音楽の喜び フルートとともに

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反抗的服従

2011-02-10 21:41:06 | レクチャー、マスタークラス

今日は他校の児童会に応援。まだ学年閉鎖中で自校は、仕事が無いです。
田んぼのあぜ道を通って通いました。土手に見えるのは梅の木。まだ一輪も咲いていません。
人数も少なく、落ち着いた子ども達で、先生も穏やか。
ドッジボールにつきあったり、追いかけっこしたり。汗かくほど、一緒に遊びました。ルール通りに遊べて暴力が無い。いつもの底なしの疲れは無く、さわやか。こういう運営を目指したい。

昨日の午前はボーンズ フォー ライフ。
身体のことで、前回から何かあれば、教えてください。
ということで、私は、最近デュオなど、人と合わせる時に、自分が次の音、例えば4分音符を合わせるために、吹いていて、それは外から聴いていると、ずれが無く美しく聴こえるけれど、なんだか、生き生きとせず、気持ち悪いことに気がついた。と報告しました。

それは、反抗的服従。
良い子や、優等生は、外から見ると、ルールや、規範に忠実で、いさかいや、葛藤を生まないので、うまく行っているように見えます。

しかし、心の中で、憤っていたり、実は、不満いっぱいでそこにいる。
心からではないので、成果が上がらない。肝心のところで、失敗したり、病気になったり。

一緒にいながら、関係はどんどん悪化し、でも、去らない。病むのは当たり前。
ある意味、悪の反抗の方が、手の打ちようがある。

それはちゃんと選ばないことの悲劇。
ちゃんと選ぶとは、「この意見は合わないけれど、この仕事の成果は挙げたいので、そこは協力する。」と選びきったら、心から積極的に参加できるはず。
誰が悪いのでもない。自分の選び方がまずいので、成果が上がらない。

相手との違いを認めていれば、自分が相手と違っていても、淡々と主張できるはず。ただ違いがあるだけで、良いも悪いもないから。
お互いの意見を、多様性と見ていれば、たくさんの意見があるほどこの場が豊かになるはず。それが出来ないのは、多様性を受け入れる自分ではなく、自分を消すか?相手を消すか?という対立構造にはまっているから。

1st も 2nd もちゃんと自分の歌を歌いながら、お互いの歌を聴きながら、合わせて一つのものを作り上げた時、豊かで、暖かく、生き生きとした音楽ができるはず。

講師は音楽をする人ではないですが、その通り。
最近、私が頭を悩ませていることを、また見抜かれてしまいました。

相手とおきている事は、全て自分の中の捉え方で、自分の中にもおきていることで、相手は逃げられるけれど、自分は逃げられない。一番に自分にひどいことをしているかもれない。

例えば、頭で考えていることと、身体の動きが、違っていたり、足の動きと、手の動きがちぐはぐだったり。
心で思っていることと、実際の表現が違っていたり。

自分といえども、それら全てが一致することはあり得ないと知り、そういう自分を味わい、おもしろく観れるようになると、もう少し意識的になり、生き生きと生きられるかも。

音楽は心と、身体、脳の統合による芸術だと思います。
心からでないものは、全てバレてしまう。
まだまだ、修行します。

 



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