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ウィーンの森の物語

2023-03-01 21:00:00 | ロマン派
日曜は近所の里山に、久しぶりに出かけました。
行く道の住宅街にも枝垂れ梅が満開。

曇っていて、寒いけれど


梅の花や
苔の緑。

ヨハン シュトラウス2世(1825〜1899年)オーストラリア帝国ウィーン生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウイーン没

1868年作曲の「ウィーンの森の物語」op.325

美しく青きドナウと皇帝円舞曲とともに3大ワルツと数えられます。

1868年の6月わずか1週間で書き上げたと言われています。ウィーンの舞踏場「新世界」において初演されました。

発表されるとたちまち大好評を博し時のオーストリア=ハンガリー皇帝フランスヨーゼフ1世はこのワルツを次のように評しました。

「これで奴隷や囚人も1つの憧れの歌を持つようになった。」

ちょっと酷いコメント😱

このワルツはウィーンっ子の憩いの場であった美しい緑地帯「ウィーンの森」
を描写した作品です。

ウィーンの森は8世紀から人が住むようになっていて、11世紀から1850年まで王室の狩場でした。


民族大移動(300〜700年)以来、スラブ民族が住むようになり、スラブ系の名前を持つ村があります。

1870年大規模な伐採計画がありましたが、市民たちの大きな反発を招き、反対運動が激しくなり、森は保存されました。

1987年ウィーン市長はこの森の自然を保護するための「ウィーンの森」宣言に署名しています。

しかし、シュトラウス2世は自然が苦手で、自然の中に出かけていくことに対して尋常ならざる恐怖を抱いていました。そんな彼がこのワルツを作曲しようと思い立った理由は明らかではありません。

踊るためのワルツというよりは演奏会のためのワルツです。実際にロシアのハバロフスク駅で仕事を受けもつようになった頃から聞くためのワルツに関心を寄せるようになっていました。

序奏に登場する チター

は南ドイツからオーストリアに渡る地域の民族楽器です。

シュトラウス2世はウィーンと周辺地域の融合を表現するためにこの楽器を使用しました。
最近は入れない演奏が多いようで見つけられませんでした。