3部作の最後の巻を読み終えて、さて次はどれにしようと
思っていた時に、絵本の棚にあって、ずっと視界には入っていたこの本を
ものすごーく久しぶりに開いてみました。
村上春樹 文、安西水丸 絵
今発売されているのは、文庫版のこの表紙のものですが、
私が持っている上の写真のは、雑誌での連載が終わったあとに光文社から
でた本で、大きさがわかりにくいですが、文庫本よりずっと大きくて‥
A4のコピー用紙よりひとまわり小さいくらいです。(こう説明すると
さらにわかりにくいかも・苦笑)
昭和61年11月30日 初版第1刷 と書いてありました。
文庫版の方は中を見たことがないので知りませんが、大きい方は
見開きの右ページ真ん中にタイトルがあって、右下には水丸さんのイラスト。
左ページに縦書き2段で春樹さんのエッセイ。そして、次に見開きページには
大きな水丸さんのイラスト‥エッセイの内容に関連した絵になっている‥
という形式です。
もう長い間開いてなかったので忘れていましたが、ものすごくふんだんに
水丸さんの絵があって、エッセイ+挿し絵、というより、水丸さんの絵に
春樹氏が文をつけた?というような感さえあり、たっぷりと、ゆっくりと
水丸さんのセカイを楽しむことができる内容です。
あとがきによりますと、1984年に雑誌CLASSYが創刊され、それと
同時にはじまった連載で、2年間続いたとのことです。
2代目ウォークマンの話あり、シェイプパンツという言葉あり、
ああ懐かしの80年代、懐かしの大学時代、、、です。
春樹氏のエッセイも、元々エッセイの時は文体がものすごーく軽いですが
それプラス若いということもあり(この時まだ30代半ばくらい)、
ついこの間まで、お店でオンザロックを作っていたんだけど、少し前から
小説家になっちゃったので…という感じがとてもリアルに伝わってきます。
当時の私、ここに書かれていた文を読み、水丸さんの絵の中にある
かわいい外国の雑貨やおもちゃや文具なんかを見て、きっと憧れていたん
でしょうね。次のステップ踏み出したら、きっとそういうものが見えて
くるみたいな。
小確幸 のことも、しばらく忘れていたけれど、文字を見たらすぐに
思い出しました。春樹ファンにはおなじみだと思うし、ファンサイトみたいな
ものには、最初にこの言葉が出たのは、この本だとも書いてあったし。
小確幸 人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつ
そんなふうに定義されているのですが、では何が当時の春樹氏の小確幸と
書かれているかといえば、引き出しの中にきちんと折ってくるくる丸められた
奇麗なパンツが沢山詰まっていること なんですって。
(春樹ファンは、いえ、私は、ムラカミハルキのこういうところが好きなんです。)
そして、20代前半から半ばくらいだった私は、今思えばですけど、
水丸さんの絵のようで、小確幸を理解できる人と共に暮らしたいと望み、
その望みは叶えられたみたいです・笑。
もし、この本に興味を持ち、読んでみようかなと思われた方は、
図書館にはあるかもしれないので、ぜひ大きい方を探してみてください。
水丸さんの絵が、ほんとうに、すごくよいのです。
そして、春樹氏の、軽妙な日常エッセイだけじゃなく、くっきりと印象を残す
短編小説にも繋がっていく(かもしれない)ような文章を読むこともできますので。
「 葡萄」とか本全体のタイトルにもなった「ランゲルハンス島の午後」とかは、
特に好きな作品です。
とてもよい天気の土曜日でした。
娘は、人生初の眼鏡を作りに。母は友だち3人と1泊2日の旅行へ。
新しい眼鏡。お手頃価格なのにお洒落感あり。
娘は中学生になったくらいから、眼科検診でB、そしてしだいにC
になりずっと点眼薬を続けてきました。
絶対眼鏡はかけたくないと言い続け、少しでも目の筋肉を休めるようにと
家に居る時は窓から外を眺める時間を作ったり、寝転びながらの読書など
もってのほかだし、部屋の灯りにも気を配っていましたが、
でも高校生になって、外や電車の中で本を見る機会が増えて行き
(停車中だけ見ていると言ってましたが)
それになにしろスマホの画面を日に何度も見るわけですから
視力が悪くならないはずはありません。
新学年になって、いよいよ黒板が見えづらいのと、楽譜の小さな音符が
見えないことが重なって、一昨日突然「眼鏡作りたい」と言いました。
たまたま今日の部活が休みだったので、眼科から眼鏡屋さんと
スムーズに進み…出来上がってみたら、あらこんな簡単なものだったのね、と
いうのが私の感想。
あんなに嫌がってたのは何だったのだろう、とも思いますが、
何ごとにも時期ってもんがあるのですねー。
娘の「眼鏡記念日」(笑)、と母の旅行が重なったのは偶然ですが、
旅行の相談を、電話でしていた時の母の声は、もしかしたら、私が初めて
聞いた種類の声だったかもしれないなあと、ふと思いました。
長年聞いてきた「母親」としての声や、仕事の電話に出る時の言い回し、
自分の兄妹と話をするとき、役員していたメンバーとの会話…などの
どれとも違った声でした。
気の置けない友だちとの旅行は、それはそれは楽しいものなのだろうなあと
容易に察しがつき、今日が良い天気に恵まれて、本当によかったね、と
思った午後でした。
今週から新学期が始まり、それは高校生活最後の年の始まりでも
あったわけですが、春休み中も、娘は毎日まいにち部活に行っていたので
いつからが休みで、いつからが「始まり」なのか、わからない毎日でした。
そして、気候が急にすすんだり後戻りしながら、気がつけば桜は満開で、
ここ20年くらいの中で、おそらくはじめてお花見なしの春となりました。
週末と、桜の時期と、娘の部活の休みの3つが揃わないと、お花見成立は
難しいとわかっていたので、おなじみの我が家のお花見は諦めるとして、
別の方法を一応、提案だけはしてみたんですよ。
「平日の昼間に西口の公園に行ってみる?」
でも、昼間だと仕事の合間なので、ビールが飲めません。ゆえに却下。
「じゃあさ、夕方にビールとなんか持って、西口の公園に行ってみる?』
そこまでして(お花見)することないよ、とつれない返事。
夕方だってもうあんまり寒くないし、夕方見る桜もきれいだよ、きっと。
とねばってみましたが、店長は気乗りしない感じ。
なんでだめなの、なにがいやなの? と、さらに私。
だってお弁当つくるのが楽しいのに、夕方ちょろっとのためにそこまでする
のはね…それにrもいないしね。
桜の下で、やれ鳩が居てこわいとか、おにぎりはひとり何個づつ、とか
この卵焼きおいしいね、とか、そんなんが一番好きだったのかな、店長は、と思いました。
そりゃあ私だって、そういうの楽しかったし、毎度まいどのお弁当も楽しみでした。
だけど、はじまっているんですよね、新しい何か。
望もうが望むまいが、私たちの意思に関係なく。
寂しい、とかいう気持ちよりも、なんか新しいジャンル(?)みたいなところに
踏み出す感じでしょうか。不安も多少あるけど、わくわくだってある、みたいな…。
新しい春のはじまりなんですね、きっと。