my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

神保町ブックフェスティバル

2006-10-30 15:50:11 | 日々のこと

 先週の日曜日は、「工房からの風」でしたが、昨日の日曜日は、「神保町ブックフェスティバル」に行ってきました。

 うわさには聞いていたものの、出かけたのは初めてでした。
 
 午前中のうちに、現地に着いていたほうがいいとは思ったのですが、さいたまスーパーアリーナで開かれている別の催しへのお誘いもあり、そちらへ行った後だったので、神保町へたどり着いたのは、もう午後2時半頃。
 それでも、「こどもランド」とたれまくがある絵本の出版社のブースと、「青空掘り出し市」の中で、6冊の絵本を買ってきました。

 どこに汚れがあるのか、どこに傷があるのか、よーく探さなければわからない程度なのに、こんな値段でいいのかな‥というものばかり。すぐにゆるんでしまうサイフの紐を握り締めていたので、右手が痛くなりました(笑)。


 300円です                  

    もこ もこもこ
     『もこ もこもこ』      



 これも(箱なしで)300円 

    ディア・ダイアリー
    『ディア・ダイアリー』


 いい本見つけましたね、と誉められて400円  

     くものこどもたち
      『くものこどもたち』    


 絵本館のブース・3冊まとめると1300円だったので

    『ムッシュムニエルをごしょうかいします』
    『ムッシュムニエルのサーカス』
    『ムッシュムニエルとおつきさま』

    ムッシュ・ムニエルをごしょうかいします

    ムッシュ・ムニエルのサーカス

    ムッシュ・ムニエルとおつきさま


 土曜日の午前中に行ったら、もっともっと買いたい絵本がたくさんあったのかなあと、欲が出てしまいますが、逃した不運(?)を嘆くのではなく、めぐり合えた幸運に感謝です。


     ※     ※     ※     ※     ※ 
 

 どんどん、どんどん本が増えてきて‥ひとつの場所では納まりきらないので、いろんな場所に分散して置いています。
 
 そう遠くないいつか、リビングのひとつの壁いっぱいに、天井まで届くような本棚があったらいいなあと、ふと思い、(勝手に夫に)作ってもらおうと決めました。

 なんで今まで思いつかなかったんだろう 


    

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少女の気持ち‥かな

2006-10-27 17:00:45 | 好きな絵本

 たまには、ひと目惚れで、絵本を買ってもいいかなと思いました。

 だって、表紙もタイトルもこんなに素敵なんです。


  ブリキの音符

 『ブリキの音符』   
  片山令子 文  ささめやゆき 絵

 表紙を開いてから、本文が始まるまでの、見返しや中扉や、扉の構成がとても見事。
目と、手に触れる紙の感触を楽しんでいると、巻頭の詩が出てきます。

    
    まばたきの音がして、まるい涙がこぼれおち、
   ブリキのお皿とスプーンがあいさつをする音が
   して、おいしいスープがやってきた。
    スカートをひろげて、こころが音符の階段を
   かけ降りて、またのぼっていく。どんな時も忘
   れないでいよう。これは、みんな、音楽なのだと
   いうことを。


 
この言葉が書かれている見開きページの色が、またなんとも美しく、ここまでで、
もうこの本は私のもの、と思ってしまいました(笑)。


 家に帰る途中で、つらつらと思い返しているうちに、ひと目で惚れたと思っていたことが、
実は誤りであったことに気が着きました。
 前に借りた『絵本の作家たちⅠ』の最後に、ささめやゆきさんのページがあり、そこで
この『ブリキの音符』も紹介されていたのです。

 それによると、雑誌「MOE」から世界の街角シリーズという企画の依頼が、ささやめさんの
ところに来て、「そんな絵絶対に描けないと思ったから、僕が絵描くから、それを見て文章
書く『挿文』ていうのはどうか」と言ったそう‥文章のほうは最初から、片山令子さんと
決っていたそうです。その後1994年に白泉社から単行本化され、そして、今回それを底本
として、アートンより、「巻頭の詩を除いて、単行本化する際に改めた稿を雑誌『MOE』
発表時の稿に戻し、造本を変え刊行」したそうです。

 いろんな事情が出版サイドにあるのでしょうが‥とにかくこの絵本が、手元に届いて
よかったです。


 
 初めに絵が描かれ、それを受けて文を書く。

 だから、この絵は、こんなにストレートに働きかけてくるのだなあと納得しました。
前出の『絵本の作家たちⅠ』の中で、片山令子さんもこんなふうに、ささめやさんの絵に
ついて書いていました。

 『ブリキの音符』を本棚から出してくると、いつも表紙を撫でてしまう。

たとえば、女の人が立っているステージの黒、緞帳の重いみどり。
広げられた白いシーツの長方形と、その下の濃い青い草むら。
空のブルー、壁のグレイ。
四角い箱のような音楽スタジオ、写真スタジオのそれぞれの壁。

 背景の上に描かれた人物の表情にも味わいがあるのですが、でもなぜか、筆の跡も
感じられる、塗り込められた背景を、そっと撫でたくなってしまうのです。油絵の具を、
キャンバスではなく、板の上にのせていったのかなあと思う、その色がどれも美しく、
そっと触れてみたくなる気持ちを抑えたままにしておくのはもったいなくって。

 
 こういう種類の絵本のことを「大人のための絵本」というのでしょうか。

 大抵の絵本は、声に出して読み、それをもし聞きつけて子どもが「ママ読んで」と
言ってくれば、ともに読み楽しみますが、この絵本はどうかな。それができるかな、と
自分に問います。

 どのページの文章も、一篇の散文詩のようなので、思いっきり贅沢した詩集、という
ふうにも受け取れて‥。そう考えれば、読んであげてもいいかな。でもね‥。

   走らなくていいのに。今まで起きたこと
  のひとつでも違っていたら、二人ともここ
  へ来られなかったと考えると、おこる気に
  なんてなれないんだ。ぼくにはもうわかる。
  彼女が息を切らせながら謝ろうとするのが。
   謝らなくていいのに。きみは、ぼくとい
  う時間にまにあった。
〈生きている時間〉より

