6月21日 本日は夏至ですね。
今日のように曇り空で、もうすぐ雨が降ってくる
予想だと、実感しにくいですが、19時くらいまでは
明るいのかな。
その昔、「夏至」という言葉をきっと学校で教わって、
初めて意識したのは小学3年のとき。
いつもは寄り路なんてしないのに、しかも登下校のルート
とは違うFちゃんの家になぜ寄ったのかー。
理由はまったく思い出せないのですが、ランドセルを
Fちゃんの家の2階の(たぶん)オルガンの下?に隠し、
Fちゃんのお母さんが「もう家に帰ってから来たの?」と
ちょっと驚いて訊いてきたことがなぜか忘れられません。
はい、と応えたあとに、Fちゃんと顔を見合わせて
笑ったこととか‥。
そのあと、何か面白いことがあったとか、家に帰るのが
遅くなって叱られたとかいうエピソードも一切なくて、
ただ寄り路をしたことだけが、「夏至」という言葉と
セットでいつも思い出されます。
Fちゃんは、中学校へ行ってからは陸上部でハードルの
選手でした。あの時のFちゃんの家がそのままで残って
いるのを、そしてお母さんが手入れしている季節の植木を
見るために、駅へ行く途中、3回に2回はおうちの前を
通っています。
人生におけるささやかな贅沢のひとつに、暮れてゆく空を
眺めながらビールを飲む、っていうのを、今思いつきました。
できれば、その場所がマンハッタンのウエストビレッジ辺りで、
季節はNYの6月希望。
写真はNYとも、夕方ビールとも関係ないけど。
19日日曜日に初めて訪れたオペラシティコンサート
ホール前。
14時~19時近くまで、ピアノ演奏を堪能しました。
思い起こせば。
昨年娘の成人式が終了した時に、安堵とともに、その前年の秋の
写真前撮りから、成人の日とうじつまで、ずいぶんと自分の
気持ちが張り詰めていたことを知ったのでした。
一式レンタルをやめたので、着物はどうする? から始まって、
御草履買いに行ったり、美容院や写真館の予約したり、天気の
心配等々。
でももうこれでしばらくは(結婚式までは)、こういうことも
ないだろう、と思っていたら。
はい、まだこちらがありました(笑)。
今度は、大学のすぐそばで着付けからすべてして貰える、一式レンタルで
いいかなあーと、娘と相談しました。
どういう着物に、どの袴を合わせるかなどなど、本人が決めるものだし、
決めて欲しいと思いながらも、ついつい懸命に見てしまう自分がいます(笑)。
今朝のニュースで『あたしおかあさんだから』の歌詞のこと
初めて知りました。(#のことも含め)
私は母歴21年半で、ひとり娘も成人したので、もう「現役のママ」という
気持ちではなく、OGのひとり、みたいな気持ちで居るのですが。
この歌詞のことや、それに対する批判および賛同のあれこれなどをちょっと
だけ読んで、いやいやいや子育ての本質はそういうものではないでしょ、と
朝から気持ちがもやもやしています。
子どもを持ったら、お母さんになりますが、「お母さん」になっても、
わたし自身(あなた自身)は、当たり前ですが、わたしのままそこに居ます。
家族の構成上、立場上、一時的にお母さんになるだけであって、私が消えて
なくなるわけでも、別の人になるわけでもないと思うのです。
いつか、だいぶむかし、宇野千代さんのエッセイの中で、子供と一緒に
いられるのは長い人生の中でたったの20年か25年、という文を読んで、
目が覚めたような気持ちになったことがありました。
そのころ、私は今でいうところの妊活中でしたが、なかなかうまくいかず、
子供を持てないことを悲劇的に考え過ぎていました。
でも、それを機会に、持てたらラッキー、でも持てなくても、私は私で
生きていこうと思えるようになりました。(だって70年~80年のうちの
20年くらいのことですもの)
すこし話がそれましたが、要するに、子育てというか、子供とともに暮らす
時間は制限があるということなのです。
だから、母になってもそれが私のオールではないということ。(まして
ゴールでもないと思うのです)
そして、ある時、こういうエピソードを聞きました。
お母さんが写真の展覧会に出かけて帰ってきたとき、その展覧会がいかに
素晴らしかったかを話してくれて、買ってきた図録を家族みんなで見ることが
できるように居間にずっと置いてあった、というはなし‥。
※この本の中ほどにある 家族の風景—The Family of Man に書かれています
ポイントは、お母さんが楽しい時間を過ごしてきた。それを楽しかったと言って、
