文字を覚え、自分の力で、それを読めるようになったとき、
ただの四角や棒線に見えていたものに、意味があるのだとわかり、
驚きました。
口 という文字と、川 という文字でした。
いつも通っている道にある、大きな看板に書かれていたのですが、
ある日、突然「読める」ようになってから、まわりの風景が違ってみえ始めた
ような気がしました。
本に出会ったのは、たぶんその頃よりももっともっと小さかったと思いますが、
私が娘に読んで聞かせたようには、残念ながら、絵本に親しんでこなかったので、
幼い自分がどれくらい、本に愛着を感じていたかはわかりません。
でも、きっと、文字を知り、それを覚え、自分の力で本を読むことを覚えた
私の喜びは、そのときには意識はしていなくとも、それはそれは大きかった
のだろうと思います。だからこそ、今の私は本を、こんなにも愛しています。
アーシュラ・K・ル=グウィンの「新しい」三部作、西のはての年代記 に
惹かれるのも、同じ理由からなのかなと思っています。
Ⅰの『ギフト』の<高地>は、文字を持たない人たちの土地でした。
そこへ<低地>から略奪婚のような形で連れてこられたオレックの母は、
息子のために自分の知っている限りのものがたりを語って聞かせ、
布を綴じ、本を作りました。
読み終えたばかりの、 Ⅱ『ヴォイス』は、<高地>からはるか南にある
アンサル国の首都アンサル市が舞台になっています。
アンサルは、学問や芸術の盛んな都市でしたが、オルド人に侵略され
街は破壊され、書物を持つことを禁止されました。書き文字は邪悪なものと
オルド人は考えていたからです。
『ヴォイス』の主人公は、17歳の少女、メマーです。
彼女は生まれたときから、本のない世界に住んでいましたが、
本の存在を知らなかったわけではありません。
ある日、アンサルの市場で、メマーは、詩を朗読するオレックと
ハーフライオンを連れたグライに出会います。
その出会いが、メマーのその後の生き方を変え、アンサルの人たち
運命をも変えていくことになるのですが‥
オレックとグライは、 『ギフト』から20年たった夫婦として描かれています。
新しい舞台アンサルの様子や、生き生きとした17歳のメマーに夢中に
なりながらも、私は、あの若かった『ギフト』の頃のふたりが、20年の月日を
ともに過し、西のはての国々を訪ね歩いてきたその時間に、気持ちの多くを
寄せました。
ものがたりを語り、文字として残し、本となったものを後の人たちが読むー。
それを、あたりまえのことに思える世界に生きていることを、しあわせだなと
思う気持ちを忘れないようにしたいです。
『ヴォイス』
アーシュラ・K・ル=グウィン 作
谷垣暁美 訳
上に書いたことと、直接の関係はないのですが、本文の中にこんな記述が
ありました。(すこし長いのですが抜き出してみます)
男は女に比べると、人間を生身の肉体をもつ命としてではなく、
数としてー頭の中の戦場で思いのままに動かす、頭の中の
おもちゃとしてーとらえがちなのではないだろうか。この非肉体化によって、
男たちは快感を感じ、興奮し、行動したいから行動するということを
何とも思わなくなる。その場合、愛国心とか名誉とか自由とかいうのは、
神に対して、そのゲームの中で苦しみ、殺し、死ぬ人々に対して
言い訳するために、その快感に与える美名に過ぎない。こうして、
そういう言葉ー愛、名誉、自由ーは、ほんとうの意味を失い、価値が下落する。
すると人々はそれらの言葉を無意味だと見下すようになり、詩人たちは、
それらの言葉に真実の意味を取り返してやるために、奮闘しなくては
ならない。
ル=グウィンさんは、ご家族で、アメリカのオレゴン州に住んでいるそうですが、
自国への憂いと怒りをもった「詩人」の代弁に、私には思えました。