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猫のフーガ

2022-06-03 21:07:24 | バロック
猫の見えない塚口のt-raum。 


暑くなってくると、どこかに避難するようです。







額紫陽花がたくさん植えられていたので、先生が来るまで庭に入って、撮影会。
不審者?




7月末発表会のための金重さんとのデュオもみてもらいました。
まだまだ、危ない、危ない。
精進致します。

t-raumでは猫に会えなかったので、ドメニコ スカルラッティ(1685-1757年)ナポリ王国ナポリ生まれ、スペイン帝国マドリッド没

が作曲した「猫のフーガ」

ドメニコ・スカルラッティは、有名な音楽家の一族の1人アレッサンドロ スカルラッティの息子です。
1701年15歳でナポリ教会のオルガン奏者に就きます。
1705年ヴェネツィア、1709年ローマで亡命貴族のマリー カジミール


の音楽監督に就任。
1714年からバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂

の音楽監督に就きます。
存命中から有名でヘンデルとチェンバロの演奏で競って互角になったとか言われています。

1719年ポルトガル王ジョアン5世に雇われ娘のマリア マグダレーナ バルバラ王女

を教えます。

1728年イタリアで16歳のマリア・カタリーナ・ジェンティリと結婚します。

1729年王女がスペインの王太子フェルディナンドに嫁ぎ、スカルラッティも一緒にマドリッドに移住します。

1738年ジョアン騎士団に叙勲されます。

その頃、スカルラッティは最初のソナタ集である「Essercizi per gravicembalo」(チェンバロ練習曲集、30曲。K.1-30)を出版し、ジョアン5世に献呈しました

この最終曲が有名な「猫のフーガ」です。



伝説によるとスカルラッティの愛猫 プルチネッラは、スカルラッティのチェンバロの鍵盤の上を横切る習慣がありました。

ある日スカルラッティは、プルチネッラが歩いた音を記録して、それをモチーフにしてフーガを書きました。

それが「猫のフーガ」です。


この伝説が本当かどうかは確かめようがありませんが、ヘンデルは合奏協奏曲にこのモチーフを使い、ライヒャも36のフーガにこのモチーフを取り入れ、19世紀には「猫のフーガ」と言う名前でリストやモシェレスが演奏しています。





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