昨日は二条城パガニーニで温故知新コンサートでした。
なんと!サロンの窓から二条城が見えます。
二条城は1603年徳川家康によって築城されました。
1806年慶喜が大政奉還を決めたのはここの二の丸御殿
だとか…。
昨日は予約投稿とか言って、いつもの21:00、阪急河原町四条駅でボタンを押すだけってやってみて、うまくいったと家に帰ってからみたら、「あれ?!」
よく見たら前日の記事のボタンでした~。
よく見たら前日の記事のボタンでした~。
年賀状といい、本当にあきません😭
コンサートはベルガマスク組曲からプレリュード、メヌエット、月の光をフルート久米、ヴィオラ金重さん、ピアノ坂田さんで演奏しました。
他にもアンサンブル多数。
声楽やベートーヴェンの五重奏や七重奏、モーツァルトのクラリネット五重奏などなど楽しかった!
木管多めでした。
フランツ イグナーツ ダンツィ(1763-1826年)シュヴァルツ選帝侯領バーデン ヴュルゲンブルク シュヴェツィンゲン生まれ、カールスルーエ没
モーツァルトにも称賛されたイグナーツ ダンツィの息子、姉のフランツェスカ ルブランは有名な声楽家でした。
モーツァルトには敬意をベートーヴェンには賛否相反する感情を寄せていました。
ウェーバーの指導者で世の中に広めました。
シュヴェツィンゲンに生まれ、マンハイムに育ちました。
父の指導でチェロを学び、
1778年プファルツ選帝侯カール4世フィリップ テオドール
の宮廷楽団のチェリストとして迎えられます。
選帝侯が、バイエルン選帝侯位を継ぎ、ミュンヘンに宮廷を移したあともダンツィはマンハイムにとどまっていました。
1784年父親の後任としてミュンヘンの宮廷楽団に再入団します。
1780年木管楽器のための初めの作品がマンハイムで出版されています。
1790年マリア マルガレーテ マルシャンと結婚。
オペラの巡業をヨーロッパ各地で行います。
1798年ミュンヘンに戻り宮廷楽団の第二楽長に昇進します。
1807年待遇の不満や、昇進が見込まれないことに失望し職を辞し、シュトゥットガルトでより小さなヴュルテンベルクのフリードリヒ1世
の宮廷楽団長に就任します。
1812年にはカールスルーエに戻り、王立音楽院で教育に身を捧げました。
歌劇、交響楽や、協奏曲を書いています。チェロ協奏曲も書いています。
特筆すべきは木管五重奏の作曲です。
ダンツィの曲の中では現在最も演奏されています。
癒されます😊
癒やされてくださ〜い🎶