「きみは、ぼくという時間にまにあった」が胸の真ん中に響いてこない子どもに、読んで
あげることもないか、とも思うのです。

 ほんとうの年齢とは関係ないところに、(半)永久的に存在する「少女の気持ち」。
 震える心を落ち着かせるために息を吐き、すこし前に届いた言葉を、忘れないようにと
何度も唱えてはまた胸を熱くする‥。

 読んで、そういう気持ちに浸るもよし。そういう時があったことを思い出すもよし。
そんな絵本が、すぐ手の届くところにあってもいいかなあと、思うのです。

 おかあさんは24時間おかあさんをやっているように見えても、気持ちは、いろんな
「場所」へ「いつでも」でかけることができるのです。

 

 

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これはのみのぴこ@まつり

2006-10-25 16:11:33 | ひらきよみ(読み聞かせ)

 先週の土曜日は、娘の通う小学校の「おまつり」でした。

 そこの場で、図書ボランティアの仲間と「開き読み」をすることが決まり、何の絵本を読もうか1ヶ月くらい前からずっとずっと考えていました。(※2

 ペアに与えられた時間は10分程度。それぞれが1冊読んでもいいし、どちらかだけが読んでもいいし‥。3組のペアのうち、最後だけが大型絵本の『せんたくかあちゃん』を読むことは、決っていました。

 私は、最初のペアのうちのひとり。

 初めての試みの中の、最初に登場することになったので、できれば、今までにやったことがないこと。青空の下で読むことが楽しい絵本を選びたいと思っていました。 
(そしてそして、自分自身にとっても納得ができる絵本‥すなわち、自分自身のお気に入りを、できれば、読みたかったのです。)

 
 
 いろいろ、いろいろ考えた結果。

 その日にふさわしい絵本は、やはりこれだろうと思いました。


これはのみのぴこ
『これはのみのぴこ』
谷川俊太郎 作 和田誠 絵


 大好きな谷川俊太郎さんの、ことばあそびを、風がそよっと吹いてくる青空の下で、子どもたちも一緒になって声を出したら、こんなに楽しいことはありません‥。

 しかも、ただ、私がひとりで読むのではなく、「ペアのHさんと交互にページを読み合う」というのは、どうでしょうか?と提案してみました。
 Hさんとは、子どもの学年が同じで、年齢も近く、このボランティアを始めたのも一緒の年から。保育士だった彼女は、絵本を読むのがとってもうまいだけではなく、おもしろいこと、新しいことも大好きな人なのです。

 Hさんとなら、なんとかうまくいくにちがいない。

 他のメンバーの賛成も得られ、その後の練習で、「ふたりがそれぞれ絵本を持ち、自分が読んだページを次の人が読み終わるまで開いておく」ということも決めました。
 「のみのぴこ」は言葉の積み重ねでできているので、あれ、前の場面はどんなんだったっけ?と思った時の手助けのためでもあります。


 全体の構成はこんな感じでした。

・司書の先生の挨拶

・中国語の手遊び歌

『これはのみのぴこ』
     これはのみのぴこ

『どうながのプレッツェル』      
 『ちいさなくも』
    

     ちいさなくも
・手遊び

・大型絵本『せんたくかあちゃん』
     せんたくかあちゃん
・おわりの挨拶

※「中国語の手遊び」は、メンバーの中にネイティブチャイニーズの方が居て、普段の「開き読み」でも、中国語の絵本や手遊びを取り入れているのです。(以前は英語もあったのですが‥)


 思っていた以上に、外で本を読むということは大変なことでした。今、出た自分の声が、駆け足で消えていってしまいます。
 私たちのような言葉遊びでなく、「おはなし」の絵本を読んだ人たちはもっと大変だったと思います。途中で、バザー品値下げ等のお知らせ放送が入ってしまうと、それが終わるまで中断せざるおえないということもあり。

 もしも、来年またやるのであれば、今度は準備段階の根回し(?)を上手にして、マイクを使わせて貰いたいですね~。


 それにしても、「のみのぴこ」。

 イメージの裏切りと飛躍がとても見事です。

 お母さんだって、子どものマンガを読む。
 銀行員だって、ぴんぽんするし。しかも相手はおすもうさん。
 おすもうさんが憧れているのは、演歌歌手ではなく金髪の歌手。
 歌手が飼っているオウムは盗まれ、
 八百屋さんの活躍で(おそらく)泥棒は捕まり。
 その町の選挙で選ばれた市長さんは、入れ歯の為に歯医者通い。
 歯医者さんの趣味は、ホルン演奏。

 たぶん、ネコのごえもんとしゃるるは、道ですれ違ったことがあり、
 のみのぴこと、のみのぷちは、
 別れ別れになった兄妹なのでは‥が私の予想です♪





 

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楽しかったなあ‥遠足みたい

2006-10-23 16:25:50 | 好きなもの・工房からの風

 昨日夕方から降りだした雨のせいで、雨の「前」と「あと」とでは、なんだか長い時間がたったような気がします。

 先週の土曜と昨日の日曜。まだほんのすこし前のことなのに、ずっとずっと前のことのようです。

 いろんなことがギュッと詰まった2日間。思い出しているだけで口元がほころんでくるよう‥気持ちは遠足が終わった後の子どもみたい。出てくる言葉は「楽しかったなあ」

 土曜日の「まつり」の話は、読んだ絵本を中心に。
 昨日の「工房からの風」は、買って帰ったものの写真を撮ってから‥と思っていましたが、この天気で、写真がうまくとれません。でも、HPを見返していたら、今日のうちに何かを書いておきたい気持ちでいっぱいになってしまって‥。

