音楽の喜び フルートとともに

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当たり前

2023-03-18 22:19:00 | 古典
15日は出町柳の柳も芽吹いていました。

出町柳商店街のふたばさんもやっぱり行列。

今日は買えないよ〜。
で、喫茶ロイとリンでランチ。

鮭定食。
お手頃でちゃんと美味しい。
お味噌汁の具も小松菜が入っているし、五穀米のご飯のゆかりとオニオンフライが美味しいです。
当たり前の料理が工夫されていてちゃんと美味しい。こういうところが京都です。

ウォルフガング アマデウス モーツァルト(1756〜1791年)神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教領ザルツブルク生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没



のフルートと管弦楽のための「アンダンテ」ハ長調K,315は、オランダの裕福な商人フェルディナンド ド ジャン(フェルディナンド デ ヨング)(モーツァルトがマンハイム滞在中にフルートの名手ウェントリンクの紹介で出会ったアマチュアフルート奏者)の依嘱に応じて作曲した一連のフルート協奏曲の1つ。

1777年の作.フルート協奏曲第1番K.313の緩徐楽章 アダージョ マ ノン トロッポの代替楽章として作曲されました。

おそらくはド ジャンがフルート協奏曲第1番の初版のアダージョ楽章を嫌ったために、より短いアンダンテ楽章をその代わりとして作曲したか?

またはド ジャンのために三つ目のフルート協奏曲を作曲するために、この楽章を完成させながら、残りの両端楽章に着手することのないまま終わったものと推察されています。

21歳のモーツァルトは16歳のアロジア ウェーバー

との恋に夢中になっていました。

そのため約束を果たさず、フルート協奏曲ト長調と四重奏曲二長調、ト長調、ハ長調を作曲して、二長調はすでに作曲してあったオーボエ協奏曲を移調したと言われています。

協奏曲ト長調の第2楽章として差し替えられるように、またはオーケストレーションが第1、第3楽章で使われているオーボエ2本のままでも演奏できるように作曲されたのが、このアンダンテではないかと予測されていますが、真相はわかりません。

なお、200フローリンの報酬で引き受けましたが92フローリンしかもらえませんでした。

このことを父のレオポルドに手紙でぼやいたところ



「それじゃあ、お前は200フローリンの代わりに92フローリンしかもらわなかったのかね。
なぜなのだ、お前が彼に協奏曲を2曲と四重奏曲を3曲しか書き上げなかったからです。

彼がお前に半額しか金を払ってくれないとすると、お前は何曲彼のために書くはずだったのです?
なぜ、お前は彼のために小さな優しい小協奏曲3曲と四重奏曲を1曲だけ作らなくちゃいかんとこの私に嘘をついているのだ。」

父はすべてお見通しでした。

しかし、この曲。
小品ながら、美しく、当たり前のことが当たり前にできなければうまく演奏できません。