音楽の喜び フルートとともに

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中国「孝」の精神

2008-11-06 22:52:41 | Weblog

我が家の紅葉第2号は、南天。imagesimagesこの枝だけ、色づいています。実のほうは、豊作。

昨夜、衛星放送で映画「北京ヴァイオリン」を13時からやっていて、思わず最後まで見てしまいました。3時・・・疲れた。公開されて何年かたちます。TV版は、BS2で週1で昨年放映されていて、全部見ました。

クラッシックを使った映画はヨーロッパが多いですが、中国の映画と言うところが珍しいです。今の、中国の人たちへのクラッシックや、西洋へのあこがれを感じました。

TV版は、父の人生が丹念に描かれた前半に力を感じたものの、後半、出生の秘密や、裁判、逃走など盛り込みすぎでテーマが見えなくなってしまったぁと思ったのですが、映画版はあくまで父と子の強い絆というテーマが貫かれていてわかりやすかったです。それにしても、結末は、TVと映画は真逆でびっくりしました。(明かすわけにはいきませんが)

曲も、TVはサラサーテのカルメン幻想曲が要所で使われていましたが、映画はチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト。オーケストラを使っていました。この辺が予算の関係でしょうか?サラサーテならピアノ一台でおさまります。それに映画は音楽が流れるところがたっぷり聴いた感がありましたが、TVはあっさり。ドラマの方に力点を置いていたみたいです。(TVドラマで長々、音楽を流したらチャンネルを変えられる?)
でも、映画は音楽が第3の主役のようで、音楽に偏っている私には満足感が高かったです。

中国は「孝」を大切にする国です。それは、経済大国になりつつある今も変わりないようです。
「孝と母性のメカニズム-中国母性の視座」下見隆雄 研文出版によると、昔は、「割股」と言って、親の病に己の肉をそいですすめる習慣があったそうです。もちろん子は落命する。これを美徳とされたそうです。魯迅は狂人日記でそういう風土を憂えて「書物いっぱいに「人を食う」という字が書いてあった。」と書いています。

この映画では、子どもに尽くす父親の姿が描かれていますが、最後に自分の成長より、父親をとってしまう子どもって…???中国も変りつつあるようですが、これを美徳と言いたくない私がいて。音楽はよかったけれど、最後に来て素直に酔えませんでした。コンクールと言う競争の世界よりも人間をとったと読み取れないこともないですが、私がひねくれているのかな?ちょっと最後まで酔えないところがありました。


共同の時代へ

2008-11-06 00:53:20 | 音楽

アイビーの実が青黒く変化し、imagesimagesimages紅葉がはじまりました。
まだ、先端の方だけ。今日は、少し寒い、夜になってストーブを入れました。季節は確実に変化しているようです。

アメリカで黒人の大統領が誕生しました。オバマさんの演説はまだ聴いていないけれど、マケインさんの敗戦演説をTVでみました。
「歴史的な日、230年前の人権宣言が本物になった素晴らしい日。彼を選んだアメリカ国民を誇りに思う。」と言うくだりには本当に感動しました。

アメリカで黒人がしめるのは13%。そう思うと、女性大統領の方が遅いのは、女性差別はそれだけ、根深く、見えにくく、女性は分断されているからだと思います。
それでも、人権から見ると、一歩進んだ。ということは、確か。アメリカの公民権運動も黒人が先だった。それから女性。良くも悪しくもアメリカが変ると、世界は変ると思います。

フルートの世界では、セシル・シャミナード(1857年~1944年)が経済的に自立した最初の女性作曲家といわれています。
先進国では法律や、男女の機会は均等になってきたといわれていますが、実際にはまだまだだと思います。女性の人口は半分なのに、女性がもっている世界の資産は10%。男性用に作られた、社会、経済、学問、言葉、仕事、音楽、なかなか、手ごわいです。

シャミナードは、たくさんの曲を残しました。「小組曲」(コンチェルティーノ)は、フルートの名曲の一つですが、その曲つくりは女性らしさよりも、男性の文脈を理解し、使いこなそうとしていると言う感じが私にはします。がんばって鼓舞する感じとでもいうような。その頃活躍していた作曲家が、どんどん、枠を壊し、性的にも放埓な曲を目指していていたのとは対極にあるような曲作りと言う感じがします。

それが1800年代に生まれた女性の限界だったのかもしれません。さて、150年ほどたった今、自由で、民主主義政権で、どれほど、女性作曲家が増えたでしょうか?楽器屋さんの楽譜棚にどれだけ女性がならんでいるでしょう?・・・やっぱり、10%も無いです。発言と表現においてまだ平等は実現していないと思います。それでも、今日世界が、対立の構図から、共同へと動くとマケインさんの演説から希望を感じた日でした。