ohshiさんが行けなくなったチケットをゆずってくれました。おかげで京都府民ホールアルティへ行ってきました。
お久しぶりの京都市営地下鉄電車大好きだった幼い息子が懐かしい。レゴブロックの電車で一日中遊んでいました。おかげで私もいろんな電車を覚えました。この線は色違いの駅の扉がおしゃれです。
演目は寺岡勝己さんの「チェンバロコンサート」16-18世紀のスペイン音楽とJ.S.バッハのシリーズⅢ
京都のお客様は年配の方が多く、じっくりと深く楽しまれているような気がします。文化の懐が深いという感じがして好きです。
チェンバロを久しぶりに聴いたら、今やっているヘルマンハープとの特徴の違いに目が行って仕方ありませんでした。チェンバロはハープと同じでペダルは無いですが、指を離したら音が消える様にできています。なので細かい動きでも音がにごりません。その代わり、早く指を離しすぎると、音が切れたように聴こえてそれが、効果的に使われたり、もうちょっと欲しいと思ったり。また、残響の無い和音を続けて移動して演奏すると、あまりにも短く同時に指をおろしすぎるせいで、「ボッ」とつまった音に聴こえます。それを効果的に使えば、太鼓のような表現になります。
ヘルマンハープは自分で消音しない限り音が残ります。長い残響のせいで和音がにごりがちで、早いパッセージはいつもウワアーンと音が残ってしまいます。しかしそれを効果的に使えば、ゆったりとメロディを歌わせることができます。
1685年生まれの3人の偉大な作曲家バッハ、ヘンデル、スカルラッティはほとんどの曲をチェンバロで作曲しています。特にスカルラッティはチェンバロのために555曲も書いたそうです。
まあ、すごい!・・・ヘルマンハープのためにももう少し曲が欲しいです。
プログラムは1557年の楽譜より、カルロス1世の宮廷音楽3つとカベソン(1510-1566)の5つの宮廷音楽。スカルラッティのソナタ3つとバッハの3曲。
カベソンはスペインのバッハと呼ばれているそうですが、当時はスペインの方が先進国。寺岡さんはバッハよりも高尚である。と書いておられました。高尚かどうかはともかく、装飾的で美しい曲でした。
スカルラッティは、ソナタK.491 Ddur K.492Ddur K.87Amoll
Ddur二つは、美しく、雅やかですが、野趣豊かというか、素朴で力強いところもあり、和歌で言うと「万葉集」っポイなぁと思っていたら、Amollは、本当に雅びで繊細。こっちは、もうちょっと時代が下るのかなぁと思って、プログラムをみると寺岡さんが新古今和歌集有名な花の色はうつりにけりな(小野小町)を引用されていてびっくり。気は通ずる。万葉集が古代なら、新古今はやっぱり日本の純宮廷音楽。
おもしろいなぁ。
バッハは、フルートとチェンバロの曲がたくさんあるけれど、実際にはピアノとフルートで演奏し、合奏する機会にはめぐまれません。が、こういう原点を知って演奏することって大切だなぁと改めておもいました。ソナタを吹くときに大きな音量でビブラートをかけたりして演奏したくなりますが、こんなに残響がない相手とは、それは無理。やっぱり奏法をかなり変えないといけないんだということを痛感しました。
最後に、トッカータとフーガをなんとチェンバロで演奏されましたが、パイプオルガンほどのダイナミズムの無い楽器で、よくここまでと思うほど多彩な表現をされていました。細かいフーガの部分などは、チェンバロの方が動きがでていいんじゃないかな?と思うほど。寺岡さんのチャレンジ精神の勝利でした。
本当におもしろかった。ohshlさん、ありがとうございました。何よりの癒しになりました