと大きく頷いたのでした。
入口でもらったリーフレットにはこんなふうに書かれていました。
この「ライブ・サーフェス」というタイトルには、キャンバスを抜け出した
ペインティングが、建物の壁やさまざまな物体のサーフェス(表面)に移り、
そこに新たな命を吹き込み、社会における別の新しい機能を持つようになるという、
彼の希望が込められています。
会期は2月26日までです。
行ったときには、そのつもりはまったくなく、調べ物をして帰る前に、いつものように絵本の部屋へ寄り、そしてなんとなく、その日にかぎって詩のコーナーへ足が向きました。
そのメールを開いたのは、日曜日の夕方でした。大学時代の同級生が、昨年の1月に亡くなっていたことを、その友人と同郷の先輩が知らせてくれたのです。いつも行動をともにしていたわけではなく、卒業してからも、誰かの結婚式の2次会のパーティであって話した程度・・・。それでも、驚きが胸を満たし、彼女を知っている同級生のさIさんに、メールで知らせるのがやっとでした。
月曜日の昼間。亡くなった友人のだんなさまが書かれた手記を、Iさんが見つけて送ってくれました。 彼女が、写真家として残した1冊の本のタイトルしか知らなかった私に、その手記は、彼女の年月の断片と、彼女が残した3人の娘さんのことを教えてくれました。彼女が亡くなったとき、一番上のお嬢さんは、まだ7歳・・・。
目がきらきらと輝いていて、明るくくったくのない笑顔で手を振ってくれた彼女と、よく似た美人の3姉妹を思い浮かべては、ただただ私は涙を流すことしかできません。
偶然、私の手の届くところにあった詩の本。その中にこんな箇所がありました。
だがお前さんもいつかはばあさんになる
それは信じられぬほどすばらしいこと
うそだと思ったら
ずうっと生きてってごらん
うろたえたり居直ったり
げらげら笑ったりめそめそ泣いたり
ぼんやりしたりしゃかりきになったり
そのちっちゃなおっぱいがふくらんで
まあるくなってぴちぴちになって
やがてゆっくりしぼむまで
谷川俊太郎『あかんぼがいる』より
たまたま借りてきていた本なのだから、「偶然」なのでしょうが、それでも谷川俊太郎さんの詩を噛みしめるように読んでいると、その本が「たまたま」私の手の届くところにあったとは、思えなくなってきます。
『あかんぼがいる』に表われた風景は、孫娘の成長を慈しんで見つめるおじいさんの視点で描かれていますが、母親であったなら、その想いはどれだけのものであっただろうと、想像するまでもないことで、それを思っては泣き、詩を読んではまた泣くのでした。
去年の秋。
父の葬儀の間中、私の頭の中にあったのは、やはり谷川俊太郎さんの詩、『死と炎』。ずっと前から、特別な思い入れがあった詩に、あらたな「思い出」が予期せぬ形で加わりました。そして、今回の「偶然」を思うと、それはそういう、めぐりあわせだったのだと、思わずにはいられない気持ちです。
詩という形で表わされた言葉を、何度繰り返してみたところで、それは悲しみを直接、薄めてくれるものではありません。けれど、繰り返すたびに涙があふれても、それはそれでいいんだよ、と私の泣くという行為を肯定してくれているように思えます。
亡くなった友人は、写真家としてもきっと多くの人に感動を与えることができた人だったと思います。今後、彼女の遺作が、写真展や写真集という形になってくれることを心より願いつつ。
そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
谷川俊太郎『魂のいちばんおいしいところ』より
今日2月10日は、読み聞かせの「お当番」の日で、
担当したのは、2年生のクラスでした。読んだのはこの本。
はたらきもののじょせつしゃ
けいてぃー
バージニア・リー・バートン作
いしいももこ訳
選んだ理由は、季節的にぴったりなことと、
いつか機会があったら、バートン作、いしいももこ訳という、
組み合わせの絵本を読んでみたいと、思っていたからです。
版を重ね、長く読み継がれている本には、多くの人から
愛される理由があります。いしいももこさんが訳された日本語は、
ふだんはあまり使わないかもしれないけど、忘れてしまいたくは
ない、美しい日本語のように思えます。
擬人化されているトラクターの『けいてぃー』。
じぇおぽりす、という町の道路管理部に在籍する赤いトラクター
です。けいてぃーは、とても強くて、大きくて、夏にはブルドーザー
をつけて、道路を直し、冬には除雪機をつけて、雪をかきのけます。
けいてぃーは、もはや「擬人化」などどという表現を大きく越えて、
じぇおぽりすの立派な一員です。
一員というより、けいてぃーを中心にして、この町が成り立っている
のではないか、と思わせるような、頼もしいまさに「主役」です。
けいてぃーは、はたらくのが すきでした。
むずかしい ちからのいる しごとが、
あれば あるほど、けいてぃーは
よろこびました。
町のために、働くことが生きがいのけいてぃーと
そんなけいてぃーをとても自慢にし、誇らしく思っている
じぇおぽりすの人たちとは、固い信頼関係で結ばれています。
それがよくわかるのは、こんなところです。
じぇおぽりすの まちは、すっぽり、まっしろい
ゆきの もうふの したに かくれました。
ゆっくり、じっくり、けいてぃーは