 ところで。

 2度目の今年が「楽しかったなあ。遠足みたい」の理由は何なのでしょう。(もちろん初めて行った昨年だって、楽しかったのですが)

 それは、きっと、その場でお話する人、お話したい人が何人も居たからなのでしょうね。

 「工房からの風」のディレクターの稲垣さんは、大学時代からの友人なので、彼女に会えることが何よりの楽しみですが、それに加え、陶芸家の萩原さんご夫妻や、みなさんもご存知の、こうめさんとダンナ様にも会えたこと、それも「楽しかった」を倍増してくれました。もちろん昨年同様、まつかぜさんご夫妻とも、一緒に見てまわれたし、こうめさんたちを紹介したりもしちゃたし。

 そして、こんな素敵な買い物もできました。

その1  いにま陶房さんのマグカップ3個。
      家族それぞれが使うもの。
      私と娘は同じ形で別の色、夫のは、
      私と同じ色ですこし背が高いタイプ。
      色がとっても素敵で‥娘のは薄いブルー。でも家の中で
      見るとグレーにも見える。私と夫のはへ‐ゼルナッツ色?

その2  伊澤明子さんの染めた糸、織った布で作ったくるみボタン。
      ほんとは桜で染めたマフラーが欲しかったけど‥
      いまのところは、ボタンで我慢。いつかバッグに使いたいな

その3  Rin*Tsubakiさん のキャンドル「小さい象」

その4  稲垣早苗さん の初めてのエッセイ集
      『手しごとを結ぶ庭』 アノニマ・スタジオ

        
       10月25日に発売されます


 

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初めての銅版画

2006-10-19 16:01:18 | 好きなもの・講座やワークショップ

 10月15日日曜日に、市のアートギャラリー主催ワークショップ「初めての銅版画」に、
親子3人で参加してきました。

 講師の先生は、K市在住、女子美卒の方で、抽象画の作品を主に制作されているようです。
小学4年生から保護者の付き添いなしで参加できるので、小学生がほとんどかなと思っていましたが、
ひとりで参加されている大人の方が半分ぐらいいらっしゃったような‥親子3人での参加は、
私たちだけでした。

 まず、ホワイトボードに凸版、凹版 と先生が書き、銅版画のしくみを説明するところから始まりました。

 銅版画は、凹版で、へっこんだところにインクを入れて刷っていく版画です。だから、ニードルで傷をつけたところが
インクの色になっていきます。(逆に木版画は凸。彫ったところが白くなります)


 これは先生が持ってきてくれた「見本」。銅板に触ったり、印刷したものと、元の版を比べたりして、
「銅版画」への入口をくぐっていきました‥。

 
 さて、はじまりです。

1.銅版の裏面に塩化ビニールシートを貼って腐蝕するのを防ぐ。
  表面を研磨する。
2・銅版の表面に、グランド(防腐剤)を流し引く。

 2までの作業が終わっている銅板が、私たちには配られました。大きさは官製はがき大です。

3.下描きをして、それを銅版に写し、ニードルで
  彫って(傷つけて)いく。

 思い返してみると、この作業が私には一番楽しかったです。何を描くかまるで考えてなかったので、
絵そのものは、たいしたものではありませんが、ニードルワークがとっても心地よかったのです。
 グランドが引かれた銅版は、イメージとは逆で(すごく固くて彫りにくいと思っていたので)、
とても柔らかく繊細でした。鉛筆で描くのと同じように線が引けるし、サンドペーバーを押し当てて、
軽く押しただけでも、ざらっとした模様が写るし‥。(気分はとっても山本容子‥さんでした・笑)

4.ニードルワークが終わった人から、腐蝕液の塩化第二鉄液に
  浸して、腐蝕させる。(2時間ぐらい)



5.腐蝕液からあげて、水洗いする。
  醤油で洗い、サビの原因を取り除く。
  その後で水洗いし、乾燥させる。



 係りの方が、5の作業をしてくれているところです。手にしているのが娘の作品で、
その下にあるのが私の銅版。なぜ、醤油で洗うとよいのか、聞いてくるのを忘れました‥なぜなんだろう。

6.グランド(防腐剤)をベンジン等の溶剤で洗う。

7.インクをローラーかゴムベラで凹部に入るように全面につける。

8.凸部(彫ってないまわりの部分)のインクを拭き取る。

9.湿した紙を版面の上に当てる。

10.エッチングプレス機に通し、圧をかけてインクを紙に
   写し取る。



 肝心のプレス機の写真がないんです(泣)。左隅の方で人が固まっているところに
置いてあったのですが。



 これは、参加者の作品です。一番上の列にあるのが、娘と私の作品。
夫のは、2列目の左端に写っています。

 6~8の作業は、一番大変でした。インクの扱いに慣れていないせいですね。それと、
プレス機のハンドルは自分で回すということになっていて‥メイン作業ですから‥でも、
参加者20名に対してプレス機は1台しかないのです。並んで順番を待っているのに疲れました~。
(1枚刷ったら、また6以下の作業の繰り返し。インクの色も変えられるし、手直しもできる)

 一人で4枚刷ったつわものもいましたし、凸の部分にローラーでインクをのせて、2色刷りにしていた子もいました。
私たちは、2枚がやっと。最初はセピア色で、次は黒インクで私は刷りました。

 最後は、先生がひとりひとりに講評してくださり、無事にワークショップは終わりました。
朝10時に始まって、終わったのは夕方4時半でした。

 
(私のカメラに気がつき、にっこりしてくださった先生と私の作品)



 来年度、4回ぐらいの、大人向けの銅版画教室も予定されているそうです。
また、やってみたいなあと思っています。




 

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柔らかい頭・柔らかい心

2006-10-18 15:54:35 | 好きな絵本
 小学校の「おまつり」が、今週の土曜日に行われます。

 昨年は、その実行委員をしていたので、とても忙しかったのですが、今年は、別の役員
なのでそれほどでもありません‥と思っていたら、「おまつり」で、開き読みをすることに
なってしまい、また別の慌しさが漂っています。(何の絵本を読むことに決ったかは、また
後日お知らせします)

