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グラズノフの四季冬の情景

2022-02-21 21:58:16 | 近代
夕べ遅くから雪が降っていましたが、朝見ると積もっていました。
枚方市では今年初かも


わくわくして何枚も庭の写真を撮りました。

アレクサンドル グラズノフ(1899-1900年)

ロシア帝国サンクトペテルブルク生まれ、フランス共和国パリ没
父は富裕な出版事業者(プーシキンの『エフゲニー オネーギン』の版元)で13歳で作曲し、ロシア五人組の一人バラキレフが15歳のグラズノフの作品をリムスキー=コルサコフに紹介し、彼の個人教授が始まりました。

1884年になるとミトロファン ベリャーエフ(1836-1904年)

ロシア帝国サンクトペテルブルク生没
が賛美者となり、西欧旅行に連れ出されヴァイマルでフランツ リストに引き合わされ、交響曲第1番を上演してもらっています。
その後も、ベリャーエフに音楽ホールを借りきって管弦楽曲を上演するなど、支援を受けます。

国際的に名声を博し、1890年代には交響曲、二つの弦楽四重奏曲、バレエ音楽『ライモンダ』、『四季』を完成、ペテルブルグ音楽院の教授になり国際的な名声も高まりました。

指揮者とのしての活動もあり、教授としては苦学生たちの暮らしにまで心を配り、時には巨額な収入を分け与え、ソ連政府に掛け合い、ユダヤ人音楽家をかくまい育てました。
ショスタコーヴィチも彼の庇護を受けて育ちました。
1917年ソ連がボリシェヴィキ体制になると、政府と学生たちの軋轢に悩むようになり、
1928年、ウィーンのシューベルト没後100周年記念行事に出席すると、死ぬまで帰りませんでした。

ヨーロッパとアメリカ合衆国を巡り、パリに滞在しましたが、問われると亡命とは言わず、体調不良のせいだといいつづけたそうです。
1929年65歳で、10歳下のオリガ ニコライェヴナと結婚。連れ子のエレーナを養子にしました。

『四季』は1899年マリウス プティパの依頼で作曲しました。
1900年サンクトペテルブルクのエルミタージュ劇場で初演されました。
  1. 前奏曲
    1. 情景
    2. ヴァリアシオン:霜
    3. ヴァリアシオン:氷
    4. ヴァリアシオン:霰
    5. ヴァリアシオン:雪
    6. 終曲
    1. 情景
    2. バラの踊り
    3. 小鳥の踊り
    1. 情景
    2. 矢車菊とケシのワルツ
    3. 舟唄
    4. ヴァリアシオン:トウモロコシの精の踊り
    5. 終曲
    1. バッカナール
    2. 小さなアダージョ
    3. バッカスの礼賛
  2. アポテオーズ

冬の情景は本当に雪景色を思い起こさせます。