音楽の喜び フルートとともに

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2008-11-21 21:31:55 | Weblog

小学生の頃、シャーロック・ホームズにはまりました。それから、アルセーヌ・ルパン。
どちらも、図書館で借りて1週間。10回位読んでから返しました。返す時は、惜しくて仕方なかった。
うちの親は偏っていて、漫画と推理小説は買ってくれなかった。買ってくれたのは、図鑑と世界名作全集 
全24巻。これは悪くなくて、芥川、武者小路、モンゴメリ、神話、アンデルセン、スティーブンソンとあり、監修志賀直哉で、訳もよく。夢中になって読みました。「絵のない絵本」「宝島」はおもしろくて今も持っています。配本方式で、22巻までは来たけれど、後2巻で、業者がつぶれたらしく届かない。その2巻ハイジと海底万マイル、気になって、気になって。海底2万マイルは友達が貸してくれたけれど、ハイジはない。高校生になってから見つけて読みました。

中学に行くまでは本当に本を読みました。自分でも今思えば、びっくりするけれど、ドストエフスキーとかトルストイなんかも読んでいて、「カラマーゾフの兄弟」が再販され、流行っていると聞いて、幼馴染にあったようなうれしい気持ちになりました。アリョーシャ大好き!・・・なんてミーハーでした。
中学2年、勉強から、逃げているだけんじゃないか。と、父に言われて、ストップ。勉強しましたが、たいしたことは無かった。高校生になったら、読んでても一緒かと居直って、やっぱり読んでいました。その頃読んだのは、「指輪物語」「ナルニア国物語」そして、SF。アーサー・クラークや、星新一、フィリップ・K・ディック。この頃読んだものが続々と映画になって、おもしろい。同世代が力を持ったてことかな?

そして、その頃、ジャン・クリストフにはまって、音楽を目指すことになってしまいました。
ロマン・ロランの激情の筆致に、音楽の力や、音楽家ってすごい!と感動してしまったのでした。

漫画は禁止だった反動か、漫画研究会に入っていたのもこの頃。萩尾望都、竹宮恵子にはまり、宇宙戦艦ヤマトや、宮崎アニメの原点「太陽の王子ホルス」を仲間と上映したのもこの頃。一人で楽しんでいたことを、仲間と共有できると知ったのも時期でした。

本は売れなくなったと言われていますが、私は本が大好き。本の無い人生は考えられない。
頭がよくなるとか、試験に良い点を取れるからなんて考えたことも無い。本の世界はただただおもしろかった。今もそう。皆さんも読んでみませんか?


「涙」「怒り」「笑い」

2008-11-21 01:08:13 | 哲学

音楽や、演劇を演じること、あるいは、言葉で相手に伝えるということは、感情を味わい、コントロールすると言うことが必要になってきます。

人が使える感情表現は次の3つだけです。「怒り」と「涙」と、「笑い」
この3つの感情表現を誰でも使い分けています。
この3つを使いこなすのが人間。しかし私たちの伝統的な社会は、女性が「怒り」を持つことを、男性には「涙」を、社会は赦してきませんでした。

しかし、現実には、怒ったり、泣いたりする時はあるわけで、そんな時、女性は怒る代わりに、涙を流し、男は涙を流す代わりに怒ってきました。

人は自分の感情を「今、悲しい。」とか、「悔しい」と思ったなどと認識すると、悲しいけれど、今は笑っていようとか、コントロールすることができますが、本来の感情を味わい、認識することを、自分に赦していないと、とんでもない時に感情を暴発させてしまうことがあります。

たとえば、シューベルトのしぼめる花は悲しい曲ですが、泣いてしまっては演奏できない、
しかし、悲しみを胸に抱きながら、認識しながら、味わいながら、演奏することで、美が生まれ、社会の人々とその音楽を共有することができるようになります。

「怒り」の表現も「革命」のような曲をコントロールしない怒りのまま、演奏したら、胸が悪くなってみんな近づけなくなってしまいます。

「笑い」は社会とうまくやっていくには欠かせない表現ですが、それさえ、使う場面を間違えたら大変なことになってしまいます。

私たちは何かによって、感情を支配されるように考えがちですが、感情は常に自分自身で選ぶことができます。
そうでなければ、あんなに大勢の役者達がどうして、泣いたり、怒ったりできるのでしょう?
同じような境遇、同じような環境に生まれ育った人が、同じような幸福感では生きていません。
アウシュビッツにいても、「それでも人生にイエス」(ヴィクトール・フランクル)と言った人がいたのはなぜでしょう?
まず、私は自分の感情をしっかりと味わい、自分に赦すところから、はじめたいと思います。