 私が所属している開き読みの会は、司書も兼ねている小学校の先生の発案で、
立ち上げられたボランティアなので、ほとんど全員が、その学校に子どもが通っている
お母さんです。私のように、PTA役員とボランティアの両方をやっている人も半分ぐらいいます。

 普通に考えれば、そういう構成員のもとで学校の「おまつり」に参加するのだから、
どこにも問題など起こりそうもなく、歓迎ムード一色だろう、ですが。大勢の人が集まれば、
いろんな意見の方がいて、「開き読み」に対しても、なんで「まつり」の場所で絵本なわけ??
わざわざ出てこなくってもいいんじゃない的な雰囲気もあるようなないような。

 もっと優しい気持ちで‥いろんなことに対して‥大きな目で物事を捉えて欲しいなあと
思うこの頃なのでした。



 でも、ゆうべこの絵本を読んでいたら、正攻法で正面からぶつかっていくばかりが、
勝利に繋がるわけではないということに気がつき、みんな知恵を使って、理不尽なことを
やり過ごしてきたのだなあと、妙なところに感心してしまいました。

     魔法のホウキ(河出書房新社)
     『魔法のホウキ』
    C・V・オールズバーグ 作
        村上春樹   訳

 この絵本、以前も借りてきて紹介しようと試みたのですが、なんとなくうまくいかず‥
秋になって、10月になったらもう一度借りてきて、挑戦しようと思っていました。
 なんで、「10月」と限定したかというと(読んだことがある方はおわかりの通り)、
文章がある側のページの上下に、どのページにも、かぼちゃが描かれているのです。

 かぼちゃ→ハロウィーン→10月 という実に単純な発想なんです。


 魔女の乗るホウキはいつまでもいつまでも永久に使えると
 いうものではありません。それは年月とともにくたびれて
 きますし、たとえどんなに立派な最高級ホウキといえども、
 いつかは空を飛ぶ力を失ってしまうのです。

 
 
‥こういうものらしいです。魔法のホウキって。
 
 それで、ある日、急に力を失ったホウキに乗っていた魔女が、ミンナ・ショウという名前の
後家さんの野菜畑に落っこちてきます。ミンナ・ショウの介抱で魔女は回復し、別の魔女を
呼んで、ホウキに「二人乗り」して帰って行ってしまいます。
 古いホウキが後に残されているのを見ても、ミンナ・ショウは驚きません。もう魔力が
残っていないと思ったからです。けれども、そのホウキには、まだ魔力が残っていたようなのです‥。


 オールズバーグのほかの絵本と、この『魔法のホウキ』が違う点は、セピア一色で描かれて
いるところと、主人公が女性のところ(他の絵本では主人公はみな男性or男の子ですよね?)。
 その両方が、実にストーリーを引き立てている、というか、その二つなしには、この絵本は
成り立ちません。

 ミンナ・ショウが、魔法のホウキを守るために使った「知恵」という名のマジック、とっても
見事なんです。

 私も、何かの時に、とっておきのマジックが使えるよう、日頃から頭を柔らかくして
おかなければ、と思います。

 
 柔らかいあたまと柔らかい‥やさしい‥こころ。
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カテゴリー名の変更について

2006-10-16 15:57:17 | このblogについて

 日頃、「読み聞かせ」という言葉は、どんなもんだろうと思っていました。

 たしかに、お話(絵本)を読んで、目の前に居る子どもたちに聞かせるのだから、「読み・聞かせ」でいいんじゃない、と言われると、ああそうですねと言うしかないなという感じでしたが。
 聞いてもらっているのに、「聞かせる」(もっと言えば)「聞かせてやってる」といったニュアンスをどうしても、この言葉から拭いきることができませんでした。

 そんな折、blog『マトリョーシカな日々』のkayoさんから、コメント欄を通じて、こんなおはなしを聞くことができました。以下太字がkayoさんの書いてくれたことです。


 私の絵本仲間の間では、「開き読み」と言っています。絵本作家の川端誠さんが自作を読まれる時に使ってらっしゃる言い方です。自分の作品を聞いてもらうのに、「読み聞かせる」なんて偉そうなことは言えない。開いて読むから「開き読み」。開いた世界の中を読む人と聞く人が一緒に共有できる・・・素敵な言葉だな~と思い、そのまま使わせてもらっています。


     開き読み

 なるほど~。こういう言い方もあるのですね。
 開いた絵本の世界を、読み手も聞き手も一緒に共有する‥こうでなくちゃ、と思います。


 なので、自分で作っていた「読み聞かせ」というカテゴリーは廃止し、新たに作った「開き読み」の中へ引越しさせることにしました。



 kayoさんは、絵本作家たかてらかよさんでもあるのです。
 以下はかよさんの作品(絵は、さこももみさん)の中の2冊です。
一緒に楽しむ小さい子が近くに居ないので、手に取る機会も紹介もできなくって。でも下の2冊は書店で娘と一緒に読んできました。(買わなくってごめんね)

こんなときってなんていう?―ともだちできたよ『こんなときってなんていう?ーともだちできたよ』

こんなときってなんていう?―あいにいくよ
『こんなときってなんていう?-あいにいくよ』
 

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名前のない人

2006-10-13 17:27:49 | ひらきよみ(読み聞かせ)

 今日は、6年生のクラスで、読み聞かせがありました。

 日頃からと思っている「読み・聞かせ」という言葉。6年生だと、さらに違和感が増していくような気がしますが、現状ではその言葉を使うしかないので、しかたありません。
 自分の気持ちの中では(いつもそうですが)、おはなしを一緒に楽しむ・共有するといった感じがしていて‥。で、たまたま読み手に私がなっているだけ、みたいな感覚に近いでしょうか。
 


