イタリア料理ではかぼちゃの花のつぼみをリゾットを入れて食べるそうですが、流通していなので、かぼちゃ畑を持ってないと食べられません。今日の夕食はかぼちゃのゆでたの。もちろん実の方
戦時中は芋の蔓まで食べた。と言う話をよく母がしてくれます。父は田舎の農家だったので、食糧事情は悪くなかったそうですが、母は大阪市内。持っている土地にサツマイモを植えてそれでしのいだそうです。
戦後もさんざんで、おはぎを頂いて喜んで食べたら,砂糖がなくて、塩でつくってあったとか、給食のスキムミルクを溶かしたのに、にんじんが入ったのが給食で出て、あまりに臭くて飢えていても、食欲が出なかったけれど、それでも鼻をつまんで飲んだとか。
経験は悲惨だけれど、にんじんをスキムミルクにいれようとか、おはぎに塩をいれようとか、芋の蔓を食べようとか、今の私達は思いつきもしない。
それが失敗か成功かはともかく、自分が普段、思いつかない発想にないことを、やってみるというのは、時々は必要かもしれない。
私の仕事仲間にこんな人がいます。私が彼女体を心配して「大変じゃない?かわろうか?」というと「私にやれないというの?!」と怒ってしまう。彼女は仕事が好きなので、私に良かれと「あれとこれやっといてね。」と私にいうと「わかった。」と言いながらそんなに一杯頼まれるのが負担な私は憂鬱。
この言葉を聴いて怒ったり憂鬱になるなんて、お互い発想にもない。二人とも自分が言って欲しい言葉、自分なら喜ぶだろうと思う言葉を相手のために掛け合っているだけなのに。それで、いつももめてしまう。
けれど、何度ももめているうちに、段々、ああ同じ言葉の解釈が、違うんだ。ということがわかってきて、それでももめてしまうけれど、時々はちがうパターンや言葉をかけあってうまくいったり。
こんなことが人生おもしろいってことなんだな。と時々思ったり