家族に話てくれた、の2つだと思うのです。
子供は誰でも、お母さんが(もちろんお父さんも)楽しそうにしている姿を
見るのが大好きです。
自分の子ども時代を思い返してみても、娘が幼かったころを思い返してみても、
それは確かだと、言いきってもいいかなーと思います。
(逆に、自分のために母が何かを我慢している、何かを犠牲にしている、何かを
あきらめた等々のネガティブな面をみることはとても哀しいと思うのです。
さらに、あなたのためにそうしたの的な、だから感謝してね的な面が見えて
しまったら、、、哀しいを通り越してもはや呪縛の域‥)
で、結局何が言いたいのかと言えば、お母さんというポジションにあるのなら、
それは期間限定なので、楽しく過ごしてほしいなあということです。
そして、こどものためとか、しつけとか、お勉強ができるように、とか、の
前に、なんでも一緒に楽しむ、やってみる、教えてもらうくらいの気持ちでいると
いいんじゃないかなーと、OGは思うわけなのです。
2018年 あけましておめでとうございます。
昨年のクリスマスが終わったころから、風邪をひいてしまい、
年末のシゴトをどうにかこうにかやり終えたー、寝込まないで
がんばったーと思っていたら、夫がまさかのインフルエンザ。
大晦日に、一日がかりで当番医を受診し、ひとり寂しい年明けを
過ごすことになりました。
養生のかいあってか、幸い3日には外出できるまでに回復し、
持っていたペアチケット無駄にしないで済みました。
この日も抜けるような美しい青い空。
今年のお正月は、空の青さが印象的でした。
健やかなるときも病めるときも‥晴れている日も雨の日も。
同じようなやさしい心持ちで、分け隔てなく接することができる、
そういう自分を試されているなあと、つくづく感じた年明けでした。
読書もブログを書いていくことも、体のケアも、
もちろん日々のシゴトも、ブーツ&スティックスの運営も、
その時々の自分の気持ちに、自分が精一杯こたえられるように、
過ごしていきたいと思います。
2018年もどうぞよろしくお願いします。
1年ぶりにやってみた「たなくじ」。
次々とよいことが迷いこんできますように、いや、招き入れていかれますように。
先日の、「はじめましての絵本たち」の復習をしていたら、
『十歳までに読んだ本』というのがありまして、誰からも訊かれてないけど(笑)
私の場合、なんだろう?と思い返していたら、ふと『悲しみの王妃』という
題名が浮かびました。
※検索した画像って貼ってもいいのかな。
今でもあるのかな?と検索したら、どうやらそれは、偕成社から出ていた
「少女名作シリーズ 1972-1974年」ではないか‥年代もドンピシャだし、と
ひとり胸を熱くしている次第です。
ああ。
それにしてもなんと懐かしい、タイトルの数々‥。
『悲しみの王妃』の他にも、『母のおもかげ』『少女パレアナ』『黒い目のレベッカ』
『ひみつの花園』『美しいポリー』などなど、読んだ記憶がかすかに浮かびあがります。
(今あらためて、ラインナップを見てみると‥リンドグレーンの『長くつしたのピッピ』とか
『若草物語』とか『足ながおじさん』『赤毛のアン』もあったのですね。
私がそれらを読んだのは、このシリーズではなく、もうすこし後になってからでした。)
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『悲しみ王妃』を読んだ時のことは、今でもはっきり覚えています。
私は、勉強机にむかって本を開き、同じ部屋に母と妹がいて‥私は本文中の
「フランスかくめい」という言葉がわからず、母に訊いたのです。そして、母がうまく
答えてくれなかったことにイラつき、「辞書に載ってるか調べてみよう」と言われても、
素直な気持ちになれなかったことが、ぼんやりと、でも消えることのないしみのようなものと
なって、今も胸の底の方に残っているので。
思い返せば、そのころの母は、まだ36歳くらいだったでしょう。
大家族のお嫁さんで、家のシゴトの経理もしていました。
初孫で、おばあちゃん子で、ぜんそく持ちで、わがままだった長女の私‥。
義母の手前、遠慮しながらで、圧倒的に情報も不足していて、手探り状態の子育て
だったのだろうと、今だったら、母のことやっと思いやることができるようになりました。
ひょんなことから、懐かしい本を思い出し、嫌な子どもだった自分を思い出し‥