 前置きはこれぐらいにして、今日読んだ本を紹介します。

   
名前のない人(河出書房新社)
    『名前のない人』
   C・V・オールズバーグ 作
     村上春樹 訳 

 原題は「The Stranger」
 オールズバーグの作品は、作者がその人だと知っただけで、とっても気になります。

 どこかのクラスで読もうとか、娘に読んであげようとか思うよりも前に、このタイトルにとっても惹かれ、自分自身の楽しみのために、図書館で借りてきました。(絵本カレンダーの9月のところに載っていたのです)

 
 
 とても不思議なお話でした。

 オールズバーグ的世界に、たっぷりと浸ることができました。

 自分ひとりで楽しんだ後で、11歳か12歳の子たちは、どんなことを思うかな。「名前のない人」とベイリーさん一家に呼ばれていた、表紙の男の人の存在を、何と位置付けるだろうと思い、ちょうど予定に入っていた6年生で読んでみることにしたのです。


 夏が秋へと変わっていく頃ーお百姓のベイリー
さんは一年の中でもそういう季節が好きだった。
彼は車のハンドルを握りながら口笛を吹いていた。涼し
いそよ風がさっと頬をなでて、窓の外に吹きすぎていっ
た。ちょうどそのとき「どすん」という大きな音がした。
ベイリーさんはあわててブレーキを踏んだ。「こりゃ大
変だ、鹿をはねちまったぞ!」と彼は思った。


こんなふうにベイリー家にやってきた男は、一体なにものなのでしょう。

 ざらっとした不思議な皮の服を着ていて。
 ベイリーさんが何か尋ねても、何を言われているのか全然わからず。
 お医者のはかった体温計の水銀は上がらない。
 温かいスープから立ちのぼる湯気を見て、びっくり。
 兎は逃げずに、ぴょんぴょん跳んで男のほうへやってくる。
 そして、
 干し草集めを手伝っても疲れを感じず、汗さえかかない。

 
 彼は、ほんとに人間なのかなあ。
 人間の姿をしている、森からやってきた動物なのかも。
 それとも‥。



 
 この本は、見開きの左半分が文章で、右半分が絵という構成になっています。
 本の大きさからいっても、テキストと絵のバランスから見ても、「絵本」にちがいないのだけれど、いつ頃、どの年齢で?と考えていくと、出会う機会に恵まれにくい本(絵本)なのでは、と思ってしまいました。(クラスで読む前に聞いた時、知っている子は誰もいなかったのです)

 内容を理解し、不思議さを分かちあえる年になる頃には、あまり絵本を手にしなくなっているし。親が選んで、読んであげる年頃の時にはすこし難しい。自分から手に取り、読んでと言う子どもも中には居ると思いますが、少数派かな。そうなると、これは、大人のための(私が自分の楽しみのために選んできたように)絵本だということになってしまう。でも、それではやっぱり、もったいない。

 ん~、じゃあ、いつ頃読んだらいいのでしょうね‥。

 私の中の結論は、クリスマスシーズンに『急行「北極号」』を読んであげて、(あるいはさりげなく部屋に置いておき) 「同じ人が書いた、不思議なお話だよ、この本も」と声をかける、という作戦です。どうかしら。





   

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はらぺこあおむしとの出会い

2006-10-12 15:47:42 | 思い出の絵本

 今日も素晴らしい青空が広がっています。良い天気の下に居るだけで、なんだか誰かに誉められているような気がしてきます。

 さて。

 すこし前に、miyacoさんのお店『THE HI-IAY ISLANDS Book Store』 にこの本が並びました。

  はらぺこあおむし
  『はらぺこあおむし』
   エリック・カール 作
    もりひさし 訳

 その紹介を読んでいたら、私たち家族が、初めてこの本に出会った時のことが鮮明に思い出されてきて、コメント欄に書くには長くなりそうだったので(笑)、これぞ「思い出の絵本」のカテゴリーに相応しいと思い、自分でも書き残しておくことにしました。(miyacoさんの記事はから)

 
 それは、1998年の6月で、娘が1歳10ヶ月の時でした。とてもはっきり覚えている理由は、それが娘を連れての初めての海外旅行先での事だったから。ニューヨークに居る友だちの家に(正確には夫の友だちで、私から見ると大学の先輩)、10日間程お世話になった時のことでした。
 その友だちは、1986年くらいに渡米し、現地で知り合った日本人女性と結婚して、めでたくグリーンカードと、お子様2人と、マンハッタンのダウンタウンにアパートメントを借りていたのでした。奥様とお子たちは、ちょうど日本に帰国していて入れ違いになってしまったのですが、そのおかげで、とても伸び伸びリビングルームなどを使わせて頂き、その家のおもちゃで遊ばせてもらい、そして、そこの本棚に『はらぺこおむし』があったのです。

 帰国する人から子どもの本を譲ってもらっている、と聞いてはいたのですが、2人の子どものための本棚は、立派なものでした。英語を話せるようになるのも大切だけど、きちんとした日本語を教えて行くことも大切であり、大変なことだなと、その本棚を見て思ったのを覚えています。

 だから、原書版ではなく、日本語訳の『はらぺこあおむし』があったわけですが、2人の子の“ダディ”になったその友だち(先輩)は、すっと本棚からこの本を抜いてきて、娘rに手渡してくれました。

 あ~まだ早いと思いますよ。

 私がそう言うのを、1秒半躊躇している間に、rは絵本を開いていて、私の顔を見上げました。乞われれば、もちろん読みます。

 『こどものとも0.1.2』の3倍は長そうなおはなしを、最後まで聞いていてくれるかな?

