音楽の喜び フルートとともに

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愛するということ

2008-11-04 01:38:34 | 哲学

連休が終わりました。先週の土日に続いて、今週も土日はSTEPセミナーに参加。9時~18時まで缶詰。2日間は終わってから9時まではCAPの練習。帰って楽譜の作成。その楽譜を持って、今日は、朝からヘルマンハープとフルートの練習。「よく勉強したね。」と自分を褒めたい気分です。

STEPはアドラー心理学を元に考えられた民主的な子育てのためのプログラムです。これに初めて参加したのは10年前、10章のプログラムはフロムのいう「愛するということ」の具体的なレッスンです。

何度も読み返している本。
「愛するということ」の中で、エーリッヒ・フロムは、花を愛しているといいながら、水をやらないでいると、花枯れてしまう。これで愛しているなど誰も信じない。愛するということは、「配慮、責任、尊敬、知識」が必要な要素なのだ。

愛は愛するものの生命と成長に積極的に関係すること。何かのために「働き」「何かを育てること」それは「配慮」と「尊敬」を含んでいる。

「責任」とは外から課せられたものではなく、自発的行為。相手の精神的な欲求に応える(応答する)準備ができている。親ならば子どもの身体的欲求への注意のようなこと。

「尊敬」は人をあるがままに見、その個性を知る能力。相手がその人自身としてありのままに成長し、発達すべきであると言う関心を意味している。

「知識」とは、私が私自身の関心を超越し、他の人を彼自らの価値においてみることができるときのみ可能となる。

つまり、愛するには、配慮と観察、受容能力、知識が必要で、レッスンが必要だと、フロムはいっているのだと私は思います。

何かを教えたり、伝えたりする職業は、何も教職だけではありません。子育てもそうですが、仕事でも、後輩を持ったり、育てたりすることなど、誰でも結構経験があります。それは、すべて「愛する」場であるのだと思います。それは伝統的に考えられたきた「愛」と言うものではなく、フロムの言うような「愛」のことです。「愛する」ということなしに、教育したり、伝えたりすることは、ほとんど不可能なのだと読んでいて思いました。

どうしたら、子ども達を、怒鳴ったり、怒ったりせずに、信頼と尊敬をもってしつけ、教育することができるのか?それは、とても簡単なことですが、難しいことでもあります。時間がかかるし、私自身が逆に問われることになるからです。子どもの信頼に値する態度や、対応をとれているかどうか?

また、社会や、家庭で子ども達は、全く違った対応を受けていることもあります。多くあります。
先日も子ども達から、「先生は怒ったらいいのに。」「先生、あんな子、一発殴っといたら、言うこと聞くのに」と言われました。現場は大変です。

「先生は、殴らないの。殴られていい人はどこにもいないと思うわ。」

私は完璧じゃない。へたくそだし、子どもをちゃんと時間に座らせることもできない。でも、これからも勉強して、信頼と期待、尊敬を「愛」をあきらめない。絶対にあきらめない。そんなことを誓った3日間でした。