でもそんな私も、本日30回目の結婚記念日を迎えました。
赤坂氷川神社。ずいぶん長いこと訪ねていないので、今月あたり行ってみようかな。
先週の金曜日に、とても久しぶりに『てぶくろ』を読み、そういえば
だいぶ前に、このブログにも感想を書いたことがあったなあと思い出しました。
探してみたら、なんと2005年11月。ブログを初めて5か月がたちました、って
書いてありました。
娘は小学3年生。一緒に寝ているけど、寝る前に絵本はあまり読まなくなって
きていたみたいですねー。
でも、この『てぶくろ』を読んであげて、そのあと、くっついて眠ったんだなー。
そのブログのタイトルが ぬくぬくのしあわせ ですものね(笑)。
それにしても、動物が逃げていったあとの手袋を想像して
てぶくろの中に、動物の毛がついていないかな? と言った娘。
細かいところを突いてくるあたり、小3の時からずっとぶれて
いませんね~笑笑
思わぬところで、埋もれていた懐かしいことを思い出せて、なんか
ひとりでにまにましてしまいます。
ブログって、なんだかひとりタイムマシンですね~
よい天気の、4月の、終わりです。
図書館が大好きで、町の中央図書館へよく行くのですが、
新しい建物に移転して、しばらくしてから(だと思う)、
返却カウンターのところは、業者への委託になったみたいなんです。
詳しいシステムとかはわかりませんが、返却カウンターの人と
予約した本を貸してくれる人とは、着ている制服が違うのです。
で、毎度まいど、本を返すたびに、こう言われるのです。
「お忘れ物がないかどうか確認しますので、すこしお待ちください」
委託か市の職員(あるいは市のパートさん)かは、ほんとは関係ないと
思うのですが、記憶の中では、以前は、こういう言い方しなかったん
じゃないかなーと。
そして、こう言われるたびに、わたし、なんだかもやっとするのです。
「確認いたしますので、すこしお待ちいただけますか」で、
いいんじゃない、っていっつも思うのです。
本日、うちの店長が、借りていたCDを返しに行ったら、
やはり「お忘れ物がないかどうか~」と言いながら、入念にCDの傷を
チェックしていたそう。
CDのケースの中に、どんな忘れ物するんだろう?
CDケースの中に忘れ物とかする人いるんですか?と、ついそんな
いじわるこころが働いてしまいます。
まあ、カウンター業務の方は、教えられたマニュアル通りに、言ってるだけ
なのでしかたないし、マニュアル作った人だって、「破れてるページや
濡れている箇所がないか、(CDだったら傷つけていないかどうか)
きちんと確認します」なんて言ったら、
「わたしがそんなことするとでも思ってるの?」と逆に言われかねないので、
やんわりオブラートに包むしかないのでしょうが‥。
なんか、そういう「先回り感」って!! と、思うこの頃です。
陽の光がふりそそぐ穏やかな土曜日の朝です。
いつの間にかカレンダーは残り3枚の10月に入っています。
こういうよい天気の日に思い出す光景があって。
それは10年前に亡くなった父の葬儀の日。
実家の菩提寺は、東京都と埼玉県の県境に流れる荒川の、
陸橋からもよく見える土手の上にあって、葬儀もそこで執り行いました。
その日も、今日のようによく晴れた日で、祭壇前に並べられた椅子から
立ち上がると、鉄橋の上を走り抜ける京浜東北線の電車の窓がきらきら
輝いているのが見えました。
あの電車にはどこかに出かける人が乗っていて、笑ったり話したり
座席で眠ったりしているのだろうなあと、喪服姿の私は思ったものでした。
川口駅から電車に乗るたびに、あるいは川口駅へと帰ってくるたびに、
電車の窓から、私はお寺の建物を眺めます。
その中には祭壇が飾られているかもしれない、そこから誰かが、
この走っていく電車に思いを乗せているかもしれないー。
10年前の、黒い着物姿の私が居るかもしれないー。
あの場所に居た私が、電車に乗っている私を見ていたように。
先日の『佐野洋子展』のあと、図書館で2冊本を借りました。
どちらも児童書の棚にあったものですが、私が上に書いたような感じが
描かれていたので、その偶然に驚きました。
この本の最初の短編、「はしか」。
病院のベッドに居るわたしが、お見舞いにくる母と兄を窓から見ているが、
いつのまにか、視点が逆になる。
こちらはさらにシュールな話で‥。
自由気ままに生きていた豚が、知らぬ間に家や家族を持たされた自分を
おかしいと思い、元の気ままな自分に戻る。聞きなれた声のする方を見ると