 他者が見ているだけに(笑)、なんか自分が祈るような気持ちになってきたのは思い出せるのに、肝心のrの「最初の反応」は思い出すことができません。ちょっと残念。

 
 旅行後、もちろんすぐに『はらぺこあおむし』を買いに行きました。友だち宅にあったのがどういう大きさだったのか、覚えていないのですが、私は「ボードブック」を選びました。小さいので持ち運びに便利だし、例の穴に、何度指を入れても破れることがありませんから。
 
 そうそう、あおむしのことは「ニャッキ」って、長いこと呼んでましたねえ。もうあのアニメやってないのかな。


 その後、娘が保育所の年少組になった時のことですが。
 『はらぺこあおむし』の歌、というものが存在しているのを知りました。だいぶ前、『ぐりとぐらのいちねんかん』の時に書いた「ますみせんせい」が、家からそのCDを持ってきて教えてくれていました。他に何冊もエリック・カールの絵本があったので、CDとセットで、歌もいろいろあったのかもしれません。
 もっとよく見て、話を聞いておけばよかった、と今になって思っています。

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届いた手帳

2006-10-11 14:41:06 | 日々のこと
 お知らせメールの通り、10月10日に発送された手帳が、午前中に届きました。

 今までに何度か、 「ほぼ日手帳」のことを書いたので、ちゃんと届いたことも報告した方がいいかなあ、誰か気にしてくれている人居るかなあ(笑)、と思いながら書いています。




 袋を開けたら、こんな箱が入ってて。




 蓋を開けると、中にはこんなメッセージ。




 そして、いよいよ実物とご対面。



 
 こんなに「入れ込んで」手帳を買ったの、初めてです。
 あ。手帳という名前のついた本を買ったようなものですね、どちらかと言うと。ほぼ日の概念みたいなものが詰まっていますから。

 まず買おうかどうか悩んで、注文するとなったらどのカバーを選ぼうか半日考えて‥。それなのに、現物を見て、写真を撮ったあとはタンスの中にとりあえずしまっちゃいました。だって、まだ10月が始まったばかりですから。

 やってくる新しい年に思いを馳せるよりも、やってきたばかりの10月を、深まっていく秋を、楽しまなければなりません。

(ん~ DEEP REDにしてよかったかも。思っていたような赤でした)
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10月の「みんなのうた」

2006-10-11 11:28:37 | 好きなもの・音楽や本

 月~木の夕方は、(娘が)毎日「天才てれびくんMAX」を観ていて、その後に18時55分から「みんなのうた」が始まります。
 大抵はそこでチャンネル変えるか、(録画で観ていることが多いので)停止ボタンを押してしまうのですが、昨日はそうする前に、手が止まりました。

 
 『ぼくはくま』 

10月から登場した新しい歌‥ん? 作詞・作曲・歌・宇多田ヒカル。
UTADAが作った「みんなのうた」なら、ぜひ一度は聞かなければ。



♪ぼくはくま くま くま くま♪  
♪車じゃないよ くま くま くま♪

                  
♪ぼくはくま ライバルは海老フライ
♪ゼンセは きっと チョコレート♪



 え 今なんて言った???
聴いていた家族3人、顔を見合わせました。
「エビフライって言ったよね」
「前世がなんとかって、言わなかった?」

 
エビフライをライバルだと思っていて、前世がチョコレートな 
くまって一体‥

アニメーションもすごく


 

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ミラクルバナナ・プロジェクト

2006-10-10 17:55:13 | 想うこと

 最初に目にしたのは、新聞の広告面。 『ミラクルバナナ』というタイトルの映画の宣伝でした。

 「バナナの皮から紙を作る」をメインテーマに、主役の日本人の女の子と、現地でその作業に携わった人たちとの交流を描いた映画だということが、その新聞広告からわかりました。

 その後、HPを探して読み、この映画の元になったものは、1冊の絵本だったことを知りました。脚本・監督の錦織良成さんという方が、ある日書店で、バナナの皮でできた絵本を見つけたことから、すべては始まったのだそうです。


  ミラクルバナナ
  『ミラクルバナナ 』
ジョルジュ・キャストラ  ロドニィ・サン・エロワ 作
    ルイジアーヌ・サン・フルラン 絵
        加古里子 文


 映画の広告、ホームページ。なんとなく気になったまま時間がたち‥。私も、偶然図書館で、その絵本を見つけ手にとることができました。

 バナナの皮からできているという紙は、しっかりしていて、ぱりっとしていて‥厚手のパラフィン紙のようでもあり、一度濡れて乾かしたレポート用紙みたいでもあり‥というのが私の印象です。インクの色もきれいで、普通に作られた紙と比べてもどこにも遜色はないと思います。

 
 なぜ、バナナの皮から紙を作ろうと思ったのか。
 誰が、そのプロジェクトを始めたのか。
 映画は、そのあたりをどのように「ドラマ化」して見せ場を作っているのか。

 とても興味深い内容です。

 本の一番最後には 日本のODA(草の根無償資金協力)によりハイチ大学で実施したバナナ紙製造セミナーがきっかけとなりました。と書いてありました。プロジェクトリーダーである森島紘史さん(名古屋市立大学芸術工学部教授)は、絵本のあとがきでこんなふうに書いています。 (あとがきより一部抜粋)

 もし、バナナの木から
 紙ができたら、そのぶん、
 森の木を切らなくて
 すみます。
 森にすむ虫や動物たちも、
 きっと、よろこぶでしょう。

 南の島にある、ハイチという国では
 文字をよめない人が、
 はんぶんいじょうもいます。
 バナナの木から、紙が
 つくれるようになれば、
 それが、しごとになります。
 子どもたちは、きょうかしょや
 ノートをつかって、
 べんきょうができます。

 
 
 
 さて。

 ここまでは、どちらかというと話したいことの「きっかけ」の部分でした。前回書いた、ずっと気になっていた「遠い所」の話がここに繋がってくるのです。

 もしも、ハイチが『ミラクルバナナ』の舞台になっていなかったら、私はきっと『ミラクルバナナ』の映画の広告を見つけたりできなかったでしょう。ハイチという国が、ずっとずっと気になっている、私の「遠い所」なのです。

