淡路島に行ってきました。
トンネルをいくつもくぐって

明石海峡大橋を渡って

道の駅オアシスを横目に見て、
埠頭で
釣り。

鯛が何匹も釣れました。


に滞在。
ヴァイオリニストのイオシフ コテックが訪ねてきて、ラロの「スペイン交響曲」や「ヴァイオリン協奏曲」の楽譜をチャイコフスキーに見せます。

しかしあがり症のために断念しました。

トンネルをいくつもくぐって

明石海峡大橋を渡って

道の駅オアシスを横目に見て、

埠頭で

釣り。


鯛が何匹も釣れました。
ただし体調10cm以下ばかり、写真撮ってリリース。
まあ楽しかった。
3大ヴァイオリン協奏曲の最後の一曲は、チャイコフスキー ニ長調作品35…。と行きたいところですが、シベリウス ニ短調作品47という人もいて、どちらも言われています。
だったら3大はやめて4大協奏曲にしたらいいと思うのですが、やっぱり3大。
ピョートル イリイチ チャイコフスキー(1840-1893年)ロシア帝国ヴォトキンスク生まれ、ロシア帝国サンクトペテルブルク没

1877年メック夫人から年金を送られるようになり落ち着いて作曲できるようになります。
保養地のジュネーブ湖畔のクララン

に滞在。
そこからイタリアへ観光に出かけたりして創作意欲がわき、交響曲第4番や、エフゲニーオネーギンを作曲します。

イオシフ コテック(左)とチャイコフスキー(右)
ヴァイオリニストのイオシフ コテックが訪ねてきて、ラロの「スペイン交響曲」や「ヴァイオリン協奏曲」の楽譜をチャイコフスキーに見せます。
それを研究してチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」を作曲します。
1888年初演されますが、酷評されます。
しかし諦めない人が1人。
ヴァイオリニストのアドルフ ブロツキー。彼が何度も演奏会で取り上げ、徐々に人気がでます。
ジャン シベリウス(1865-1957年)
フィンランド大公国ハメ州ハメーンリンナ生まれ、フィンランド ウーシマー州ヤルヴェンパー没
フィンランド大公国ハメ州ハメーンリンナ生まれ、フィンランド ウーシマー州ヤルヴェンパー没

シベリウスは若い頃ヴァイオリニストになることを目指していました。
しかしあがり症のために断念しました。
この曲は1903年に完成しました。
1904年に初演されますが、不評でした。「美しい部分があるものの冗長である」とされました。
1905年、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴き、衝撃を受けます。
そしてこの作品を今ある形に改訂します。
シベリウスは改訂後の演奏を禁じますが、シベリウスの死後演奏されると人気が出ました。