かつて妻だった豚と、一緒に暮らしていた時よりも大きくなった子供たちが居て、
自分でない、でも自分にそっくりの豚のお父さんとピクニックに来ている‥。
ここに居るのは、ほんとうに自分なのか。
あの時あの場所に居たのも自分なのか。
今ここにこうしてパソコンのキーボード叩いている自分。
電車に乗っているかもしれない自分。
商店街を歩き、大きな建物に向かっている自分。
ベッドの横の、開かない窓から雲の流れを見ている自分。
そっちの私も、元気ですか。
もう、すこし前のことで、展覧会自体も終わっているのですが、
練馬美術館で開催されていた、「船越保武彫刻展 まなざしの向こうに」 の
感想をやはり残しておこうと思います。
終了間際でとても賑わっていたこと。
大理石といえば、白く輝く石とばかり思っていたけれど、とても温かみのある
ピンクや、ブルーがかったものなど、いろいろあると知ったこと。
その石で彫られた女性像がひときわ美しかったこと。
代表作である長崎26殉教者記念像やダミアン神父の像は、代官山でのセミナーの
時に、何度も末盛さんからお聴きした話を思い出しながら、眺めました。
彫刻の展示の間あいだに、その頃の心情を綴った言葉があげられていたのですが、
それがとても心に残り、やはり末盛さんのお父様なのだなあと思ったりしたのでした。
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ものづくりをしている人の言葉(文章)には、はっとさせられてるというか、
その人でなくては出てこない言葉で、物事の本質をついてくることがあると
‥ニュアンスはちょっと違うかもですが‥
『工房からの風』のディレクター氏がいつか書いていたことは、ほんとうに
その通りだなと思いました。
その人となりが伝わってくる文章を読んでいると、その方の木の作品だったり
陶の作品だったり、織の作品だったり、竹の作品だったりが、見てみたくなり、
作品を手にしていると、その方が思いを綴った言葉を読んでみたくなり、
その行ったり来たりが、当日の展(ここでは、工房からの風のことですが)を
より楽しくしてくれるのですね。
どーでもよいようなことなのですが、なんかちょっと驚いたので、
書いておきたい気持ちになりました。
娘が大学に入学するにあたって、この春、スーツ購入のために
初めていわゆる量販店に行ったのです。
(うちの方で、大手は3つ、あおやま・こなか・あおきです)
DM掲載のスーツの感じと、家の近くに新大型店ができたので、
あおやまさんへ行き、まあそこでいろいろセットで購入したのです。
メルマガに登録するとよいとか、専用カードを作ってそれを使うと
さらによいとか、今となっては何がどーいうふうによいのだったかさえ
忘れてしまったのですが‥。
そして、1週間くらい前。
吹奏楽団の定期演奏会での衣装、女子はフリル付き白ブラウスなんだって、
と娘が言いだしたので、日曜日の午後に自転車で行ける範囲のお店を
まわり(下見ですね)、まあこれでいいのかなーというのが、前述の
あおやまさんにあったので、そこならカードもあるし、またまたDMが
届いたばかりだったので、昨日、買いに行きました。
ブラウスの値段は4800円。
白で長袖、コットン100%(ネットで調べたのはどれもポリエステルだった)
ちゃんとフリルもついてるし、入学式用に買ったものと同じサイズ。
18歳女子のブラウスとして適しているし、適正価格だと思います。
DM持っていくとブラウス小物など20%オフ → ラッキー
カードを持っている人はさらに5%オフになりますって。 → そうなんだ~
あの~お客様、スマホご利用でしたら、当店のアプリ入れてもらって
そこにあるゲームで当たりがでた金額分お引きすることができますよ。と
店員さん。
メルマガきてますけど、それとは違うんですか?
はい、全然違います。でも、必ず当たりが出るカードゲームですから
アプリ入れたほうがお得かと思います。
だったら入れましょうか‥。
はい、このカードから1枚タッチしてみてください。あ、500円でました!
500円分お引きします。 → はあ、そうなんだ~
たまっているポイントで支払いしたいのですが、と私。
(スーツ購入後一度も使ってなかったから3000ポイント以上は
あったのです)
はい、かしこまりました。そういたしますと、ポイント適用後の残金は
147円になります。
え、147円でいいんですか?