 ハイチはカリブ海に浮かぶ島国で、ドミニカ共和国とひとつの島を分け合っています。近くにはキューバがあり、ジャマイカがあります。
 キューバやドミニカ出身のメジャーリーガーが居ても、ハイチ出身の野球選手っているのでしょうか。ジャマイカはレゲエの神様の出身地であり、そのメッカとして世界的に有名です。キューバも独自のキューバ音楽で知られています。もちろんハイチにだって、ハイチ独特の音楽(たぶんメレンゲだと思うのですが)があるのですが、それを求めてハイチへ旅をしようとする人はまずいないと思います。
 ハイチだけががくんと貧しく、ハイチだけが、どこからも取り残されてしまっているといっても、言いすぎにはならないと思うのですが‥。

 ある時、夜中にハイチについてのドキュメンタリー番組を見ました。
 何年かに渡って取材を重ねているようで、ストリートチルドレンだった双子の男の子が、青年へと成長していく姿を通して、ハイチの情勢や市民の生活を伝えるといった番組構成だったと思います。

 家のような建物と、そこらじゅうに溢れているごみの山(公共で担うべき作業がまともに機能しなくなっているのです)、そして、やんなっちゃうくらい青い空が今でも映像として、印象に残っています。

 双子は大きくなると分かれて生活するようになり、一人は家庭を持ち仕事を見つけ、もう一人はひとり暮らしで、仕事もなくしてしまいます。
 
 家庭がある方の男は、奥さんと赤ちゃんと、奥さんの母親と兄の5人でとても小さな家に暮らしています。稼いでくるのは、その男だけ。あとの大人には仕事がないのです。その男の仕事は、洗車屋さん。空港から出てくる車(空港へ行くのはお金持ちだけ)を路上で待っていて、近くのどぶからバケツで水を汲んできて、ばしゃばしゃと、ただばしゃばしゃとお金持ちの車を洗うのです。そして、お金を貰います。
 家では、みんなが男の帰りを待っています。その日に食べるものも、本当に買うことができないのです。
 ある日、男はおみやげを持って家に帰ります。赤ちゃん用の蚊帳。ハイチでは蚊に刺されて、命を落とすことだってあるのです。

 一方、双子のもうひとりは仕事がありません。たしか、何かの事故に遭い、それで仕事を失ったと説明があったような‥。日課は、体力を回復するように部屋の中で運動すること。そして身支度を整え、仲間がやっている屋台を手伝いにいくこと。もしも、残りがでれば、貰って食べることができるから。

 そんな日常におこった変化を、番組は伝えていました。

 ハイチ独立何十周年とかで、街の様子が変わってきたのです。メインストリートにはモニュメントが建てられ、海外で暮らしていた人たちも続々と里帰りをします。
 すると、空港近くの道路は、外から勝手に入ることができないように柵でしきられてしまい、洗車屋さんは廃業を余儀なくされます。家庭がある男は、腐ることもなく、潔くただの物乞いを始めます。(しかたなくやっているのだとわかっていますが、彼の行動はてきぱきしていて潔しと映ったのです)

 もうひとりの男は、建設中のモニュメントを毎日、毎日見に出かけます。建設現場の中で工事に携わっている人より、その男のように見物に来ている人のなんと多いこと。何が出来上がるのかより、仕事にありつけたラッキーな人を、見に来ているのかもしれません。

 そんな中、双子のひとりのその男が言うのです。
「なんか、ここには素敵なものが建ち始めているんだよ。オレは、字も書けないし、本も読めないから、よくわからないけど、それでもここにできあがりつつあるものが、なんか素敵だってことはわかる」

 その建造物は、エッフェル塔の縮小版なのです。3階建ての家くらいの高さに見えましたが、あるいはもっと高かったかもしれません。

 そうか、毎日毎日ここへ来ているこの人たちは、エッフェル塔を知らないんだ。

 とてもショックを覚えました。頭の中で整理して、いろいろ理屈で説明できるようになるまでに、白い空間が心の中にできた気がしました。
 知っている、と知らない、の間には、埋めることのできない大きな大きな溝があるのがよくわかりました。と同時に、その彼はこうも言っていました 「なんだか素敵なもの」

 優れた芸術作品は、心に直接訴えかけてくるのだということを、私が教えてもらった瞬間でもありました。


 赤ちゃんへのおみやげの蚊帳。
 ミニチュア版エッフェル塔。

 遠い遠いハイチという国は、この2つの事柄で私と繋がっています。


 小指に刺さったトゲのように、ちくりとした想いを、ここへ書いてしまうことができてよかったです。
 バナナ・ペーパー・プロジェクトによって、ひとりでも多くの人が仕事を持つことができ、ひとりでも多くの子どもたちの手に本が渡ることを願いつつ。


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「今日のダーリン」のいいことば

2006-10-06 11:55:58 | 日々のこと

 今日は朝から(というより昨日の夜から)、ざあざあ、ひゅうひゅう雨が降っています。冷たい雨です。

 9月になって、迷ったあげく‥それでもいそいそと‥例の手帳をオーダーしてからというもの、毎日毎日「ほぼ日手帳CLUB」のページを開いています。
 申込み初日の人気ランキングが出ていたので、他の人はどれを選んだのかなあと気になって見ていたのですが、次に、「手帳カバーわたしの決め手」っていうのも載っていたし、「私はこんな使い方をしています」があると、それも読んでみたくなるし‥。一日の始まりは「ほぼ日」にまず寄ってから、がここ1ヶ月の習慣になっています。
 これもみごとに術中にはまっているってことですよね。

