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パッサカリア

2023-04-13 20:58:00 | リズム
うちの裏庭のアザレアが満開!
暮あたりから咲きだし、狂い咲きなので、本番はどうだろうか?と心配していましたが、要らぬ心配だったようです。

うちの今1番の花盛りの3鉢。
癒やされます。

「バッサカリア」Passacagliaは
スペイン語で、Pasear 歩く caile 通りと言う意味の言葉で17.18世紀に流行りました。

17世紀初期にはギターで和音を奏するリトルネッロ(歌の前後、間奏などの器楽演奏部分)を意味していました。

1605年
スペインの文献に初めて現れます。
ジローラモ モンテサルドによるギターのためのタブラチュア(1606年)に収録されています。

その時のパッサカリアはⅠーⅣーⅤーⅠという和音です。

通常の記譜法で書かれたパッサカリアの最初の例はジローラモ フレスコバルディ(1583〜1643年)フェラーラ公国フェラーㇻ生まれ、教皇領ローマ没

の「トッカータ集第2巻」1627年のPartite sopra passacagli
です。

パッサカリアやシャコンヌ(チャッコーナ)は芸術音楽の領域に取り込まれるようになって、共にオスティナート   バス(執拗で頑固な低音の繰り返し)に基づく3拍子の変奏曲になり、関係が深くなっていきました。

主にバッサカリアは短調。シャコンヌは長調の定型が用いられました。

フレスコバルディのCento partite sopra passacagli 1637年ではパッサカリアとシャコンヌが交互に現れる箇所があります。

フランスではバッサカリアは荘重な3拍子の器楽舞曲として扱われるようになりました。
しばしばロンド形式を取り、シャコンヌとの区別は曖昧となりました。

ドイツのパッサカリアはフランスとイタリア領国から影響を受けています。シャコンヌとの関係はより複雑化し、マッテゾン、ヴァルター、クバンツと言ったドイツの理論家はパッサカリアとシャコンヌの違いを明らかにしようとしましたが、無駄でした。

「ヴィーナスとアドニス」

は、ヘンリー デスマレ(1661-1741年)パリ生まれ、リュネビル没
作曲のプロローグと5幕〜なるオペラです。ジャン パティスト ルノーの台本によります。

ルイ14世


の宮廷楽士として早くから才能を表していました。同じ頃リュリも宮廷にいて彼の憧れの存在でした。

17歳で重役を任され、1689年、結婚し、娘が1人生まれます。
しかし、1696年初めの妻が亡くなります。

1695-97年「ビーナスとアドニス」を作曲します。

その間に、19歳の高官の娘マリーマルグリット ド サンゴーベールと恋愛関係になりますが、周囲に猛反対されます。1699年プリュッセルに逃れます。

その後二人はスペインに亡命しますが、マリーの父親は彼を訴え、不在のまま裁判にかけ、肖像画を絞首刑にします。

スペイン、フィリップ5世


の宮廷作曲家として数年間亡命した後、デスマレはロレーヌのレオポルド1世


の宮廷に雇われます。

そこで、「ヴィーナスとアドニス」を復活させ、1707年公爵を祝うために上映します。

ティツィアーノのビーナスとアドニス

ロレーヌ リュネビル城
このオペラは人気で、他にもスウェーデン、リヨンなど各地で上演されました。
ロレーヌ公の宮廷での地位が上がりましたが、ルイ14世からの許しは得られませんでした。

王の死後1720年特赦によって全ての非難が解除され、最終的に結婚契約が締結されました。
デスマレは60歳になっていました。

デスマレのオペラ「ビーナスとアドニス」からパッサカリア




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