音楽の喜び フルートとともに

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パン職人が守った街

2023-01-15 08:36:00 | 古典
昨日は京都の今出川の先生にモーツァルトのDdurのカルテットを見てもらいに行きました。
磨いとかないとね。

終わってから、先生に前に行った素敵な和菓子屋さんの話しをしていたら、「この近くには美味しいパン屋さんがたくさんあるんですよ。」
と、たくさん教えて下さいました。

帰りに早速そのうちの1つを見つけて入りました。

買って帰りました。

あっ!ちょっとドーナツのイチゴチョコレートコーティングが剥げちゃった。
鞄の中で水筒の下敷きになっていました。
でもさすが京都人は食にこだわりがあります。
どのパンもおいしかった。

特にエッグタルトはおいしかった!
先生に感謝。

8000~5000年前の、古代メソポタミアで小麦を水を混ぜてこねたものが食べられていたそうです。

古代エジプトへ伝わり、偶然パン種に空気中の酵母菌がついて発酵し、ふっくらしたパンができました。


2500年前の古代ギリシャに伝わり、オリーブオイルを使った揚げパンが作られるようになりました。

酵母を使ったブドウ液を使ったり、挽臼の発明。パン焼き窯が作られたりしました。

古代ローマに伝わり、白いパンを作るために馬のしっぽを使った粉ふるいも発明されました。

ポンペイで見つかったパン焼き竈 79年

かまどの中でで見つかったパン
中世ヨーロッパではあまりパン作りが発展しませんでした。それは一部のパン屋、教会、修道院、貴族しかパン作りは赦されなかったからです。

14世紀頃から庶民もパンが家で焼けるようになりました。

クロワッサンは17世紀、トルコと闘っていたオーストリアの地下工房で働いていたパン職人が、地下トンネルを掘ってオーストリアに侵攻しようとしていた音を聞きつけ通報。
トルコ軍を追い払うことができました。

第二次ウィーン包囲戦ヤン3世
大トルコ戦争(1683-1699年)の
勝利を記念し、トルコ国旗のマーク

を真似て三日月型のパンを焼いたのがクロワッサンの始まりです。

クロワッサンがフランスへ渡ったのは1770年オーストリア王女マリー アントワネットがルイ16世に嫁いだ時です。

CLデレ マリー・アントワネットとルイ16世の結婚式1770年
クロワッサン好きな彼女はオーストリアのパン職人をフランスへ連れて行ったのです。
(山崎製パン)

ウォルフガング アマデウス モーツァルト(1756-1791年)神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教国ザルツブルク生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没

ピアノソナタop11の三楽章はトルコ行進曲になっています。

作曲年代は特定されていませんが、モーツァルトがトルコ行進曲をつくったのは、この時のオーストリアにおけるトルコからの勝利による流行に乗ったものです。

ハイドンの交響曲100番 軍隊
ベートーヴェンのトルコ行進曲もそのブームの一部です。

モーツァルトのピアノソナタop11は
2014年自筆譜がハンガリーブダペストの国立セニーツェ図書館で発見されました。

第一楽章の第3変奏から第2楽章のトリオ10小節目で真筆だと認定されました。
初版のアルタリアとも相違があり、ヘンレ社が校訂版を出版。

後、第一楽章のはじめから第二変奏までと第二楽章11小節目から三楽章の89小節目が発見されていません。