音楽の喜び フルートとともに

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大バッハの大伯父ヨハン

2023-03-24 21:07:00 | バロック
雨の京都
お花見もしないうちに桜も散りそう。
冨久田先生のレッスン。
ペリルーのバラードを見てもらい、

先生お勧めのパン屋さんに寄りました。
今出川大宮のバス停を出町柳駅と反対に少し歩いた所。
「ここは、中で食べられるよ。」と、おっしゃっていた通り、椅子と机が並べてありました。

フランスパンにオレンジピールとはちみつが挟んであるパン。フランスパンが得意みたいです。他にもいろいろ挟んであるのがありました。
オレンジのタルトケーキは美味しかったです。
京都のパン屋さん、いいなあ!

バッハの先祖はドイツ中部のチューリンゲンに住み着いたのは1580年頃と言われています。その家系図によれば一番古いのは1550年頃に亡くなった初めのバッハはヨハン セバスチャンから数えると5代前、祖父のそのまた曽祖父です。

音楽の関わりがはっきりしてくるのはその一代後のファイト バッハからです。彼の本職はパン屋でツィターを弾くのが好きで、水車小屋で粉を引く際にツィターを爪弾きながら仕事をしていたと伝えられています。

この人は敬虔なルターの信者であったことがわかっていて、そのことでハンガリーを追われ、故郷のドイツに戻ってきたと言われています。

ヨハン セバスチャンが音楽的才能を示すとともに、敬虔なルター派のクリスチャンとしての生活を送る源流となりました。

セバスチャン バッハが書いた家系図を孫娘が写したものが残っています。それによると、ヨハン セバスチャン バッハの同世代のうち15名中11名が音楽に関する職業に従事しています。

遡って父親の世代に行くと9名全員。さらにその上の祖父より上の世代では6名全員。セバスチャンの子供の世代は23名中、21名が音楽に携わっています。

街音楽師、教会のオルガニスト、カントル、音楽教師、様々な楽器の奏者など多岐に渡っています。


ファイト バッハ(1578年以前)の息子はヨハンネス(1550ー1626年
その息子(ファイトの孫)3人いて、次男のクリストフ(1613ー1661年)が
3男ヨハン アンブロジウス(1645ー1695年)

彼はヨハン セバスチャン(1685ー1750年)の父親です。
ヨハン セバスチャン バッハ大バッハ

ヨハンネスまではパン屋も継いでいたのでヨハンは父親の焼いたパンを食べて育ったはず。

このヨハンネスの長男ヨハンは一族の音楽財産を非常に大切にし、それらを曲集としてまとめて保有していました。「古いバッハ家の資料集」(Altbachisches Archiv)と呼ばれるこの曲集に登場する作曲家のうち1番年長なのがヨハン バッハ(1604〜1673年です。

モテット「私たちの命は影のようなもの」を作曲しています。


6声の第一合唱と3声の第2合唱という構成で描かれています。
第2合唱には隠された(lantantis)という言葉がついています。
第一合唱とは離れた場所で恐らく聴衆から見えない所に配置されて演奏されたものと思われます。