ゆきを かきのけて、ぜんしんしました。
「たのみます!」と、けいさつの しょちょうさんが
いいました。「まちを まもるのです。われわれが
そとに でられるように してください」
「よろしい。わたしに ついていらっしゃい」と、
けいてぃーは いいました。
そして、まず大通りの雪をかきのけ、次に「たのみます!」と
いう郵便局長さんにも、「よろしい。わたしに ついて
いらっしゃい」とこたえます。
電話局、電力会社、水道局、お医者さん、消防署長さん、
次々と頼みを聞いていき、けいてぃーが動いた後に、雪は除けられ
じぇおぽりすの町は徐々に姿を取り戻します。
言葉の繰りかえしの楽しさに加えて、白く覆われていた町が
道路を中心として現れ出てくるという、目で見る楽しさも、ここで
同時に味わうことができます。
家で、自分の子どもと読むのなら、ページのまわりに細かく
描きこまれている「働くくるま」の様子を見たり、じぇおぽりすの
町の地図を、辿っていくのもとても楽しいと思います。
クラスの中では、そういう楽しみ方はできませんが。
雪が2階の窓のところまでつもり、だれもかれも、なにもかも、
じっとしていなければならない、という町中が埋ってしまった場面と
その次のページの、けいてぃーが雪の中から現れてくる場面を
対比して、めりはりをつけるようにして読むと、楽しさが伝わり
やすいかなあと、思いました。
ファブリック一新!計画。
テーブルクロスとマット3枚、完成しました。
テーブルクロスの方は、長さを合わせて端ミシンをかける作業。
直線縫いミシン好きの夫が、担当してくれました。余ったきれで、
チャパティを保温するための「袋」というか、「包む布」というのも
作ったりして。(前に料理の本に載っていたのです)
マットの方は、もちろん私がちくちくしました。
今回は布を繋ぐのも、キルト芯を入れるのもなし。
理由は、クロスがインド綿でちょっと厚いためと、パッチワークには
やはりそれなりの時間がかかるので。
無地は食べこぼしが気になるのですが、敢えて使ってみました。
四隅には、いつかパッチワークに使おうと、とっておいた布を
アクセントに。中にはアイロンで貼るタイプの接着芯をいれました。
↑ これが娘のマット。
3人分だとこんな感じです。
今日2月7日は、「絵本カレンダー」によると、『大草原の小さな家』の
ローラのお誕生日ということです。ローラ・インガルス・ワイルダー
(1867年2月7日~1957年2月10日)享年90歳。
ローラには女の子がひとり、その後に男の子を授かりますが、産まれてすぐに
死んでしまったので、子どもは娘のローズだけ。そのローズが、母親ローラに、
小さかった時の思い出を文章として残すように勧めて、大草原シリーズが
生まれたのは有名な話。ローラが60歳の時だそうです。
私は子どもの頃、テレビドラマの中のインガルス家が大好きでした。
メアリーやローラのおさげ、白いボンネット、白いエプロン、小花模様の
ワンピース。とうさんの白いシャツにサスペンダー、バイオリン。かあさんの
作る料理。缶のおべんとうばこと、小脇に抱えた本を持って草原を歩いて行く姿。
丸太の家に、木のベッド。
どんなに探してみても、子ども時代の私のまわりには、ないものだらけ
だったからかもしれません。
アメリカ開拓時代の背景や、家族の協力、節約の美徳、物を作る楽しみ、
少女から大人へとローラが成長していく過程。それらのことを、読み物として
楽しめるようになったのは、つい最近のことでした。
『大草原の小さな家』の中で、インディアン居留区に家を建ててしまったため、
1年しか住んでいないのに、別の場所へ移動しなければならなくなった場面が
あります。せっかく耕し、種まきも終えた畑を残していくことは、一家に
深い喪失感を与えます。
けれども、いつまでもくよくよしているわけにはいきません。出発の前日に、
とうさんは、今まで種芋として残しておいたじゃがいもを、全部食べてしまおうと、
みんなに言います。その時、ローラはこう思います。「大きな損には少しの
得がまじっている、といつもとうさんが言っていたが、本当にその通りだ」
蒸し返したり、繰言を言ったりしない潔さ。困難さえも挑戦する喜びに
かえていくチャレンジ精神。常に前を向いて歩いていくことを、ローラは
とうさんの姿勢から学び、私たちはローラが残した文章によって、それを
自分の中の指針にもできるわけです。
大草原の小さな家
こんな本も出ているようです。
大草原の小さな家のキルトのある暮らし
お料理の本ならこちらも。
大草原の『小さな家の料理の本』
ローラ・インガルス一家の物語から
何事においても、タイミングというものがありますね。
先週リブロの絵本コーナーでは、どれも目にせず。
だからその日に、買おうかなと心の中で決めかけていた
本のリストにも当然入っていなくって。
なのに、今日、ふらっと立ち寄った書店の絵本コーナーで、
この3册を、あれよあれよという間に、決めてしまいました。
その3冊に共通していることは、どの絵本も、今日初めてそのタイトルを知ったこと。
最近出版されていること。(中の1冊は2006年2月10日となっていました)そして、
絵や文や訳者の方が、とっても私好みであること、です。
中味をじっくり楽しんで、またその「良さ」をお話しできれば
と思っています。
ねどこどこかな?
