音楽の喜び フルートとともに

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ひな祭りの町

2022-02-14 22:30:36 | 近代
日野町に母を誘って行きました。

本当は日野駅に行きたかった夫。



私と母は車の中で待ってます。

ひな祭りをやっていて、

沿道のいつもは鉾を見るための小さな桟敷窓を解放 
そこには

そのお宅で大切に受け継いで来られたお雛様。









古い町屋で見るお雛様。
寒さも忘れて、三人で町屋から町屋へと覗き歩いてしまいました。
古い元禄雛もあって、興味深かったです。
日本の雛人形は、人形に厄を引き受けてもらって川にながした行事が始まりだと言われています。

クラシック音楽で探してみましたが、そういうものを見つけることができませんでした。

人形が出てくるバレエ音楽にはイーゴリ ストラヴィンスキー(1882-1971年)

ロシア帝国オラニエンバウム生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク没作曲のバレエ音楽「ペトルーシュカ」がありました。
ポーランド系貴族の家系でしたが、父親の頃には没落し、父親はマリンスキー劇場つきのバス歌手をしていました。

この父はストラヴィンスキーを官吏にしようとサンクトペテルブルク大学の法学部に入れました。

しかし本人はリムスキー=コルサコフに個人授業で学ぶなど作曲を初め、卒業時には父が亡くなったこともあって、作曲を初めます。
1906年エカテリーナ ノセンコと結婚。
1914年までにリュドミラ、テオドール、スリマ、ミレナの四人の子どもをもうけています。

バレエ音楽「ペトルーシュカ」は
バレエリュス(ロシアバレエ団)の創立者で芸術プロデューサーのセルゲイ ディアギレフ(1872-1929年)

にバレエ音楽を依頼されて作曲し、1911年初演されました。

1910年バレエ音楽「火の鳥」の成功の翌年でパリシャトレ座で初演「ペトルーシュカ」も成功。
翌年にはバレエ音楽「春の祭典」が上演され、賛否両論の怒号伴う初演になりましたが、すぐに人気が出ました。

ペトルーシュカはおがくずの詰まったわら人形

ペトルーシュカに扮したヴァーツラフ ニジンスキー初演時期
命の無い3体の人形。
ペトルーシュカ、バレリーナ、荒くれ者のムーア人が祭日の広場で踊ります。
そこに持ち主の魔術師がやって来て横笛を吹き魔術をかけて命を吹き込みます。

人間的な心を持ったペトルーシュカは、束縛する魔術師に怒りを抱き、バレリーナに恋をします。

バレリーナに告白するもふられます。
バレリーナはムーア人といちゃつき初めます。

ペトルーシュカがムーア人の部屋に入ると贅沢三昧の部屋で彼はくつろいでいます。
そんなムーア人に惹かれたバレリーナがやって来て二人は踊ります。

嫉妬にかられたペトルーシュカはムーア人に体当たりしますが、逆に追い立てられます。

お祭り騒ぎの市場に逃げてきたペトルーシュカは、ムーア人に追いつかれ、刃物で刺され殺されます。

凍りついた民衆に魔術師が現れて、ペトルーシュカの体をふっておがくずを出して民衆をなだめます。

夜になって、ぐにゃぐにゃのペトルーシュカの体を担いで去ろうとすると、ペトルーシュカの亡霊が現れ怒りのこもった雄叫びを上げます。

魔術師は怯えて逃げ出し、不安の表情を顔に浮かべたまま、謎を残したまま、終演になります。