尾道の空と海の余韻をいだきながら、編曲に追われています。
予期せぬアクシデントで、11月に進めるはずだった仕事が、滞り、今つけを払っているところです。
1月のデュオの楽譜は、どうしても作らないと無いので、必死です。
2曲はなんとかやっつけました。
今週は、ドップラーのハンガリー田園幻想曲。
スコアメーカーに読み取らせてみると、えらいことになりました。
もともと、ハンガリーの民族音楽を、そのまま写したような曲。
例えていうなら、演歌のこぶしを楽譜に写すことを考えてみて下さい。
32分音符、64分音符、連符。
よく吹いてはいましたが、楽譜に認識してみると、こんなにひどいとは。
スコアメーカーは、8分の6と書いてあれば、1小節にそれ以上の音符が入ると青とか赤色で表示されます。
1stのところは半分以上、青と赤です。
64分音符とか、トリルが多すぎると、拍があっていても、認識ソフトでは、もう読み取れない。
それを修正するところからはじめ、なおしました。それでも、赤いところが残ってしまいます。
それは、トリルをちゃんと読み取らないことと、カデンツァ、それと、初めから小節に入る音がはみ出ている分!
フランツ ドップラーは、ウィーン宮廷歌劇場の首席フルーティストで、指揮者、そしてウィーン音楽院の教授を務め、流行りのオペラも何本か書いています。
学術の長でもありましたが、オーストリア帝国は、衰退の危機にあり、国境線は常に不安定で、1868年頃にはオーストリア ハンガリー帝国になります。
ドップラーは、おそらくはハンガリー人ではなかったかと思われますが、そのことは明らかにはせず、ドイツへの脅威は、小国の不安定な連合を続けていた頃、戒厳令が常にひかれ、用心深く生きることを強いられていたと推測されます。
その中で、多くの作曲家がたくさんのハンガリー風の曲を書き、流行らせています。
このたくさんの小節線に収まりきれない音符は、危うい小国の連合帝国を表しているような気がします。
おさまろうと、おさまりきれなくても、決定的な決別を避け、この連合を、指示することでドイツの支配を牽制し、戦いをさけていた時代です。
ウィーンに多国籍の人々が流れ込み、多様な文化が花開いた、その一つがドップラーのハンガリー田園幻想曲です。