ジュディ・ヒンドレイ作 トール・フリーマン絵
谷川俊太郎×覚和歌子共訳
ぽけっとくらべ
今江祥智・文 和田誠・絵
とってもいいこと
内田麟太郎・文 荒井良二・絵
はあ。今週1週間がようやく終わりに近づきました。
私の娘の話なんですが。軽い中耳炎から風邪の熱、36度くらいに下がったから、翌日から学校へ行かれるかなあと思っていたら、急に高い熱が出始めて、インフルエンザA型、と診断されたのが、今週の火曜日でした。先週の土曜日、37度ちょっと熱があって、耳鼻科で検査した時には、インフルエンザの反応がでていなかったのに、その後に感染してしまったということなんでしょうか?
幸い、薬を飲むのが早かったので、病状は軽く、家の中でごろごろしていますが、これだけ天気がいいと外に出たいようです。
思えば、関東地方に雪が降った1月21日の土曜日頃から、鼻がぐすぐすしていていましたねえ。そのときに耳鼻科へ行っていれば、中耳炎にも至らず、鼻風邪で終わったのかもしれないなあ、とちょっとくよくよしています。
雪が降ったとき。プランターに植えたクロッカスの球根がすごく心配でした。せっかく出てきた芽が、どうにかなりゃあしないかと。でも、結構強いものなんですね。土が凍っているみたいでも、芽はすこしもそれを感じていないように、見えました。
さっき、思い出して(今週は様子を見ていなかったことに気がついて)、見てみたら、芽はさらに伸び、もう3cmから4cmくらいに育っていました。毎日これくらいの気温で、これくらい陽が注いだら、もっともっと伸びていくのでしょう。楽しみです。
ビオラの芽。
こっちの方も、いまだ健在です。でも、いつ間引きをしたらいいのか、そのタイミングが計りきれず、最初の缶のまま。すこし大きくなってきたのもあれば、この1ヶ月半でほとんど成長していない?!というような芽もあります。毎朝、日あたりのいい場所に缶を出して、夕方日が落ちたら缶をしまって。その繰りかえしが続いています。
いつかポットに植付けできたら、写真に残しておこうと思っています。
もうすぐ立春といっても、まだまだ寒く、とても冷たい雨です。
でも、朝早く外に出たときには、なんだか春の初めに
降るような優しい感じを受けました。まだぽつぽつとしか
降っていなかったせいかもしれませんが。
ブエノスアイレス。
あの・・・アルゼンチンの街の名前です。
今日の天気とはまるで関係がないのですが、なぜかこの
言葉が、頭に浮かんでくるのです。
ブエノスアイレス。
小学校の1年か2年の頃、『母をたずねて』という物語の中
で、初めてこの言葉を知りました。遠く離れているお母さんを
探しに行く男の子の話、だったと思います。(『母をたずねて
三千里』のアニメもできていなかった頃です)
そのお母さんが居る街がそこなのか、それとも男の子が
住んでいた街がそこなのか、まるで覚えていないのですが、
その言葉の持つ響きが異国の匂いを伴って、妙に記憶の隅に
貼りつきました。もちろん、一度も行ったことないのですが
なんだかへんな親近感さえ持っています。
今から、もう12年ぐらい前のこと。
ブエノスアイレス出身の男の子と話す機会がありました。
NYの英会話学校で。それは私にとって、感激するできごと
でした。だって、ブエノスアイレスが、たぶん最初に覚えた
(認識を伴って)外国の街の名だったのですから。
そんな話まで、できればしたいなあと思っていました。
けれど、20代前半の彼の関心事は、私と私の友達(韓国出身)
が、何語でしゃべっているのかということと、(日本語と
韓国語の区別がつかない、もしくは、そんなに顔が似ている
のに、どうして同じ言語をつかわないのか、という疑問)
日本では、ナイキのシューズはなんて呼ばれているの?
ということでした。
やはり、ブエノスアイレスは、日本からはとっても
遠いのだと思い知らされましたが、その言葉が持つ特別な
匂いは、まだ胸の中に残っています。