‥というわけで、4800円のブラウスを147円で買って帰ってきました。
もちろん、安いほうが、高いよりはいいに決まっているし、
どこも何も間違ってませんけど(笑)、なんかね、ポイントマジックというか、
バーチャルでのお買い物?みたいで、ちょっと落ち着かない感じなんです。
今回は、カードマジック的なものが、得するというか、お金使わないほうに
働きましたけど、うかうかしていると、逆もまたアリなので、
(気づかないうちは、あるいは気づかないふりして、身の丈以上の高価な
ものをある日カード払いで買ってしまうとか) 気を付けないといけないなあと
思っています。
スイカとかもそうだけど、お金使って電車に乗ってるって感覚が
ほとんどないですもの。キケンきけん。
3月31日と4月1日。
たった一日しか違わないのに、その日を境にすべてががらりと
変わる年があります。
そう、卒業と入学の年ですね。
2015年春。
そんな気持ちを味わう最後の年なのでしょうか。
明日から、うちの娘も大学生です。
すごく懐かしい写真、HPやブログなどで以前に(以前から)公開して
いるものですが、思い出に載せておきましょう。
*らふとのワークショップに初めて参加したときです。小4か小5かな?
*ある年の「工房からの風」ですね。HPに載せるために撮りました。
明日からのまいにちがこころたのしい日の積み重ねでありますように。
18日の日曜日に、娘とファッションショーを見に行きました。
保育園時代に仲良かった友達が、今年の年賀状で招待してきたのです。
小、中、高校と全然行き来がなかったのですが、年賀状に描いてあった
その子のデザイン画をみて、娘が行きたいと言いだし‥、前日にもまた
ラインでお誘いがあったので。
県立高校の服飾科に通う3年生の、卒業記念のショーという位置づけでした。
正直言って、お付き合い程度というか、小さい頃にはよく遊んでいた子が、
どんなふうな18歳になっているのかなあぐらいの気持ちでした。
ファッションショーというものを、ちゃんと見たことがないので‥テレビとか映画とかで
その一部をやっているのを見た程度‥その高校生のショーが本格的なのかどうか、
本物はそんなもんじゃないのかなどなどわかりませんが、1時間くらいのそのショー、
なかなか見応えがあって(なにしろ飽きるということがなくて)、いろんなこと想いました。
35名くらいの一クラス全員で、まずショーのテーマを決めて、それにそった
デザイン画を2枚づつ描いて、その後、各担当を決めていく‥そんな流れ
だったのかなあと推測しますが。
舞台も、照明も、音楽も、ナレーションも、モデルも、もちろん服の製作も、自分たちで
あれこれ考えていく作業は、きっとやりがいがあって、楽しかったことでしょう。
(娘曰く、クラス全員が同じ部活に入っているみたいなもんだよねー)
16歳から18歳までの3年間、専門的な道を選ぶのも、それはそれで
よいものかも、と思ったり。
いやいや。普通科で、何の役にたつんだろう数学って、とか思いながら、
予習したり、部活やったり、ほかの部の応援に行ったり、する3年間もいいよね、
と思ったり。
その日は、ちょうどセンター試験の2日目だったので、ここでこうしてショーを
開いているということは、この高校の(少なくともこのクラスの)生徒は誰も
センター試験を受けないということなんだ‥と思ったり。
娘も、自分が通う普通科高校との違いを(良くも悪くも)感じたようで、
早くから目的を持ってそれに向かうのはすごいねーとしきりに言い、
でも、大学進学を選び、センター試験で頑張っている同級生のことも気に
かけていました。
いろんな18歳が居ること、実感できたことでしょうね。
ショーのエンディングで、モデル以外の子も、それぞれ担当別に舞台で
紹介されたのですが、娘も私も、保育園時代の友達を見つけられず‥。
終了後、舞台近くに居た、彼女のお母さん?と思われる人に声をかけてみて
やっと、友達と会うことができました。
12年ぶりの再会!と、ほんとにショーを見に来てくれたことが嬉しいと
手放しで泣かれたことに、娘も感激して‥とっても嬉しそうでした。
行ってよかったです♪
他にもわたし‥洋服っておもしろいなあと、素朴に、素直に思いました。
絵画でも、彫刻でも、写真でもなくって、人が着ることが大前提で。