 さて、本日のほぼ日の「今日のダーリン」のコーナーにとってもいいことが書いてありました。

 
 「文学は実学」

人間の生きる「実(じつ)」の部分に、
文学は関係ないように思われているけれど、
それはちがうんだ、ということが書いてあったのでした。
ぼくなりに思い出して、ぼくなりにまとめると、
「想像力っていうのは、実用の力だ」ということが、
荒川洋治さんの考えの基本にあると思ったんです。
相手の気持ちを思いやることも、
とんでもない悪いことをした人のこころに
自分のこころを重ねてみることも、
無縁と思われた人の弱さや悲しみに気付くことも、
それは、生きていくという「実(じつ)」のための
必要な力じゃないか、というふうに、ぼくは読みました。

 
 すごくいい!と思ったので、ここに一部分を転記してしまいましたが、この前後にも、いいことが書いてあったので、ぜひ「ほぼ日」のHPへとんで、その全文を読んでください。
(追記 「今日のダーリン」すぐに更新されてしまうということが、書いた後にわかりました。デリバリー版10月9日発行 第1186号に、その後掲載されてるのを確認したのでそちらへとんで下さい)

 
 
 私は、役に立っても立たなくても、文学というか、本を読んだり書いたりすることを(実際の仕事になっても成り得なくても)、自分自身の中心に据えて行こうと、22歳の時に決めたので、文学だって、生きる実の部分に大きくかかわっているのだと言われると、自分そのものを肯定されたようで、じんわり嬉しいのでした。

 「想像力っていうのは、実用の力だ」というこの言葉も、素晴らしいと思います。

 あまりにも、あまりにも、想像力が欠如している人が多いから、自殺した子どもの遺書を、手紙だと言い張ったり、今頃になって、ぞろぞろ頭下げに行ったりしてしまうのだろうなあ。あるいは、歩道もない道路を歩かせて、公園へ保育園児を連れていこうとしていた保育園側が悪い、みたいな物言いをしてしまう人はなんなんでしょ。

 遠い所で行われているいろんな名前のついた殺し合い‥。一個人の力で、どうにかなるような類のものではないけれど、そこの場所に居て、生活している人たちの気持ちを、思いやってみることはできるはず‥。それが何になるのかと問われれば、説明なんてできなかったけれど、想像してみることの大切さは
、忘れてしまってはいけないことなのだ、と勇気づけられた気持ちになりました。

 次の回では、ずっと気になっていたそんな「遠い所」のことを、書いてみようと思います。

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おひさしぶりのやのあきこ

2006-10-02 15:45:44 | 好きなもの・音楽や本
 先週末は買ったばかりのこのCDを、ずっとずっと聴いていました。

 『はじめてのやのあきこ』

 矢野顕子さんの歌とピアノが存分に楽しめるばかりでなく、小田和正・井上陽水・忌野清志郎・YUKIなど、豪華な方々をゲストに迎えた、コラボレーションアルバムになっています。


 
 なぜ、突然に今、“矢野顕子”なのでしょう‥?

 それは、9月23日に遡るのですが。
 娘のピアノの先生のライヴがその日行われ、家族で聴きにいったのでした。その先生は、家でピアノ教室を開いている「ピアノの先生」の顔のほかに、シンガーソングライターとしてのお顔も持っていて‥2年ごとにライヴコンサートを開くと決めてから、今年が2回目の演奏会でした。

 曲は全曲自作で、ピアノとボーカルを担当し、バックにはバンドがついています。(後から聞いたら、先生のご主人のバンドだということでした)

 曲と曲の間で、こんな話しをしていました。
「私にとって音楽はずっとずっと特別なものでした。小さい頃からクラシックピアノをやってきて、大学生になった頃から、いろんなジャンルの音楽も聴くようになってきて‥。そして、矢野顕子さんの音楽に出会い、あんなふうにピアノを弾き、あんなふうに歌えたら、と思いながら、自分でも曲を作るようになりました。今とっても気に入って、毎日毎日聴いているのは、『ひとつだけ』という曲で、忌野清志郎さんが一緒に歌っているのがあるのですが、すっごくいいんです、その曲‥」

 (先生の、というか彼女の、と言い換えさせて頂きます。娘にとってはピアノの先生ですが、私から見ると、ひとりのとっても素敵な女性なので


 歌を聴いて、話を聞いて、私は彼女の「素直な情熱」をひしひしと感じていました。

 自分の好きなもの、好きだと信じている事を、みんなの前で大きな声で「好きだ」と言える素直さ、「好きだ」と言わずにはいられない情熱。そのまっすぐさに打たれました。そこには、ピアノの先生でも、ひとり息子の母親でもなく、音楽を愛するひとりの女性が居て、私はその女性=彼女をただただ見つめ続けました。幸せそうに、心地よさそうに歌うその姿は、とても艶っぽかったなあ。


 矢野顕子さんの曲。
 ずっとずっと前、高校生だった頃よく聴いたことを思い出し、『ごはんができたよ』を思い出し、『また会おね』を思い出すことができたのに、『ひとつだけ』がどうしても思い出せず。
 試聴できるサイトを探して、曲を思い出すことができたら、次は、その全部が聴いてみたくてしかたなくなり‥そうして、新しいCDを買ったのでした。

 矢野顕子さんはそんなに‥という方も、なんとなく聴いたことあったけど‥という方も、このCDはとってもお薦めです。なんたって『はじめてのやのあきこ』というぐらいですから。
 全曲、ピアノ演奏のみで、それがまたとても美しく、変わったばかりの季節にぴったりなのでした。


♪『ひとつだけ』の中のこんな歌詞

 けれども今気がついたこと
 とっても大切なこと
 一番楽しいことは
 あなたの口から あなたの夢 きくこと


♪『ごはんができたよ』のこんな箇所

 淋しかったんだ きょうも
 悲しかったのさ きょうも
 ちょっぴり 笑ったけど
 それが何になるのさ

 義なる者の上にも
 不義なる者の上にも
 静かに夜は来る みんなの上に来る
 いい人の上にも
 悪い人の上にも
 静かに夜は来る みんなの上に来る


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