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森の静けさ

2022-06-02 20:41:47 | ロマン派
森の道は曲線。枝分かれし、絡み合い。
ちらほらと小さな花が咲いています。

ここに来ると、現実の等身大の人に戻る感じがします。

アントニーン レオポルド ドボルザーク(1841-1904年)
オーストリア帝国ネラボゼヴェス生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国プラハ没

の生涯については度々ご紹介していますが、
1862年新しくできたチェコ人による国民歌劇場

のヴィオラ奏者としてキャリアを初めた彼が1871 年に作曲に専念するためにオーケストラをやめます。

個人レッスンなどをして収入を得ながら作曲した「白山の後継者たち」1873年に発表すると好評をはくします。
その頃生徒の1人アンナ チェルコーヴァと結婚します。

1874年収入の良いプラハの聖ヴォイチェフ教会のオルガニストに就任します。
交響楽第三、四番は国の奨学金を得るなど、仕事は順調に進み、ブラームスに出会い交流を始めるなど世界を広げます。

1877年次女ルジェナが亡くなり翌年長男オタカルが亡くなり鎮魂の曲「スターバト・マーテル」を書きます。

楽譜出版社のジムロックは民族主義の高まりを受けて、「スラブ舞曲集」をドボルザークに依頼します。

国際的な名声が高まり、プラハを出てウィーンやロンドンで演奏します。

1884年のロイヤルアルバートホール

での「スターバト・マーテル」の演奏は大成功で12000人もの人を魅了しました。 

交響楽やオペラなど大曲の作曲が続く中、1883-84年に作曲されたのが
「森の静けさ」です。
ジムロック社の依頼で、もとは「ボヘミアの森から」というピアノ4手のための曲集の第5曲で、これを1891年に自分でチェロとピアノに編曲しました。

これはドボルザークがアメリカへ行く時の、送別演奏会で演奏されました。

これが良かったので、ドボルザークは管弦楽とチェロのために編曲し、「森の静けさ」と名前を変えてジムロック社から1894年に出版されました。




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2 コメント

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Unknown (ra9gaki_do)
2022-06-03 06:10:01
おはようございます(^-^)
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。

美しい森の画像に見入りました。
退院したら〜大好きな花散歩をと
楽しみにして居ましたが
杖をついての歩行は遠出もならず
まだまだリハビリ段階?と実感(;_;)
探りながら〜回復目指します。

今日もどうぞお元気でご活躍を(^-^)
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Unknown (m-fluteangel16)
2022-06-03 22:39:10
@ra9gaki_do さん、ありがとうございます。
まだお辛いと思いますが、焦らずゆっくり治してくださいね。
たくさんの生徒さんたちもそれを願ってゆっくり待っておられると思います。
先生を思う素敵な絵手紙でいっぱいで、私も温かい気持ちになりました。
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