でも、顔が見えなかったり、手が出なかったりの服もありましたが、それでも、
機能的でないことで、あえて何かを主張しているように見えたり。
体の動きに合わせて、いろんな表情も出るし。もっとそういうもの見たくなりました。
昨日に引き続き、今日も吹奏楽の演奏を聴きにいきました。
今日のは、いつもいっているスポーツクラブ内のイベントで、地元の
吹奏楽団の方々の演奏です。
始まって間もなく、車いすのお年寄りの方が固まって入ってこられて、
ああ、近くのホームの方たちなんだなーと思いました。
曲名を紹介する声に反応して、大きな声を出してしまう方がひとり居て
介護士さんがすぐに優しく説明をしてあげている声などが、背中から
聞こえてきていたのですが、それよりも気になったのは、独り言で、何度も
「わたしにはもう何もわからないから、音楽がなんとかとかわからないから」と
しきりにつぶやいている声でした。
「知っている曲があると思うから、聴いていてね」
介護士さんが何度か言いに来ていましたが、そのたびにその方は、
「なんにもわからないから、いいの」の一点張り。
2、3度、それが繰り返されるのを聞いているうちに、そうだ、これは
ベンジャミン・バトンなんだ、と気がつきました。
人間の成長とは、体が大きくなっていくとともに、他者との繋がりや、
外界との繋がりを広く大きくしていくことですが、ある時点でのピークが
過ぎると、あとは、それまでとは反対に、自分のセカイが小さくなっていき、
興味の幅もだんだんしぼんでいって、自分自身のこと以外には関心が
持てなくなっていくのです、きっと。
そして最後には、生まれた時と同じように、暖かいとか、明るいとかの
皮膚感覚だけになっていくのでは、と思いました。
それがよいとかわるいとかではなくて、ベンジャミンバトンを読んで思ったことが
自分の感覚の中で、腑に落ちていったのです。
ブラッド・ピット主演の映画もおもしろかったけど、原作も短いながら
とてもよくできていると思いました。特に、こちらの装丁版をお勧めします。
絵がとてもいいのです。(前に書いたログは★)
巷では「ごきげんよう」が話題になっているようですが‥。
美しい日本語っていいですよね、やっぱり。
先週土曜日に、この絵本を買って、そのなかみを
今、思い出していたら、なんとなくそんなこと思いました。
「おやすみなさい」って、
すごーく、やさしくて、すごーく、いい日本語ですよね。
今日いちにちのいろんなできごと‥楽しかったことも、つまらなかったことも
がんばったことも、がんばれなかったことも、全部いったん体の中におさめて
今からは、今日いちにちの自分をゆっくりといたわってあげましょう、休ませて
あげましょう、っていう心使いが感じられて。
決して上から押し付けるのでなく、でも、誰かから守られているような
安心感に満ちた言葉です。
おやすみなさい。
思い出せるよい絵本、まだまだありますねー。
絵本を読んで、一緒にかたわらで眠れるような小さい子が居る方には、
そのしあわせを、ほんとうにほんとうに、思う存分味わってもらいたいなあと
思います。
その「渦中」にいる時は、いったいいつまでこういう毎日が続くのだろう、
いったいいつになったらひとりでゆっくり眠れるのだろう、と思うと思いますが、
(私なんてほんとに毎晩思っていましたから)
幸せな時間は、過ぎてから「あっ」、って思うようにできているのです。
そうじゃないと、幸せ時間に長居し過ぎて、先に進めなくなってしまうから。
どれがよいかあれこれ迷って、信頼できる本屋さんに相談したりもして。
そして、ポストに届くを日を待つ…。
そんなことも少なくなってしまったこの頃でしたが、8月後半にやってくるのは
特別な1週間なので、久しぶりに、そんな嬉しさ味わいながら、やってくる
絵本を待っています。
娘の、20歳の誕生日までは絵本を贈り続けようと決めたので、残るは来年と
さ来年(今年のはもう決めてしまったので)。
バースデープレゼントにかこつけて、自分の好みを最大限に生かして選んで
きましたが、今年のは、表紙さえも実物は見たことがない本なので、
ほんとうに楽しみです。
そのときに思い出した他の絵本2冊も、自分用に送ってもらうことにしたし。
(あんなに好きと公言している作家さんなのに、この本を持っていなかったこと
自分でも忘れていました)
やっぱり誕生日って、いくつになっても大好きかも・笑。